第7話 王都からの使者
視察団は予告通りに到着した。馬車二台。先頭に宮廷魔法局の紋章旗。
五名の視察官のうち、筆頭を務めるのは——予想通り、ベアトリスだった。
馬車から降りた彼女は、辺境の町を一瞥し、わずかに眉を顰めた。整えられた金髪に翡翠色の耳飾り。宮廷の装いそのもの。
「グリュンフェルト領主代行のニクラス殿。宮廷魔法局から防衛陣の管理状態視察にまいりました」
「お待ちしておりました」
ニクラスの対応は丁寧だが最小限だ。私は町の人々に紛れ、少し離れた位置から観察していた。
ベアトリスの視線が一瞬、私を捉えた。しかし声はかけなかった。
驚いた様子もない。私がここにいることは、すでに知っていたのだ。
視察団は領主邸に案内された。私は防衛陣の基盤石に向かい、通常の維持点検作業を装って待機した。
昼過ぎ、視察官の一人が基盤石の調査にやってきた。若い男性。メモを取りながら、陣の表面を丹念に観察している。
「よくできた修復ですね。筆跡に癖はありますが、基本構造の理解が深い」
独り言のつもりだったのだろう。私がそばにいることに気づいて、慌てた顔をした。
「あ、失礼。この陣の修復は地元の方が?」
「私です」
「あなたが……お名前は」
「ソフィア・ブレンネルです。元・宮廷魔法局所属の」
若い視察官の目が見開かれた。私の名前を知っている。追放された陣師として、局内では知られているのだろう。
「自分はコンラート・メルツと申します。局の検査課に配属されたばかりで——」
「コンラート!」
鋭い声が飛んだ。ベアトリスが丘を登ってくる。
「勝手に調査対象と接触しないで。報告書は私が確認してから提出するわ」
ベアトリスは私の前に立ち、値踏みするような目を向けた。
「久しぶりね、ソフィア。辺境暮らしは性に合って?」
「おかげさまで。定時に帰れる生活は快適です」
「相変わらず皮肉が好きね。——この防衛陣、あなたが修復したの」
「はい」
「追放された身で宮廷の管轄施設に手を加えるのは、厳密には法令違反よ」
「この陣は地方領主の管理下にあります。管理権は返還されていないはずですが」
ベアトリスの目が一瞬、鋭くなった。管理権の問題を私が知っていることに、計算外のものを感じたのだろう。
「……まあいいわ。視察の結果次第では、管理権の問題も含めて判断されるでしょう」
彼女は踵を返し、コンラートを連れて丘を下りた。
若い視察官が去り際に一度だけ振り返った。その目には——敵意ではなく、何か別の感情が浮かんでいた。
午後の視察が終わり、視察団は宿に入った。ハンナの宿は満室状態だ。
夕食時、食堂で視察団と町の人々が同席した。ベアトリスは食事にほとんど手をつけず、書類に目を通している。他の視察官たちはハンナの料理を黙々と食べていた。
コンラートだけが、時折こちらをちらりと見る。
食後、私は宿の廊下でコンラートと鉢合わせた。
「ソフィアさん。少しお話できますか」
声を潜めている。周囲を気にしている。
「何でしょう」
「あの防衛陣の修復——多層暗号陣の技法が使われていますね。教科書でしか読んだことのない技術です。どこで学ばれたんですか」
多層暗号陣に気づいている。この若者は、見た目以上に技術力がある。
「この陣の原設計者から学びました。直接ではなく、設計から読み取って」
「原設計者——まさか、リントナー先生の?」
「先生」と呼んだ。敬意のこもった呼び方だ。
「リントナー師をご存じなんですか」
「自分の祖父です」
息が止まった。
コンラート・メルツ。ゲルハルト・リントナーの孫。宮廷魔法局の検査課に配属されたばかりの若者が、リントナーの血縁だった。
「祖父は五年前に亡くなりました。公式には病死とされていますが——自分は信じていません」
リントナーは死んでいた。消息不明ではなく、亡くなっていた。そして、その孫が宮廷魔法局に潜り込んでいる。
「なぜ魔法局に入ったんですか」
「祖父の死の真相を知りたかったからです。検査課なら、基幹魔法陣の記録にアクセスできると思って」
「アクセスできましたか」
「いいえ。基幹陣の記録は局長決裁なしに閲覧できません。そして局長は——」
「ヴォルフラム」
コンラートが頷いた。
「この視察に志願したのは、祖父がこの辺境に何かを残したと聞いていたからです。ベアトリス様は自分を監視役として連れてきたつもりでしょうが」
敵だと思っていた視察団の中に、味方がいた。
しかし、安易に信用するわけにはいかない。これが罠である可能性もある。
「コンラートさん。一つ確認させてください。リントナー師の筆跡の癖を知っていますか」
「もちろん。子供の頃から祖父の設計を見て育ちましたから」
「では、明日の日没後に基盤石のところへ来てください。見せたいものがあります」
コンラートの目が光った。
「わかりました。——ソフィアさん、一つだけ」
「何ですか」
「ベアトリス様は明日、領主邸の書斎を視察対象に含めるよう要求するつもりです。前領主の書簡を探すのが目的だと思います」
リントナーからの手紙。あれを奪われるわけにはいかない。
食堂に戻ると、ニクラスがまだ席にいた。目が合う。
私は小さく頷いた。「話がある」の合図を、この数週間で自然と覚えていた。
領主邸に戻り、書斎の手紙を安全な場所に移す相談をした。ニクラスは黙って手紙を取り出し、私に渡した。
「預ける。あんたの手帳と一緒に持っていろ」
「いいんですか」
「叔父の書斎は明日、堂々と見せてやる。何もないことを確認させれば、それ以上の追及はできない」
合理的だ。そして、私を信頼しているということでもある。
手紙を手帳に挟み、胸ポケットに戻した。重みが増した。十年分の記録と、リントナーの遺言。
(……明日は長い一日になる)
宿の部屋に戻り、灯りを消した。窓の外の星が、今夜も静かに光っている。
——そして翌日、私は予想もしなかった知らせを受けることになる。




