第5話 偽りの設計図
防衛陣の修復が完了した日、私は基盤石の前で小さく拳を握った。
二週間の作業。修復された陣は、元の設計よりも魔力効率が三割向上している。リントナーの多層暗号陣から学んだ回路設計を応用した結果だ。
「起動試験を行います」
ニクラスと、牧場主のオットーが立ち会っている。オットーは四十代の大柄な男で、元・宮廷騎士団の魔法陣整備士だったことが最近判明した。引退後にこの辺境で牧場を営んでいるらしい。
起動の合図とともに、基盤石が青白い光を放った。光が広がり、町全体を覆う半透明の結界が立ち上がる。以前の応急処置とは比較にならない強度。
「美しい陣だ」
オットーが呟いた。元整備士の目にも合格らしい。
「これなら中級魔獣程度は完全に遮断できます。大型魔獣に対しても、警報機能が作動するよう設定しました」
ニクラスが黙って頷いた。彼なりの最大限の賛辞だと、最近はわかるようになってきた。
町の人々が集まってきた。結界の光を見上げ、口々に歓声を上げている。子供たちが結界の壁を触ろうと手を伸ばし、淡い光に包まれて笑っている。
(……これだ。この感覚を忘れていた)
宮廷では、誰のために陣を描いているのかわからなくなっていた。ここでは、守るべきものが目に見える。
修復祝いということで、食堂のハンナが特別な夕食を用意してくれた。辺境の郷土料理——ジビエの煮込みと根菜のグラタン、自家製のパン。
食堂に町の人々が集まり、にぎやかな宴になった。私はその隅で静かに食べていたが、オットーが杯を持って近づいてきた。
「あんた、宮廷魔法局にいたんだってな」
「ええ。追い出されましたけど」
「俺もだよ。騎士団を追い出された口だ」
オットーは杯を傾けながら、低い声で続けた。
「三年前に辞めさせられた。基幹魔法陣の定期検査で、設計図と実物の不整合を指摘したら、翌月に『予算削減による人員整理』とさ」
設計図と実物の不整合。私が大広間の事故直前に感じていた違和感と同じだ。
「その不整合というのは、具体的にどんなものでしたか」
「基幹陣の魔力出力経路に、設計図にない分岐が追加されていた。出力の一部が、どこか別の場所に引き抜かれている構造だ」
出力の分岐。基幹魔法陣から魔力を密かに引き抜いている。それは——。
「横領ですね。魔力の」
「ああ。基幹陣は王国の防衛を支える魔力供給源だ。その出力を私的に流用している者がいる。俺はそれを報告しただけなのに、消された」
オットーの目が酒の赤みの奥で鋭く光った。
「あんたが追い出された理由も、似たようなものだろう」
「……おそらく」
パズルのピースが揃い始めている。リントナーが辺境に隠した証拠。
前領主の不審な死。オットーの不当な免職。
そして私の追放。
すべてに共通するのは、宮廷の基幹魔法陣に関する不正を知った者、あるいは知りかねない者が排除されているという事実だ。
「オットーさん。当時の記録、何か残していますか」
「あるとも。軍人の習性でな。検査記録は全部手元に写しを取ってある」
証拠が、集まりつつある。
食堂の宴がお開きになった後、私は宿の部屋で手帳を広げた。
これまでに集めた情報を整理する。リントナーが防衛陣に隠した基幹陣の設計定数。
オットーが記録した出力分岐の検査記録。私が手帳に残していた、大広間事故直前の基幹陣の違和感メモ。
そして、牧場で発見された誘引器の筆跡。
どれも単独では決定的な証拠にならない。だが、すべてを組み合わせれば、宮廷基幹魔法陣で行われている魔力横領の全体像が浮かび上がる。
問題は、誰が首謀者なのかということだ。
筆跡の癖から推測できるのは、宮廷魔法局の正統な教育を受けた人物。高い技術力。局内での影響力。
ベアトリス——私の上席だった女性。彼女には動機がある。
魔力横領の利益。そして、私を追い出した直接の責任者。
だが、ベアトリスだけの判断で基幹陣を改竄できるとは思えない。もっと上位の人物が関わっている。
蝋燭を消し、暗闘の中で天井を見上げた。
(……焦ってはいけない。「観察、仮説、検証、証拠提示」。手順を飛ばせば、また足元をすくわれる)
翌日。リントナーの手紙にあった「証拠保全機能」の本格的な解読に取りかかった。多層暗号陣の残りの層——星明かりでのみ読める最深層がまだ解読できていない。
その日の夕方、宿に戻ると、ハンナが困った顔をしていた。
「ソフィアさん、あなた宛にお手紙が届いているの。王都の消印よ」
差出人の名前はなかった。封を開ける。
中には一枚の紙。短い文面。
『辺境で大人しくしていなさい。余計なことを調べれば、次はあの町の人々に災いが及びます。——B』
「B」。ベアトリスの頭文字。
手紙が私の居場所を知っている。追放された魔法陣師の行方を、わざわざ追跡している。
脅迫状だ。しかし、見方を変えれば——私が何かに近づいていることの証拠でもある。
手紙を手帳に挟んだ。震える手を膝の上で押さえた。
怖い。正直に言えば、怖い。一人の元・宮廷魔法陣師が、権力者に立ち向かえるのか。
そのとき、階下から声が聞こえた。
「ソフィア。夕食の時間だ」
ニクラスの声。いつもと変わらない素っ気なさ。けれど、毎日決まった時刻に声をかけてくれるその律儀さが、今はたまらなく心強かった。
「今行きます」
手紙のことは、明日伝えよう。今夜は普通に食事をしたい。
定時に食べて、定時に眠る。日常を守ることが、今の私にできる小さな抵抗だ。
——けれど、脅迫の主は、もう動き始めている。




