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嘘つきの王宮を追放された魔法陣師、王宮の嘘を全部壊します  作者: 渚月(なづき)


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第3話 古い防衛陣に残された署名

防衛陣の修復を始めて五日が経った。基盤石の清掃と線の記録が終わり、いよいよ修復用の設計図を引く段階に入っている。


 作業場にしている丘の上は見晴らしがよく、風通しもいい。王都の地下作業室とは比べものにならない環境だ。日の光の下で線を引くと、インクの発色も手元の精度も格段に上がる。


 設計図を引きながら、隠された署名「G・R」について考え続けていた。


 宮廷魔法局で、イニシャルに「G」がつく上級魔法陣師。思い当たるのは一人だけだ。


 ゲルハルト・リントナー。宮廷魔法局の前・筆頭魔法陣師。


 私が入局した頃にはすでに退官しており、直接会ったことはない。だが、その設計図は教科書にも載るほど有名で、私も模写して学んだ。


 「R」はリントナーの頭文字だろう。しかし、退官した筆頭陣師がなぜ辺境の防衛陣に機密インクで署名を残しているのか。


 (……考えても答えは出ない。まず目の前の修復を終わらせよう)


 設計図を引く手を止めずに、基盤石の修復可能な範囲を計算する。元の陣の七割は復元できる。残りの三割は新規に設計し直す必要がある。


「進み具合はどうだ」


 ニクラスが水筒を持って現れた。毎日同じ時刻にやってくる。律儀な人だ。


「基本構造の修復はあと一週間ほどで終わります。ただ、結節点の強化に特殊なインクが要ります」


「手配する。他に必要なものは」


「……一つ、お聞きしたいことがあります」


 ニクラスの目が僅かに警戒の色を帯びた。


「この防衛陣を設計したのは、宮廷魔法局の関係者ですか。標準設計とは異なる追加要素がいくつかあるんです」


「叔父が生前に、知り合いの陣師に頼んだとは聞いている。それ以上は知らない」


 知り合いの陣師。ゲルハルト・リントナーは退官後の消息が不明とされている。もし前領主と繋がりがあったとすれば——。


 その思考を遮るように、丘の下から駆け上がってくる足音が聞こえた。


 宿の女主人ハンナだ。息を切らしている。


「ニクラス様、大変です。南の牧場にラクリマが出ました」


 ラクリマ。涙型の体を持つ中級魔獣で、家畜を襲う害獣だ。通常は森の奥に棲息し、防衛陣が正常なら町の近くまで来ることはない。


「数は」


「三体。牧場主のオットーが一体は追い払ったそうですが、残りの二体が家畜小屋に——」


 ニクラスは水筒を地面に置くと、腰の短剣に手をかけた。


「ソフィア。この陣、応急処置で動かせるか」


 私は基盤石を見た。修復途中の陣。


 設計図の段階で、まだ実際の線の書き直しにはほとんど入れていない。まともに起動すれば暴走する危険がある。


「全体は無理です。でも——南側の結界だけなら、一時的に張れます」


「やってくれ。俺は牧場に向かう」


 ニクラスは丘を駆け下りていった。私は道具を掴み、基盤石の前にしゃがみ込んだ。


 部分起動。理論上は可能だが、繊細な制御が求められる。


 魔法陣の部分起動は、オーケストラの楽譜からバイオリンのパートだけを抜き出して演奏するようなものだ。他の楽器との調和を考慮しながら、単独で意味のある旋律を成立させなければならない。


 指先にインクを含ませ、応急の制御線を引く。手帳の記録を参照しながら、南方向の結界回路だけを孤立させる。


 三分で仮設計を完了。起動する。


 基盤石が淡く光り、南側に向かって半透明の壁が立ち上がった。完全な結界ではない。ラクリマ程度なら弾けるが、大型の魔獣には耐えられないだろう。


 それでも、今はこれで十分だ。


 丘の上から南の牧場を見下ろす。ニクラスが駆けつけたらしく、人影が動いている。しばらくして、結界に弾かれたラクリマが森の方向へ逃げていくのが見えた。


 (……間に合った)


 安堵で膝が震えた。地面に手をつき、深呼吸する。



 夕方。食堂で遅い食事をとっていると、ニクラスが向かいに座った。


 珍しい。いつもは一人で食べている。


「助かった」


 一言だけ。けれど、その声には硬さがなかった。


「仕事ですから」


「あの応急処置、普通はできないと聞いた。牧場主のオットーが驚いていた。元軍属の魔法陣整備士でも難しいと」


 元軍属。オットーにそういう経歴があるらしい。辺境の町にも、いろいろな過去を持つ人がいる。


「部分起動は理論自体は古くからありますが、実践例が少ないだけです。要は楽譜の読み方の問題で——」


「もういい。説明は長くなりそうだ」


 少しだけ、ニクラスの口元が緩んだ。笑ったのだろうか。薄暗い食堂の照明では判別がつかない。


「もう一つ。さっきの魔獣騒ぎの後、牧場の近くで妙なものを見つけた」


 ニクラスが卓の上に小さな金属片を置いた。指の爪ほどの大きさ。表面に微細な魔法陣が刻まれている。


「これは……誘引器?」


「わかるのか」


「魔獣を特定の場所に誘導するための道具です。宮廷魔法局では禁制品に指定されています」


 禁制品が辺境の牧場近くに落ちていた。防衛陣が壊れた町に、魔獣を誘き寄せる道具。偶然とは思えない。


「誰かが意図的に、この町に魔獣を寄せていた可能性があります」


 ニクラスの灰色の目が鋭くなった。


「心当たりはある」


 それ以上は語らなかった。食堂には他の客もいる。


 私は金属片を手帳に挟んだ。宿に戻ってから詳しく調べよう。


 部屋に戻り、蝋燭の光の下で誘引器を観察する。微細な魔法陣の筆跡。線の始点の癖。


 手帳を遡り、宮廷時代の記録と照合した。


 あの大広間の事故の夜。暴走した基幹魔法陣。


 私が追放される原因となった事件。あの陣にも、公式の設計図にはない改竄の跡があった——と、当時の私は疑っていた。


 弁明の機会もなく追い出されたから、確認はできなかった。


 だが今、手元にある誘引器の筆跡と、手帳に記録していた基幹陣の違和感のメモを並べると——。


 筆跡の癖が、似ている。


 同一人物とは断定できない。けれど、技術的な流派が同じだ。宮廷魔法局の正統な教育を受けた者の手仕事。


 蝋燭の炎が揺れた。


 (……偶然じゃない。この町で起きていることと、王都で起きたことは繋がっている)


 手帳を閉じ、枕元に置いた。


 眠れない夜になりそうだった。窓の外で、防衛陣の応急結界が淡い光を放っている。不完全な光だけれど、今夜はあの光が町を守っている。


 ——明日、ニクラスに話さなければならないことがある。この町の危険は、魔獣だけではない。


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