獅子猿2
たった一歩踏み込んだだけでこの状態。
まさかあそこが獅子猿の縄張りだとは思わなかった。
しかも丁度食事中という過去最悪だと思えるくらいの間の悪さ。
一斉に「ぎょろり」とこっちを振り向いた時のあの背筋が凍る感覚は初めての経験かもしれない。
邪魔する気は一切ございません。
だから見逃してくれないかなぁ…?
だって君等雑食でしょ?
ボクを食べなくても生きていけるじゃない。
通じる訳無いけど。
直接的な脅威を考えればやっぱり魔物の方が怖い。
まぁ、人の場合はもっと『気持ち悪いこと』を考えないといけないけどさ。
その場から一も二もなく撤退したのは反射的な行動。
自分のことながら褒めたいと思う。
追って来た獅子猿の群れに対して威嚇と討伐を兼ねて魔法を放つ。
こうして引き離しながらも少しずつ獅子猿を減らす。
例え魔法を使われたところで一対一なら負けない。
使ってくるのは下級の風魔法だから、身体一つ分横に移動させれば回避出来る。
万が一当たっても耐えられないこともない。
でも、あの数は無理。
最初に出遭った時に一発大打撃与えとけば良かったとも思うけど、そんな時間はくれそうに無かった。
今のボクは一人きりだから。
だから逃げるしかなくて、逃げたからこそまだボクは生きていられる。
まだ、戦える。
かれこれ逃げながらの戦闘で30分は経ったと思う。
村はまだまだ遠い。
いや、近付いたなんて言えるほどの距離を移動してすらないか。
歩いて一日二日で着く距離でもないからなぁ…。
まだ立っていることには自分でも褒めてあげたい。
けれどもう倒す威力のある魔法を準備する時間は無い。
というか完全に追い付かれて今は剣で接近戦だよ。
獅子猿が素手で殴りかかってくるからまだ何とかなるけどね。
何より牽制で撃つ魔法でも魔力を使ってしまう。
動けば動くほど体力無くなるし、そろそろ本格的にダメかもしれない。
…結構倒したんだけど、一向に退いてくれない。
魔猿系の魔物は賢くて、退き際も心得ているって聞いてるんだけど…。
あぁ、そうか…ボクが疲れているから『あと少し』って感じ?
そういえば最初の頃みたいに一斉攻撃もしなくなってる。
魔法で吹き散らかしたからだと思ってたけど…もしかして違う?
あぁ…完全に『疲れさせるため』にちょっかい出してきてる!
くそぉ…賢すぎるのも困ったもんだよ。
反射で戦っているようなぼんやりする頭で状況を確認する。
劣勢も劣勢。
獅子猿達はまだ後ろにわんさか居るのに、ボクはもう疲労困憊。
誰か助けてくれないかなぁ。
くれないよねぇ…こんな場所じゃ。
「やば!」
戦闘中に声を出すのはダメ。
呼吸が乱れるし、体力を使うから。
気合を入れたり力を込めたりする時は良いけどね。
だから今みたいに何の意味も無い言葉なんか、絶対にダメ。
でも仕方ないよ。
返り血で滑って剣がどっか行ったんだから。
武器を失くしたボクを見て獅子猿が我先にと殺到する。
あーあ、頑張ったのになぁ…。
そんなことを思いながらも拳を握る。
魔物相手に殴り合いなんて馬鹿のすること。
けど、もう武器は無いから仕方ない。
ただではやられてあげない!
意識の端っこで魔法を準備しながら、ギュッと拳を握り締める。
獅子猿の振り下ろされた腕を、少しだけの移動で躱してカウンター気味に入れた一撃はなかなかの手応え。
丁度胸の中心付近に痛打が入って、背後の獅子猿を巻き込んで仰け反らせた。
滑り止め用の手袋しか付けていないから大した攻撃力は無いし、何より反動が凄い。
殴り慣れていないからか、一発殴っただけで手がジンジンする。
すぐに魔法を…間に合え!!
「我の魔を糧に熾れ、|《赤焔壁》《ファイアウォール》!!」
目隠しも含めた《赤焔壁》はボクに近付いた4体程を炎に抱いた。
獅子猿の毛皮は良く燃え、転げ回る。
よし、この間に距離を…とボクは逃げ出す。
背を向けた瞬間、《赤焔壁》の向こう側から勢い良く獅子猿が1体飛び出してくる。
何で?!
4体は燃えたのに!!
声にならない悲鳴を上げて、身を固める。
すぐに『一対一なら、倒せる!』と思い直して拳を握る。
戦意まで失くしたらやられるだけだ!
けれど飛び込んできた獅子猿こちらを見ていない。
いや、違う。
そもそも頭が無い。
つまり、死体。
そのありえない状況に思わずきょとんとする。
獅子猿の頭が勝手に無くなるはずが無い。
ボクは何もしてない。
じゃぁ、何が?
答えは、すぐに出た。
いや、答えといえば良いのかも分からない。
《赤焔壁》の向こう側から獅子猿の威嚇する声と、何かを打撃するかのような音が鳴り響く。
そして獅子猿が魔法を放っていると思える風切り音が。
魔法?
ということは距離があるってこと?
ボクには状況がさっぱり分からない。
えっと…これはどうすれば…?
逃げることも参戦することも出来ない。
数分後、魔力を振り絞って維持していた《赤焔壁》の効果が解けた。
もうボクには魔法を使う魔力は一切無い。
武器も無い…でも、少しだけ息は整えられた。
拳を握り、『向こう側』がどんな状況かを静かに窺う。
《赤焔壁》の魔法が解けた先で立っていたのは三人。
スコップを肩に担いだ子供と、剣を振って血を飛ばす男、メイスを腰に戻す男…ってアレ?
メイス何処行ったの?
そして周囲には獅子猿の死体。
それも大した数が無い…と言うことは威嚇して逃がしたってことかな?
まぁいいか…良く分からない状況だけど、とりあえず助かったことだけは分かった。
ボクは安心して膝から力が抜けて尻餅をついた。
はぁ…しんど…。
・
・
・
この場に居た獅子猿のほとんどはオレガノが食べてしまった。
やったことはとても簡単。
一応リコが敵の足元に【重力魔法】で加重を掛けて動けなくはしていたが、理熾がオレガノを思いっきり投げ込んだだけ。
放り込まれたオレガノは群れ全体を包むように薄く広く一気に伸び、投網のように多くの獅子猿に体液を触手のように伸ばした。
そして捕まえた獅子猿を体液で握り締め、一気に収縮させた。
たったこれだけの行程を踏むだけで獅子猿同士を問答無用でぶつけつつ中心へと押し潰していく。
体液を折り畳むようにして圧殺を完了させ、後は悠々と消化するのみ。
一時的に幅十数mにも膨れ上がったオレガノだったが、体内の獅子猿の原型が崩れていくにつれて縮んでいった。
火の壁が燃え盛る数分で全てを消化し終えていつものサイズに戻り、いつにも増してつやつやしていた。
高Lvは伊達じゃないと理熾は戦慄するしかなかった。
オレガノに捕まったら絶対に死ねる、と。
30体程の獅子猿がこの初撃で戦線離脱。
大ポルンが触手の槍を扱ったのを思い出したこと。
そして猪を捕獲して食べたことから指示してみたが、これほどまでに圧倒的だとは理熾自身思わなかった。
かろうじてオレガノの魔の手から逃れた10体ほどの獅子猿は、距離があるものは《亜空間》からの矢。
近場は最近お気に入りのスコップで叩き潰した。
少し力加減を間違え、最初の1体を火の壁の向こう側へホームランしたのは反省点だろうか。
とはいえ頭が無ければどうしようも無いので失点とまでは言えない。
獅子猿が魔法を使っても我関せず。
簡単に回避出来る上に【深化の竜牙】による《結界》を編めば例え正面からでもあっさり突っ切れる。
倒した端から《亜空間》へと仕舞い込み、次へ次へと討伐していく。
隣でオレガノが消化を終えるまでに残りものを倒し尽くすと
(…どういう状況だ?)
少し息を弾ませたネーブルとライムが到着した。
二人とも戦闘状態を維持していたため武器を片手に走ってきたらしい。
だが本人達も戦闘での理熾達を心配していた訳ではない。
ただ『理熾が巻き起こす何か』を心配していただけで。
(あ、うん。
早かったね。
オレガノが全部やりました)
『犯人はあいつです』と飼い主がオレガノを指差す。
間違いではないが、投げ込んだのは理熾なのでむしろ主犯である。
さっと経緯を思考会話で済ませて居る内に火の壁が治まった。
壁があった向こう側にはまだ『誰か』は居る。
理熾は疲労困憊で項垂れる『誰か』を一瞥し、状態の確認。
見た感じ多少の擦過傷はあるが、目立った大きな怪我は無い。
懸念事項である大怪我が無くて理熾はホッとする。
ネーブルはすぐに服の《拡張空間》から回復薬と魔法薬を取り出し、ライムに目配せして渡して対応を任せる。
負傷者の受け持ちはライムなのだから。
溜息を吐きつつ、具合を見るべく近付いて行った。
理熾は事情説明を二人に任せることにした。
良く分からない子供が説明するよりは遥かに説得力があるはずだからだ。
そんなことを密かにやり取りしつつ、理熾は矢で打ち落とした獅子猿を回収するために歩き出した。
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