救出者
騒ぎのような物音を聞いて、私が異変を感じた時には手遅れだった。
後ろから口に何かを詰められ、その上から布で蓋をされてしまった。
ぎょっとして振り向こうとしたけれど、そこから記憶が飛んでいる事を思えばやっぱり手遅れだったみたい。
次に気が付いた時は地面がゴトゴトと揺れていた。
多分馬車か何かに乗せられて連れて行かれる最中なのかな?
今何が起きているのかすら分からない私の心境は恐怖一色だったけれど、静かに深呼吸を入れて無理に落ち着かせた。
「まだ、大丈夫」と心で唱えて。
それでも胸の鼓動が早くて苦しかった。
起きたことが知られるとどうなるか分からないから、目は開けられない。
それでも周りを確認しなくちゃいけない。
私は今、何処で何をされているのか知らないと。
ごわごわしないから、頭には何も被せられていないみたい。
ただ、口は喋れない…いや、叫べないようにしっかりと塞がれている。
身体を動かそうとすると問題なく動いた。
どこか怪我をしている訳でもなく、五体満足。
あ…でもやっぱり手は縛られてる…。
手が自由なら塞がれている口を剥がせるからかな。
代わりなのか分からないけれど足には何もされていない。
臭いは特にしない。
…いや、少しかび臭いかな?
気温は少しだけ下がってる感じがする。
日が傾いているのかもしれない。
目を開かなくても少しくらいは光くらいは分かる。
でも光を感じないんだから、周りは結構暗い…のかな?
少しだけ薄目を開けて周囲を確認したけれど、思った通りの真っ暗。
当たり前のように何処かはさっぱり分からない。
ゴトゴト揺れるだけの箱に閉じ込められている感じ。
景色も見えないし、時間も分からない。
というより自分がどれだけ気を失っていたのか分からないから何の基準も無かった。
結局分かったのは箱の中に詰められて運ばれていることだけ。
押し潰されそうな不安を抱えて揺られるのは本当につらかった。
どれだけの時間そうしていたか分からない。
いきなり箱が開いて
「いつまで寝ている、さっさと起きろ」
と不躾な注文を受けた。
宿屋の経営でお客様のクレーム処理をしている分、特に怒りは沸かなかった。
でもどうしても「勝手なことばかりしてるくせに」という思いは止まらない。
とはいえ従わない訳にもいかないので、寝起きの振りをしてよろよろと動いた。
そんなにすぐに頭が回るはずも無いから、ぼーっとしている様子も見せる。
それにこの状況で静かにしているっていうのも変な話。
周囲をぼんやり見渡し、注文を付けた悪人を見て目を見開いて「んーんー!」と声を上げる。
口は塞がれているから篭った音しか出なかったけれど、周囲が暗いし演技かどうかも見分けつかないはずだよね。
後は…何をすれば不審がられないかな?
私は自問しながら行動する。
「うるせぇ!
黙って動け!
それとも力ずくで引きずられたいか?!」
怒鳴るように投げかけられた言葉にわざわざ身を竦ませてよたよたと動いた。
この手のタイプは完全に『恫喝する』ことで相手に言うことを聞かせるタイプだ。
交渉の余地は無い(というかする頭も無いと思う)から、素直に従っておいた方が良い。
豆粒みたいなプライドを守るのに必死なことにも気付いていないんだろうね。
あー…そう思うとリオ君って逆なんだなぁ。
あの子は周りの話を聞かない訳じゃないくせに、気にしないんだよね。
私はそんなことを考えて相変わらず押し寄せてくる恐怖に耐えた。
そっか、足が自由なのは最初から歩かせようとしてたんだね。
怯えた目を周囲に向けつつ箱を出る。
そこも閉ざされた場所で日の光は無く、ランプと魔法による光で満たされた空間だった。
「付いて来い。
馬鹿な真似はすんなよ?
『生きてさえいれば良い』と言われているからな」
と告げた男は下卑た笑みを浮かべていた。
この時点で私は『無傷』で帰るのは諦めた。
表面上は怪我無く帰れるかもしれない。
だけど女として穢されるのは覚悟した。
男はそういう生き物だし、そもそも野生動物に理性とか無い。
ゴロツキ風情に穢されると思うと吐き気を感じる。
それでも『諦められる』のは貴族として心を切り捨てる訓練の賜物かもしれない。
こんなことで使いたくは無かったけれど、「ある意味心を守るためには必要だよね」と改めて割り切った。
そして「私にも騎士様が迎えに来てくれればいいんだけれど」とあるはずも無い未来を期待してしまう。
これでも私も女の子だしね。
いや、いつかは迎えが来るとは思うんだけど、多分時間切れしてるんじゃないかなぁ。
小汚い廊下を歩かされ、辿り着いたのは変に豪奢な部屋。
指示された場所まで移動すると座らされて足も縄で縛られた。
これ以上動かなくて良いってことかな。
だとするとここが『終着』みたい。
更に背中を柱に押し付けられ、そこに固定されている金属に縄が繋がれてしまった。
今のところ魔法阻害の道具は付けられていないみたい。
自分の魔力の流れを感じることが出来るからそこは確か。
逃がさない自信があるんだろうね。
まぁ確かに縄を焼き切るのは出来るけれど、流石に一人で逃げるだけの力は私には無い。
というかそれなら逆にもっとゴテゴテと拘束具を付けられちゃうよね。
「領主の娘にしては簡単な仕事だったな」
「あぁ、しかも見てみろよ。
随分な上物じゃないか。
俺もおこぼれに預かれるのかね?」
「おいおい、怯えてるじゃないか。
やめておけよ、お嬢様には刺激が強いだろ?」
と笑い合う。
吐き気がするような光景だが、今は耐えないといけない。
心を落ち着かせる。
思いのまま暴れてはいけない。
彼等の邪魔をしてはいけない。
そして『縋るような視線』を忘れてはいけない。
反抗的な目をしただけで周りに迷惑が掛かってしまう。
今はただ『弱者の立場』に居なくてはいけない。
私はそう自分に言い聞かせる。
入れ替わり立ち代り、私を見ては立ち去った。
何だか見世物小屋に繋がれているみたいな気分で居心地が悪い。
けどもこの場に来た14人の顔、その内9人の名前を覚えたから、今後捕まえることも出来る。
私は私の出来ることをしないと。
この場に連れて来られて1時間が経った頃(人攫いの一人が時間を言っていた)、何処からか視線を感じた。
寒気にも似た何かが身体を通り過ぎ、顔を上げると目の前に立っていた男がいきなり消えた。
少し先で激突音を立てたかと思えば「ズドンズドン!」と重い杭が突き刺さるような音がした。
何が起きているのかさっぱり分からない。
思わずギュッと身を縮めた。
そんな私の側にふわりと降り立ったのはリオ君だった。
初めに思ったのは「何でここに?」という言葉。
助けに来てくれたに決まっているのに、その顔は今まで見たことも無いくらい酷く険しい。
次に思ったのは「リオ君がやったの?」という言葉。
このタイミングでこの場に居て、無関係の方がどうかしているんだけどね。
でも仕方ないと思う。
リオ君が討伐した魔物の話はいくつか聞いていたけれど、余り実感が無かった。
オークやリザードの肉を笑顔で持ち込む姿を見てすら「あんなに華奢な身体で本当に?」という思いが強かったからかな。
あの子には凄く失礼な話なんだけどね。
リオ君はさっきとは全く別物の優しい顔を私に向けて
(すぐに始末するから後ちょっとだけ待ってね)
と声ではない何かで私に言葉を投げかけた。
私の鼓動が高鳴ったのは…うん、この状態だし仕方ないよね?
でも、あのリオ君が『始末』なんて言葉を使うなんて信じられなかった。
物腰も柔らかくて脅すような子じゃ無いのに…。
そんなことを思っているとリオ君へ人攫いが襲い掛かった。
私じゃ何が起きているのか分からない。
でも人があんなにも簡単に吹き飛ぶものなのかな?
そんなことをぼんやり思う。
リオ君を見てから私は何だか安心してしまった。
強いとか弱いとか、そういう物差しじゃなくて。
何故だか分からないけれど「もう大丈夫」と思ってしまった。
それが、いけなかったのかもしれない。
「止まれ化け物!!
それ以上近付くと大事なお姉さんに傷が付くぜ?」
気が付けばここに居なかったはずの人攫いが私にナイフを突きつけていた。
しかも他にも四人も仲間を呼び寄せて。
新手は目の前の光景に対して口々に驚きの感想を言っていた。
やっぱりリオ君のやったことは『普通』じゃないみたい。
けれどいくらリオ君でも人攫いの言うことを聞いて無事で居られるはずが無い。
私が攫われたんだから、私がどうにかなるのは良い。
けれど助けに来てくれたリオ君がどうにかなるのは絶対に嫌だ。
口は塞がれていて喋れない。
脅されている状況で暴れるのもダメ。
だから強く思う。
(リオ君、私に構わないで!)
私の言葉が届いたかどうかは分からないけれど、リオ君は立ち止まった。
立ち止まってしまった。
ダメだよリオ君。
今は私よりも貴方の方が大事でしょう!
そんなことを思ってもやっぱり届かないのかもしれない。
でも、思わずには居られない。
「あのガキに首輪付けろ。
俺の奴隷にしてやる」
「黙れ」
リオ君の声が静かに響く。
感情を押し殺したかのような、重い声色だった。
私はこんな言葉を向けられたくないと本気で思ったけれど、人攫いは違ったらしい。
平気な顔で気に食わない態度に「あぁ?」と因縁をつけていた。
「口を閉じろクズが」
「ぉぃぉいおい!?
馬鹿か?
この状況でそんな口を利いて良いのかよ?」
リオ君の言葉遣いがかなり拙いことになっていたけれど、怒りの感情のまま人攫いを倒してくれた方が良い。
そんな思いと共にリオ君を見ると、威圧感を撒き散らしてこっちに歩いてきた。
「馬鹿はお前だ。
人質は『無事だから』価値がある。
「危害を加えるぞ?」って言葉を使う時点で無価値なんだよ」
思わず恐怖を感じたのは…リオ君に失礼だと思う。
けれど絶対に怒らせちゃいけない相手もいるんだ、と学んだ。
そして怒らせてはいけないリオ君をあっさりと激怒させた人攫い達には『ご愁傷様』としか言いようが無い。
『ご冥福を』の方が正しいかもしれない。
「やれ!!」
という一人の合図と共にリオ君に襲い掛かった四人と、私の傍に立つ人攫いを含めた五人が急に地面にへたり込んだ。
リオ君はその間を平然と歩いて一人ずつ足を蹴っていった。
悲鳴を上げてそのまま転んだし足払いって言えば良いのかな?
しかも何処からとも無く出てきた矢で両手を射抜いていく。
悲鳴が聞こえる度に人攫い達は焦りの表情で立ち上がろうとしているけれどダメみたい。
私には一体何をしているのかさっぱり分からないけれど、多分リオ君が何かをしているんだろう。
気が付けばリオ君に近付いた四人は静かになっていた。
最後の一人が「ば…化け物がぁ!」と情け無い声を上げて私にナイフを突き込んで来た。
リオ君がこんなに苦労して助けに来てくれたのにこんな最後は無いよ。
そう思って涙を浮かべて目を見開いていると、おかしなことに私にナイフは届かなかった。
「キン!」という高い音と共に私の目の前を刃が滑っていった。
そんな衝撃映像を見せられて驚いたけれど、リオ君は平然としたまま人攫いの胸倉を掴んで殴り飛ばしていた。
だから多分リオ君が何かして守ってくれたんだと思う。
お馴染みになった杭を打つような音を聞きながらぼんやりとリオ君を眺めると、優しい笑顔で
「セリナさん、お待たせ。
すぐに縄を解くからね」
と声を掛けてくれた。
そこから先は本当に早かった。
リオ君は手足の拘束を小さなナイフを取り出してすぐに縄を切り、息苦しかった口元の布と轡も外してくれた。
ようやく喋れるようになった私は、すぐにリオ君にお礼を言った。
「ありがとう
リオ君…本当に怖かったよ…」
自分が攫われ、リオ君が危ない目に遭った。
思わず出た『怖かった』というのはようやく言えた私の本心。
久々に喋った私の声は震えて掠れていた。
私は自分の身体を抱えて震え、本当に怖かったんだと改めて実感した。
目の前に立つ小さな救出者は座り込む私の正面に膝立ちし
「セリナさんが無事で良かった…」
と私と同じように掠れた声で縋るように呟いて、力強く抱きしめてくれた。
私の胸に顔を埋めるリオ君はやっぱり華奢で、コワレモノのよう。
人攫い達と対峙していたさっきまでとは全然違う、いつものリオ君。
いや、それとも違う。
私を抱きしめてくれているこの子は、力は強くてもとても弱くて優しい。
何でだろう。
助け出された私よりも、リオ君の方が救われた顔をしているように思う。
そんな弱々しいリオ君を私も抱きしめて思わず頭を撫でると、そのままぐずぐずと泣き出してしまった。
おかしな話だと自分でも思う。
けれどこの時、私はようやく助け出されたのだと実感した。
お読み下さりありがとうございます。
今回はセリナ視点でした。
セリナは貴族の嗜みで高い能力を持ちますが、やはり事務方なので戦闘力は低めです。
純粋な戦闘者にはどうしても敵いません(。。




