11.オーギュスト・ドミニク・ブラッドフォード①
オーギュスト・ドミニク・ブラッドフォードは、このサンクティア王国の貴族、ブラッドフォード家の次男として生まれた。
貴族家の次男という身分に加え、高い聖力と端正な容姿にも恵まれ、幼い頃から周囲の者たちに可愛がられて育った。それに応えるように、オーギュスト自身も心優しく素直な少年へと成長していった。
また、幼少の頃から利発だった彼には、将来を期待する声も多かった。
ブラッドフォード家は神殿と縁の深い家柄であり、これまでにも身内から幾人もの高名な聖職者を輩出している。そのため、高い聖力を持つオーギュストにも、いずれ神殿へ入ることを望む声が少なくなかった。
「高貴なる者には義務が伴う。貴族たるもの、民のために在らねばならない」
「聖力とは神より授けられし力。人のために使ってこその力だ」
親族の聖職者たちがそう語るのを、オーギュストは真剣に聞いていた。
信心深く実直な少年だった彼にとって、その教えは疑う余地もなく正しいものに思えたのだ。
やがてオーギュストは、自ら神官として神殿へ入ることを決意する。
人々のために尽くすことこそ、貴族として生まれた自分の責務。『聖力』という、神より授けられた力を持つ自分の務めなのだと、そう信じていた。
「父上。私は神官として、神にお仕えしたく存じます」
——その日、オーギュストは家長である父、ブラッドフォード卿へ神殿入りの許しを請うた。
喜ばれると思っていた。『さすがは我が息子。民のために生きる決意をしたのか』と、そんな言葉をかけてもらえるのではと期待までした。
彼の姉もまた、ずっと以前に巫女として神殿へ入っている。少なくとも、反対されることはないだろうと。
だが父は、一度眉を顰めると、しばし考え込むように目を伏せた。
——その時に告げられた言葉を、オーギュストは今でも覚えている。
「たしかに、お前は次男だし……それでも構わないか」
ぽつりと、独り言のように落とされたその言葉。
神殿入りを承諾するその言葉は、本来なら喜ばしいはずなのに。
なぜだか、その一言が胸の奥に引っかかった。
正体の分からない小さな棘を残したまま、少年オーギュストは、神官として大神殿の門をくぐった。
しかしそんな父の言葉も、神官として忙しく日々を送るうちに、次第に記憶の奥へ薄れていった。
『導きと信頼』の聖力を持つ彼は、非常に聖職者向きで、その力を買われあらゆる聖務へと駆り出されていたからだ。
言葉を介することで人の心を落ち着かせ、正しい方向へ導くことのできるその能力は、日々の説教でも重宝された。また、異端者の告解に立ち会うことも多く、罪を認め、贖いへ向かうための手助けをすることもあった。
その忙しさは、むしろオーギュストにとって心地よいものだった。
自らに与えられた力を存分に振るい、その力によって人々が救われていく。そんな姿を見るたびに、自分は神より与えられた責務を全うできているのだと、そう信じることができた。
「オーギュスト様のお言葉を聞くだけで、救われたような気持ちになるのです」
「自分が過ちを犯したこと、その十字架を背負って生きていく覚悟ができました」
民衆からそんな言葉をかけられるたび、この道こそ自分の天職なのだとさえ思った。
聖職者としての日々は、順風満帆に過ぎていく。——そう、思っていた。
だけどこの神殿でもまた、かつて父から告げられたものと似た言葉を投げかけられることがあった。
「“ブラッドフォード”? ああ、あのブランシェ家の傍流の」
「聖力そのものは高いが、『勇者』には向かない能力だな」
「君が女性なら、聖女候補としては非常に有望だったのに」
家柄が、能力が、生まれ持ったものの何もかもが。
『一番』ではない。『特別』でもない。
そう言い聞かせるような言葉を、耳にすることが少しずつ増えていった。
そのことを気にしているわけではない。
ブラッドフォード家に生まれたことを不幸だと思ったことはないし、より高い地位へ上り詰めたいという権力欲など欠片も抱いたことはない。勇者や聖女になりたいと願ったことだって、一度だってなかった。
——なのに。
投げかけられた言葉の一つ一つが、なぜか胸の奥へ残り続けた。普段は思い出すことさえないほど深い場所へ、少しずつ積み重なっていく。
やがてそれは、正体の分からない黒い靄となって、オーギュストの胸の底に静かに広がり始めていた。
*
日々精力的に働くオーギュストは、神殿の中でも着実に評価を高めていった。
そんな折のことだった。
オーギュストに、地方赴任の命が下った。
「地方赴任……ですか?」
「ああ。西領の開拓地に、新たな神殿を建てる予定がある。そこの司祭として、君を据えたいと考えている」
オーギュストを執務室へ呼び出しそう告げたのは、彼の直属の上司である高位神官だった。
指示された場所は、王都から遠く離れた辺境の地。巡礼の折でさえ赴いたことのない土地への転属に、オーギュストはわずかに戸惑った。
「私のような若輩者に、司祭など務まるのでしょうか」
「若さなど関係ないさ。君は有能だ。その力を欲している者たちが、あの地にはいる。どうか引き受けてくれないだろうか?」
「……」
だがその言葉を聞き、オーギュストは命を受けることを決める。
自分を必要としている者がいる、そう聞かされてそれに応えないという選択肢は、オーギュストにはなかった。
——そうして彼は、辺境の開拓地へと赴くことになる。
国の新たな政策によって開拓が進められているという土地。
しかし実際にそこへ辿り着いたオーギュストは、目の前に広がる光景に思わず目を見開いた。
(え……?)
そこは、未だ森すらろくに切り拓かれていない、荒涼とした土地だった。
農地となる予定なのだろう区画こそ分けられていたものの、土は痩せ、作物がまともに育つとは到底思えない。
そして何より、オーギュストが司祭を務めることになった『新たに建てられた神殿』も、実際には神殿などと呼べるものではない。——そこにあったのは、小さな教会だった。
(ど、どういうことだ……?)
オーギュストは困惑した。開拓が思うように進んでいないことは、まだ理解できる。だが、配属先が神殿ではなく、このような小さな教会だとは聞かされていない。
(どちらも神へ祈りを捧げる場所には違いないが——)
とはいえ、王都で聞かされていた話とはあまりにも違いすぎる。どういうことなのか、問い正そうにもそれを知る者はここにはいない。
——だが、その困惑も長くは続かなかった。
オーギュストの足元から、不意に幼い声がかけられた。
「……兄ちゃん、何してんだ?」
「え?」
驚き視線を落とせば、そこには数人の子供たちが立ち、珍しそうにオーギュストを見上げていた。
ところどころ擦り切れた粗末な麻の服と、泥に汚れた頬。おそらく、この開拓地で暮らす者たちの子供だろう。
その姿を認めると、オーギュストは人好きする笑みを浮かべ、彼らと視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
「……こんにちは。私はオーギュスト。本日から、あの教会で司祭を務めることになっているんだ」
「司祭さま!? すげえ、だからそんな綺麗な服着てるのか!」
「それって、私たちのために来てくれたってことよね!」
「俺、母ちゃんに知らせてくる!」
途端にわっと騒がしくなった子供たちに、オーギュストは目を白黒させた。
そして彼らの言葉通り、ほどなくして大人たちまで集まり始める。気づけばオーギュストは、予想だにしていなかった歓待を受けていた。
辺境で暮らす彼らにとって、王都の大神殿から神官が派遣されてくることなど、それだけで祭りのような出来事だったのだ。
「本当に、この村へ司祭様が来てくださったのですね」
「これでここの畑にも、神の恩恵がもたらされるはずだ」
心から嬉しそうに笑う村人たちを前に、オーギュストはそれまで抱いていた戸惑いを静かに飲み込んだ。
(そうだ。どんな場所であろうと、私のすることは変わらないではないか)
——神より授けられたこの力を、民のために使う。ただ、それだけのことだ。
余所者を快く受け入れてもらえたことへの安堵と、新たな決意。
その二つを胸に宿し、オーギュストの辺境での生活は、幕を開けたのだった。




