21.ルナ・ルクス㉑
かくして聖女ルナ・ルクスは、『勇者を呪った魔女』として神殿内の牢へと投獄された。
神々しい聖女服も剥ぎ取られ、最も重い罪人だけが入れられる魔封じの牢へと放られる。
昼なお薄暗いその場所で、ルナはただ膝を抱えていた。冷えた石壁に背を預け、何度目かも分からない震えが肩を揺らす。
魔女として極刑——その判決だけが、何度も頭の中で反響していた。
だが、どうしても一つだけ理解できないことがあった。
「ディーン……」
縋るような呟きが、静かな牢獄へと落ちる。
視線の先には、見張りとして鉄格子の前に立つディーンがいた。大罪人である『魔女』の見張りとして、
『勇者』である彼がその役を任されていたのだ。
呼びかけても返事はなく、彫刻のように微動だにしない。蒼の瞳が昏く落ち、何を考えているのかもわからない。
(どうして、そんな目をしているの……)
こんなことは、初めてだった。
ディーンは優しい。旧知の者がこうして捕えられているのに、眉一つ動かさないような男ではない。
今は互いに距離を置いているとはいえ、それがルナであるなら尚更だ。
以前から様子がおかしかったアネリアはともかく、ディーンは倒れる直前までルナを心配し、寄り添おうとしてくれていた。それが今は、ここまでなんの感情も見せないだなんて——明らかにおかしい。
疑問が頭をもたげた、その時だった。
ギイ……と軋んだ音を立て、扉が開く。
コツ、コツ、という石床を叩く硬い音が響き、鉄格子の前で止まった。
そして——
「……やあ、ルナ。ご機嫌はいかがかな?」
「————オーギュスト……!」
微笑みを浮かべたオーギュストが、穏やかな声でそう言った。
「来て、くれたのね……!」
純白の法衣。石床を叩く大杖に、張り詰めていた胸がわずかに緩む。
大罪人のみ入れられるこの場所には、面会すらほとんど許されない。知った顔に会うのは久々だったのだ。
そんなルナに、オーギュストは笑みを深めて答える。そしてチラリとディーンに視線を向け、その目だけで彼を下がらせた。
二人だけになったその牢獄で、ルナは助けを乞うように格子を掴む。
「オーギュスト、お願い、話を聞いて! 誤解なのよ! 『魔女』なんて、『呪い』だなんて、私は……っ!」
「……」
「私は、何も知らない……! あなたなら、わかってくれるでしょう? 祈祷も巡礼も、ディーンのことだって……」
「……」
「みんな……みんなおかしいわ。ディーンも……まるで、魂でも抜けたような目をして……」
「……」
「……オーギュスト?」
畳み掛けるように言うルナに、オーギュストは何も言わない。
不審に思って顔を上げる。彼は静かな微笑みを浮かべたまま、ただルナを見下ろすだけだった。
いつものような穏やかな表情。柔和な物腰。だけどなぜだろう、その藍の瞳が自分を見つめるたび、焦燥が背中を走った。
「……まったくですね、ルナ。君は、『魔女』などではない。どころか、誰よりも『聖女』らしく、最後まで正しくあった」
「っ信じて、くれるの……?」
「ええ、もちろんですよ。だって、すべてを仕組んだのは私ですから」
——————————————。
「……………………ぇ?」
息が漏れた。
平然と告げられた言葉。それが飲み込めず、ぱちりと目を瞬く。
そんなルナに、オーギュストは笑みを深め、穏やかな口調で続けた。
「まさかここに至ってまで、私のことを信じているなど思ってもみませんでした。どのような言葉を向けられるのかと、思ってここに来たのですがね」
「…………ぁ、え……?」
「まったく君は、どこまで行っても『聖女』だ。人を疑うということを知らない。もう少しそれを覚えていれば、こんなところに閉じ込められることもなかったろうに」
「な……にを言って……?」
「おや、まだわかりませんか?」
どくん、どくん。
嫌な鼓動が耳元に響く。冷や汗が頰を伝った。
底冷えするような笑みを浮かべ、オーギュストは言った。
「有力者と繋がり祈りを偏らせたのも、虚偽の名簿を作らせたのも。神官たちから血を搾り続けたのも……すべて、私が指示していたことです」
————————————————————?
思考が止まる。
何を言っているのか、まるで理解ができなかった。
「感謝しますよ、ルナ。君のおかげで、多くの有力者との繋がりを得られた」
「ま……って。何を、」
「さらには『勇者』を救い、『魔女』を討った……神殿ではこの上ない英雄扱いです。近く開かれる聖議会では、おそらく私は枢機卿に推挙されることでしょう」
「ね、ねえ。なんの話を——」
「本来ならもう少し、『聖女』として私の役に立って欲しかったのですが……こればかりは仕方ありませんね」
「——…!?」
思考がやっと実を結ぶ。はっきりと目を見開いた。
有力者との癒着。虚偽のリスト。血の搾取。
ルナに着せられた、無実の罪のすべて——
「あなたが、陥れたというの……!?」
動揺を滲ませた声が漏れる。
鉄格子を握る手が震えた。
オーギュストは、にこりと笑みを作り、言った。
「ええ、そうですよ。最初から」
「さ、最初……って、」
「ですから、最初ですよ。君を神殿へ迎えた、その日から」
「——っ!」
絶句する。
自分が『聖女』としてここへ来たことすら、オーギュストの思惑だったというのか?
その時から——自分は、ここに繋がれる運命だったと……?
「平民の出である『聖女』なら、御しやすいと思ったのです。実際は、思惑通り半分、誤算半分といったところでしょうか。私の言うことを愚直に信じるところはよかったですが」
「そ、んな……」
「君は自分の正義を貫きすぎた。私の掌の上でだけ、その力を行使していればよかったものを……せっかく両親も殺し、私とこの神殿にだけ依存するよう仕向けたのに。ほとんど意味を成しませんでした」
「………………両、親…?」
愕然と項垂れるルナの耳に、その言葉だけがやけに生々しく飛び込んでくる。
優しかった両親。村に置き去りのまま、何もしてやれることもなく、死んでしまった二人。
——その二人が、なんだというのだ?
唐突に投げかけられたその単語が、なぜだかルナの胸に不安を落とした。
怪訝な表情を浮かべ、恐る恐るオーギュストを見上げる。
「ええ。言ったでしょう、疫病の時に私が作らせた名簿は虚偽のものだと。
——君が故郷に帰りたいと言った時すでに、あなたのご両親は危篤の状態だったのですよ」
「は——————」
全身から血の気が引いた。
耳を疑う。
今でも覚えている。愛する両親を、助けに行けなかったあの日。『聖女』の責務だと己を殺し、二人ではない誰かの快癒を祈った毎日。死に際に会うことすらできなかった、身を裂くような悲しみ。それが——
「どう、して……!? 父さんと母さんは、何も関係ないじゃない……!」
激昂した。
掴みかかるような勢いを鉄格子が阻む。
ガシャンと冷たい音の向こうで、オーギュストは平然と宣う。
「帰る家などない方が、都合がいいからですよ。君が『聖女』として功績を上げれば上げるほど、それを推した私も出世しやすくなる」
「出世、ですって……!? そんなことのために……!」
「大事なことですよ。『聖女』など、天上の地位にいる君には理解できないかもしれませんが」
理解……? そんなもの、できるはずがなかった。
人を陥れてまで——殺してまで、手に入れる地位にいったいなんの価値があるというのか。
そう叫ぶルナに、オーギュストはそれこそ理解できないというような顔でルナを見下した。
「まあ、最も誤算だったのは、ディーンの存在かもしれませんが。まさか、あれがあそこまで君に執心するとは。そのせいで彼のことまで処分せざるを得なくなった」
怒りに震えるルナに、更なる爆弾が投下される。
「処分……? まさかあなた、ディーンにも何か——!」
「おや、まだ気づいていなかったのですか? ディーンに『呪い』をかけたのも、もちろんこの私が仕組んだことですよ」
「——————!?」
息を呑んだ。
倒れてからずっと昏く濁った瞳。感情など消え失せたような表情。あれは——
「まさか……ディーンの『呪い』は、まだ……!?」
わなわなと、震えた声が漏れた。
そんなルナに、オーギュストはくすりと喉を鳴らすと、一つ頷いて見せる。
「ルナ。君はは実に有能で、実に愚かだ。簡単でしたよ、君の力を利用することは」
「利用……?」
「ええ。——あの解呪の祈り。血を捧げた私が、本当は何を願っていたか、わかりますか?」
その言葉に、ゾッと怖気が走った。
解呪の祈り——倒れたディーンに対し行ったそれ。途中で意識を失い、ディーンがどうなったかまでは見届けられなかった——
——そうだ、どうして忘れていたんだろう。あの時自分は、オーギュストの血を使って祈りを捧げたのだ。
オーギュストの目的が自分とディーンを排除することなら、あの時自分が叶えた『願い』とは……
一つ、最悪の予感が脳裏をよぎる。
目に見えて狼狽えるルナに、オーギュストはまるでなんでもないことのように告げた。
「あのナイフに仕込んだ、『操り人形化の呪い』——それをより強固なものとするために、君の『奇跡』を利用しました」
——喉の奥が、凍りついた。
格子を強く握りしめていた掌から、一気に力が抜ける。そのままぺたんと石床に座り込んだ。
ディーンが倒れてから……いや、それよりも前からずっと。何度も突きつけられた絶望に、まだ底がないことに絶望する。
呼吸が止まった。ひどい耳鳴りがする。
「それ……じゃあ……」
知らず、声が漏れた。
「ディーンが今、あんな状態なのは……」
——私の、せい?
……落ちた言葉は、冷たい地下牢に響いて消えた。
自分で漏らした言葉なのに、返事を聞くのが怖かった。
だけどオーギュストは何も言わない。
否定の言葉すら、一つも。
「……あれは今、私の『呪い』により心を縛られている。それが正義だと言われればなんでもこなす、いわば正義の人形です」
「……」
「ディーンは今後、『勇者』としてさらにその名を轟かすことでしょう。あれの正義を阻むものなど何もないのだから。疲れも葛藤も——恋も、ね」
「……」
「どうです? 理想の『勇者』でしょう?」
「……」
項垂れたまま動かないルナに、オーギュストは静かに囁いた。
だけどそんな言葉たちも、今のルナには何一つ響かない。
耳を素通りして、うまく意味を結んでくれない。
——呪い?
——人形?
——理想の『勇者』?
何を言っているのだろう。そんなことしなくたって、ディーンは理想の『勇者』だった。何が正義と言われずとも、彼自身の信じる正義を執行していた。
だけどもし、オーギュストの言うことが真実なら——
「実に愚かだ。君も、ディーンも。従順であり続けてくれれば、それで良かった。いずれ添い遂げさせてやることも、考えてあげましたのに」
——それもすべて、私が壊したのだ。
何も言えず、石床にへたり込む。
そんなルナをしばし見つめたあと、オーギュストはそっと踵を返した。
もう話は終わったとでも言うように大杖で床を叩き、ゆったりとした足取りで出口へと向かう。
その向こうに、ディーンが相変わらず温度のない表情で立っているのを視界の端で捉えた。
「ディーン……」
ぽつり、呟きが落ちる。
嘆きの滲んだその声にも、ディーンは何も応えない。その瞳に、色が戻ることはない。
明るく笑う声も。自分が落ち込んでいたらすぐに気づいてくれる、不器用な優しさも。もう二度と、戻ることはない。
まるで——壊れた、人形のように。
ギイ……、と、軋んだ音を立てて、古ぼけた扉が開かれる。
オーギュストが牢を去る、その直前。
ふと立ち止まり、振り返らないまま言った。
「……そうそう。君の公開処刑の日取りですが、三日後に決まりました。どうかそれまで、健やかに過ごしなさい」
——命の終わりを告げるその言葉さえ、ルナには虚無に響いて消えた。




