20.ルナ・ルクス⑳
「——離してっ! どこに連れて行く気!?」
「……入れ」
「きゃっ……!?」
後ろ手に腕を拘束されながら、ルナは騎士に引きずられるようにして神殿を歩いた。
やがて重厚な扉が開かれ、ルナは中へと乱暴に押し込まれた。
「ここは——」
大理石の床、天井まで届く白い柱——そこは、大神殿内・大審問室であった。
異端審問や重大な神官の裁定を行う専用の広間だ。
「な、何……!?」
その中心へと引き立てられ、ルナは息を呑んだ。
ルナの両脇には聖騎士が控え、勇者ディーンは誰の出入りも阻むように扉の前に無言で立つ。一段高い審問席には大神官たちが居並び、傍聴席には神官や巫女、信徒たちが隙間なく座っていた。
誰もが物々しい面持ちでルナを見つめる。そして、その最奥……一段高い審問席には、純白の法衣をまとった大神官オーギュストが静かに座していた。
「魔女ですって」
「信じていたのに」
「聖女ともあろうお人が……!」
ルナの登場に、聴衆たちはにわかにざわめき始める。
頭上から降り注ぐ言葉たちに、ルナは混乱した。
(なんなの、この状況……。こんなの、まるで私が……)
狼狽するルナとは裏腹に、信徒たちの声はだんだん熱を帯びてくる。
「魔女を許すな!」「魔女は殺せ!」
それが怒号へと変わった、その時——
「——静粛に」
厳粛な声が響いた。オーギュストだ。
そのたった一言で、渦巻いていた怒号は消え失せ場が静まり返る。
誰もが彼の言葉を待った。
厳かな静寂の中、オーギュストがゆっくり立ち上がる。
「これより、ルナ・ルクスに対する魔女審問を執り行う」
*
「これより、ルナ・ルクスに対する魔女審問を執り行う」
(——————は?)
その言葉に、世界が止まった。
(魔女……? 審問?)
(——私の?)
世界がぐらりと傾く。
「そうだそうだ!」「魔女に極刑を!」また怒号が飛び交う。
告げられた言葉の意味が飲み込めない。
ぐるぐると混乱した頭のまま、震えた声が漏れた。
「オーギュスト……? じょ、冗談よねこんな——ッ痛゛!」
「魔女が、勝手に口を開くな」
両端に控えた騎士により、そんな言葉すらあっさりと封じられてしまう。
腕を押さえつけられるその痛みで、やっとルナは理解した。
——自分は今、『魔女』として断罪されようとしているのだと。
(どうして——!?)
心当たりなど、当然ない。混乱は深まるばかりだ。
そんなルナなど気にも留めず、オーギュストは再び自分の座席へと腰を下ろす。それと入れ替わるように一人の高位神官が立ち上がり、静かな声で告げた。
「証人よ、前へ」
進行役なのだろうその神官の言葉に、ルナは眉を顰める。
証人など、いるわけがない。
なぜなら自分は『魔女』と呼ばれるようなことは、一切していないのだから。
だが——
「——はい」
しわがれた女の声に、ルナは大きく目を見開いた。
証人台へと立ったその女は——エミルの、母親だったからだ。
「証言します。聖女——いや、この魔女は、祈りのためと必要以上の血を捧げさせ、人を死に追いやっていました」
「————!?」
その言葉に、傍聴席がざわりとざわめいた。怒号を飛ばしていた者はもちろん、まだ信じられないような表情をしていた者まで顔を大きく歪める。
エミルの母親は続けた。
「私の息子……エミルもその一人です。飢饉を救うためと我が故郷を訪れたこの女は、エミルから根こそぎ血を奪った。ただでさえ体が弱っていたのに……そのせいで、そのせいであの子は——!」
「誤解よ、あれは——」
「黙れ! エミルを殺しておいて、まだ言い訳をする気か!」
「……っ!」
血走った目で睨みつけられ、ルナは思わず言葉に詰まった。
エミルを殺したのは自分だと、言われずともわかっていたからだ。
「どうして血を捧げる役が、エミルじゃなきゃだめだったのよ!? 私でも、あの地主でもよかったはずでしょう!? それとも、あいつに媚を売るために、力のない子供からばかり搾取していたの!?」
叫ぶように、母は言う。
違う、と言いたかった。
だけど言えなかった。怨嗟のこもったその声に、返す言葉など何もなかった。
「——それだけではありません!」
と、背後から柔い女の声が飛び込んだ。
神官たちの並ぶ席の端で、若葉色の髪が立ち上がる。
エミルの母から引き取る形で、証言台へと立った。
「あ、アネリア……?」
アネリアだった。
優しい顔立ちを険しく歪め、審問官であるオーギュストを見つめる。
ルナは愕然とした。
アネリアが、証人? 自分が一番、信用してきた彼女が?
そのことがただただショックだった。いつだって自分の味方であった彼女まで、どうしてそちら側にいるのか——わからなくて、ただただ呆然した。
「ルナ様は、国の安寧を願う祈祷を日課とされていました。私たち若手の巫女や神官に、その血を捧げさせて。それで民の暮らしが豊かになるのならと、私たちは喜んで自らの血をルナ様に捧げていました」
落ち着いた声色で、アネリアは語る。その言葉に嘘偽りはなかった。
それの何が『魔女』なのか。聴衆たちは固唾を飲んで次の言葉を待つ。
「ですが——ルナ様は、お変わりになられた。その頻度、奪う血の量が、私たちだけでは補いきれるものではなくなっていったのです」
「え……?」
アネリアの言葉に、困惑する。
たしかに自分は、日々の祈祷に神官たちから捧げられた血を使っていた。
しかし、それは聖務官の管理の元、無理のない持ち回りにしてもらっていたはずだ。
「日に何度も血の献上を強いられることもありました。回復する間もなく血を奪われ、立ち上がれなくなるほど衰弱した者もいます。もう耐えられないと神殿を出て行った者も……」
「アネリア……? 何を言って……」
「何度も忠告致しました。だけどルナ様は、『忙しい』と取り合ってすらくれない。このままでは、仲間たちが血を取られすぎて死んでしまう……! そう思い、カトリナ様にご相談したところ、とんでもない話を聞いてしまったのです」
「ねえ、待ってアネリア! 誤解よ、そんなの私知らな——んんッ!」
「黙れ、勝手に口を開くなと言ったのを忘れたのか!」
強引に口を塞がれ、ルナはうめき声を上げる。
アネリアはそれに一度心配げな表情を向け、だがまたすぐに前を見据える。何かを決心したように言い放った。
「……ルナ様は、一部の貴族様や地方の豪商と癒着し、その願いを叶えるために私たちの血を利用していると。そう、教えていただきました」
「——!?」
騎士によって塞がれたその奥で、ルナは声にならない声を上げた。今度こそ、全く身に覚えのない罪を彼女が口にしたからだ。
拘束され、動かない身体で視線だけを必死に動かす。
貴族たちの居並ぶ席、その中心に、優雅に腰を下ろしたカトリナと目が合う。
豪奢な扇子のその下で——紫の瞳が、笑みを浮かべるのをたしかに見た。
「私は、ルナ様の侍女です。最後まで、ここに立つかどうか迷いました。だけど、私欲のために人の命を危険に晒すなど……! 聖女として、決して許されぬ罪です。ルナ様、どうか——どうか、罪を認め、正しき道に戻ってください! お優しかった頃の、あなたに……!」
「ッ……!」
語る声は震え、若葉色の瞳は潤む。言い終わる頃には張り詰めたその涙がぼろりと頰を伝っていた。
その涙に、言葉に、ルナは言葉を失う。
思い出したからだ。彼女が何度も、追い詰められたような表情をしてルナに何某かの忠告をしていたことを。
あの時はなんのことかわからなかった。自分の体調を心配しているだけだと躱していたそれが、まさかこのことだったなんて。最近神殿を去る神官が多いのも、このせいだったなんて——。
愕然とするルナに、身に覚えのない罪が次々と突きつけられていく。
アネリアの去った証言台には、その後何人もの証人が立った。
地方の大地主が証言する。
「聖女は地方巡礼の際、自らに贈賄する地方の地主を優先して巡っていた。結果として豊穣の祈りが偏り、飢饉を招いた」
——祈りを私物化し、飢饉を招いた罪。
次に証言台へ立ったのは治療院の院長だった。
「先に起こった疫病に関して、聖女は優先して治療を行う患者のリストを作らせていた。だがそれは一部の貴族や有力者を優遇するものだった」
——権力者と結び、疫病を広めた罪。
さらに、王族であるヴァレリーまでもが進み出る。
「この女は、王族であるこの俺様にことあるごとに色目を使った。その美貌と自らの『奇跡』の力を使い、数多くの高貴な男たちを手玉に取っていた。勇者も、この女に誑かされた哀れな男の一人よ」
——男たちを誘惑し、堕落させた罪。
一つとして身に覚えのない罪が、容赦なく並べ立てられていく。
証言が積み重なるたび、聴衆の目から疑念は消え、嫌悪だけが濃くなっていく。
(違う——私はそんなもの、何一つやっていない)
(なのにどうして……!? どうして、こんなことになってしまったの……!?)
騎士に拘束されたまま、反論一つ述べることも許されない。
絶望が身を焼く。
そんな中——最後の証人として静かに立ち上がったのは、カトリナだった。
「——『祈り』の私物化、有力者との癒着……。ああ、なんて恐ろしい。今述べられた罪一つだけをとっても、『聖女』としてあるまじき罪悪ですわ。ですが——それらが霞むほどの重大な罪を、彼女は犯しましたの」
優雅な足取りで中央へと躍り出たカトリナは、わざとらしいほど仰々しく、ルナに突きつけられた罪を数える。
そして愛用の扇子を大きく広げると、高く聳える審問席を挑発的に見上げた。
芝居がかった言い方に、ルナは怪訝に眉を顰める。
今挙げられたもの一つとっても、重罪に値する所業だ。今更彼女になんの罪を着せられようと、量刑の重さは変わらないだろう。
だけどなぜだろう。心臓が早鐘を打つ。背筋に冷たい汗が流れた。嫌な予感が、止まらない。
「聖女ルナは——勇者ディーンを呪い、その心を縛ろうとしましたの」
————————————————————?
告げられた言葉が、脳を素通りする。
頭が理解を拒んだ。
彼女が、何を言っているのかわからなかった。
「先日、勇者ディーンは『呪い』によって倒れました。幸いその『呪い』は大神官オーギュストによって解呪され、大事には至りませんでしたが……その『呪い』をかけた主、それが他でもない、この女なのです!」
審問室にどよめきが走った。
誰もがその顔に驚愕を浮かべ、ディーンへと視線を向ける。
ディーンはそのざわめきにすら怯まず、変わらず扉の前にどしりと構える。
だけどその言葉に一番驚愕したのは、きっとルナだった。
「か——勝手なことを言わないで! どうして私がディーンを、ン゛っ!」
「こら、いい加減にしろ!」
「いいのよ、いくらでも喋らせておあげなさい。その女がなんと言おうと、この事実は覆らない」
「……っ!」
「ディーン様が倒れたあと——この女は、解呪と称して彼を『呪う』儀式をしましたの。そして、ディーン様の強い聖力によってその『呪い』は跳ね返され、意識を失った……何人もの神官や巫女がその現場を目撃しております。もはや、言い逃れなどできませんわ」
「——! ——っ!」
カトリナの言葉に、ルナは何度も首を横に振る。
カトリナはむしろ愉快そうに笑みを浮かべ、顎を上げてルナを見下ろす。
そんな彼女に、進行役の神官が確認のように尋ねた。
「それは、真実であるか?」
「ええ。ここにいる方々ならご存知でしょうけど、わたくしの聖力は『他者の聖力を見抜く』というもの。そこにある聖性が誰のものであるかも、その『聖』が『魔』に染まり、『呪力』となってしまったかどうかも、全てお見通しなのよ」
そう言ってカトリナは、その目元に細い指先を添える。紫の瞳がぽうと光った。
「疑うのなら、大神殿の記録でも我がブランシェ家でも、好きなだけお調べなさい。自らの聖力と、これを与えてくださった神に誓って宣言しましょう。——あの女は聖女なんかじゃない、『魔女』と呼ぶのこそふさわしいわ!」
広間がどっと沸き返った。
ルナに——『魔女』に向けての罵詈雑言が、そこかしこから飛んだ。
それはもはや歓声だった。
『魔女』を断罪するカトリナに対する、声援のようにすら聞こえた。
頭上から降り注ぐ、罵倒、嘲笑、侮蔑。自身を『魔女』と決めつける声への拍手。
ルナを見下ろす審問官の目は冷たく、両脇に控える騎士たちは未だ警戒した様子でルナを見る。
(……どう、して…………?)
漆黒の瞳に悲嘆を宿し、ルナは視線だけで室内をぐるりと見渡す。
助けを求めようと誰の目を見ても、向けられるのは嫌悪、失望、憎悪。誰も、ルナの潔白など信じていない。何かを訴えようと開いた口からは、もう声一つ出なかった。
(アネリアは……?)
神官席を振り返れば、彼女はまだ瞳に涙を浮かべたまま、祈るように両手を胸の前で組んでいた。
(オーギュスト——)
審問席に座すその姿は一片の混乱もなく、ただ静かに成り行きを見守っている。
(ディーン……!)
蒼の瞳はまっすぐに見据え、ルナの姿すら映していない。
「…………————!」
ルナは今度こそ、完全に絶望した。
「——静粛に」
厳粛な声が響いた。
一段高い審問席、その場所で、オーギュストがゆっくりと立ち上がる。
「神は、すでに答えを示されました」
言葉と共に、静寂が落ちる。
静かな眼差しで、オーギュストは広間をぐるりと見渡す。
アネリアの組んだ手にさらに力が入った。カトリナが口元だけに笑みを浮かべた。自身の荒い呼吸音だけが、やけに騒がしくルナの耳に届いた。
やがて真下で項垂れるルナを見下ろし——その裁定を下した。
「聖女ルナ・ルクスを——『魔女』として極刑に処す」
民衆が、もう一度湧いた。




