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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第X章 血濡れのXXはXと踊る

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18.ルナ・ルクス⑱

「門を開けろ! 聖女様の——ご帰還である!」


 門番の仰々しい宣言と共に、神殿の厳かな正門が開かれる。

 幾人もの神官と、護衛騎士に囲まれながら、聖女の乗った輿が門をくぐる。

 長い巡礼を終え、ルナ一行が王都へと帰還したのだ。


 民衆は歓声を上げ、輿へ向かって手を振り、祈りを捧げた。

 だがルナは、一度として窓の外を見ようとはしなかった。

 普段なら振り返す手は膝の上で組まれたまま。常に浮かべている柔和な笑顔は静まり返り、漆黒の瞳はぼんやりと足元だけを見つめていた。





 ——大神殿、礼拝堂。

 初代聖女像の見守るその場所は、礼拝のため民衆たちに広く門戸を開いた場所であった。

 その片隅に一人腰掛け、ルナはぼんやりと聖像を見つめる。


(——何が、いけなかったのだろう)


 一人座り込むルナの脳内を占めるのは、そんな自責の念だった。

 エミルの残した言葉、村人たちの喜びの表情——それら全てが、何度もルナの胸をよぎっては消えていく。

 王都へ帰還してから数日、それだけの時が経っても、ルナの心には重くあの出来事がのしかかっていた。


(何をしていたら、エミルは助かったのだろう。彼に嫌がられても、他の村人から血をもらっていれば。いや、そもそも、私がもっと早くあの村に行っていれば——)


 何度も頭を巡った問いが、それでも消えずに蘇る。

 あの日からずっと、ルナの心は凍りついたままだった。

 旅程にあった全ての祈りを麻痺したままの心でこなし、そこで述べられる民からの感謝の言葉も虚な気持ちで受け入れた。

 喉を焼く『願い』の重さも、自身の居場所に帰った感慨も、何も感じない。

 いつもなら休めと言われても自室を飛び出していたというのに、今は礼拝堂から動くことすらできなかった。

 自分は判断を間違ったのではないか。たとえ村一つ救えたとして、そこに犠牲があったとしたならば、それは聖女として正しいのか——

 ぐるぐるぐるぐる、答えの出ない思考を繰り返すルナを、初代聖女像だけが静かに見つめていた。


(……私が今まで回った場所でも、エミルのような子がいたのかしら)


 そう、思い至った時だった。

 カタリ、小さく音を立てて、礼拝堂の扉が開かれた。

 微かなその音を、ルナは虚空を見つめたまま聞いた。

 石床を叩く足音が近づき、ルナのすぐそばで止まる。


「——ルナ」


 聞き慣れた声がして、ゆっくりと視線をそちらに向けた。


「……ディーン」

「……おう。久しぶりだな」


 ディーンであった。


「……どう、したの。こんなところに、あなたが来るなんて……」

「……俺が、祈りを捧げに来るのは、おかしいか?」

「そういうわけでは……ないけど……」

「……」


 ボソボソとした声で、言葉を交わす。

 気まずい空気が流れた。

 ルナが長い間神殿を留守にしていたこともあって、こうして顔を合わせるのは随分と久しぶりのことだった。

 互いにかける言葉を探すように、視線を彷徨わせる。

 数瞬ののち、ディーンはためらいがちに言った。


「……帰ってからのお前、なんだか様子がおかしかったから」

「——…!」


 ぼそりと落とされた言葉に、ルナは目を見開く。

 凍てついていた心に、小さくひびが入るのがわかった。

 ——ああ、どうしてこの男は……


 私の悲しみに、いつだって気づいてしまうのだろう。


「……っ」

「……、ルナ?」


 くしゃりと表情が歪む。張り詰めていた背筋が、力なく崩れた。

 ディーンは慌てたように声を上げ、支えようと手を伸ばす。

 その仕草に、言いようのない感情が込み上げた。


 それは紛れもない、喜びだった。

 泣きついてしまいたかった。いつかのあの丘でそうしたように。

 聖女も聖務も全て投げ出して、この腕に縋りつきたい衝動に駆られた。そうしたらディーンはどうするだろう。この手をとって、神殿から連れ出してくれるだろうか。


 ——ああ、馬鹿らしい。なんて愚かな考えだ。

 今この国に、この国を救える存在は自分しかいないのに。


 喉元まで込み上げている涙を無理やり飲み込んで、深く息を吐き出す。

 拳を強く握りしめ、意地だけで口元に笑みを浮かべた。

 顔を上げる。震えたままの唇で言った。


「……大丈夫よ。——ありがとう」


 情けなく下がった眉。下手くそなその笑顔に、ディーンが一度息を呑む。

 浮いていた腕がぴくりと揺れ——そのままその場で、ぎゅっと握り込まれた。


「……そうか」


 ディーンは力無く声を漏らす。

 重い沈黙が落ちた。

 しんと静まり返った礼拝堂。二人の気まずげな呼吸音だけが、浅く響いた。


「——聖女様」


 と、そこに、恐る恐るとした声が二人に投げかけられた。


「……っ、な、なあに?」

「お取り込み中申し訳ございません。聖女様に、一目お会いしたいという者が尋ねてきておりまして」

「私に?」

「はい。なんでも昔お世話になったことがあるようで、一言礼が言いたい、と」


 神殿の、門番をしている男だった。

 民衆から礼を言われること自体は珍しくない。直々に会いたいとここへ訪ねて来る者も。普段は忙しく、そんな彼らと応対することはほとんどないが……


「それは、嬉しいわね。今日はちょうどお休みをいただいているし……ここまで、通してくださる?」

「了解しました」

「よろしくね。……ディーンも、そういうわけだから」

「……ああ」


 ルナの言葉に、門番の男は素早く踵を返す。ルナもまたディーンを振り返りそう言った。ディーンはそれに軽く頷き、静かにその場を去った。


 しばらくのち、門番に連れられ、一人の女性が礼拝堂へと姿を現した。

 大きな麻の布で、頭まですっぽりと隠した女だった。ルナより一回りは年上の、痩せぎすの女だ。子供だろうか、その腕に布に包まれた何かを抱いている。

 門番は女を中へと通すと、軽く一礼してその場を辞した。

 女もまた頭を下げ、ゆっくりとルナの元へ歩いてくる。

 小さな歩幅でルナのほど近くまで来ると、息混じりの掠れた声でこう言った。

 

「……もし。あなたが、聖女様ですね」


 若い女性のものとは思えない、しわがれた声だった。

 驚きつつも、ルナは笑顔で応じる。


「ええ、そうよ。私がルナ・ルクス」

「……ああ、ああ。あなたが、あの……! 私、ずっと、あなたに会いたかったの……!」

「嬉しいわ、ありがとう」


 女はルナの顔を認めると、熱のこもった声でそう言った。子を抱いたまま、もう片方の手で口元を覆う。

 熱烈な言葉に、だけどもルナの胸に小さな違和感が宿る。

 『世話になった礼がしたい』と言う割には、ルナの方に見覚えが全くなかったのだ。


「ええと……ごめんなさい。私、物覚えが悪くって。どちらでお会いした方かしら?」

「あら、そんなもの。知らなくて当然だわ。世話になったのは私ではなく、息子だもの」

「息子さん?」


 女の言葉に、ルナはきょとんと目を丸くした。まだ若い母親だ、息子といっても年端の行かない子供だろう。

 そんな子供に、わざわざ礼を言われるほどのことをしたことがあっただろうか?


「ええ、息子よ。私の、かわいいかわいい息子。あの子の願いを、あなたが叶えてくれたの」

「そうだったの。ごめんなさいね、覚えがなくて」

「いいのよ、国中を巡ってらしたのでしょう? それならば息子のことなんて、きっとあなたには取るに足らないことだったのでしょうから」

「そんなことは、ないけれど……」


 女の声は、歓喜に打ち震えるようでいて、だけどその言葉の一つ一つはどこか刺々しくルナを刺した。

 どうしてだろう、背筋に冷たい汗が流れる。


「……そうよ。取るに足らないことだったの。だから、覚えてなどいなくても仕方ないの」

「あ、あの……?」

「ねえ、あなたのおかげなのよ。あなたのおかげで、村は助かった。あの子の、願いの通りに。そのおかげで——」


 女の声が、だんだんと熱を帯びる。

 村が、助かった?

 その言葉に、胸の奥で何かが引っ掛かる。


 女は、ジリジリとルナの方へと身を寄せた。気づけば眼前に女の顔が迫っている。

 麻布の隙間から見える瞳がギラリと光った。芯のある焦茶の瞳。既視感を覚えた。


「……ねえ、見て」

「……?」


 と、女は腕に抱いた布をそっとめくった。

 ルナに見せつけるように、中のものを差し出す。

 そして、


「——きゃああああああああっ!」


 ルナは叫んだ。

 後ろにのけぞり、ぶつかった壁にそのままもたれるようにしてへたり込む。

 目にしたものが信じられず、ガクガクと膝が震える。

 その腕の中、布に包まれていたその赤子は——


 すでに、亡くなっていたのだ。


「見て。可愛らしいでしょう、私の娘。泣いている声すら愛らしくてね、とても小さな声でみいみい泣くの。子猫みたいでね、この子の兄も、大層可愛がってくれたわ」

「な、な……!」

「まだ一歳にもなっていなくてね、当然乳離れなんて夢のまた夢よ。だけど私の方が、だめな母親でね……お乳が、ほとんど出なくて。それでも乳を求めて、何度もみいみい泣くの。私たちには、それがたまらなくてね」

「……あなた、まさか、」

「この子を守るために、あの子はあなたを頼ったの。ねえ、わかる? あなたにとっては取るにならない子供の願い。その結果が、これよ」

「ひっ——!」


 女はそう言って、すでに腐敗が始まっている赤子の亡骸をルナに見せつける。

 衝撃的なその光景が、女の言葉が、ルナの脳裏を強かに打つ。

 息子の願い。それによって助かった村。乳離れできていない妹。——まさか。


「まさか、あなた——エミルの……!?」


 母親なの?

 言いかけた言葉は、途中で途切れた。

 女の瞳が鋭くルナを睨みつけ、声を張り上げたからだ。


「息子の名を気安く呼ぶな!」


 激しい怒号が礼拝堂を裂く。それが何よりの答えだった。

 ルナは激しいショックを受ける。

 それなら、それならば。

 彼女が抱くその亡骸は——


「エミルの……妹さん……?」


 愕然として、ルナは呟いた。

 妹がいるんだと。そう語った姿が胸をよぎる。

 全身から血の気が引いた。


「お前の……お前のせいでしょう! お前が、あの子を殺したから……!」


 そんなルナに、女は掴みかからんばかりに詰め寄り、叫んだ。

 

「土地が戻ったって、次の日に食べる麦が生えてくるわけじゃない! 畑が潤っても、今、腹を空かせた人間は救われない!」

「あの子が死んだあとも、村では次々に人が死んだ。この子も——この子も、その一人よ!」


 泣き叫ぶように語られたその内容に、ルナは目を見開いた。

 村人が、死んだ? あの、村の人たちが……?

 ルナの脳裏に、畑の実りに喜び抱き合う彼らの姿がよぎった。まるで遠い世界の出来事のように、ぼんやりと見つめたその光景を。


「だ、だからって……! その子を弔いもせずに……!」

「埋められるものですか。この子を死なせたあなたに、一目見せるまでは」

「……っ!」

「お前が……お前が来るのが遅かったから。だから私は、愛する子供を二人も失った。……何が聖女よ! エミルの命一つ使って、お前は何を叶えた!? 何を救った!?」


 引き裂かれるような声が、礼拝堂に響いた。

 その声は厳かなその場所で何度も反響し、やがて消える。

 その声に、言葉に。ルナは、頰を強く叩かれたような気持ちになった。


 彼女の言うことが、信じられなかった。

 だって、あの村は——エミルが、命をかけて守った村だ。

 自分が犠牲になるから。だから他の誰も犠牲にはしないでくれと、そう語った村だ。

 実りだってきちんと確認した。あの様子では、きっと秋には多くの収穫が見込めるだろう。——そう、秋には。

 

 石床に膝をついたまま、母親の腕の中を見つめる。

 鬼気迫る表情が、ルナに現実を教えてくれた。

 ——ああ。もしもこの眼前の光景が、全て真実だと言うのなら。


(私は——あの子の願いを、叶えてあげられなかったの?)


「ぁ……」


 知らず、声が漏れた。

 膝から力が抜ける。

 そんなルナの姿に、エミルの母は尚更怒りを燃やした。


「何を今更、後悔したような顔をしているの。そんな顔をしたって、この子たちは帰ってこない……!」


 と、エミルの母は、妹を抱く腕とは別の腕をそっと懐に差し込んだ。そして、


「その罪——その身で償いなさい!」


 銀色の何かを取り出した。

 ナイフだ。

 鋭く光る切先をルナに向け、躊躇なく駆け出した。

 至近距離に刃が迫る。

 ——避けられない。


「——ルナ!」

「……っ!?」


 飛び込んできたのはディーンだった。

 声と同時、長い腕でルナを庇い、その身でナイフを受け止める。

 紅い傷が一筋、腕に走る。

 怯むことなく女へ距離を詰めると、一瞬でその身体を翻し彼女を押さえつけた。


「きゃああっ! だ、誰よあなた!? 離して!」

「ちっ、おとなしくしろ。おい、ルナ、大丈夫か!?」

「ディ、ディーン……!? どうしてここに……!?」

「叫び声が聞こえたから戻ってきたんだよ。それより、なんだこの状況は」

「離せ、離せ——!」


 怪我をしながらも平然とディーンは言ってのける。

 そのうち、騒ぎを聞きつけ聖騎士たちが駆けつけてきた。

 まだもがき続けるエミルの母を、ディーンは彼らに引き渡す。


「……っあなたにはわからないわ、神のために生きる女に!」

「……っ!」


 幾人もの騎士に取り押さえられ、それでもまだ彼女の目は怒りに燃え、憎悪のこもった声でルナを罵倒した。


「世界のために生きる女に……っ世界と天秤にかけても、生きていてほしい人がいる女の気持ちが、わかるわけないわ——!」


 ——世界をも呪うような、強い怨嗟のこもった声だった。

 声だけで人を殺せるような、深い、深い。


 捨て台詞のようなその言葉が、ルナの心に深く突き刺さる。

「——こら、黙りなさい!」

「聖女様に向かって、無礼な——!」

 彼女を捕らえる騎士たちが彼女の口を塞ぐ。そのまま引きずられるようにして、その身柄は礼拝堂から連れ出されていった。


「——…」


 ——パタリ。

 閉ざされたその扉を、ルナは呆けたまま眺める。

 膝からはまだ力が抜け、立ち上がることすらできない。

 そんなルナの目の前に、すっと骨ばった手が差し伸べられた。


「——怪我はないか?」

「ディーン……ありがとう、私は大丈夫——」


 言いかけて、その腕に一筋、切り裂かれた傷があるのに気づいた。


「あ、あなたの方が怪我してるじゃない! 早く治療院へ……!」

「あ? ああ、こんな擦り傷、たいしたことねえよ。もっとひどい怪我なんて日常茶飯事だ」

「だからって……!」


 平然と言ってのけるディーンに、ルナだけが落ち着かない様子で彼の腕を引く。

 そうだ、この程度の傷、『勇者』であるディーンにとって怪我のうちにも入らない。

 そのはずなのに——なぜだろう、嫌な予感が止まらなかった。


「ああ、こんなものすぐに塞が——、」


 そこで、ディーンの言葉が不自然に途切れた。

 眉間にわずかな皺が寄る。

 一度、二度と瞬きをして、焦点を確かめるようにルナを見た。


「……ディーン?」


 パチリと瞬いた空色の瞳に、ゾッと背筋が粟立つ。


「何か変よ。やっぱり、治療院に行きましょう。なんなら私が祈ったっていいから……!」

「何を大袈裟な——……っ?」

「っディーン!?」


 不安げなルナに軽く笑っていたディーンは、そこで唐突に上体を崩した。膝ががくりと石床につく。


「……っ」

「ディーン!? ディーン、どうしたの!?」


 もともと白い顔から、さらに血の気が引いていく。呼吸が浅い。瞳は焦点を結ばず細かく揺れていた。

 明らかに、様子がおかしい。


「……ル、ナ。…………に……げ………………」

「いやあ、ディーン! しっかりして! ——っ誰か! 誰か来て——!」


 そこまで告げたところで、ディーンの身体から完全に力が抜けた。そのまま石床へと倒れ伏す。

 その背をゆすっても、声を上げても瞼はぴくりとも動かない。

 その目が閉じられる瞬間——


 美しい空色が、昏く澱んだ気がした。

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