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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第X章 血濡れのXXはXと踊る

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17.ルナ・ルクス⑰

「その代わり、他の誰からも血をとらないで。母さんからも……働き手の男たちからも。他の、子供たちからも——」


 その言葉に、ルナの中の何かが決壊した。

 力無く首を横に振る。それしかできなかった。


「それでも……あなたじゃなくても、いいはずじゃない。他の、誰かでも……」


 ぐるぐるぐるぐる、思考だけが巡る。

 時間はない。

 この子じゃないなら、誰に血をもらう?

 そうだ、地主だというあの男の血を貰えば——

 ……だめだ。あの男の『願い』が豊穣ではなかったらどうする? 実りがなければ、結局この子は死んでしまう。この子が守りたい村の者たちも。


 ならば、他に誰がいる?

 今も村のために畑を耕す男衆か? 乳も出ないというこの子の母か? この子と同じように、貧困に喘ぐ子供たちか——?


 ぐるぐるぐるぐる、動けずにいるルナに、少年はとどめを刺すように言った。


「だめだよ。僕が決めたんだ。それに——僕じゃないなら、誰か別の子になるだけだ。この村には、僕みたいな子供はたくさんいる」


 ——もう、何も言えなかった。


 祭壇の蝋燭だけが照らす、薄暗い集会所。そこに、ひゅうひゅうという少年の苦しげな息の音だけが響いた。

 どれくらいの時間が経っただろう。

 ルナは何かを言おうと顔を上げては唇を震わせ、また潤ませた瞳を隠すようにその顔を伏せた。

 胸の前で両手を組み、神に祈るように両眼を閉じる。

 それでも神は応えてくれない。

 最後に強く唇を噛み締めた後——苦しげに、言葉を落とした。


「……ごめんなさい」


 握り込んだ拳が痛い。

 自分を叱咤するように、大きく息を吸い込んだ。


「あなたの血を……私に捧げて頂戴」


 吐き出されたその声は、情けないほど震えていた。




 ——その『奇跡』は、壮絶なものだった。


 少年は、神官からナイフと瓶を渡されると、なんのためらいもなく自らの腕を裂いた。枯れ枝のような細い腕から滴る血を、余すことなく血瓶へと注ぎ込む。ルナはその一滴も逃さないよう飲み干した。

 幼い少年の身には大きすぎる『願い』。血の形となったそれがルナの喉を通るたび、炎のようにその身体を焼き腹の奥を暴れ回った。両手を組むたび二人の力を奪い、祈祷のために膝をつく少年の身体が何度も崩れた。一つ祈りを終えただけで、ぐったりと重い虚脱感が室内に充満する。

 それでも少年は、ルナに祈りを続けるよう懇願する。「もう充分よ!」と叫ぶルナに、「まだ、これじゃあ足りない」と何度もその腕にナイフを刺した。また滴る血を、ルナは一滴残らず飲み込んだ。

 血は何度もルナの喉を焼き、ただでさえ浅い少年の呼吸を奪う。

 家族を守るため。村を救うため。

 大それた『願い』に溢れたその血は、ルナの体内で燃えるような熱を持つ。

 目を閉じるたび世界が揺れる。両手を組むたびに目の前の少年の姿が霞んだ。二人だけのその空間で何度も天地がひっくり返り、脳を突き抜けるようなひどい耳鳴りが何度も彼らを苛んだ。


 ——全ての儀式の終わり。

 その頃にはもう、少年は自分の力では立ち上がることすらできなくなっていた。




 狭い集会所には、ルナが肩で息をする音だけが響いていた。

 少年の息はもう絶え絶えで、ルナの耳にすらもうほとんど届いていなかった。


 祭壇に灯された蝋燭は、いつしか指先ほどの大きさになっていた。

 薄く揺れるその光が、少年の青白い頬を照らす。


「……ねえ」


 その頰にそっと触れる。

 瞼がわずかに震えたのをたしかめて、ルナは囁くように少年に尋ねた。


「あなた……名前は、なんというの?」


 ほとんど閉じかかった焦茶の瞳が、視線だけルナに向けられる。

 その瞳にまだルナの姿が映っているのか、それすらももうわからない。

 少年は、ボロボロになった唇を小さく開いて、また閉じた。

 掠れた息だけが喉を鳴らすのを、ルナは辛抱強く待つ。

 浅く息を吸い込む。

 消え入りそうな声が、静かに空気を震わせた。


「……………………エミル」

「……そう」


 小さな小さなその声に、ルナもまた小さく答える。

 力なく床に投げ出された掌を、そっと持ち上げた。


「……エミル。私、忘れないわ、あなたのこと。絶対……」


 ルナの言葉に、エミルは薄く微笑む。

 その手を握り込むルナの手を、なけなしの力で柔く握り込んだ。



 ——————————

 ——————


 ————

 ——



 ——動かなくなったエミルを置いて、ルナはそっと集会所の扉を開けた。

 天高く登っていた太陽はいつしか傾き、夕陽が空を紅く染めていた。


「——おい見ろ! 穂が、起き上がってるぞ!」


 と、仰天したような声が聞こえ、そちらへと目をやる。

 村の畑の前に、人だかりができていた。


「こっちも見て、あれだけ干上がっていた土が……!」

「水路の水が、きれい……」

「嘘だろう、こんなこと……本当に……?」


 彼らの言う通り、畑一面の穂が風を受けて揺れていた。項垂れていた穂は真っ直ぐ空を向き、干上がっていた土には湿り気が戻っている。

 その様子を、誰もが目を丸くして受け止めた。

 まるで幻でも見ているかのような、信じられない光景を目にしているような、そんな目で。


「……奇跡だ」


 誰かが呟いた。

 その一言をきっかけに、村人たちはわっと歓声を上げた。

 やつれていた表情に光が灯る。

 抱き合う者、涙する者、畑へ駆け出す者。

 その場にいる誰もが、その顔に喜びを見せていた。

 その光景を——


 ルナだけが、まるで別世界を見ているような心地で眺めていた。

 民の笑顔も、喜びも。

 いつもなら心が震えるほど嬉しいものなのに。それだけで祈祷の疲れも消え去ってしまうほど、ルナを支えてくれているもののはずなのに。


 なのになぜだか今だけは、心が凍りついたように動かない。

 その涙も歓声も、驚くほどあっさりとルナの胸を素通りしていく。

 ひどく遠い出来事のように、ただ、その光景を見つめ続けた。


「——聖女様」


 その背後に、穏やかな声がかけられた。

 地主の男であった。

 男は、静かな眼差しでルナを見据え、柔らかく声を落とした。


「ありがとうございました。これで、村は救われます」


 そう言って、男は深く頭を下げた。

 その姿にもやはり、ルナの心はぴくりとも動かなかった。


 



 ——翌朝。

 出立の準備を整えた聖女一行に、村人たちは名残惜しそうに手を振った。

「ありがとう——!」

「これで今年も、畑が作れる」

 口々に言う彼らに、ルナも一礼し、馬車へと乗り込む。

 馬車が進む。その車窓から、一度だけ村を振り返った。

 村の入り口には、幾人もの村人たちが、まだルナの馬車を見つめ大きく手を振っていた。


 だけどその場にはエミルも、彼が守ろうとした家族の姿も——

 一度として、現れることはなかった。

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