14.ルナ・ルクス⑭
——かくして、勇者ディーン率いる聖騎士団は、聖女ルナの采配のもと地下闘技場を制圧し、多くの子供たちを救い出した。
この出来事は『地下闘技場制圧事件』と呼ばれ、聖女ルナを代表する功績の一つとして語り継がれることになる。
しかし、ルナはそれで終わりとはしなかった。他にも同様の事件がないか、ルナは自ら調査隊を編成し、徹底した捜査を命じた。
結果として、王都の裏社会に潜んでいた人身売買組織が次々と摘発される。騒動の発端となった奴隷商も程なく捕縛された。
その功績は瞬く間に国中へ広まり、民からの評価も大きく変わった。
彼女が巡礼に訪れれば誰もが喜び、街を歩けば「聖女様万歳」の声で溢れた。
*
「——素晴らしい行いだ。だが、次からは私の許可を待って欲しいですね」
——しかし、これに苦々しい表情をする者もいた。
オーギュストだ。
大神殿、大神官執務室。
その執務机を挟んで、ルナとオーギュストは問答していた。
地方巡礼から帰還したオーギュストが、ことの顛末を聞きルナを呼び出したのだ。
「勝手をして、ごめんなさい。でも、許可を待っていたら、また犠牲者が出るかもしれないと思って……」
「行いを責めているわけではないないのですよ。私としても、本来なら手放しで褒めてやりたいほどです」
「なら……!」
「しかし、君の独断専行を快く思わない者がいるのも事実。神殿の上層部では、『聖女が神殿の規則を破った』という事実を重く見、罰則を与えるべきだと主張する者もいます。だからこそ、我々は規則に従順でなければならない。正しいだけでは、人は動いてくれないのですよ」
「……」
オーギュストの言葉に、ルナは小さく唇を噛んだ。
納得はいっていない。自分は正しいことをした。その自負はある。
しかし、オーギュストの言っていることも一理はあるということも、わかっていた。
「それに、この件がきっかけで君を危険視する貴族も増えた。今後、気をつけるに越したことはありません」
「貴族……? どうして?」
「どうやらあの奴隷商の背後には、貴族がいる可能性が高いようなのです。それと関わりの深い闘技場の方も、おそらくは」
「嘘……!」
オーギュストは言いながら、机上の書類を一枚ペラリとめくった。
その言葉に、ルナは目を大きく見開く。
奴隷商も、地下闘技場を運営していた者たちも、たしかに捕らえられた。だが、その背後には資金を流す貴族がいると見られていると、オーギュストは語った。
その証拠はまだ掴めていない。だからこそ、多くの貴族がルナを警戒し始めた。「次に聖女に摘発されるのは自分ではないか」——そう考える者が増えているのだ。
ルナの民衆からの評判は上がった。が、それと反比例するように、貴族からは敵視されるようになっていた。
「そういう者たちから君を守るのも私の仕事なのです。どうかわかってください」
「……」
詫びるような眼差しで言われ、ルナはばつが悪そうに俯く。
オーギュストが不在の間、独断で動いた自覚はある。そのせいで彼が後処理に追われているのも、机上の書類の山を見れば明らかだった。
何より、心配してくれているのだ、彼は。だが……。
「でも、私、もっと聖務を頑張りたいのよ。だって——」
——私にはもう、それしか残っていないのだから。
言いかけて、口を閉ざす。
どこか焦ったような様子のルナに、オーギュストは訝しげな視線だけを寄越した。
ルナの脳裏にあるのは、あの時のディーンの表情だった。わざとらしく自分を視界から外し、今までとは全く違う色の瞳で見下ろした、あの時の。
あれは——『勇者』の瞳だった。
今まで自分に向けられていた、純粋な優しさの籠った目ではない。『友人』としての、気を許した視線でもない。
ただ、『聖女』へと向けられた、『勇者』としての、まっすぐな信頼だった。
それに、応えたいのだ。
心配だけをかけるような関係ではなく。対等に、肩を並べて。共に、この国を守れるように。
——そのために、何ができる?
「ルナ……?」
と、俯いたままのルナに、オーギュストが怪訝そうに顔を覗き込んだ。
顔を伏せたまま、ルナはまだディーンに思いを馳せる。
ディーンと肩を並べるため。そのためにはもっと、『聖女』としてできることを増やさなければならない。——それなら。
「——そうだ、許可が必要だというのなら、私にその権利があればいいのではない?」
パッと顔を上げて、ルナは言った。
書類を触っていたオーギュストの手が止まる。
「——は?」
「『聖女』なんだもの、聖騎士団の一つも動かせる権利がないなんて、おかしいわ。許可だのなんだの、オーギュストにいちいち手間をかけるのも申し訳ないし」
「……ルナ。なんの話をしているのですか?」
「だから、規則が重要だというのなら、その規則の方を変えればいいという話よ。いい考えでしょう?」
先ほどまでの気落ちした表情から一転、ルナは目を輝かせて言う。
今度はオーギュストが目を丸くさせる番だった。穏やかな笑みが、ほんの刹那だけ消えた。
「今後も同じようなことが起きたら、即座に動きたいし……オーギュスト、あなただって、毎日この神殿にいるわけではないもの。いざという時、他にも騎士を動かせる人がいた方がいいと思わない?」
「そう、ですね……」
「それに、聖務だって。もっと私自身で判断できることが増えれば、やれることも増えるわ。それから、それから——」
「……」
ルナは、自分のやりたいこと、やれることを指折り数え始めた。
それは、彼女が聖女としてやりたいと主張しても、権限を盾に断られ続けたことであった。
話しているうちに、胸が高鳴ってくる。自分にはまだできることがあるのだと、そう思えた。
生き生きと語るルナを、オーギュストはただ見つめた。
彼女を見つめるその瞳の色は深く、捉えどころがない。
ルナはそこでやっと、オーギュストが黙り込んでしまっていることに気づいた。
「あ……っ、ごめんなさい、私ったら。一人でペラペラと……」
「……いえ。君の気持ちは、よく理解しています」
先走り、一人で話を進めていたことが途端恥ずかしくなり、ルナは両手でその口元を押さえる。
そんなルナに、オーギュストはにこりと笑顔を作り答えた。
そして、一度だけ視線を落とし、静かな声色で言う。
「……たしかに、君もここに来て長い。まだ若いからと私が預かっていた権利も、少しずつ君に任せてもいいのかもしれないね」
「っ本当!?」
「もちろん。まあ、権限の見直しとなれば教皇や王族の許可も必要になりますから、今すぐ、というのは難しいでしょうけれど……それまで、くれぐれも無茶をするのではないよ」
「ええ……! ありがとう、ありがとうオーギュスト!」
常の穏やかな笑みでそう言うオーギュストに、ルナはぱっと顔色を明るくした。
そして、何度も重ねて礼を言う。
やはり、オーギュストは頼りになる。何か困ったことがあった時、『聖女』として迷った時、いつだって彼は正しい方向へと教え導いてくれる。
自分を『聖女』として見つけてくれたのが、この人でよかった——
ルナは改めて、そのことに感謝した。
*
——ぱたり。
執務室の重厚な扉が、静かに閉じられる。
ルナが去り、一人きりになった執務室。
静寂の降りたその場所で、オーギュストはゆっくりとその笑みを表情から消した。
「——全く、余計なことをしてくれた」
低く声音を落とした声が、室内に落ちる。
ルナが聞いていたらオーギュストのものだとは思わなかっただろう、普段の彼からはほど遠い冷たい声色だった。
「平民の娘なら御し易いと思ったが……むしろ厄介ごとばかり起こしてくれますね」
言いながらオーギュストは、机上の書類を一枚手に取った。
それは、彼が懇意にしているとある貴族からの詰問の手紙であった。——今なお騎士団の捜査の手から逃げ回っているであろう、貴族の。
『今回のことについて説明を求める』そうとだけ書かれた手紙をチラリと見下ろし、オーギュストは小さくため息をついた。
「彼女自身にはまだ利用価値はあるが……さて、どうしたものか」
オーギュストはそう呟くと、ゆったりとした仕草で立ち上がった。
机に立てかけていた大杖を手に取る。漆黒の宝玉がその先で鈍く光った。
——と、不意に、ノックの音が執務室に響いた。
コンコン、と、弾みをつけたような無遠慮な音。
ルナではない。かといって、自分の子飼いの神官でもない。
オーギュストは怪訝な表情で扉を見やりつつ、「……入りなさい」と許可を出す。
その声とほとんど同時、重い扉が開かれる。そこから現れたのは、
「——久しぶりですわね、オーギュストおじ様」
カトリナであった。
カトリナ・ヴィオレッタ・ブランシェ——この国の高位貴族の令嬢であり、オーギュストにとっては遠縁にあたる女性だ。
「……珍しいですね、君がこんなところに来るなんて。何か用かい?」
「用だなんて、たいしたことではないわ。ただ、少し、聞きたいことがございますの」
カトリナはクスクスと喉を鳴らしながら、ためらいもなく執務室へと足を踏み入れた。
堂々たる足取りで、オーギュストのいる執務机の前までやってくる。
そんな彼女に、オーギュストは底の見えない笑みで聞き返した。
「聞きたいこと?」
「ええ。一つは、今代聖女について。もう一つは——あなたのその、大杖について」
「……ほう?」
わざとらしく含みを持たせるカトリナに、オーギュストは片眉を上げた。
穏やかな笑みを浮かべたまま、視線だけ冷たく彼女を見下ろす。
そんな彼に、カトリナはいっそ愉快そうに笑みを深めた。
「ねえ、おじ様——その程度で、わたくしの『瞳』を誤魔化せるとお思い?」
「……」
紫の瞳が妖しく光る。
その光に、オーギュストはむしろその底知れない笑みを深める。
静かな執務室には、宝玉から滲んだ靄が、静かに立ち込めていた。




