13.ルナ・ルクス⑬
ヴァレリーとの一件以来、王都に広がるルナについての噂に、新たなものが増えた。
『黒髪の聖女は男を誑かす魔性の女』
『勇者だけでは飽き足らず、王族にまで取り入った』——等。
——ヴァレリーの仕業だな、というのはすぐに気づいた。
気づいて、放置した。
噂など放っておけばそのうち消える。そんなものだとこの頃のルナは思っていた。
それに、今は噂よりも、救うべき人の方がずっと多い。誰が何を言ったって、自分のすることは変わらないのだ。
根も葉もない噂だ、聖女として正しくあれば、すぐに誤解だとわかるだろう。ルナはこれまで以上に聖務へと精を出した。強いて言うのなら、ディーンとの噂が薄れたことだけは救いだった。
そんな、ある日のことだった。
その日、ルナは聖務の合間を縫って、神殿付きの孤児院へと訪れていた。
「——みんな、久しぶり!」
「聖女様!」
「ルナお姉ちゃん!」
「ワォンッ!」
突然院を訪ねてきたルナを、子供たちは快く迎え入れた。
ルナが聖女になった頃から世話をしている年長の子。
最近預けられてきたばかりの幼子。
そして、ルナが故郷から連れてきた、小犬のリオ。
方々から歓待されて、ルナは日々の疲れが癒やされていくのを感じた。
「聖女様、お久しぶりです!」
「どうしたの? 今日は、お仕事ないの?」
「ルナさまだ! ねえ、こっちきて、一緒にあそぼう!」
「あ、こらお前たち、聖女様にご迷惑を……!」
子供たちはすぐにルナの元へと集まり、口々にそう言った。
一気に騒がしくなったその空気に、ルナはクスリと笑って言う。
「ふふ、いいのよ。今日は少しだけ時間があったから、みんなの顔を見にきたの」
「じゃあ、すぐに帰っちゃうの?」
「みんなが元気なのを確認したらね。リオも、元気だった?」
「クゥン!」
「あはは、くすぐったいわ!」
あちこちからかけられる声に、ルナは笑顔で返す。こうして飼い犬であるリオに顔を舐められるのも、ずいぶん久々のことだった。
この孤児院は、ルナが聖女になった頃から何度も通ってきた場所だった。子供の世話を手伝い、病気の子のために祈り、リオと遊ばせた。だから今でも、ここへ来ると子供たちは家族のように迎えてくれる。
「……ルナ、来てくれたのね」
「院長先生!」
子供たちに囲まれ談笑するルナに、優しげな声がかけられた。
この孤児院の、院長をしている女性だった。
「お久しぶりです! ご無沙汰していて、すみません」
「いいのよ。むしろ、忙しい中顔を出してくれてありがとう。子供達も喜ぶわ」
「そんな……こちらも、リオのことをずっと預かってもらっていますから」
「それこそ、あの子は子供たちの遊び相手になってくれているもの。私たちとしても助かっているわ」
「そうだといいんですけど」
申し訳なさそうに眉を下げながら、ルナは子供達と戯れるリオへと目を向ける。
視線の先では、リオが子供たちに揉みくちゃにされていた。
「……でも、この院もずいぶん子供の数が減りましたね」
院長と二人肩を並べ、庭で遊ぶ子供たちを眺める。
その数が明らかに昔より減っていることに気づいて、ルナはそう呟いた。
「そうね。どうしてだか最近、『孤児を引き取りたい』とお声をかけてくださる方が多くて」
「それはよかった……! きっと、神様が見守ってくださっていたのね」
「ふふ、そうね。最近は子供も減って、寂しくなった気もしていたけど……この場所が寂しくなるというのは、いいことだもの」
「そうですね」
楽しげに駆け回る子供たちを見つめ、院長は慈愛に満ちた声色でそう言った。ルナもまた、胸にあたたかいものが灯る。
訳あってここに預けられることになった子供たち。彼ら彼女らが、ここではないどこかで幸せになれるのなら、それ以上に喜ばしいことなどなかった。それに比べたら、自分たちの寂しさなど瑣末な問題だ。
——と、穏やかに笑い合っていた時だった。
子供たちと戯れあっていたリオが、突然ぴたりと足を止め、ぴくりとその鼻先を上げた。
閉め切られた門の方へ向くと、その姿勢を低くし、全身の毛を逆立て始める。
「……リオ?」
突然威嚇し出したリオに、ルナも、院長も、子供たちまでもがざわめき出した。
それでもリオは警戒をやめず、むしろグルルル、と低い唸り声を漏らし始めた。鋭く牙を覗かせ、外へ向かってバウバウと吠える。
明らかな異常事態。何らかを察したルナは、院長と一度だけ顔を合わせ、恐る恐る門の外へ目を向けた。
そして、
「——きゃあああああっ!」
高い悲鳴が空気を裂いた。
孤児院の門の外、そこには、
小さな少年が、血塗れで倒れていた。
「な、な、な……!?」
事態に慌てたのは院長の方だった。
声を引き攣らせる彼女をよそに、ルナは門を開け放つ。
「っ先生、子供たちを中に! それから、清潔なタオルとお湯を!」
短く指示を飛ばすと、そのまま少年の元へと駆け寄った。
「あなた、大丈夫!?」
石畳を染める鮮血の中、膝をつく。
瞼が小さく震え、瞳がわずかに開いた。その瞳孔がルナを捉えると、少年は掠れた声で言った。
「…………た、たす、け……」
——まだ、息はある。
理解した瞬間、ルナはその身体を抱き上げた。
「……私のことがわかるのね。それじゃあ、お願い。きちんと『願って』いてね』
ルナの言葉に、少年が頷く。
それを見届けると、ルナはその裂けた傷口へ唇を寄せた。
——ぐわんっ。
重い『願い』が、ルナの胸にのしかかる。
聖光が、二人を包んだ。
*
——ルナの『奇跡』の力により、少年はみるみるうちに回復した。
院長が用意してくれた寝台へと寝かせる。
そうして落ち着いた後、彼が語った内容は衝撃的なものだった。
「——奴隷商!?」
「……うん。僕らを引き取っていった男たち。あいつらはみんな、僕らを奴隷として売るために慈善家のふりをしていたんだ」
寝台に横になったまま、少年はそう語った。
彼は、最近この孤児院からとある商人の元へ引き取られていったはずの少年であった。
だが、その商人というのは偽りの姿だったらしい。
最近増えた引き取り手。それは、孤児を売買する奴隷商だった。
「あの日……僕がここから引き取られた日。裕福な家の人だっていうから、どんな大きな家に連れてってもらえるんだろうと思ったら……よくわからない、暗い、倉庫みたいなところに連れて行かれて。そこで男たちが言っていたんだ。『孤児を引き取るふりをして金持ちに売るんだ』って」
「……それで、その場に、あなた以外の子供たちもいたのね」
「うん。みんな、最近になって引き取り手が現れた奴らだ。それから、ここじゃない、他の孤児院の子や……『お父さんお母さん』って泣いてた子もいたから、もしかしたら、どこからか拐われてきた子もいたのかも……」
「そんな……!」
ポツポツと語る少年に、院長は愕然としてその場に崩れ落ちた。
当然だろう、幸せを願って見送った子供たちがそんなことに巻き込まれていただなんて、誰が想像しただろうか。
「売られた先は様々で……船の出航時間の話もしていたから、たぶん、異国へ売られた子もいると思う。僕が売られた先は……王都の地下闘技場だった」
「……」
そこから少年は、目を伏せ、苦しげに、自分が見たものについて語った。
彼が連れられて行ったという地下闘技場——そこは、魔物と子供を戦わせ、それを楽しむという悪辣な見世物だった。
毎夜、暇と金に飽かした金持ちたちが集い、魔物から逃げ惑う子供たちの姿を愉しむ。
子供たちは檻に入れられ、次は自分の番なのではないかと震える毎日を過ごしたそうだ。この少年も、魔物の前に出され、その鋭い爪に一度はやられたが、どうにか隙をついて逃げて来たらしい。あの恐ろしい傷跡は、魔物にやられたものだったのだ。
「……僕はいいんだ。こうして、どうにか、逃げてこられたから。でも、中にはそのまま……魔物の餌食になった子も、まだ、逃げられずにあそこに閉じ込められてる子たちもいて。……今日も、誰かが死ぬかもしれない。そう思ったら、僕は、僕は……!」
「——!」
語るうち、少年の瞳からはポロポロと涙が溢れてきた。ルナは思わず息を呑む。
聞いているだけで目眩がした。
そんな場所が、この王都にあるだなんて。そんな場所で、たくさんの子供たちが犠牲になっただなんて……。
「……わかったわ」
ルナは一つ息を吸うと、涙に濡れる少年の瞳へ向き直った。
そして勢いよく立ち上がり、こう宣う。
「その場所を教えて。聖女の名において——私が必ず止めて見せるわ」
——それから先は、早かった。
ルナは孤児院から飛び出すと、すぐに聖騎士団本部へと向かった。
「至急出動してください! 子供たちが危ないんです!」
そう叫びながら飛び込んできたルナに、最初は目を白黒させていた騎士団員たちも、話を聞くに連れ神妙な面持ちになっていく。
顔面を蒼白とさせていた騎士団員は、だけども聞き終わると同時に、申し訳なさそうにこう言った。
「……事情はわかりました。ですが、今すぐ騎士団を派遣することはできません。我々の出動命令は、大神官オーギュスト様の権限です」
「そんな……!」
その言葉に、ルナは愕然とした。まさか断られるなんて思っていなかった。
「なら、オーギュストに許可をとってくるわ。それならいい!?」
「それが、そのオーギュスト様は現在、祝祭の巡礼のために地方へ派遣されているのです。お帰りがいつになるか……」
「それまで事態を放置しろと言うの!?」
「確証のある話ならすぐに対応できます。しかし、子供の証言のみとなると……。まずは調査隊を送りましょう。今、団長にも掛け合ってみますから」
「それじゃあ、今夜犠牲になるかもしれない子は救えないじゃない……!」
ばつが悪そうに眉尻を下げる彼に、ルナは歯噛みした。
今目の前に、苦しんでいる子供がいるのに。この瞬間も誰かが、理不尽に命を奪われているかもしれないのに。
それを、見過ごすことしかできないの?
ルナは思わず立ち尽くした。だけどすぐに思い直す。
(私が迷えば、その間にも子供が死ぬ。それなら——)
「……責任なら、私がとるわ」
やがて彼女は、覚悟を決めたかのように重々しくそう言った。
「——私は『聖女』よ! この神殿で、教皇に次ぐ権限を持つ者。民を守るためなら、聖騎士団を動かす権限くらいあるはずでしょう!?」
そして、高らかに宣言する。
漆黒の瞳が真っ直ぐに眼前の騎士を見据え、揺るぎない声色が本部を震わせた、その瞬間。
周囲の騎士たちが思わず姿勢を正した。室内の空気が張り詰めた。
「し、しかし……」
それでもなお反論しようとした声も、尻すぼみに消えた。
その時だった。
「それなら、俺が行く」
——背後から、声がかけられた。
「……ディーン!?」
「ゆ、勇者様!?」
ディーンであった。
ルナの背後から現れた彼は、ルナに一瞥もくれないまま続けた。
「話は聞いた。急ぎなんだろう? なら俺が行く。『勇者』に、出動命令はいらないからな」
「ディ、ディーン。でも……」
「でも、なんだ? お前が言ったんだろう、『責任は自分がとる』と。お前が命じるなら、俺は出る」
「……っ」
空色の瞳が、ようやくルナを視界に入れる。その色はかつてルナを見つめていたものとはまるで違い——だが同時に、揺るぎない光が宿っていた。
その光に真っ直ぐに射止められ、ルナは一瞬だけ息を止めた。
そして、その瞳を見返すと、大きく頷いた。
「……命じます。勇者ディーンよ、神の名のもとに、地下闘技場に囚われた子供たちを救い出しなさい!」
「——御意」
言葉と同時、ディーンが颯爽と歩き出す。
神殿の紋を背負ったマントが、風もないのに大きくはためいた。




