4.ルナ・ルクス④
「——伝令、伝令。王都にも疫病の感染者が確認されました。東地区では更に増えて続けています!」
「至急、聖女様を——!」
——大神殿の鐘が、昼夜を問わず鳴り響いていた。サンクティア王国、その片隅の都市で、疫病の流行が確認されたのだ。
海外からの貿易船により運び込まれたのだろうか、東の港湾都市が発祥であった。そしてそれは他の地域へも広がり、あっという間に王国は疫病の猛威に呑まれていった。
ルナはその鎮静の祈祷のため、国中を飛び回ることになった。
各土地土地の神殿に赴いては疫病の収束を祈り、治療院に足を運んでは患者の快癒を願う。
「ルナ様、もうお休みください!」
「あと一人だけ。まだ待っている人がいるから……!」
アネリアが差し出した食事に手をつけることもなく、ルナは祈り続ける。祈祷の間には空になった血瓶がいくつも積み重なっていった。
それでも疫病は一向に収まらない。ルナは途方に暮れた。
(どうして、これだけ祈ってもよくならないの……?)
(……まだ、足りないの? 私の祈りが……)
一つの地域で収まっても、また別の地域で疫病が観測される。祈っても祈っても、ルナの元に来るのは新たな流行の報せと聖務の命だけだった。
大神殿に帰ればまた祈祷の間に血が用意され、国全体の疫病収束を祈らされる。血を呑んでは祈り、祈っては呑んだ。
そのたびに、自分のものではない感情が胸の底に沈殿していく。終わらない祈り、積み重なる旅路。
「聖女様は何をしているんだ」
「祈っても誰も助からないじゃないか」
——そんな声だけが、少しずつルナの心を削っていった。
*
「……おい、ルナ。大丈夫か?」
祈祷の間に隣接した小部屋、その長椅子に腰掛け体を休めていたルナの元に、そんなぶっきらぼうな声が降ってきた。
「うわ、ひでえ顔。何日寝てないんだ?」
「……ディーン」
ディーンであった。
鍛錬の帰りであろうか、訓練着を身に纏った彼は、そのまま無遠慮にルナの隣へ腰を下ろした。
「……ごめん、今、お茶を——っ!?」
「何してんだ、寝てろ」
現れた客人をもてなそうと腰を上げるルナに、ディーンはそう言って無理やり長椅子に横にさせた。そして、その目元に何某かを放り投げる。
「わ……っ!?」
ヒヤリ。突然視界を塞いだ何かに、ルナは驚き声を上げた。
濡れ布だった。
冷水に浸してきてくれたのだろう、火照った瞼へ冷たさがじわりと染み渡る。張り詰めていた身体から、ふっと力が抜けた。
わざわざ持ってきてくれたのか。ほんの束の間の休息にも肩の力を抜けない、自分のために。
「……ありがとう、ディーン」
「……別に。お前んとこの侍女に、持ってけって頼まれただけだ」
横になったまま礼を言うルナに、ディーンはまだどこか素っ気なく言った。
……本当だろうか。この男が誰かに言われただけで素直に動く姿は、どうにも想像できなかった。
布の隙間から伺って見る。ディーンは少し耳を赤くしてそっぽを向いていた。
その様子に、ルナは思わずくすりと笑った。
「ふふ……でも大丈夫よ、少し疲れただけ。私が頑張らなきゃ……本当につらいのは、疫病で苦しんでいる人たちだもの」
「……」
「でも、どれだけ祈っても祈っても、終わりが見えなくて……」
ルナは言うと、目元を覆う濡れ布をぎゅうと握り込んだ。
らしくなく弱音を吐くルナに、ディーンは沈黙で返す。
長い沈黙が、簡素なその小部屋に落ちた。
「……国中を、祈祷して回っているんだって?」
しばらくのち、ディーンがおもむろにそう問うてきた。
気遣わしげな声色だった。
「大変だな」
「それはディーンも同じでしょう。今度また大遠征があるんですって?」
「俺は慣れてるし……。それに、この神殿の中で堅っ苦しい書類仕事させられるより、ずっとマシだからな」
「あはは、ディーンらしい」
軽い調子でそう言うディーンに、ルナは心からの笑みをこぼした。
声を上げて笑ったのなんて、ずいぶん久々のことだった。
「たとえば、どこに行ったんだ?」
「どこと言われても……覚えている限りでは、東の港町、それから南の商区、西の開拓地にも行ったかしら」
「開拓地? そんなところ、神殿も教会もないだろ。祈りの儀はどこでしたんだ?」
「そういう時は、領主様の邸宅に招かれることが多いわね。まあ、私の場合どこででも祈れるから」
「……領主?」
と、そこでディーンは何かに引っ掛かったように眉を寄せた。
言葉を止めたディーンを不思議に思い、ルナは濡れ布を目元から外し、彼の方へ視線をやる。
彼は何かを考え込むように口元に手をやり、虚空を見つめていた。
「……ルナ。回った地方の領主が、どんなやつかは知ってるか?」
「どんなって……」
「そいつら、本当に自分の民が大事そうだったか?」
「え?」
唐突な問いを投げかけられ、ルナは狼狽する。
彼らとはほとんど会話をしていない。ルナはただ祈っていただけだ。捧げられた血を呑み下し、その願いを叶える。どんな人物かなど、わかるはずがなかった。
「おかしくないか? これだけ毎日祈っても、疫病は収束の兆しも見せない」
「それは……私の祈りが足りないから、」
「違う。ルナ、お前の力の強さはわかってる。だからこそ言ってるんだ。お前の元に祈りに来た連中は、本当に疫病の収束を願ったのか?」
「——っ!」
ディーンの言葉に、ルナは思わず身体を持ち上げた。
そうだ。自分は、自分に捧げられた願いがどんなものかまではわからない。血を捧げられれば、どんな願いでも叶えてしまう。ルナは『願い』を選べないのだ。
「まさか、そんな——」
「金持ちは、自分の損得しか考えない。俺はそれをよく知ってる」
ディーンの提示した可能性に、ルナは声を震わせた。
信じられなかった。ルナに聖務を命じるのは聖務官だ。彼らは神の名の元に、正しく『願い』を持つ者たちの元へルナを連れて行っている——はずだ。実際、彼女は疫病が最も猛威を振るう東の街にも何度も顔を出し、その治療院に運び込まれる感染者のために祈祷を繰り返した。
だが——自分が回った街々、この神殿へ祈りに来た人々全てが、疫病のためだけに祈っていたかと言われたら……簡単にはイエスと答えられなかった。
「知っておいた方がいい、ルナ。お前の力は強い。そして、それを利用したいと思ってる奴らは、お前が思っているよりずっと多いんだ」
「……」
ディーンは、今まで見たことがないほど真剣な表情を浮かべると、ルナの目を見据えてそう言った。
空色の瞳がまっすぐにルナを射抜く。その色の強さに、ルナは無意識に姿勢を正した。
ディーンは滅多に他人へ口を出さない。その彼がここまで言うのなら——
ルナは唇を強く引き結ぶと、こくりと大きくなる頷いた。
——確かめなくてはならない。
そんな決意が、ルナの胸にたしかに宿っていた。
*
ディーンと別れるや否や、ルナはアネリアに頼み、今まで回った地方について調べ始めた。真面目で几帳面な彼女はその全てを記録してくれている。これ以上頼れる者もなかった。
調べるほどに、不自然さは明らかになっていった。
ルナが祈りを捧げた土地の中には、領主や有力者だけが災禍を免れ、民だけが今なお疫病に苦しんでいる場所が数多く見られた。中には、ルナの巡礼を境に不自然な繁栄を見せた土地さえあった。
また、ルナが派遣された土地の多くは、とある貴族の家系が治めていることもわかった。その家は、代々大神殿へ多額の寄進を続けてきた名門だった。
そんな彼らの土地に優先して自分が派遣されていたのだとしたら、それは——
「……これでは流行が収まらないわけだわ」
名簿を眺めながらルナは深くため息をついた。
『お前の力を利用したいと思ってる奴らは、お前が思っているよりずっと多いんだ』
ディーンの言葉が、深く胸に刺さった。
……しかし、落ち込んでいる暇はない。
聖務官が信用できないのなら、頼れる相手は一人しかいなかった。
ルナは勢いよく立ち上がる。
そのたった一人——オーギュストのもとへ向かうために。




