2.ルナ・ルクス②
そうして、ルナの『聖女』としての生活が始まった。
どうやらルナの助けたあの少年は、この国の王子であったらしい。その母君からの熱い推薦と、オーギュストの後ろ盾もあり、ルナは瞬く間に『聖女』の座へとつくことになった。
「王都へ行く」と言ったルナに、両親だけは最後まで渋い顔を崩さなかった。だが見送りの時には二人とも静かに笑みを浮かべ、ただ小さく「……帰ってくるんだぞ」と言った。
父の大きな手がいつものように頭を撫でる。その温もりに、ルナは何も言えず頷いた。かつて助けた子犬一匹だけを連れ、ルナは大神殿へと向かう馬車へと乗り込んだ。
だが、そうして始まったルナの『聖女』としての日々は、決して祝福だけに満ちたものではなかった。
「平民風情が」
「血を呑むなど、神への冒涜だ」
そんな心無い誹りが、ルナの心を何度も切り裂いた。
ただでさえ異端と見られる髪色で、『奇跡』としか言いようのない力を発揮する。そのことに畏れを抱く者もいたのだろう、『呪われた黒髪の聖女』と陰で嘲る者も少なくはなかった。
頼れる者もいないまま、四方から向けられる敵意に心をすり減らす。
そんなある日、大神殿から一つの命が下った。
『勇者』との結界巡礼である。
*
「——『勇者』?」
「はい。勇者様と共に国を歩く、『結界巡礼』の命が下りました」
若葉色の髪と瞳、穏やかな口調でそう語るのは、アネリア。ルナつきの侍女である。
神殿中が黒髪の聖女を訝しむ中、最初から敬意をもってルナに接してくれた、ルナにとって貴重な人物であった。
「わざわざ、どうして勇者様と? 結界に綻びがあるのなら、私がここで祈ることもできるけれど」
アネリアの説明に、ルナは首を傾げる。
『結界巡礼』——それは、国の守りの要である『勇者』と『聖女』が、結界を張るために共に国を巡る、巡礼の旅のことであった。
しかし、ルナの『聖力』ならば、わざわざ現地へと出向かずとも結界を張ることはできる。その『願い』を持った人間の血があるのなら、の話ではあるが。
素直に疑問を口にするルナに、アネリアは答えた。
「結界の補強も任務の一つですが……どちらかというと、新たに立った聖女様の顔見せが目的のようです。勇者様はその護衛ですね。『聖女』であれ『勇者』であれ、神のご寵愛を賜りし方々が国を巡ってくださるというだけで、地方の方々は安心されますから」
「なるほど」
たしかに自分も昔、故郷の村にやって来て教えを説いてくれる巡礼の神官たちに感動したものだ。「神へ身を捧げた方々が、わざわざこんな片田舎へ足を向けてくれるだなんて」と。それが『聖女』や『勇者』という大それた肩書きがある者たちなら尚更だろう。
納得したように小さく頷くルナに、アネリアはにこやかに笑って続けた。
「今代勇者であらせられるディーン様は、ルナ様と同い年でございますよ。お友達になれるといいですね」
「同い年……?」
その言葉に、ルナはぴくりと顔をあげる。そして、その胸にじんわりと期待が広がるのを感じた。
『勇者』と『聖女』。国の要として対をなす二つの称号は、一代に一人しかいない孤独な立場だ。『聖女』になって日の浅いルナだが、その立場のつらさはすでに身に染みている。
初めて、自分と同じ景色を見ている人に会えるかもしれない。まして同い年だというのなら尚更、アネリアの言う通り無二の友人になれるかもとルナは思った。
胸に小さな期待を抱いたまま、ルナは巡礼へと向かった。
だが、その期待は最初の一言で打ち砕かれる。
「お前か? 『呪われた黒髪の聖女』って奴は」
巡礼に向かったその先の土地。綻びを報告されているその結界の前で、『勇者』はそう言い放った。初めて顔を合わせた、ルナに向かって。
「へえ、本当に真っ黒なんだな。……これで強い『聖力』?」
どころか、驚き固まるルナの髪を一房取り、そのまま指でさらりと透かす。
聖女、いや年頃の女性相手にするものとは思えないその行動に、ルナは思わず面食らう。『呪い』など、陰口として言われていたのは知っていたが、直接言われたのは初めてだったのだ。
「し、失礼ですよ、ディーン様! 聖女様に向かって『呪い』だなんて……!」
我を忘れたルナの代わりに、声を荒げたのはアネリアだった。
ルナを庇うように一歩前へと出、「それに、淑女の髪に無闇に触れるべきではありません!」と続けた。
その姿に我を取り戻したルナは、やっと二人の間へと入り込んだ。
「いいのよ、アネリア」
「で、ですが……!」
「大丈夫だから。……初めまして、私はルナ・ルクス。先日『聖女』の称号を戴いた者よ」
ルナはそう言うと、目の前の少年へと向き直った。空をそのまま閉じ込めたような、鮮やかな青の瞳がルナを射抜く。
「あなたが今代勇者、ディーン。——ディーン・マリウス・ヴァレンティスね」
言うと、目の前の少年——ディーンは、悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべた。
「なんだ、俺のこと知ってんの? じゃあ自己紹介はいらないな」
そして、太陽に輝く白髪を揺らしてそう言った。青の瞳は細められ、口角はにんまりと大きく上がっている。
その姿は『勇者』なんて肩書きが信じられないほどに子供じみていて——同時に、とてつもなく大きな力を感じた。
彼がそこに立つだけで、鳥たちが祝福の歌を奏でる。風もないのに周りの木々がざわりと揺れ、周囲の神官が無意識に姿勢を正した。
ルナに聖力の大小を測る能力などない。なのにただただ圧倒された。目の前の少年が持つ、規格外の『聖』に。
(聖力は、明るい髪の持ち主ほど強いとは聞いていたけど——)
太陽に透ける白の髪。それは聖力持ちとしては最高峰の色だ。ここまで見事な白の髪を、ルナは初めて見た。自分の黒髪とは、正反対のその色を。
ルナは、誰にも気づかれないほどに小さく息を呑み込んだ。
わずかに芽生えた畏怖の心を振り払うように、わざと笑顔を作る。そして、彼に向かって右手を差し出した。
「そんなこと言わないで。私、あなたに会えるのを楽しみにしていたのよ? 仲良くしましょう」
「ふん。『黒髪』の聖女なんて、たかが知れてる。あの寵姫サマの推薦なんて、どうせ王族にでも気に入られたんだろ」
「……」
かちん。
譲歩した態度、握手を求める手をあっさりと拒否されて、ルナは思わず笑顔を引き攣らせた。
上げたままの手をそのまま握りしめると、噛み締めるように言う。
「……なるほど。あなたと言う人がどんな人なのか、ようくわかったわ。まさか、『聖女』をそんなふうに決めつける人だったなんてね」
低く声音を落として言うルナに、ディーンはそれでも侮ったような表情を崩さない。アネリアだけが、背後で焦った様子を見せているのが気配で分かった。
「見ていなさい。そこまで言うのなら、あなたが認めるしかないくらいの『奇跡』を見せてあげるわ」
——そうして二人は、結界の綻びが報告されている場所へと案内された。
魔物の蔓延る森の入り口に巡らされたその結界は、たしかに一部が大きく歪み、今にも崩れそうな様相をしていた。その歪みから魔物が紛れ込み、街へと出没した例もあるのだとか。周りの神官たちも口々に「今回の綻びは大きい」と囁いた。
その歪みを前に一人躍り出て、ルナは静かに命じる。
「アネリア。——血を」
「かしこまりました」
アネリアは一つ頷くと、たぷりと血の入った瓶をルナに差し出した。
この場にいる神官たちの、あるいはこの地に生きる者たちに捧げられた血だ。ルナはそれを受け取ると、綻びの前に膝をつき、そのまま目を閉じた。
「……? おい、このまま始めるのか? 簡易祭壇も、陣もないのに——」
「黙りなさい」
戸惑ったように声をかけてくるディーンを遮り、ルナは瓶を掴む。
そして、躊躇いなく飲み干した。
光が、その場を支配した。
ルナの組んだ指先から、眩い光が幾十にも走る。
光の筋は地を伝い、木々を伝い、張り巡らされた結界を伝った。そのまま歪みへとたどり着き、その綻びを丸ごと包むように一際眩く輝き出した。
それは、誰も見たことのないほど巨大な光であった。
結界全体が震える。
光は歪みを呑み込み、崩れていた結界は、最初から壊れてなどいなかったかのように元の姿を取り戻した。
神々しい光が森を包んだ。
一度大きく光を放った後、それは森に溶け込むようにじわりと色を消す。
鳥たちは一斉に空へ舞い上がり、木々はまるで奇跡を寿ぐように静かにざわめいた。
「これ、は——」
ごくり、息を呑んだのが、神官なのか、はたまた騎士団の誰かなのかはわからない。目にした『奇跡』に、誰もが驚き目を瞠った。
一瞬の静寂。のち、ざわめきが森を走った。
「まさか」「これほどとは……」
驚嘆、感服、そして敬意を帯びた言葉たちが、まだ跪いたままのルナの背中へと向けられた。
——ふう。
と、ルナは深く息を吐き出した。そして、ゆったりとした仕草で立ち上がる。
「……」
振り返るとそこには、ぽかんと瞬きを繰り返すディーンの姿がそこにあった。
先ほどまでとは全く違うその表情に、ルナはクスリと喉を鳴らす。そして、
「あら。『白髪』の勇者様ともあろうお方が、この程度で驚いてしまうの?」
わずかに顎を上げ、わざとらしく浮かべた笑みでそう言い放った。
その言葉にディーンは、またぱちりと目を瞬く。
そして、ニヤリと面白そうに口角を釣り上げた。
「……へえ。なかなかやるじゃん」
出会ったばかりの頃の好奇心に満ちたそれでも、侮りを含んだそれでもない。
ルナを見る目の色が、はっきりと変わった。
きらりと輝く青の瞳に気分をよくしたルナは、ようやくにこりと微笑んだ。
「『たかが知れてる』と言ったことは、撤回してくれるかしら?」
ディーンの顔を覗き込むようにして、そう尋ねる。
だけどディーンは、そんなルナからスッと視線を逸らし、その背後を静かに見据えて言った。
「んー……それはまだ先かな」
「え?」
瞬間。
ディーンの姿がルナの目の前から消えた。
一陣の風がルナの黒髪を揺らし——次いで背後から、ザシュッと鋭い音が響いた。
「——まだ甘い。背中がガラ空きだ」
不敵な声が後ろから投げかけられ、ルナはやっと振り返る。
そこには——
首を一太刀で断ち切られた大型の魔物と、そこに聖剣を突き立てるディーンの姿があった。
「い、いつの間に……」
ぽかんと目を丸くするのは、今度はルナの番だった。魔物の気配など、ルナには一つも感じ取れなかった。まして、自分のすぐそばまで忍び寄っていただなんて。
結界の修復前に紛れ込んでいたのだろうか——思えばディーンは、ルナと話している間も、何度か自分ではなく森へと視線をやっていた。
ずっと気づいていたのだ、彼は。彼だけは。
(これが、勇者……)
ルナは、新たに抱いた畏怖と尊敬の念に思わずごくりと息を呑み込んだ。
そして、得意げな笑みを浮かべるディーンに向き直る。
「……あなたも、なかなかやるじゃない」
そして、ルナもまたニヤリと口角を上げて見せる。
一つも怖気付かず宣う彼女に、ディーンもまた、その笑みを深めたのであった。




