11.アネリア⑩
「今代聖女カトリナ・ヴィオレッタ・ブランシェの名において——あなたを、『魔女』として断罪いたします」
サロンに冷たく響いたその宣告に、アネリアは大きく目を見開いた。
——何を、言っているのだこの人は。
告げられた言葉が理解できず、狼狽する。
喉が震え、ひくりと口元が引き攣った。
——私が、『魔女』?
それは巫女であるアネリアにとって、どんな罵倒よりも重く、どんな侮辱よりも耐え難い言葉だった。
思わず声を荒げる。
「ご、ご冗談を。私は神に背くような行いなど、一つもしておりません。それを『魔女』だなんて、いくらカトリナ様でも、そのお言葉はあまりにも——」
「だから、そういうところが腹立たしいと言っているのよ、アネリア。『祈りは届く』『正しい道を行けば必ず報われる』そんなことを心から信じているのでしょう? ああ、なんて莫迦らしい。弱者の考えね」
アネリアの反論を遮り、カトリナは吐き捨てるように言った。
そして一呼吸ののち、紫の瞳を怪しく細める。
「それに、罪ならあるわ」
「え……?」
「あなた、『魔女』の温室を後生大事に守っていたじゃない。『呪い』に侵された花を神殿中へ飾り、その薬草を茶にして、わたくしやディーン様に飲ませた——『聖女』と『勇者』へ呪いを振り撒こうとしたのよ。罪状としては十分でしょう?」
不敵な笑みを浮かべそう告げるカトリナに、アネリアはゾッと背筋を凍らせた。
罪状? そんなもの、一つとして事実ではないのに、それで自分を裁こうというのか。
そう思ったアネリアの動揺を見透かしたように、カトリナは余裕の笑みを浮かべる。
「莫迦ね。わたくしがそう証言しオーギュストが認めれば、白も黒になるのよ」
「……!?」
言うと、カトリナは不意に懐から小さな瓶を取り出した。
優雅な仕草でその栓を抜くと、中の液体を目の前の茶器へと垂らす。
ぽたりと落ちた雫は、冷めきった薬草茶へ溶け込み、その色をどす黒く変えていった。
——それが何なのか、アネリアの頭が理解するよりも早く、
「きゃああああああああああっ!」
甲高い悲鳴がサロンを切り裂いた。
僅かに開いていた扉から、その声は遠く石造りの廊下へと反響する。
次いで、ガシャンと陶器が割れる音が響き、アネリアはハッと目を瞬いた。カトリナが茶器を床へ叩き落としたのだ。砕けた陶器の破片が飛び散り、毒々しく変色した液体が床へ広がっていく。
その光景に、やっとアネリアは我に返った。
「カトリナ様、何を——!?」
状況を理解できずにいるアネリアへ、カトリナは蠱惑的な微笑みを浮かべる。
同時に、廊下の向こうから慌ただしい足音が響いてきた。バタバタと駆け寄るその音を聞いた瞬間、アネリアはようやく理解した。
「——聖女様! いかがなさいました!?」
勢いよく扉が開かれ、神殿内の巡回中だったのだろう、白銀の甲冑を纏った聖騎士が飛び込んできた。
呆然と立ち尽くすアネリアを横目に、カトリナは騎士のもとへ駆け寄り、その腕に縋りつくようにして叫ぶ。
「助けて、侍女に毒を盛られたのです! わたくしを殺そうとしたんだわ!」
「なっ——」
驚愕の声が上がる。それが駆けつけた騎士のものなのか、自分のものだったのかすらわからなかった。
甲冑の奥の視線と目が合う。思考は真っ白で、何も考えられなかった。
ただ「逃げねば」と、それだけが混乱する頭の中ではっきり形を持っていた。
震える足を無理やり動かす。踵を返そうとした、その瞬間。
「誰か、この不届き者を捕まえなさい!」
鋭い声が、大神殿へと大きくこだました。
*
かくしてアネリアは、『聖女を毒殺しようとした魔女』として神殿内の牢へと投獄された。
神殿側の発表によれば、先日オーギュストの采配によって取り壊された温室から、『呪い』の残滓が確認されたという。
そして、その温室を長年管理していたのがアネリアだった。ゆえに彼女は以前から『聖女』や『勇者』を害する機会を窺っていたものと判断された。
彼女は『呪い』の籠った薬草茶を何度もカトリナやディーンへ振る舞っていたが、二人の持つ強大な聖力の前ではその程度の呪いは容易く打ち消されてしまう。そのため、ついに毒殺という強硬手段に及んだ——それが神殿の下した結論だった。
動機は不明。しかし、アネリアには先代聖女の侍女であったという経歴がある。その『魔女』を告発し断罪へ導いた現聖女カトリナと、処刑を執行した勇者ディーン、二人へ強い恨みを抱いていたとしても何ら不自然ではない。それが神殿上層部の見解であり、公式に語られた筋書きであった。
*
「し、信じてください! 私はカトリナ様を殺そうなどとしていません。むしろ、カトリナ様に陥れられて——きゃあっ!」
「戯言を申すな!」
「罪人の分際で、聖女様を愚弄する気か!」
「いっ、あ゛あっ!」
怒号と同時に冷たい石床へと叩き伏せられ、アネリアは苦悶の声を漏らした。
鉄格子に囲まれた薄暗い牢獄。その中で彼女は、何度も自分の知る真実を訴えては、何度も力ずくで押さえつけられていた。
そこは、裁判を待つ異端者や魔女の容疑のある者を拘束するための収容施設であった。かつて先代聖女もまたここへ繋がれ、処刑の日を迎えるまで最奥の牢に閉じ込められていた場所である。
アネリアも巫女として、囚人への祈祷のために何度か足を運んだことがある。まさか自分が囚人としてこの場所へ入れられる日が来るなど、夢にも思っていなかったが。
巫女服は剥ぎ取られ、代わりに粗末な囚人服を与えられたアネリアは、「正式な魔女裁判の日まで」とその一室へ押し込められた。
神殿の奥深く、普段は誰も寄りつかない厳重な地下牢は、ところどころカビが生え、底冷えするような寒さだった。
「ほ、本当なんです! 私、聞いてしまったんです。カトリナ様が、オーギュスト閣下と共に勇者様に『呪い』をかけていると……!」
投獄された当初、アネリアはどうにかわかってもらおうと、知る限りの真実を語った。
見回りの兵へ。祈祷に訪れた神官へ。出会う者すべてに。
だが、魔女として投獄された女の言葉など、誰が耳を傾けるだろうか。
さらにはカトリナに「彼女は錯乱しているの」「信じてはなりません。魔女の戯言よ」などと言われ、口を塞ぐために猿轡を噛まされたことさえあった。
それでもアネリアは諦めない。何度も何度も言葉を尽くした。
だって、自分は何もしていないのだ。
そんな自分が魔女などと呼ばれる理由はない。それを言うのなら、罪なき巫女を偽りの罪で断罪しようとしているカトリナの方こそ、よっぽど魔女ではないか。
しかし真実を口にすればするほど、状況は悪化した。
「聖女様のみならず、枢機卿閣下まで侮辱する気か!?」そう言って拷問の手が重くなるだけだった。
当然だ。この神殿を統べる枢機卿が、王族にも並ぶ権威を持つ『聖女』が、『勇者』に呪いをかけているなど誰が信じるだろう。
アネリアの訴えは、やがて誰の耳にも届かなくなった。いつしか『狂言の魔女』などと呼ばれ、その言葉は最初から存在しなかったように扱われる。
アネリアの言葉も、想いも、誰にも届かない。
それでもアネリアは、日に幾度かの祈りだけは欠かさなかった。
巫女として神殿へ入って、およそ十年。一日たりとも欠かしたことのないその習慣は、もはや信仰というより呼吸に近かったのかもしれない。
そんな彼女に「魔女が祈りなど」「今さら贖罪のつもりか?」と嘲笑を向ける者もいないではなかった。それでもアネリアは祈り続けた。
(……カトリナ様は、どうされているのだろう)
底冷えする牢の中で手を組みながら、アネリアは何度も主へと思いを巡らせた。
今も変わらず『聖女』としてそこに立っているのだろうか。
自分のことをどう思っているのだろうか。
日々の暮らしはどうなのか、身の回りの世話は誰がしているのだろうか——
誰も答えてくれない問いだけが、胸を満たしていく。
(先代様は、どんなお気持ちでここにいたのだろう……)
そしてまた、かつての主へも思いを馳せる。
冷たく暗い、孤独な地下牢。もう何日も日の光を見ていなかった。
カトリナに鞭打たれた傷が寒さに疼く。拷問によって新たに刻まれた痣が、じくじくと痛み少しずつ心を蝕んでいった。
——見張り兵にすら声をかけられなくなり、ただ一人で祈ることが日常となった頃。
石壁に向かって両手を組むアネリアの元に、面会の報せが舞い込んだ。
「あら、呆れた。まだそんなことを続けているのね、アネリア」
「カトリナ、様……」
カトリナだった。
鉄格子の向こうから聞こえた声に、アネリアはゆっくりと顔を上げる。
いつもと変わらぬ豪奢な聖女服。手には見慣れた扇子を持ち、彼女は現れた。
兵たちを下がらせ、二人きりになるなり、カトリナは遠慮なく言い放つ。
「祈りなんて意味はないと、もう思い知ったものだと思っていたのに。強情だこと」
扇子の先を口元へ添えながら、呆れたように息を吐く。
あからさまに見下すような目線に、アネリアは僅かに眉を寄せ、格子越しに彼女を見上げるようにして睨み返した。
「それでも……私は、信じます。必ず、祈りは、届くと……」
乾いた唇を開く。まともに水すら与えられていない喉からは、ひどく掠れた声しか出てこなかった。
それでもカトリナの耳にはきちんと届いたのだろう、彼女はあからさまに顔をしかめた。
かつて『聖女』として絶大な支持を集めていた先代でさえ、その罪は暴かれ、裁かれた。
ならば、カトリナにもオーギュストにも、いつか必ず神罰が下るだろう。
その前に自分が、ここで命尽きたとしても。無実の罪で、断罪されたとしても。
「正しき行いは、神が必ず見ていてくださる……それを我らが信じず、誰が信じるのです……!」
掠れた声のまま、アネリアは叫んだ。組んだ両手に、さらに力を込める。その瞳には、今なお揺るがぬ意志が宿っていた。
自分が今ここで祈り続ける姿を、きっと誰かが見ていてくれる。それは小さな波紋となり、真実へ辿り着く者を生むはずだ。
『汝、人を愛せよ。祈りは報いとなりて還らん』——神殿の教えである、その言葉の通りに。
「……ふうん」
アネリアの真っ直ぐな視線を受けながら、カトリナはつまらなそうに鼻を鳴らした。
興を削がれたように小さく息を吐き、肩へ流れる髪をかき上げる。
そして、まるで独り言でも呟くような口調で言った。
「『正しい』……ね。それじゃあ、その行いが正しくなかったとしたら、あなたはどうなってしまうのかしら?」
「は……?」
ぽつりと落とされた言葉に、アネリアは怪訝な声を漏らした。
紫の瞳が牢の奥の暗がりを映す。
「何を……私は、神に背くような行いなど、したことはありません」
「ええ、そうでしょうね。あなたはずっと正しいわ」
「……?」
カトリナはあっさり頷く。
アネリアは戸惑った。
何が言いたいのかわからない。
だが、そんなアネリアにも構わず、カトリナは静かな視線を落とす。
その静けさが、かえって不気味だった。
言いようのない奇妙な感覚が、アネリアの背筋を這っていた。
桃色の唇が、ゆったりと開かれた。
「でもね、アネリア。あなたが告発した『魔女』——先代聖女も、悪いことなど一つもしていなかったのよ」




