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それからというもの、ディーンは時折この温室を訪れるようになった。
とはいえ、勇者として王国各地を飛び回る彼が神殿に滞在する時間は決して長くなく、指折り数えられる程度のものだったけれど。
それでも、半ば社交辞令だと思っていたアネリアは、彼の再度の来訪にそれは驚いた。
日々の疲れを癒やすためか、あるいはアネリアと同様、誰かの面影をこの場所に求めているのか——真意は知らないが、彼が束の間の休息としてこの温室を選んでくれることが、アネリアには嬉しかった。
ディーンが温室の片隅のテーブルへ腰掛けるたび、アネリアの胸には言葉にしがたい懐かしさが込み上げた。
ディーンもまた、この場所にいる時は決まって誰も座っていない向かいの席をじっと見つめる。
その横顔はどこか寂しげで——だからこそ、アネリアには愛おしく思えた。
彼もまた失われたものを懐かしみながらも、その思い出を大切に抱えている。この場所で過ごす穏やかな時間は、アネリアにそんな小さな救いを与えてくれていた。
色々な話をした。もっとも、そのほとんどはアネリアの一方的な語りではあったけれど。
それでもディーンは、それを不敬だと咎めることなく、静かに耳を傾けてくれた。
先代の一番好きだった花のこと。好んでいた茶葉の話。彼女が可愛がっていた子犬が温室へ駆け込み、育てていた植物を滅茶苦茶にしてしまったこと。他愛のない思い出ばかりだった。
ディーンは何も答えない。ただ静かに茶を口にし、ときおり「そうだったか」と相槌を打つだけだった。
それでもよかった。
もう自分だけ思い出話だと思っていたそれを、誰かに話せることが嬉しかった。記憶を分かち合える相手がいることが嬉しかった。
この温室の外では、相変わらず先代は『魔女』と蔑まれ、その名を呼ぶことすらできない。
だからこそアネリアにとって、この場所はより特別なものになっていった。
ディーンがいてもいなくても、アネリアは以前にも増して温室へ足を運ぶ。草花へ水を与え、枯れた葉を摘み、丁寧に祈りを捧げる。
そうして過ごす時間だけが、あの日々を失ってなお、自分が前を向いて歩いていける理由のように思えたのだった。
そんな日々が続いた、ある日のことだった。「しばらく王都を離れる」と、ディーンが言った。
遠方の領地で魔物が大量発生し、討伐の要請が入ったらしい。魔女の噂が国中を騒がせている今、万が一に備えて勇者を派遣することが決まったのだという。
その話を聞きながら、アネリアは何か自分にできることはないかと考えた。
気づかぬうちに、この温室で彼と過ごす時間は、アネリアにとってかけがえのないものになっていたのだろう。
どうか旅路の中で疲れを溜め込まないよう。
どうか少しでも心安らぐ時間がありますよう。
そんな願いを込めて、彼女は自ら育てたハーブで作った匂い袋を差し出した。「ほんの少しですが、香りに癒しの効果があるんです」——と。
魔物など、ディーンにとっては脅威ですらないだろう。差し出がましい真似だったかもしれない……そう思いながら手渡したそれを、ディーンは静かに受け取った。
そして鼻先へ寄せると、
「……懐かしい匂いだ」
そう呟き、わずかに口元を緩めた。
その僅かな笑顔が、それでもアネリアには何より嬉しかった。その香りは、かつて先代聖女が気に入り、いつも身につけていたものと同じだったからだ。長い旅の途中で、その香りを思い出してくれたらいい。
これでしばらくの間は、この温室を訪れる者もいなくなるのだろう。
それに少しだけ寂しさを覚えながら、アネリアはディーンを見送った。
——その様子を、カトリナに見られているとは、気づかずに。




