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「あ、アネリア!」
「お疲れ様です。どうされたんですか、こんなところで?」
「あら、あなたたち……」
カトリナの祈祷の日取り変更を申し出るため、聖務局へ立ち寄った帰りだった。人気の少ない回廊で、アネリアは声をかけられ足を止める。
そこにいたのは、同じ神殿に仕える巫女たちだった。カトリナが聖女となる以前から顔を合わせてきた仲間たちである。
一人はアネリアと同じ頃に神殿へ入った巫女であり、もう一人はそれより幾つか年若い巫女だった。
彼女たちもまた聖務の最中だったのだろう、巫女服の上から簡素な白い前掛けを身につけたままの姿を見て、アネリアは柔らかく微笑んだ。
「あなたたちこそ、病舎の奉仕の帰り? 精が出るわね」
「これくらい、アネリアの忙しさに比べたら大したことないわよ」
「そうですよ! それに今は、こうして巫女として働けるだけで幸せですから」
アネリアの言葉に、年若い巫女が朗らかに笑う。
「私たち、アネリアさんには感謝しているんです。今もこうして巫女でいられるのは、アネリアさんのおかげですから。あなたが先代聖女様を——あの『魔女』を、告発してくれたから」
続けられたその言葉に、アネリアは思わず口を閉ざした。
彼女たちは、先代聖女に——『魔女』に、不当に血を奪われた被害者の一人だった。
祈りの儀式のために幾度も血を捧げさせられ、一時は衰弱死の寸前にまで追い込まれた者たちである。
かつて敬愛した主人を悪く言われるのは、今でも胸が痛んだ。聖女という地位にいながら魔女に堕ちた彼女は神殿の汚点。もはやここでは名を呼ぶことすら禁忌とされている。いや、そうでなくても、彼女の名を親しんで呼ぼうという者はもうここにはいないだろう。
だが、彼女たちの苦しみも知っているからこそ、それを強く否定することもできない。アネリアは困ったように苦笑すると、小さく首を横に振った。
「違うわ。感謝するなら、カトリナ様の方よ。私はただ、あの方に言われた通りに証言しただけなのだから」
それは紛れもない事実だった。
たしかに、当時聖女付きの侍女であったアネリアの証言は、先代聖女を『魔女』として追及するうえで大きな意味を持っただろう。
けれど、カトリナが「聖女の力は魔に侵されている」と教えてくれなければ、アネリアが証言台に立つこともなかったはずだ。仲間たちがどれほど苦しんでいたとしても、もしかしたら今なお先代聖女を信じ続けていたかもしれない。
だから、その感謝を向けられるべきは、自分ではなくカトリナだ。アネリアは心からそう信じていた。
しかし、巫女たちは互いに顔を見合わせると、どこか言いづらそうに眉を下げた。
「それはそうだけど……」
「カトリナ様が、あの『魔女』を追い出してくださったことには感謝していますよ。でも……」
「それとこれとは別の話よ。正直、最近のカトリナ様って……」
そこで声を顰めると、巫女たちは堰を切ったように語り始めた。
気に入らないことがあればすぐに怒鳴り散らし、誰にも手がつけられなくなること。
本来なら聖女が担うべき祈祷や地方巡礼を、新人の巫女や神官へ押し付けること。
そのくせ、その新人たちが聖務で評価されれば露骨に不機嫌になり、冷たく当たること——。
どれもこれも、聖女としては、いや、人として褒められた振る舞いではなかった。
「アネリアだって、また祈祷の日取りを変えろとでも言われて来たんでしょう?」
「……よくわかったわね。聖務局でも、またかって顔をされてしまったわ」
アネリアが苦笑交じりに答えると、巫女たちはやはり、と言わんばかりに頷き合った。
「こんなこと言ったら不敬かもしれないけど……先代にしろカトリナ様にしろ、『聖女』なんて肩書きばかりですよね」
「だから最近は言われているじゃない——『偽りの聖女』って」
「……」
『偽りの聖女』。
それは近頃、カトリナへ向けられるようになった蔑称だった。
聖女らしからぬ振る舞いや、先代聖女との埋めがたい力の差。そうしたものが積み重なり、市井ではいつしか「カトリナは本当に聖女に相応しいのか」と囁かれるようになっていたのだ。
巫女たちは、さらに周囲を窺うように視線を巡らせ、続けた。
「ご祈祷を依頼しても何度も断られて。効果だって、正直……ねえ?」
「先代様と比べてしまうと……『魔女』とはいえ、あの方のお力は本物でしたから」
「祈るだけで病人を立ち上がらせるような『奇跡』を見てしまったら、カトリナ様が物足りなく見えるのも仕方ないわよね」
「聖力だけなら、むしろアネリアさんの方がずっと『聖女』らしいかも、なんて——」
巫女はそこで言葉を切った。
アネリアの表情が、わずかに険しくなったことに気づいたからだ。
「——そんなこと、言わないで。カトリナ様だって、努力なさってるわ」
穏やかな声音の中に静かな強さを滲ませて、アネリアは言った。
「たしかに、カトリナ様のお力は聖女のお務めに向いているとは言い難いわ。あの方だって、それはわかっている。……だからこそ、歯痒いのよ」
そう言ってアネリアは、少しだけ目を伏せた。
聖力とは、神より授けられる奇跡の力。その在り方は人によって異なる。
ある者は炎を操り、ある者は祈り一つで怪我を治す。
そのうち武勇に秀で聖剣に選ばれた者を『勇者』、人々を救う奇跡に秀でた者を『聖女』と人は呼んだ。
そう、『聖女』として民に求められるのは、たとえば『治癒』『結界』『豊穣』——人々の暮らしに寄り添い、護るための力だ。カトリナの聖力は、そのどれにも当てはまらない。
曲がりなりにも『聖女』として選ばれた者だ、カトリナとて、決してその聖力が低いわけでも、無価値なわけでもない。事実、彼女の聖力によって、神殿内の人事や采配が上手く回るようになったこともある。
だが、その能力が、民が『聖女』に求めるものではないこともまた事実。
だからこそ、カトリナは苦しみ、苛立っているのだろう。聖女として選ばれながら、聖女として望まれる奇跡を持たないことに。『偽りの聖女』と陰で嘲られていることに。
それでもカトリナは『聖女』として立ち、ここにいるのだ。アネリアはその意志を尊重したかった。これ以上責めないでやってほしかったのだ。
静かに語るアネリアに、巫女たちは気まずそうに顔を見合わせた。
「……ごめんなさい」
「私も……言い過ぎたわ」
「いいのよ。こちらこそ、ごめんなさいね。それに……私なんかが聖女だなんて。そんな器じゃないもの」
そしてアネリアもまた眉を下げ、柔らかく微笑んでそう答えた。
長年侍女を務めてきたからこそわかる。その地位にのしかかる多大な重責。あんなもの、自分には背負いきれない。だからこそ、それを背負って立つ主人たちを尊敬し、支えたいと思うのだ。
——しばらく雑談を交わした後、アネリアは巫女たちと別れた。まだ互いに聖務が残っている。
束の間の息抜きを終えた彼女が向かったのは、神殿の一角に設けられた温室だった。
白亜の神殿の裏手に建つ、小さなガラスの温室。
まるで小さな森を切り取ってきたかのようなその場所の扉を開けば、鼻をくすぐる薬草の香りが迎えてくれる。
アネリアは胸いっぱいにその香りを吸い込むと、ふっと頬を緩めた。
「……さあ、もうひと頑張りしないとね」
そう一人呟くと、アネリアは温室の手入れを開始した。
花々に水を与え、窓を開けて室内の温度を整える。最後に祈るように両手を組むと、若葉たちが光を宿したように淡く煌めいた。その様子に、アネリアは小さく笑う。
ここは、彼女だけの特別な場所だった。アネリアの聖力を知った先代聖女が、彼女のためだけに用意してくれた場所。
アネリアの聖力——それは、『自ら育てた草花に癒しの力を宿らせる』というものだ。
それは歴代聖女の奇跡のような力にも、病舎で働く治癒術師たちの力にも到底及ばない。巫女として見れば、決して華やかな能力ではなかった。
それでも先代聖女は、この力を見て目を輝かせたのだ。『素敵な力ね』そう言って、この温室を与えてくれた。『あなたの花を見ているだけで、心が安らぐもの』と、そう言って。
彼女が魔女として断罪された今となっても、この温室はアネリアにとって特別な場所だった。まだ先代聖女が魔に染まる前——誰よりも優しく、人々を愛していた頃を思い出させてくれるから。
その思い出を胸に、アネリアは変わらずここへ通い続けている。
育てた薬草をお茶にしてカトリナや巫女仲間へ振る舞い、『癒しの花』として売った代金を孤児院の運営資金へ回す。
そうしてここで育てた花々が誰かを笑顔にするたび、アネリアは嬉しかった。
あの頃の先代聖女は本当に優しいお人だったのだと、その記憶だけは嘘ではなかったのだと、そう信じられる気がしたから。
この温室にいる時だけは、誰に憚ることなく彼女を懐かしむことができた。
そうだ、この花が咲いたら、巫女たちの休憩室に飾ろう。彼女たちも日々の聖務で疲れている、少しでも心が和らげばいい。そんな願いを込めながら、アネリアは花々へ丁寧に水を与えた。
聖女なんて大層な存在でなくてもいい。私はただ、友達や仲間たちを、敬愛する主人を——手の届く場所にいる大切な人たちを、こうして癒やせればそれでいいのだ。
そう思った、その時だった。
カタリ。小さな物音が温室の入り口から聞こえた。
神殿の片隅にあるこの温室を訪れる者など、限られている。
友人である巫女たちは聖務で忙しく、カトリナがこんな場所に来るわけがない。
一体誰だろうと首を傾げながら、アネリアは外へ顔を覗かせた。
目を瞬く。
「……ディーン様?」
陽に輝く白髪と、深い青の瞳。その背に大剣を携えた男がそこにいた。
ディーン・マリウス・ヴァレンティス。
温室の前に立っていたのは、勇者ディーン、その男だった。




