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「聞いたか? あの道楽王子が死んだって話」
「ああ、高い塔から落ちたってやつか?」
「それがただの事故じゃないらしい。どうにもあの王子サマ、死ぬ前に神官や勇者様まで呼び寄せてたって話だぜ」
「ディーン様まで? なんのために」
「だから皆言ってるんだよ。あれは病でも事故でもない、『魔女の呪い』だって」
「ひええ、怖いねえ」
——語る内容は恐ろしく、だがその声色はどこまでも軽薄さを帯びている。
サンクティア王国、王都。
夜の帷が下り始めた街のあちこちで、人々は声を潜め、あるいは興奮気味に噂話を交わしていた。
今、王都で最も人々の関心を集めている話題。それは、第七王子ヴァレリーの不可解な死であった。
王国を統べる王族の死、それも不可解な点の残る怪死となれば、国民の興味も集まって当然だ。
その噂は瞬く間に王都中へ、いや王国全土へと広がった。ある者はその死の原因となった『魔女』の存在に怯え、またある者はそんな魔女から王族一人守れなかった神殿や勇者を嘲笑する。
国随一の繁華街では、日が落ちてもなお人々の声は絶えることがなかった。
——そんな街の様子を高みから見下ろし、苛立ちに奥歯を噛み締める影がひとつ。
「くそっ、忌々しい『魔女』め……!」
王都、大神殿、その執務室にて。
オーギュストは黒い宝玉を頂いた大杖を強く握り締め、険しい表情で窓の外を睨みつけた。
眼下では、本来なら神に祈りを捧げるべき民たちが、まるで見世物でも語るかのように噂話に興じている。
王家や神殿がどれだけ隠蔽を図っても、封じ切ることができなかったヴァレリーの怪異死の噂。
今や国をまたにかけ呪いを振り撒く『魔女』の存在は誰もが知るところとなり、その魔女を討ち逃し、あまつさえ王族まで死なせた神殿と勇者は格好の笑い種となっていた。
それだけならまだいい。
本当に神殿は民を守れるのか、神の加護を受けた勇者ですら魔女には太刀打ちできないのかと、信仰を疑う者もで出始める始末。長年かけて築いた威信も何もかも丸潰れだ。全く忌々しい。
「あの女のせいで王国は大混乱。さて、この責任はどう取るおつもりですか? ——ディーン」
苛立ちを隠そうともせず、オーギュストは振り返った。
その先には、聖剣を背にしたまま執務机の前に立つ勇者ディーンの姿がある。
オーギュストの冷徹な態度に、それでもディーンは動じることなく答える。
「責任……とは」
「そのままの意味ですよ。あなたはあの夜、何をしていたのです? ヴァレリーの私邸へ呼ばれた以上、彼を護るのがあなたの役目だったはずでしょう」
「命には背いておりません」
「何?」
「『処刑場の死霊を討て』との命令でしたので」
「何を……優先すべきは王族の御身でしょう!?」
「『処刑場の死霊を討て』との命令でしたので」
「……っ! ちっ、融通の聞かない……!」
オーギュストの叱責に、ディーンはただ同じ言葉を繰り返す。
青い瞳は微塵も揺らぐことはなく、そこには後悔も自責も、弁明すら感じられなかった。
それは反論でも、まして反逆でもない。
彼にとってはそれは、ただ事実を述べているだけだ。与えられた命令に従い、勇者としての責務を果たした。それだけのこと。
オーギュストもまた、それを理解していた。だからこそ、それ以上追及するのをやめ、小さく舌打ちを漏らす。胸の内に渦巻く苛立ちを押し込めるように、わざとらしく深く息を吐いた。
「——まあいい。何であれ、王族を魔の手から守れなかったという事実は、神殿にとってこれ以上ない失態です」
オーギュストはそう言うと、大杖を軽く床へと突いた。
「次こそ必ず、あの『魔女』を討ちなさい——勇者よ」
と、大杖の先端に嵌め込まれた漆黒の宝玉が鈍く光る。
そして、靄のような黒い影がじわと室内へ滲み出し、静かにディーンの足元を這った。
それに侵食されるかのように、ディーンの温度のない青い瞳が、さらに深く色を曇らせる。
「……了解」
ディーンは、感情の欠片もない声でそう答えると、踵を返し静かに執務室を後にした。
扉が閉まる。
残された部屋には、オーギュストが一人、黒い靄に包まれ立っている。
その口元には薄く、冷たい微笑みを浮かべながら。
***
白亜の外壁が月光を弾く大神殿。
それを見下ろす丘の上に、ルナは静かに佇んでいた。足元では黒猫が名もない野花と戯れ、夜風が彼女の長い黒髪をさらりと揺らしていく。
小さな唇は子守唄のように愛を囁き、細い指先で白い野花を摘み取る。ふうっと息を吹き掛ければ、花弁は風に乗り夜の街へと降り注いで行った。
「——そう。今度の踊り手は、あなたなのね」
夜風に舞う花々に包まれて、ルナは静かに声を落とした。
白い花弁がルナに見せるのは、ただひたむきに祈る一人の巫女の姿だ。
仲間のため、敬愛する主のため。そして何より、自分のために。
捧げた祈りが芽吹いた先に待つものは、果たして彼女の望むものなのか——
「……いいわ。血を捧げるのなら、それに応えるのが私の在り方だもの」
ルナはそう言うと、ふと目を閉じ、そして再びゆっくりと瞼を持ち上げた。
そして夜風と踊るように足を滑らせ、唄うように愛を紡いだ。
「ああ、愛してる。愛してる。愛してる——あなたのひたむきさも、無垢さも、忠誠も。だからこそ簡単に壊れてしまう、その脆さも」
黒髪が揺れる。ドレスの裾が夜風を孕む。合わせるように、黒猫もまたゆるりと尾を振った。
優しく、けれど狂おしく。全てを慈しむようにルナは囁く。
「そして、」
そこでルナは、もう一度パチリと目を見開いた。
月光を映す美しい相貌に、深く、深く笑みが広がる。
「もうすぐ、もうすぐよ。やっとあなたに手が届く——オーギュスト」
恍惚とした吐息とともに、彼女はその名を呼んだ。
囁くようなその声は夜風に溶けて誰の耳にも届かない。
ルナはただ静かに、白亜の大神殿を見つめていた。
まるでその姿を、決して逃がすまいとするかのように。




