12
ヴァレリー・ルイ・フィリップ・サンクティアは、国王と、その愛妾の間に生まれたこの国の第七王子である。
高貴な血筋を表す紫の髪と瞳、整った相貌。母寵姫と瓜二つの顔立ちを持つ彼は、老境に差しかかってから授かった子であったことも相まって、父王に殊のほか甘やかされて育った。加えて、王位継承権も末席に近いことから、他の王族たちから警戒されることも薄く、彼は幼い頃から周りにただただ持て囃されて生きてきた。
父母の過剰な愛にさらに拍車がかかったのは、ヴァレリーがまだ少年の年頃のことだった。
彼はある日、原因不明の病に倒れ、何日も生死の境を彷徨った。
医者に診せても高熱は下がらず、神官に祈祷させても回復の見込みはない。
このまま続けば命も危ういだろうと宣告まで受け、父王も母も取り乱し、彼を助けるために奔走した。
息子が助かるのならどんな褒賞も出そう、どんな要求も飲もう——そうして駆け回った甲斐あってか、果たしてヴァレリーは生還を果たす。
一度は途切れてしまうかと思った息子の人生を取り戻した喜びはひとしおで、彼らはさらに過度な愛をヴァレリーに注ぐようになったのだ。
その愛に比例するように、ヴァレリーの独善的な性格もますます悪化していった。
欲しいと言ったものが手に入らなければ気が済まず、いらぬと言ったものが目の前から排除されなければ癇癪のように暴れまわった。
「自由に遊べる土地が欲しい」と、領地をねだりその中に己の城まで作らせた。ことあるごとに宴を開いては贅の限りを尽くし、余興だと言っては国内外から楽団や劇団を呼び寄せ『友人』たちとともに享楽に耽った。
気に入らぬ者がいれば私邸に築いた処刑台で『見世物』にしてしまえばいい。この余興は彼の友人たちにも好評だった。調子に乗った彼は、自分の気分を害する者がいればすぐにその場に立たせた。
逆らった使用人。機嫌を損ねた娼婦。命令に従わなかった領民。聖女と崇められていた女すら、気に入らなければ裏から手を回し処分した。
当然の権利だと思っていた。自分にはそれをしていい理由がある。それを許される土台がある。
全て、自分に従わぬ者の方が悪いのだ。自分だって悪魔ではない、ただ黙って頭を垂れていれば慈悲の心をくれてやるものを。身分知らずにも王族に反抗する方が悪いのだ。そう信じて疑わなかった。
彼にとって世界とは、自分の機嫌を損ねぬために整えられるものであり、彼にとって人生とは、どこにも曇りのない輝きに満ちたものであった。
「——だから何度も言っているだろう! 次の宴にはまた踊り子を呼べ! 異国の者だ、いいな!?」
——領内、ヴァレリー私邸、私室。
悪趣味なほどに贅を尽くした調度品が並ぶ部屋の奥、一人掛けの椅子へ深く身を沈めたヴァレリーは、眼前で怯えるように立つフリッツへ怒声を浴びせていた。
高圧的に睨み据えられ、フリッツは全身に脂汗を滲ませながら答える。
「い、異国の芸人など、そう簡単に見つかるものでは……。ま、まだ宴の日取りも決まっておりませんし……そ、それに。館は今なお混乱の最中です。有能な文官を失ったばかりで……」
しどろもどろに言葉を繋ぐフリッツに、ヴァレリーはカッと目を見開いた。
「なんだ、貴様。貴様まで、この俺のやることに口を挟むつもりか!?」
「め、滅相もございません……!」
顔色を失い慌てて首を振るフリッツへ、ヴァレリーは地を這うような低い声を落とした。
苛立ちを隠そうともしないその様子に、フリッツの肩がびくりと震える。
ここ最近、ヴァレリーはずっと苛立っていた。あの蒼天の下での断罪劇以来、ずっとだ。
己に楯突いた不届き者は処分した。それも二人も。
にもかかわらず、胸の内は一向に晴れない。空へ抜けるように響いた拍手の音が、今なお耳の奥にこびりついて離れなかった。
これまで共に処刑を愉しんでいた『友人』たちも、あの日を境にどこかヴァレリーと距離を置くようになっていた。
無論、露骨に敵対するわけではない。仲違いしたわけでもない。
ただ、『見世物』の話題を出すたび、彼らはどこか遠くを見つめるような目をするのだ。あの日、無心に拍手を送り続けていた時と同じ、魂でも抜け落ちたような表情。
そして決まって、「ああいうのはもういい。宴なら、また呼んでくれ」とだけ口にした。
なぜ、なぜ、なぜ。ヴァレリーは胸中で何度も毒づいた。
あれほど見事な断罪劇だったというのに。己に逆らった愚か者が辿る末路を、その目に見せつけてやったというのに。なぜ誰も歓喜しない。どうして誰も称えぬのか。
あの魔女の舞いのせいか? 異国の妖しげな術で、あの場にいた者どもを誑かしたとでもいうのか。死してなお癪に障る女だ。思い返すだけで腹の底が煮え返る。
この俺様をここまで愚弄した女は、人生でたった二人しかいない。そしてそのどちらも、最期にはこの俺が、自らの手で美しく飾り立てて散らせてやった。そのはずなのに——
脳裏をよぎる女の顔に、ヴァレリーはぎり、と奥歯を噛み締めた。苛立ち紛れに指を鋭く鳴らす。
——わからせねばならない。もう一度、異国の踊り子をあの場へ立たせ、今度こそ、自分が満足するまで踊らせてやらねば。
だというのに——友人たちは誰一人その話に乗ろうとせず、フリッツに至っては宴の開催そのものを渋る始末だ。
気に食わない。いっそこの男の首も刎ねてしまおうか。
そんな考えを抱きながら、ヴァレリーは手先だけでフリッツを下がらせた。
そして再び椅子へ深く身を沈め、重々しいため息を吐き出す。
上等な酒を浴びるように飲んでも、寝所へ女を侍らせても、少しも気は晴れなかった。耳の奥では、あの拍手が今なお鳴り続けている。苛立ちに任せ、足を乱暴に鳴らした。
もはや踊り子でなくとも構わぬ。誰でもいい。あの高台から突き落としてしまえば、この胸の内も多少は晴れるだろうか。
酒杯を傾けながら、ヴァレリーはぼんやりと思案する。
私室の窓の向こうでは、いつの間にか月が空へ顔を覗かせていた。
*
——その夜、夢を見た。
星のない夜だった。月明かりだけが白々と照らす処刑場に、自分ひとりだけが立っている。
幾人もの女を断罪してきたあの高台の上で、なぜか自分が踊り狂っていた。
何かに追い立てられるように必死に上体を捻り、足を跳ね、軽やかに舞う。だが、その表情だけは硬く凍りついている。
恐怖に駆られたように顔を青ざめさせ、脂汗を流し、浅い呼吸を繰り返す。陽気な音楽もなければ、歓声もない。観客の姿すらどこにもない。それでも身体だけは止まらなかった。
震える視線が何かを探すように彷徨う。
自分ひとりだけの舞台。
なのに、どこからともなく拍手の音だけが鳴り響いていた。
その時だった。
びくり、と身体が強張る。冷たい何かが、自分の足首を掴んだのだ。
舞いを止め、ヴァレリーは震える目で足元を見下ろす。
そこにあったのは、細い褐色の腕だった。
ぞわりと背が粟立つ。処刑台の縁へしがみつくようにして、女が這い上がってきた。
長い黒髪に隠れ、その表情は見えない。
だが——その口元だけが、ニタリと笑ってヴァレリーを見上げていた。
*
「————うわあああっ!?」
叫び声と共に目が覚めた。
清潔なシーツの上で飛び起きる。見慣れた寝室にはすでに朝の日差しが差し込んでいた。
「……ゆ、夢……?」
掠れた声で呟く。窓から鳥の囀りが聞こえ、直後、胸の内に怒りが噴き上がる。
「くそ……あの女、夢の中にまで現れて、この俺を不快にさせるとは……!」
拳で乱暴に寝台を叩きつける。吐き捨てるように舌打ちを漏らしながら、ヴァレリーは荒い息を吐いた。
震える声にはたしかに怒りが滲ませながら——だけど同時に、どこか安堵したように息をついた。
強く握り締めた拳には、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
翌日、また夢を見た。
処刑台の上で踊り狂う自分を、月だけが見つめている。拍手の音が聞こえる。また足を引かれる。高台の縁から女が顔を出す。何か囁いた気がした。また叫んで飛び起きた。
翌日もまた夢を見た。
月が見ている。自分は踊る。ぎこちなく、無様に身体を揺らし続ける。硬い動きにそれでも拍手は止まない。拍手は止まない。
また夢を見た。
その日の自分は笑っていた。笑いながら、泣いていた。ボロボロと涙を零しながら、何かを喚いている。けれど何を口にしているのか、自分でもわからない。それでも踊っていた。踊っていた。
翌日も、翌日も、翌日も。何度も同じ夢を見た。
ある日は背後に、処刑人が立っていることに気づいた。大剣を携えたその姿は、あの踊り子だった。また叫びながら飛び起きた。
ある日は踊り子が自分と共に舞っていた。狭い処刑台の上で二人、落ちてしまうと理性が叫んでも、夢の中の自分たちは耳を貸さない。目が覚めても叫ばなくなった。またか、とただ思うだけだった。
毎日、毎日、毎日。何度も何度も夢を見た。
月の照らす処刑場で、今日もヴァレリーは踊る。踊る、踊る、踊る。
もうすでに気が狂いそうだった。鏡に映る自分が日に日にやつれていくのがわかる。拍手の音は、夜を重ねるごとに大きくなっていった。
踊り子の表情は相変わらず見えない。ただ、その唇に、あの憎たらしい笑みを浮かべていることだけははっきりとわかった。
数日続いた。げっそりと痩せたヴァレリーは、ようやく気づいた。——何かがおかしい、と。
ふと、以前神殿から届いた通達を思い出した。
この国の各地で続いている怪死事件——主に権力者ばかりが狙われているそれは、民の間で「魔女の呪いではないか」とまことしやかに囁かれているらしい。
実際、魔女の操る死霊を勇者が討ち払った例もいくつか報告されており、貴族や王族など、国の中枢にいる者たちへ警戒を促す報せが出されていた。
まさか。まさか、まさか、まさか——これが、『呪い』だというのか? 魔女の——あの、踊り子の。
自らが魔女として断罪したあの女が、この自分を、殺そうとしているのか?
ぞっとした。一度そう思い至ってしまえば、もはやそれ以外には考えられなかった。
毎夜あの踊り子の夢を見るのも。あの日以来、胸の内にまとわりつく不快感も。
すべて、すべてあの女の呪いなのだ。この俺を殺すための。自分と同じように、あの処刑台から叩き落とすための。
この俺を。この——俺様を。
ヴァレリーの顔から血の気が引いた。
握り締めた拳は震え、そのまま衝動的に机へ叩きつけられる。怒りと恐怖で頭が焼き切れそうだった。
怒りの衝動のまま、ヴァレリーは叫んだ。
「神官を呼べ! ありったけだ! 祈祷をさせろ!」
「城の警備兵を増やせ! 特に俺の寝所だ! いいな、誰一人通すなよ!」
鬼気迫る声で従者たちへ命じる。
尋常ならざるその様子に、従者たちはすぐに動き出した。
翌日には領内中の神官が集められ、呪いを祓う祈祷が昼夜問わず執り行われた。
屋敷には普段の何倍もの兵が配置され、ヴァレリーの周囲には常に護衛が張りつく。
だが、それでも夢は終わらなかった。むしろ日に日に濃く、鮮明になっていく。
彼らの尽力も虚しく、ヴァレリーはみるみる痩せ衰えていった。夜が近づくたび半狂乱になった。
「ありえぬ、ありえぬ、ありえぬ……! この俺が、魔女などに呪い殺されるというのか!? あんな、あんな踊り子風情に……! 異国の下民ごときに、この、高貴なる俺様が……!」
鏡に映るやつれ果てた自分を見つめながら、ヴァレリーは戦慄いた。
今まで何もかも、誰も彼も、自分の思う通りにしてきた。自分に叶えられぬものなど、この世には存在しない。自分に退けられぬものなど、一つとしてないはずだったのに。
なのに今、自ら踏み潰したはずの下民に命を脅かされている。
それはヴァレリーにとって、耐え難い屈辱だった。そして何より、どうしようもなく恐ろしいことであった。
厳重に守られた私室の中で、ヴァレリーは一人叫ぶ。
「この俺の命が、ここで潰えるというのか……? ……嫌だ。そんなものは、嫌だァァァァァ!!」
絶叫が夜闇に響いた。
頭を抱え、そのまま床へ崩れ落ちる。
両腕に隠れた表情。その奥で——
——にたり。
ヴァレリーはその口元を歪め、呟いた。
「……なあんてな」




