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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第五章 祈らぬ舞い子は朝に笑む

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 丘の上に築かれたその屋敷は、ヴァレリーが領内につくらせた私邸であった。

 父王にねだり、莫大な金と人手を注ぎ込んで築かせたそれは、館というよりもはや城だ。白亜の外壁は陽光を照り返し、重厚な城門には王家の紋章が刻まれている。

 豪奢な庭園、贅を尽くした大広間——その全てが、王子の享楽のためだけに存在している。この地の領主館など比べものにならない、まるで小さな王城だった。


 だが、この城が最も異様なのは、その奥にあった。

 広大な敷地の一角、外壁に囲まれ外からは一切見えないその場所に、不自然なほど開けた空間が広がっている。

 そこは、処刑場だった。

 街中の広場ほどの広さを持つその場所は、一面真白な石畳が敷き詰められている。その一番奥に高く築かれているのは、禍々しい処刑台だ。

 ヴァレリーは、自分が気に入らぬ者が現れるたび、この場所へ引き立てさせた。神殿や衛兵を使って罪をでっち上げ、そうして処刑される者を、舞台芝居でも眺めるように見上げるのだ。彼が『友人』と呼ぶ者たちを呼んで。彼が好む、宴のように。


「——お聞きになって? ヴァレリー殿下に仇なした魔女が現れたのですって」

「ああ、なんでも、神に抗うなどと言い放ったとか。なんと恐ろしい」

「ですがご安心なさって。その不届きな魔女は、殿下自ら処刑なさるそうよ」

「さすがは殿下。この国からまた一人、神に背く者が消えるのだな」


 クスクス、クスクス。

 処刑場にはすでに、多くの貴族や権力者たちが集まり、“魔女”について語り合っていた。昨夜、領主館の宴に顔を出していた者たちの姿もある。誰もが観劇に赴くかのように華やかに着飾り、酒宴の席で噂話でも交わすように愉しげな笑みを浮かべていた。

 その光景を前にして、ヨハンは背筋を這い上がるような悪寒を覚える。

 なんと忌まわしい光景だろう。

 魔女だと糾弾されるサロメアよりも、それを娯楽のように眺めようとしている彼らの方が、よほどおぞましく思えた。


 ヨハンもまた、あの後すぐに衛兵たちに捕らえられていた。

 囚われたサロメアを助けようと飛び出したのだ。それに、たとえそうでなかったとしても、彼女を館から逃がそうとした時点で、自分もまた魔女に与した者として捕縛される運命だったのだろう。

 縄で縛られたまま連行された先は、ヴァレリーの私邸だった。そこでヨハンは、この異様な処刑場の片隅へ、荷物のように乱雑に放り捨てられた。

 最初は、ここが何のための場所なのかわからなかった。だが、集まった貴族たちの会話と、中央に高々と組み上げられた木造の台を目にした瞬間、全てを悟った。


「よくぞ集まった、諸君」


 その時だった。

 尊大な声が、処刑場に響いた。ヴァレリーだ。

 彼は処刑台の前へ悠然と進み出ると、満足げに観客たちを見回し、傲然と言い放った。


「ここに集った者だけに、特別な見世物を許そう。この俺に牙を剥いた愚かな魔女が、いかなる末路を辿るのか——その目に焼き付けるがいい」


 その言葉と同時に、一人の女が兵士たちに連れられてきた。

 サロメアだ。

 彼女が普段から身につけている華やかな衣服は剥ぎ取られ、粗末な囚人服を着せられていた。両腕は体の前でまとめられ、木製の手枷によって厳しく拘束されていた。俯いた顔は影に隠れ、表情までは見えない。

 “魔女”の登場に、観客たちがどっと沸いた。


「サロ……ぐぁっ!」

「罪人風情が、殿下のお言葉を遮るな」


 思わず叫んだヨハンの頭を、衛兵が乱暴に踏みつけた。地面へ顔を押し付けられ、かけていた眼鏡が歪む。それでもヨハンは、必死に視線だけを上げた。

 サロメアは兵士に背を押されるようにして、処刑台へと登らされていた。見上げるほど高い台だ。

 その背後には、処刑人なのだろう、先端の丸められた大剣を携えた男が控えている。陽光を受けて鈍く光る刃をこれ見よがしに掲げながら、男は口元を歪めていた。

 男だけではない。

 クスクス、クスクス、と。

 まるで流行りの芝居を待ちわびるように、『観客』たちもまた愉しげに笑みを交わしている。昨夜も見た光景だ。だが、そこに漂う熱はまるで別物だった。期待。興奮。残酷な愉悦。その異様な空気に、ヨハンはただただ怖気を覚える。処刑台に黒ずんだ染みを見つけた。一体ここで、どれだけの者がサロメアと同じ目にあったのか。想像するだけで吐き気がした。


 ——こんなおぞましい場所が領内に存在していたなんて。

 何年も暮らしてきたこの街に、忠誠を誓ってきた主の私邸に。こんな悪夢のような場所が、ずっと……


 そこでヨハンは、『観客』の中に今朝領主館へ押しかけてきた異端審問官の姿を見つけた。白い装束を纏った老人もまた、愉悦を浮かべながら処刑台を見上げていた。

 ヨハンの中で、何かが音を立てて崩れ落ちた。


「踊り子——いや、魔女よ」


 ヴァレリーは芝居がかった仕草で両腕を広げると、愉悦を滲ませた声音で告げた。


「見世物になるくらいなら死んだ方がましだと貴様は言ったな。ならばその望み通り、貴様の死に様まで余さず見世物として飾り立ててやろう。——そこで、死ぬまで踊るがいい!」


 高らかな宣告が、広場中へ響き渡る。同時に、観客たちから歓声が上がった。ヨハンは絶句する。

 ——踊る? あんな場所で?

 処刑台は見上げるほど高く、足場も狭い。下は硬い石畳だ。ほんの少しでも足を踏み外せば、それだけで命を落としかねない。

 背筋を、ぞわりと冷たいものが這った。


「……」


 サロメアは何も答えなかった。ただ静かに俯き、自らの足元を見つめている。

 そこにあるのは恐怖か、憎悪か、諦観か。

 ヨハンにはわからなかった。ただ、一人でただ立ち尽くす彼女のそばにいられない自分が腹立たしかった。


「ほら、どうした。ああ、誰かの機嫌をとるくらいなら死んだ方がましなのだったか? この俺様の機嫌を取らねば、そこから落とされてしまうかもしれぬぞ?」


 言いながら、ヴァレリーは喉を鳴らして笑った。

 背後には、大剣を構えた処刑人。ヴァレリーが命じさえすれば、男はいつでも剣を振り下ろせる。あるいは背後から突き飛ばし、その身を石畳へ叩き落とすこともできるだろう。

 恐怖に怯え、命乞いでもするように踊るサロメアを見世物にしようとしているのだ。

 観客たちもまた、その悪趣味な余興に熱狂していた。

 歓声は止まない。口笛を吹く者、野次を飛ばす者、酒杯を掲げながら笑う者までいる。ここが処刑場だと言われなければ、狂った祝祭の場にしか見えなかった。


 誰もがサロメアが恐怖に踊り狂うのを待っていた。あまりの光景に虫唾が走る。

 助けようにも、身体は兵に押さえつけられ、指一本動かせない。

 ただこの場で、彼女の処刑を待つことしかできなかった。彼女が辱められ、嗤われ、見世物として消費されていくのを、この場から見ていることしか。

 絶望が全身を犯した。叫び出したい気分だった。一番泣き叫びたいのは、きっとサロメアだろうに。

 怒りで気が狂いそうだった。歓声は止まない。品性も理性も投げ捨てたように囃し立てる観客たちに、ようやくサロメアは顔を上げた。

 息を呑んだ。


 その唇には、どこまでも穏やかな微笑みが浮かんでいた。


 処刑場が、一瞬の静寂に包まれた。

 恐怖に怯えているはずだった娘が、誰よりも美しく笑ったからだ。

 異様な空気がまた喧騒に包まれる前に、サロメアは一歩踏み出した。

 そしてそのまま、舞を踊り始める。


 片足を滑らせるように前へ出し、細い身体を翻す。

 手枷をされたままの両腕を祈るように天に掲げ、上体を下げたと思えば今度は大きく飛び跳ねた。

 そのままくるりと体を捻り、高く脚を上げる。

 囚人服の裾がふわりと揺れ、陽光を浴びた褐色の肌がちらりと覗いた。

 かたん、と木枷が鳴った。

 風がさざめき、木々を揺らす。

 鳥の声、羽の音。誰かの呼吸音すら彼女の舞いを彩る音楽だった。


 繋がれた両手を胸元へ抱くように寄せ旋回する。爪先が板を叩くたび、軽やかな音が響いた。

 自由にならない手首のまま、それでも彼女は舞った。

 その枷すら舞いを彩る華であった。風が吹き抜ける。長い黒髪が空へ舞い上がった。


 サロメアは笑っていた。

 弾けるような笑顔で飛び跳ねたかと思えば、静かに微笑み光を纏った。

 狭い足場だというのに、その動きには一切の淀みがない。

 背後の刃も、足元の石畳も、何も見えていないかのようだった。

 踊る。踊る。踊る。

 処刑台の端すれすれで身を翻す。鳥のように軽やかに、風へ乗るように足場を蹴り、再び中央へ舞い戻る。

 薄汚れた囚人服。罪人の証である手枷。それなのに彼女は、この場の誰よりも自由だった。この場で最も美しい存在だった。

 

 気づけば下卑た歓声や嘲笑は消え、誰もがその舞いに目を奪われていた。

 これは処刑のはずだ。罪人を嘲り、怯える姿を楽しむための舞台だったはずだ。

 なのに。

 誰もが息を殺し、その舞いに見入っていた。

 野次を飛ばしていた大商人の男が。扇子の下で嘲笑をこぼしていた貴族夫人が。ただただ目を見開き、サロメアの舞に魅入っていた。

 誇り高く舞い続ける、ただの、一人の踊り子に。


 やがてサロメアは、観衆の一番奥に兵士たちに押さえつけられたヨハンを見つけると、今までで一番美しい笑みを浮かべた。

 「、サロ……——」零れた声が、果たして言葉になっていたか、ヨハンにもわからない。

 だけどきっとサロメアには届いたのだろう。

 彼女はそっと目を伏せ、小さく頷くような仕草を見せると——次の瞬間、自ら処刑台より飛び降りた。

 袖から舞台へ踊り出すように。狭い鳥籠から飛び立つように。


 ——衝突音。

 硬い石畳へ叩きつけられる音を、誰もが聞いた。

 だけども誰一人、声を上げることはできなかった。

 息をすることすら忘れたような静寂の中、ただ一つ、青空の中を舞う踊り子の姿だけが、瞼の裏に焼き付いて離れなかった。


 ——ぱち。

 不意に、乾いた音が鳴った。手を鳴らす音だった。

 ——ぱち、ぱち。

 その音に連動するように、他の誰かもまた手を叩いた。

 まばらだったそれは次第に音を増し、やがて割れんばかりの拍手となって処刑場を包み込んだ。

 

 手を叩く者たちは皆どこか呆けたような顔をしていた。

 魂を奪われたかのようにただ茫然と処刑台を見上げ、拍手を捧げる。

 抜けるような青空に、喝采だけが響いていた。

 血の匂いが漂う。それでも拍手はやまなかった。

 石畳を赤く染める血溜まりの上を、白い鳥が渡って行った。

 拍手は、鳴り止まなかった。

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