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「——イルマおばさん!」
足繁く通ったいつもの場所に、いつもとは違った足取りで向かう。
何度もくぐった戸口の前には、村人たちが幾人も集まっていた。それを気にも留めず、クラリスは寝室へと足を進めた。
イルマが発熱し倒れたらしい。
その報せが入ったのは、クラリスが薬草摘みから帰った時のことだった。数日前から体調が悪そうだったが、ついに今日の朝発熱し、起き上がることもできないと。
クラリスは摘んだ薬草を仕舞いもせず、イルマの家へと駆け出していた。
室内に入ると、すぐに異変がわかった。
寝台に横たわるイルマは、顔を真っ赤に染め、額には汗が滲んでいる。呼吸は浅く、触れた額は思わず手を引きたくなるほど熱かった。
「ッなんてひどい熱……!」
指先を焼くような熱さに狼狽える。
冬は死の季節だ。毎年、何人もの村人が病を拗らせて亡くなっている。ギルもそうだ。
だからこそ、クラリスはイルマがそうなってしまわないように、定期的に薬草を渡していた。イルマだって、それを受け取り、常飲してくれていたはずだ。
(それなのに、こんなにも重い病にかかってしまうものなの?)
つい先日だって、クラリスはイルマにいつも通り薬を渡していた。
胸の奥に、冷たいものが走る。
(……ちゃんと、飲んでいたのに?)
一瞬だけ、考えてはいけない疑念が浮かび、すぐに振り払う。
イルマは「飲んでいる」と言っていた。それでも病にかかるときはかかるのだ。自分にできることは、それをどこまで回復させられるかだ。
「イルマおばさん、体調はどう? どこが痛いとか、苦しいとか、ありますか?」
そう訪ねるクラリスに、イルマは苦しげに目線を向けた。
そんな彼女らに、野次馬たちの声が突き刺さる。
「……熱が高すぎるって」
「あの子の薬を飲んでいたのに?」
「まさか……疫病なんじゃないか?」
ひそめるような声が、木造の隙間をぬって二人の耳に届いた。室内の空気が一段冷える。
疫病、の言葉に、二人揃って息を詰めた。その言葉は、誰にとってもまだ記憶に新しい地獄だった。
途端、イルマは熱に潤んだ瞳を大きく歪め、縋るようにクラリスに声をかけた。
「クラ、リス……」
「っ! どうしたの、イルマおばさん。どこか痛むの?」
彼女の少しの変化も逃してなるものかと、クラリスはイルマの様子に耳を傾ける。
その距離すら今のイルマには心許ないかのように、彼女は必死に声を絞り出した。
「くす、り……薬を、ちょうだい……。一番、よく効くやつを……!」
「っ、きゃ!?」
そう言いながらイルマは、掴みかかるようにクラリスへ手を伸ばし、彼女の袖を掴んだ。
掴まれた腕が熱く、痛い。クラリスは思わず悲鳴を上げた。
「おねが、……くすり、薬を……!」
「わ、わかった! 大丈夫だから、落ち着いて……!」
イルマの鬼気迫るその様子に、クラリスはほんの一瞬怖気づく。
普段から穏やかで人のいい彼女が、こんなにも取り乱すのを見るのは初めてだった。
「わかりました、効き目の強い薬を用意します。でも、ひとつだけ確認させて。……いつも渡している薬草、ちゃんと飲んでますよね?」
その瞬間、イルマの呼吸が揺れた。そしてすぐに、肯定の言葉が返ってくる。
「え、ええ……もちろん……」
「……」
「飲んでるわよ。ちゃんと……」
言葉は肯定しているのに、声音はどこか弱々しい。
それをクラリスはどう受け取るべきなのか心から悩んだ。クラリスがイルマに渡している薬草は、かつてこの村を訪れた薬師に教わったとっておきのものだった。飲めば飲むほど効力が増すというそれを、常飲していたというのなら同じものを更に飲ませるのが一番いい。
だけど——
(——いや、疑うのはやめよう。イルマおばさん本人が、そう言っているのだから……)
クラリスは自分に言い聞かせるように軽く首を振ると、イルマに断って薬草小屋へと戻った。
薬籠を開き、棚から薬草を選ぶ。それを鍋に入れ、水を注ぐ。火にかけると、ほどなくして独特の苦い香りが立ち上った。
(今度こそ……)
煎じながら、祈るように鍋を見つめる。
この薬が、イルマを救ってくれるように。
もう誰ひとり、この村で燃えることがないように——
*
クラリスの薬が効いたのか、イルマは束の間の小康を得た。
全身を覆う異様な熱気は引き、荒れていた呼吸はゆっくりと落ち着いた。
寝息が規則正しくなっていくのを確かめてから、クラリスも、イルマを看病していた他の村人も彼女の家を後にした。
その日のうちに、イルマは息を引き取った。
*
イルマの弔いは、極めて簡素に行われた。
粗い麻袋に遺体は包まれ、村はずれの墓地に埋められる。
冬で土が凍り、墓を掘るのも困難で、村人たちは弔いの気持ちよりもどこか早く終わらせることを優先しているように見えた。
クラリスもまた、村人たちに混ざって葬送の手伝いをする。
とはいえ目の見えない彼女にできることは少なく、あれよあれよという間に弔いは進み、彼女のために祈ることすら、気づけばほとんどないまま終わってしまった。
互いを窺うように目線を交わし、散っていく村人たち。ひとり残ったクラリスが足を向けたのは、自宅でも薬草小屋でもなく、イルマの家だった。
家主を亡くしたばかりの小さな家屋は、いつもよりがらんと冷たく感じられた。
(……本当に、死んでしまったんだ)
報せを受けて駆けつけた時、握った手のひらがもう冷たくなっていたことを思い出す。
物静かな声も、おずおずと紡がれる言葉も、ためらうように開かれる扉も。
もう感じとることはできない。
「……どうして」
声にならない言葉が、喉の奥で潰れる。薬が効いたように見えたのは錯覚だったのか。それとも——
クラリスは、イルマの痕跡を辿るように、細い指先で部屋の輪郭をなぞった。
使い込まれた机。雑多にものの置かれた棚。
イルマの生きたしるしが、静かにそこにあった。
そのうち、指先が冷たい何かに触れた。薬瓶だ。
そういえば、数日前に渡したものをまだ回収していなかったと思い出す。普段から飲んでいたのなら、中の薬はすっかりなくなっているはずだ。
そう思い、両手で瓶を持ち上げ、
「——え?」
その重さに愕然とする。渡した時と全く同じ重さだったからだ。
クラリスは一瞬の迷いのあと、恐る恐る瓶の蓋を開けた。
ツンと鼻を刺激する苦い薬草の匂い。目は見えない。クラリスの瞳がとらえるのは終わりのない闇だけだ。
だけどそのうつろな視線の先には、瓶いっぱいに薬が詰まっているのを、クラリスは見えずとも察していた。




