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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第一章 盲目少女は闇と燃える

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 冬が近づき、クラリスはさらに仕事に精を出していた。村で軽い怪我が病気が増え始めたからだ。

 季節の変わり目の体調不良から、手のあかぎれ、子供の転んだ擦り傷まで。村人たちの小さな変化を見るより早く感じ取れるクラリスは、以前にも増して村をまわり、薬を配り続けた。

 貧しい村の冬では、小さな怪我や風邪ですら簡単に人の命を奪う要因となる。それを知ってもなお、クラリスの薬を受け取ってくれる村人は一握りだったけれど。


 そんな彼女とこの村に、転機が訪れた。

 ギルが亡くなったのだ。


 かつて村を襲った疫病のような、高熱を伴う病だった。

 治らない咳、微熱が数日続いた頃からクラリスは何度も薬を届けに行ったが、彼は最後までそれを拒否し続けた。

 熱を帯びた真っ赤な顔で、咳に枯れた喉で、最期の瞬間までクラリスを忌避し、クラリスの薬を真っ向から拒絶し受け取らなかった。


「帰れ、魔女め! 貴様の薬を飲むくらいならワシは——っゴホッゴホッ」


 日々の不摂生がたたったのか、貧しい村の寒さに負けたのか、それともクラリスを拒否したからか——吐く息に白が混じり始めたある朝、止まらない咳と高熱にうなされ、彼は還らぬ人となった。



「……ギルおじさん、死んじゃったんだって」


 ギルが死んだ翌日、クラリスはいつものようにイルマの家を訪れ、そう溢した。

 イルマもまたいつものように、彼女を受け入れ、悲しげにうつむくクラリスに気遣わしげに言葉を返した。


「……ええ。私のところにも知らせが来たわ」

「私、昨日もギルおじさんに薬を持って行ったの。断られちゃったけど……」

「それは……つらかったわね」

「うん……でも、あの時、もっと……無理にでも飲ませるべきだったのかな、って」


 噛み締めるようにこぼした言葉に、イルマは眉を下げる。強い後悔を滲ませたまま、クラリスは続けた。


「だって、薬を飲んでたら……生きてたかもしれないでしょう?」


 クラリスのその言葉に、イルマは思わず息を呑んだ。受け取った薬瓶を胸元で抱きしめる。クラリスがイルマのために煎じた薬がいっぱいに入ったその瓶が、なぜか今更重く感じた。

 うつろな瞳でイルマを見上げるクラリスに、イルマはこう答えるしかできなかった。


「クラリスのせいじゃ、ないわよ……」





 ギルが息を引き取った翌日から、村の空気は目に見えて変わった。

 咳をする音が以前より気にされるようになり、他人の顔色を確かめ合う視線が増えた。ひそひそと交わされる噂話も、少しずつ色を変えていた。


「……あの爺さん、あの子の薬を全く飲まなかったらしいな」

「それどころか、怒鳴りつけて追い返してたって」

「そりゃあ、治るものも治らないわよね……」


 井戸端で、畑で、通りの端で。そんな声が囁かれ始める。

 ひそやかに交わされる会話。その最後に、誰ともなくこう言った。


「……なあ。たとえあの子が魔女でも、薬に罪はないんじゃねえか?」

「……」


 その問いにイエスともノーとも答えられる人は、きっと村の中にはいなかった。





(……私が、悪かったんだ)


 ギルが死んでから数日が経った。

 弔いも終わり、村が日常に戻ってからも、クラリスの胸の中には後悔が居座り続けていた。

 拒まれたからといって引き下がらずに、もし、もっと強く言っていたら。無理にでも飲ませていたら——ギルは、今もどこかで咳をしていただけだったのではないか。


 『汝、人を愛せよ』

 胸の奥で教えをなぞる。

 人を愛すとは、いったいどういうことなのだろう。

 自分を拒絶するギルの気持ちを尊重することなのか。嫌われても憎まれても、正しいと思うことを貫くことなのか。

 わからなかった。

 ただ、わからなかったことが、ひとつの命を奪ってしまった——そんな気がしてならなかった。


 クラリスに与えられた小さな薬草小屋で、いつものように棚に手を伸ばす。

 指先に触れる薬瓶の冷たさが、今日はやけに重く感じられた。

 そのときだった。


「……クラリス、いるかい?」


 戸口の向こうから、ためらうような声がした。

 少し低いしわがれた声に、近所の老婆だと気づく。普段自分とは関わろうとしない人なのに——そう不思議に思いながらも、クラリスは小屋の扉を開けた。


「何か御用ですか?」

「っ……」


 戸口から顔を出したクラリスに、老婆は一瞬怯んだように喉を鳴らした。浅い呼吸の中に、かすかな焦りと不安の匂いを感じる。

 やがて老婆は、おずおずと喋り始めた。


「その……。咳が、止まらなくてな。夜になると、息が苦しくて……」


 一瞬、沈黙が落ちる。

 そして、相手は意を決したように続けた。


「……薬を、分けてもらえないか」


 その言葉を聞いた瞬間、クラリスは小さく息を呑んだ。


(……ああ)


 胸の奥で、何かが静かに音を立てて崩れる。

 罪悪感と、安堵と、救われたような気持ちがぐちゃりと絡み合った。


(ギルおじさんは助けられなかった……けど)


「……はい」


 クラリスは、幼い相貌を崩し、老婆に向かって頷いた。

 まるで見えているかのように咳薬の棚へと駆け寄り、薬瓶を持ち上げ、言った。


「すぐに、用意します」





 それをきっかけに、クラリスの薬を求める人が増えていった。

 薬草小屋を訪れる人、クラリスが家々をまわる間声をかけてくる人、戸口を開けて待っている人——今まではクラリスを見れば顔を顰めていたような人たちが、どこか気まずそうな目で薬を求める。


「子どもが昨夜から熱を出していて……」

「怪我の治りが悪いんだが……」

「前にくれた薬? あ、いや……今回は、別のを……」


 誰もが似たような言葉を口にし、同じように目を伏せた。感謝の言葉は少ない。けれどもクラリスは言われるままに薬を煎じ、瓶に詰め、ひとつひとつ手渡していく。その指先に触れる手は、どれも冷たく、どこかよそよそしかった。

 それでも、誰も薬を突き返しはしなかった。「魔女の薬だ」と罵る声も日に日に小さくなっていく。

 クラリスの胸の奥に、小さな灯が揺れた。


(必要と、してくれている)


 それが信頼でなくとも、好意でなくとも——今は薬を求めてくれる。それはクラリスにとっては確かな希望だった。


 そんな日々がしばらく続いた。

 薬のおかげか、昨年よりも村の死者は少なくなった。それはとても、微々たる差ではあったけれども。

 村の役に立てていること、村人に必要とされること。それが嬉しくて、クラリスは疲れを覚えながらも、どこか胸の奥が温かかった。


 それでも、心のどこかに小さな棘が引っかかっていた。

 薬を渡した村人たちの、どこか怯えが残ったような態度。クラリスは、自身がまだ信頼されきっていないということに気づいていた。

 渡した薬を、本当に飲んでくれているのだろうか。それを確かめる術は、クラリスにはない。

 わずかに残るわだかまりを胸に、クラリスは今日も彼女の元を訪ねた。


「イルマおばさん、こんにちは」

「……いらっしゃい、クラリス」


 こぢんまりとした家屋に向かってそう声をかければ、やがて古びた扉が開き掠れた声が返ってくる。

 イルマが自分を迎え入れてくれる。その瞬間が、クラリスにとっては何よりの癒しだった。


「ねえ、知ってる? また疫病が流行り出してるところがあるんだって。怖いなあ」

「まあ……そうなの。私たちも、気をつけなきゃいけないわね」


 薬を渡しに行く時だけ交わされる、二、三の会話。

 いつも通り薬瓶と空になった瓶を交換すると、クラリスはためらいがちにその疑問を口にした。


「……イルマおばさんは、渡してる薬草、ちゃんと呑んでる?」


 突然投げかけられた問いに、イルマは一瞬面食らう。

 だけどすぐに困ったように笑い、「ええ? どうしたの、いきなり」と狼狽えながら言った。


「だって、またこの村が疫病に襲われたらって……ギルおじさんのこともあるし。心配で……」

「そんなの……もちろん、ちゃんと飲んでるわよ」


 少しだけトーンの落ちた声で、イルマはそう言った。

 その言葉に、クラリスは安心する。

 だから——

 

 数日後、「イルマが高熱で倒れた」という報せが入った時、クラリスはそれを簡単には受け入れられなかったのだ。

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