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冬が近づき、クラリスはさらに仕事に精を出していた。村で軽い怪我が病気が増え始めたからだ。
季節の変わり目の体調不良から、手のあかぎれ、子供の転んだ擦り傷まで。村人たちの小さな変化を見るより早く感じ取れるクラリスは、以前にも増して村をまわり、薬を配り続けた。
貧しい村の冬では、小さな怪我や風邪ですら簡単に人の命を奪う要因となる。それを知ってもなお、クラリスの薬を受け取ってくれる村人は一握りだったけれど。
そんな彼女とこの村に、転機が訪れた。
ギルが亡くなったのだ。
かつて村を襲った疫病のような、高熱を伴う病だった。
治らない咳、微熱が数日続いた頃からクラリスは何度も薬を届けに行ったが、彼は最後までそれを拒否し続けた。
熱を帯びた真っ赤な顔で、咳に枯れた喉で、最期の瞬間までクラリスを忌避し、クラリスの薬を真っ向から拒絶し受け取らなかった。
「帰れ、魔女め! 貴様の薬を飲むくらいならワシは——っゴホッゴホッ」
日々の不摂生がたたったのか、貧しい村の寒さに負けたのか、それともクラリスを拒否したからか——吐く息に白が混じり始めたある朝、止まらない咳と高熱にうなされ、彼は還らぬ人となった。
「……ギルおじさん、死んじゃったんだって」
ギルが死んだ翌日、クラリスはいつものようにイルマの家を訪れ、そう溢した。
イルマもまたいつものように、彼女を受け入れ、悲しげにうつむくクラリスに気遣わしげに言葉を返した。
「……ええ。私のところにも知らせが来たわ」
「私、昨日もギルおじさんに薬を持って行ったの。断られちゃったけど……」
「それは……つらかったわね」
「うん……でも、あの時、もっと……無理にでも飲ませるべきだったのかな、って」
噛み締めるようにこぼした言葉に、イルマは眉を下げる。強い後悔を滲ませたまま、クラリスは続けた。
「だって、薬を飲んでたら……生きてたかもしれないでしょう?」
クラリスのその言葉に、イルマは思わず息を呑んだ。受け取った薬瓶を胸元で抱きしめる。クラリスがイルマのために煎じた薬がいっぱいに入ったその瓶が、なぜか今更重く感じた。
うつろな瞳でイルマを見上げるクラリスに、イルマはこう答えるしかできなかった。
「クラリスのせいじゃ、ないわよ……」
*
ギルが息を引き取った翌日から、村の空気は目に見えて変わった。
咳をする音が以前より気にされるようになり、他人の顔色を確かめ合う視線が増えた。ひそひそと交わされる噂話も、少しずつ色を変えていた。
「……あの爺さん、あの子の薬を全く飲まなかったらしいな」
「それどころか、怒鳴りつけて追い返してたって」
「そりゃあ、治るものも治らないわよね……」
井戸端で、畑で、通りの端で。そんな声が囁かれ始める。
ひそやかに交わされる会話。その最後に、誰ともなくこう言った。
「……なあ。たとえあの子が魔女でも、薬に罪はないんじゃねえか?」
「……」
その問いにイエスともノーとも答えられる人は、きっと村の中にはいなかった。
*
(……私が、悪かったんだ)
ギルが死んでから数日が経った。
弔いも終わり、村が日常に戻ってからも、クラリスの胸の中には後悔が居座り続けていた。
拒まれたからといって引き下がらずに、もし、もっと強く言っていたら。無理にでも飲ませていたら——ギルは、今もどこかで咳をしていただけだったのではないか。
『汝、人を愛せよ』
胸の奥で教えをなぞる。
人を愛すとは、いったいどういうことなのだろう。
自分を拒絶するギルの気持ちを尊重することなのか。嫌われても憎まれても、正しいと思うことを貫くことなのか。
わからなかった。
ただ、わからなかったことが、ひとつの命を奪ってしまった——そんな気がしてならなかった。
クラリスに与えられた小さな薬草小屋で、いつものように棚に手を伸ばす。
指先に触れる薬瓶の冷たさが、今日はやけに重く感じられた。
そのときだった。
「……クラリス、いるかい?」
戸口の向こうから、ためらうような声がした。
少し低いしわがれた声に、近所の老婆だと気づく。普段自分とは関わろうとしない人なのに——そう不思議に思いながらも、クラリスは小屋の扉を開けた。
「何か御用ですか?」
「っ……」
戸口から顔を出したクラリスに、老婆は一瞬怯んだように喉を鳴らした。浅い呼吸の中に、かすかな焦りと不安の匂いを感じる。
やがて老婆は、おずおずと喋り始めた。
「その……。咳が、止まらなくてな。夜になると、息が苦しくて……」
一瞬、沈黙が落ちる。
そして、相手は意を決したように続けた。
「……薬を、分けてもらえないか」
その言葉を聞いた瞬間、クラリスは小さく息を呑んだ。
(……ああ)
胸の奥で、何かが静かに音を立てて崩れる。
罪悪感と、安堵と、救われたような気持ちがぐちゃりと絡み合った。
(ギルおじさんは助けられなかった……けど)
「……はい」
クラリスは、幼い相貌を崩し、老婆に向かって頷いた。
まるで見えているかのように咳薬の棚へと駆け寄り、薬瓶を持ち上げ、言った。
「すぐに、用意します」
*
それをきっかけに、クラリスの薬を求める人が増えていった。
薬草小屋を訪れる人、クラリスが家々をまわる間声をかけてくる人、戸口を開けて待っている人——今まではクラリスを見れば顔を顰めていたような人たちが、どこか気まずそうな目で薬を求める。
「子どもが昨夜から熱を出していて……」
「怪我の治りが悪いんだが……」
「前にくれた薬? あ、いや……今回は、別のを……」
誰もが似たような言葉を口にし、同じように目を伏せた。感謝の言葉は少ない。けれどもクラリスは言われるままに薬を煎じ、瓶に詰め、ひとつひとつ手渡していく。その指先に触れる手は、どれも冷たく、どこかよそよそしかった。
それでも、誰も薬を突き返しはしなかった。「魔女の薬だ」と罵る声も日に日に小さくなっていく。
クラリスの胸の奥に、小さな灯が揺れた。
(必要と、してくれている)
それが信頼でなくとも、好意でなくとも——今は薬を求めてくれる。それはクラリスにとっては確かな希望だった。
そんな日々がしばらく続いた。
薬のおかげか、昨年よりも村の死者は少なくなった。それはとても、微々たる差ではあったけれども。
村の役に立てていること、村人に必要とされること。それが嬉しくて、クラリスは疲れを覚えながらも、どこか胸の奥が温かかった。
それでも、心のどこかに小さな棘が引っかかっていた。
薬を渡した村人たちの、どこか怯えが残ったような態度。クラリスは、自身がまだ信頼されきっていないということに気づいていた。
渡した薬を、本当に飲んでくれているのだろうか。それを確かめる術は、クラリスにはない。
わずかに残るわだかまりを胸に、クラリスは今日も彼女の元を訪ねた。
「イルマおばさん、こんにちは」
「……いらっしゃい、クラリス」
こぢんまりとした家屋に向かってそう声をかければ、やがて古びた扉が開き掠れた声が返ってくる。
イルマが自分を迎え入れてくれる。その瞬間が、クラリスにとっては何よりの癒しだった。
「ねえ、知ってる? また疫病が流行り出してるところがあるんだって。怖いなあ」
「まあ……そうなの。私たちも、気をつけなきゃいけないわね」
薬を渡しに行く時だけ交わされる、二、三の会話。
いつも通り薬瓶と空になった瓶を交換すると、クラリスはためらいがちにその疑問を口にした。
「……イルマおばさんは、渡してる薬草、ちゃんと呑んでる?」
突然投げかけられた問いに、イルマは一瞬面食らう。
だけどすぐに困ったように笑い、「ええ? どうしたの、いきなり」と狼狽えながら言った。
「だって、またこの村が疫病に襲われたらって……ギルおじさんのこともあるし。心配で……」
「そんなの……もちろん、ちゃんと飲んでるわよ」
少しだけトーンの落ちた声で、イルマはそう言った。
その言葉に、クラリスは安心する。
だから——
数日後、「イルマが高熱で倒れた」という報せが入った時、クラリスはそれを簡単には受け入れられなかったのだ。




