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――ああ、愛してる。愛してる。愛してる。
だからあなたも踊りましょう。
夜とともに。愛とともに。
***
「——何度言ったらわかるんだ、うちに薬はいらねえ!」
声は荒く、静かな農村に響いた。
土の道を挟んで並ぶ家々の隙間から、いくつもの気配がこちらを窺っているのがわかる。足を止めた者、窓から顔を出した者、何も言わずに成り行きを見守る者——誰も止めようとはしない。見えない代わりに、刺さるような視線だけが肌にまとわりつく。
こんなのは日常茶飯事だった。クラリスは手にした薬瓶を胸に抱え、俯いたまま立ち尽くしていた。
「ったく、毎度毎度、恩着せがましく押し付けてきやがって。めくらの魔女が煎じた薬なんて飲めるか!」
「で、でも。おじさん、最近ずっと咳してるでしょ。もうすぐ冬なのに、風邪をこじらせたら——」
「うるせえッ!」
「きゃっ!」
言い終わるより早く、男はクラリスを強く突き飛ばした。思わずよろけた彼女の手から薬瓶が滑り落ちる。うつろな目を彷徨わせるが時すでに遅く、がしゃん、と鈍い音を立ててそれは土の上に転がり落ちた。
苦い薬草の匂い。男はそれを冷たく一瞥すると、「もう来るな、迷惑だ」と言い捨て家の中へと帰って行った。
小さな木造の家からは、ゴホッゴホッ、と乾いた咳の音が漏れ聞こえていた。
「……」
クラリスは何も言えず、膝をついて落とした薬瓶を探す。
手の動きだけで割れた瓶を辿る彼女に、声をかける者は誰もいない。
周囲からはヒソヒソと、哀れみとも安堵ともつかない濁った気配がした。
——あの子、またやってる
——薬くらい受け取ってやったらいいのに
——でも、私も受け取りたくない気持ちわかるわ。あんな、盲目の『異端』の少女!
密やかに交わされる言葉がクラリスの胸に突き刺さる。
村の人たちは、決して悪い人たちではない。ただ、恐れているだけだ。自分とちがうものを。自分に理解できないものを。
クラリスはそれを理解していた。理解してなお、彼女の心は傷ついていた。
(……ただ、咳を心配しただけなのにな)
やりきれない思いの中、溢れた薬を感覚だけでかき集める。土を掻く指先が痛んだ。
クラリスは胸の奥で、自分を慰めるように祈りの言葉を繰り返した。
『汝、人を愛せよ。祈りは報いとなりて還らん』
*
クラリスは、国のはずれにある小さな農村に住む少女だ。
彼女はかつて王国を覆った疫病により、両親と視力を失った。
疫病はこの小さな村すらも襲い、多くの村人の命を奪ったのだ。クラリスの両親もその一部だった。
彼女本人もまた高熱に倒れ、何日も生死の境を彷徨った。奇跡的に一命を取り留めたものの、その代償として視力を失った。
決して明けることのない闇の中、クラリスは一人で生きていかなければならなくなったのだ。
両親を失った孤児、まして盲目の少女など、養う余裕はこの村にはなかった。
しかし行き場を失った子供を完全に追い出すこともできず、クラリスは村の片隅で薬草摘みと薬の調合を生業とするようになった。
意外にも、彼女の煎じた薬は確かな効き目を持っていた。視力を失った代わりに嗅覚や触覚の優れたクラリスに、その仕事はうってつけだったのだ。
しかし、クラリスの薬は、その効能にもかかわらず、村人からはあまり受け入れられていなかった。つい先ほど、薬瓶を突き返した農夫のように。
多くの命を奪った疫病から奇跡的に生還するというのは、人によっては恐ろしく映るらしい。
ある者は「まるで魔女のようだ」と恐れ、ある者は「なぜあの子だけが生き返れたのだ?」と訝しんだ。単純に、盲目の少女という『異質』を受け入れられない者もいた。
あるいは、ある種の羨望もあったのかもしれない。「自分の身内は助からなかったのに、なぜあの子だけ?」と。
村人たちはそう言って、あるいは遠回しに、クラリスの薬を拒否した。クラリスと年の近しい子供たちに至っては、「魔女は出てけ」と無邪気に石を投げる者までいた。
それほど、疫病の被害は深刻だった。この村でも、これ以上感染を広げないためだと疫病患者の家に火を放ったこともあるほどだ。
それでも、クラリスは薬を作り続けた。
縋るように、祈るように。彼女の仕事をまっとうし続けた。
*
クラリスの日課は、薬草を摘み、煎じた薬を村の人々に配り歩くことだ。
誰が怪我をしたか、熱を出しているか——そんな情報をクラリスは見ずとも感じ取れる。必要な薬を煎じて届けるのが、彼女が自分に課している仕事だった。
今日もまた、クラリスは見えない目のまま村の通りを歩いた。
家々の軒先を指先で確かめ、土の匂いと風の流れで場所を測り、薬瓶を抱えて渡っていく。戸口に立てば声をかけ、返事がなければ静かに踵を返した。
拒まれることにも、もう慣れていた。それでも、渡せる家には薬を置き、渡せぬ家の前では祈りの言葉を胸の内でなぞった。
家々を回るうちに、クラリスはある家の前で足を止めた。
この戸口だけは、叩く前から心が軽くなる。
クラリスは胸元の薬瓶を握り締め、溌剌とした声を出した。
「イルマおばさん、こんにちは! 薬を届けに来ました!」
クラリスにしては珍しい明るい声が、古びた木の扉を揺らす。
やがてその扉が開き、一人の女性が顔を出した。
「……まあ、クラリス。今日も薬を持ってきてくれたの」
少し掠れた声でそう言ったのは、イルマ。この村で唯一、クラリスに優しく接してくれる女性だ。
イルマは二十を少し過ぎたくらいの農婦で、背格好も顔立ちも平凡、特別なところは何もない。ただ、柔らかい声と常に困ったような表情が、彼女の人の好さと気の弱さを物語っていた。
「はい、今日の分のお薬。体の具合はどう?」
「ええ、もうすっかり良くなったわ。クラリスの薬のおかげかしら」
「へへ、そうだと嬉しいけど」
クラリスは少し照れながら、持っていた薬瓶を渡した。先日体調を崩したイルマのために煎じた、特別性の薬だ。イルマもまた、空になった薬瓶をクラリスに返し「いつもありがとう」と申し訳なさそうに笑った。
「それより、聞いたわよ。またギルおじさんと言い合いになったんだって?」
ギルおじさんとは、先ほどクラリスの薬を拒否し、突き飛ばした農夫のことだ。
彼は村でも人一倍信心深く、特に神殿で忌み嫌われている『魔女』を蛇蝎の如く嫌っている。そこで、疫病から生還し、光を失ってしまったクラリスのことを、魔女だと思い嫌っているのだ。もちろん、クラリスは魔女でもなんでもないのだが。
「もう、いい加減あの人のところに行くのはやめたら? クラリスだってつらいでしょう」
「うん……。でも、病の人を放っておいて、また村が燃えるのはもっと嫌だから。それに、薬を受け取ってくれないのはギルおじさんだけじゃないし……」
「……」
ギルほど強くもの言わないだけで、村人の自身に対する『拒否感』を、クラリスは肌で感じ取っていた。
薬を届けても、何かに言い訳をして受け取ってくれない人。居留守を使う人。苦笑いで受け取ってはくれるものの、使ってはくれない人。
自分に対する何処か濁った空気。村人たちが自分を恐怖の対象として見ているのが、目の見えないクラリスには痛いほど感じられた。
「……クラリスは、偉いわね。それでも、こうして毎日村を回って薬を届けているのだから」
イルマはぽつりと、まるで自分に語りかけるかのように呟いた。
何処か自分を責めているような声色が気になったものの、クラリスは褒めてもらったことが嬉しく、「えへへ、そうかな」と照れを誤魔化すように笑った。
(……でもね、イルマおばさん。私ががんばれるのは、あなたのおかげでもあるのよ)
クラリスはそう、心の中でひとりごちた。
イルマがクラリスにとって特別なのは、ただ優しくしてくれるからではない。彼女もまた、かつてはクラリスを忌避していたうちのひとりだったからだ。
人は良いが気の弱い彼女は、最初は目の見えないクラリスをどこか怖がっていた。
しかし、クラリスが毎日薬を届けるうち、いつしか扉を開けてくれるようになり、話をしてくれるようになり、今ではこうして薬を受け取ってくれるようになったのだ。
イルマといると、善い行いはいつか必ず理解され、返ってくるのだと信じられる。
『汝、人を愛せよ。祈りは報いとなりて還らん』——クラリスが心の拠り所にしている、聖女様の教えのように。
かつて聖女によって建国されたこの国では、聖女は信仰の対象だ。
特に「隣人のために生きよ」と諭すこの教えは民衆にも広く知られ、クラリスも生活の規範としていた。
『誰かのためにした行動は、いつか必ず返ってくる』イルマといると、この教えは正しいのだと信じられる。今はどれだけ疎まれても、村のためにしている行動は正しいのだと。
そのことが、ひとりぼっちのクラリスに安らぎをもたらしていた。
「そうだ、イルマおばさん。今日はもうひとつ、別の薬草を持ってきたの」
「えっ……。そんな、わざわざ。悪いわよ」
「何も悪くないよ、いつものお礼だもん! この薬草を煎じて毎日飲んでると、悪い病に捕まりにくくなるんだって。私、この薬をもっと、村のみんなに飲んでほしいんだ」
「そう……なの。それじゃあ、いただこうかしら……」
「うん。ちゃんと、毎日飲んでね。絶対だよ!」
「……ええ」
イルマは困ったように眉を下げ、クラリスから薬草を受け取った。
クラリスはそれを見届けると、満足したように笑ってイルマの家を出る。
何度も振り返り手を振るクラリスを、イルマは見えなくなるまで見送ってくれた。
(良かった、受け取ってくれて。イルマおばさんが、疫病や、悪い病に捕まらないようにしないとね)
クラリスは上機嫌のまま、薬草小屋に帰った。イルマに返された空の薬瓶を棚に戻す。
空になった器には、まだ薬草の香りが強く残っていた。




