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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第四章 魔女の犬は檻に踊る

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エピローグ

 サンクティア王国、王都の地下深く。

 知る人ぞ知るその闘技場は今宵も満員で、客席には“ショー”が始まるのを今か今かと待ち望む人たちの声で溢れていた。

 だが——その熱気とは対照的に、舞台裏では別種の騒がしさが渦巻いていた。


「——グレゴール卿が、死んだ!?」

「ああ、檻の部屋の真ん中で、何かに喰われたみたいな姿で……うっ」

「馬鹿な。あんな場所で、どうやって……」


 客席裏、裏方たちがそう声を上げる。

 その表情は誰も、混乱、焦り、不安が滲んでいた。


 先刻、この劇場のオーナーであるグレゴールが死体で発見された。

 彼曰く“役者”たちを収めていた檻の部屋、厳重に管理されたその中央で息絶えていたという。まるで獣にでも貪られたかのように、その半身を失って。

 そして、誰の仕業か、部屋の中の檻は一つ残らず鍵が開けられ、中には塵ひとつ残っていなかったと——


「まさか、魔物に喰われたんじゃないのか!? 檻の鍵はどうなっている!?」

「いや、さっき確認したが、そんな様子はなかった」

「それじゃあ尚更、どうして……」

「と、とにかく。衛兵に連絡を」

「馬鹿を言うな! ここが知られるぞ!?」

「そんなことより、今夜の“ショー”はどうするんだ? “見世物”たちも全員、逃げ出しちまってるんだろう?」

「……」


 喧騒。怒号。慌ただしい足音。

 焦る使用人たちに、客席からの声が届いた。

「おい、まだか!?」「今夜も楽しみにしてるわ!」

 彼らの気持ちなど知らぬとでもいうように、浮かれた声が耳を打つ。

 その姿を、足元からそっと見つめる視線がひとつ。


「……もういい。俺はここから出ていく」


 ぽつりと、誰かが言った。


「な、何を言ってるんだ!?」

()()たちが逃げ出して、表はもう騒ぎになっている。衛兵が来るのも時間の問題だ。このままここにいたら、俺たちも巻き込まれるぞ!」

「——っ」


 その言葉が引き金だった。

 一人、また一人と、出口へ向かって駆け出そうとする。

 今夜の“ショー”も、今後の食い扶持も、彼らにはもう頭になかった。

 その時。


 ——バンッ!

 けたたましい音を立てて、扉が内側へと弾け飛んだ。


「衛兵だ! 全員、その場を動くな!」


 鋭い声が、空気を切り裂いた。

 逃げかけていた使用人たちは、その場で凍りついたように動きを止めた。

 顔色はみるみるうちに青ざめていく。


 もはや、逃げ場はなかった。

 地下の闇に覆われていたはずの場所へ、現実の光が差し込み始めていた。







「衛兵だ! 全員、その場を動くな!」


 その声を引き金に、地下は一時騒然となる。


「な、何事だ!」

「違う、私はただ招かれて——」

「くそっ! これはどういうことだ、グレゴール卿!」


 客席にいた貴族たちもまた、狼狽を隠せず立ち上がる。

 怒号と困惑が入り混じり、先ほどまでの優雅な空気は跡形もなく崩れ去っていた。

 その様子を、舞台裏の片隅——積み上げられた木箱の影から、ひとつの小さな影が静かに見つめていた。


(……これで、おわり)


 黒く、小さな塊だった。

 床すれすれの位置から、騒ぎ立てる人間たちの足元を、ただじっと見上げている。


 駆け回る足音が、絶え間なく耳に届く。

 怒鳴り声。命令。悲鳴。

 そのすべてを見届け、黒い塊はゆっくりと踵を返す。


(これで、ぜんぶ、ぜんぶ——)


 そう思いながら、視線を上げる。

 そこには、かつてセシルたちが囚われていた檻があった。

 今はもう、空っぽのまま、口を開けている。

 その内側を見上げた——その瞬間だった。


 閃光。


 前触れもなく、鋭い光が世界を切り裂いた。

 次の瞬間には、身体が貫かれていた。

 音もなく、ただ真っ直ぐに突き通された光の刃が、小さな体を地へと縫い留める。


(……この、ひかりは——)


 遅れて、状況を飲み込む。

 痛みはない。

 ただ、視界が大きく揺れ、自分の体が光に溶けていくのだけが感じられた。

 振り返る。


 彼女の背後に立っていたのは——勇者ディーン。

 ディーン・マリウス・ヴァレンティス。


 神々しい神殿の紋章。揺るがぬ眼差しを携えて。

 聖剣を構えた勇者が、そこにいた。


「……騒ぎを聞いて駆けつけてみれば、やはり死霊の仕業か」


 低く、感情の抜け落ちた声が溢れる。

 その言葉を聞きながら、小さな塊は、かすかに口元を緩めた。

 消えゆく輪郭。

 もうほとんど音にならない声で、彼女は言った。


『——そういえば、つたえてなかったね』


 かすれるように、言葉を紡ぐ。


『あのとき、たすけてくれて、ありがとう』


 言い終わると同時、黒い影は光にほどけていった。

 言葉が届いたかどうかはわからない。

 ただ、ほんの一瞬、勇者の目がわずかに見開かれたように見えた。


 小さな()()は満足そうに笑い——暗く閉ざされた世界から、静かに消えていった。







「——また勇者に邪魔されちゃったか。それほど神殿も本気ということかしらね」


 夜の冷気を帯びた風が、ゆるやかに吹き抜ける。

 地下闘技場——その建物の屋根の上から、ひとりの女が下界を見下ろしていた。

 騒然とした灯りが漏れ出る入口では、衛兵たちが慌ただしく出入りを繰り返し、取り乱した貴族たちが次々と外へと導かれている。

 ルナは、その光景をただ静かに眺めていた。

 まるで、上演から終幕までを見届けた観客のように。


「まあ、いいわ。あの子も——ちゃんと終われたみたいだし」


 ぽつりと呟き、息をつく。

 その傍らには、一匹の黒猫。

 月明かりを受けて光る毛並みを撫でようと、ルナは、いつものようにその背へと手を伸ばした。

 だが。

 猫はするりと身を引き、その手を避ける。


「あら」


 わずかに目を細め、ルナは小さく首を傾げた。


「どうしたの? 今日はやけに素っ気ないじゃない」


 もう一度手を伸ばそうとするが、猫は尾を揺らし、不機嫌そうに距離を取る。

 その様子を見て、ルナはくすりと笑った。


「嫉妬かしら。ふふ……感情だって、人間の専売特許ではないものね」


 そう言って、彼女は手を引いた。

 無理に触れようとはしない。代わりに、ゆっくりと顔を上げる。


 澄み切った夜空には、淡く光る月が浮かんでいた。

 彼女はそれに向かって祈るように、静かに目を閉じ、胸の前で両手を組んだ。


「母性も、畏れも、憤りも——全て、全て」


 静かな声で、言葉を紡ぐ。

 彼女の閉じられた瞼の裏には、小さな影が舞台の上で踊る様が映っていた。

 大切な誰かのために、怒り、声を荒げる様が。


 目を開ける。


「大きくなったわね——リオ」


 呟く声は、あまりにも穏やかで、優しかった。

 まるで、それに応えるように、


 わんっ。

 ——と、どこからか鳴き声が聞こえた気がした。

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