表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第四章 魔女の犬は檻に踊る

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
34/42

7

 ——なつかしいにおいに、めがさめた。

 もう、つめたくも、いたくもない。

 そのかんかくがふしぎで、わたしはゆっくりと目をあける。


 まっくろな“へや”に、わたしはいた。

 まるで、よるの“うみ”みたい。

 まっくろで、まっくらなそのなかで。

 ふわふわ、ゆらゆら、うかんでいる。


「——それであなたはここに閉じ込められたのね。

 冷たい檻の中で、力尽きるまで」


 やさしいこえが、ふってきた。 

 かおを上げる。


 よるのまんなか。

 そこに、おんなの人が立っている。

 あかい、あかい目で、わたしを見おろす。

 それは、それは——


「……——、」

「……ええ、わかっているわ。ずっと、ずっと見ていたもの。

 誰かを守ろうとしたその想いも。守りきれなかった、その悔しさも」

「……」


 “まじょ”は、そう言って、わたしと目と目をあわせた。

 やさしい手があたまをなでる。

 きゅううん、と、のどがなった。


「……私のかわいい『踊り手』よ。

 喰われても喰われても、尽きない想いがあるのなら力をあげる。

 ——あなたがその血を、捧げるのならば」


 まっかな、目が、わたしを見つめる。

 まっかな、かんじょうが、わたしのなかでばくはつする。


 セシルのえがお。

 セシルのこえ。

 “ぐれごーる”の、わらいごえ。


 ——ああ。

 わたしのこころのまんなかにいるのは、もう、『ママ』じゃない。


「さあ、幕を上げましょう——」


 さしだされたしろい手に、かんがえるまもなく手をのせる。

 夜の“まく”がひらいた。




***




「——この凛々しい牙、力強い目。実に、実に素晴らしい」


 薄暗い地下の一角。鉄格子に囲われた檻の前で、グレゴールは恍惚として呟いた。

 見上げるほど大きいその檻の中にいるのは、異形の魔物。

 三つ首の黒い獣がグルグルと獰猛に喉を鳴らし、彼を睨みつけていた。

 グレゴールは高らかに嗤う。


「ああ、最高だ。お前は、最高の“役者”だよ!」


 グレゴール・フォン・クラウスは、このサンクティア王国の貴族である。

 表向きは格式ある家柄の当主として振る舞いながら、その裏ではこの地下闘技場のオーナーとして君臨する男であった。


 もともと彼は、珍しい魔物の蒐集家であった。各地から買い集め、捕らえ、時には違法な手段さえ厭わず、その手中に収めてきた。

 始まりは、蒐集した魔物を親しい知人たちに披露したことだった。

 信頼できる数人だけを呼んだ宴の余興として、檻の中で暴れる魔物に“餌”を投げ込み、その末路を見せたのだ。

 結果は、予想以上の熱狂であった。

 歓声。笑い声。興奮に歪んだ顔。

 それらすべてが、グレゴールの胸を満たした。


(これだけでは足りぬ。もっとだ、もっと——多くの者を、愉しませねば)


 ——そうして彼は、この地下に密やかな劇場を築いた。

 選ばれし者のみが招かれる“ショー”。

 貴族や大商人、時には神殿の者まで。

 国の中枢に関わる者たちが、ここでしか味わえぬ刺激に酔いしれ、彼の名は裏の社交界で静かに広がっていった。


「……それにしても。この前の“ショー”は、“魔女の犬“に台無しにされたな」


 ふと、グレゴールは眉をひそめて言った。


「あれはあれで面白くはあったが……断罪劇としては上出来だった。しかし、次はあれを超えねばならん」


 忌々しげに吐き捨てるが、その口元にはどこか歪んだ笑みが浮かんでいた。

 観客は常に新たな刺激を求める。より残酷で、より鮮烈な光景を。

 腕を組み、しばし思案する。

 檻の中では、魔物がなおも激しく暴れている。その音が、思考の底に重く響いた。

 そして、ふと。


「……そうだ、こんなのはどうだろう。今日の“ショー”は、ここにいる全員を戦わせようではないか」


 思いついた考えに、彼は頬を歪めた。

 愉悦の滲んだ声。

 まるで名案とでも言うように、グレゴールは一人で頷く。


「一匹の屈強な魔物に喰らいつく多数の弱者——これならば、観客もさらに楽しめるだろう。そうだ、いつも一方的な蹂躙ばかりではつまらない」


 高らかに笑い、グレゴールは“出演者”たちを捕らえている部屋へと移動した。

 そして、従者に命じることもなく、自ら檻の錠へと手をかける。


「そうだ、間違いない……今日も大盛況だ」


 言いながら、一つ、また一つと、鍵を外していく。

 重く軋む音とともに、鉄の扉が開く。

 暗がりの中から、気配が溢れ出した。

 ぞろぞろと、檻の奥に潜んでいた姿が現れる。


「——さあ、今日の“主役”はお前たち全員だ!」


 まるで舞台の上で語りかけるように、グレゴールは両手を広げる。

 この“ショー”によって、彼は多くの貴族に顔を売った。名は知られ、誘いは増え、金もまた流れ込む。すべてが順調だった。

 いっそ恍惚とした表情で、彼は笑った。


 今宵もまた、舞台の幕が開かれる。






「——レディースアンドジェントルメン! 今宵もお集まりいただき、ありがとうございます!」


 今宵も“ショー”の幕が開く。

 喝采。

 客席に居並ぶ貴族たちを眺め、グレゴールは背筋をぞくりと震わせた。

 背中には獰猛な魔物の呼吸音。

 興奮した観客の紅潮した頬。

 数えきれぬほどの視線の中心で、グレゴールは朗々と声を響かせた。


「では、今夜の主役をご紹介致しましょう。今宵、踊り明かすのは——」


 わずかに声を落とし、間を作る。

 勢いよく振り返り、檻の方へと手を差し向けた。


「——こいつだ!」


 指先が示す先。

 特別に設えた大きな檻の舞台には、怯えた“役者”たちが居並ぶ——


 はずだった。


「……え?」


 思わず、間抜けな声が漏れる。

 舞台の上、檻の中。

 そこには、彼の言う“役者”の影ひとつなかったのだから。


(——いや、違う)


 中に、誰もいないのではない。

 自分が、中にいるのだ。

 気づけばグレゴールは——檻の内側に立っていた。


「な、なんだ……!?」


 グレゴールは、驚き狼狽えた。

 ぐるり、視線を回しても、自分を囲うのは燭台の眩い灯りではない。

 一面の、鉄の棒、棒、棒。

 いつもは自分が他者を捕らえていたその檻に、今は自分が閉じ込められている。


「お、おい! これはどういうことだ!」


 広げていた両手を引っ込め、叫ぶ。

 表情を取り繕うことすらできず、両手で檻を掴んだ。

 そんなグレゴールを見て、観客はわああっと歓声を上げた。


(何を笑っているんだ、こいつらは。トラブルが起きているんだぞ!?)


 そう思い、また声を上げようとした、

 その時。


 ——ずしん。

 音がして、振り返る。

 眼前。

 すぐそこに、三つ首の黒い魔物が立っていた。


 喉を鳴らし、ゆっくりと唸り声をあげている。

 その眼が、確かにこちらを捉えていた。


「は……?」


 声が引き攣る。

 理解が追いつかない。

 状況が、現実として受け止められない。


 その一瞬の隙を、魔物は見逃さなかった。


「グルワアアアアア!!」


 咆哮とともに、巨大な影が跳びかかる。


「ぎゃああああ!」


 悲鳴を上げ、必死に身を翻す。

 しかし鋭い爪が腕を掠め、皮膚を裂いた。熱を帯びた痛みが一瞬遅れて襲いかかる。

 よろめき、足をもつれさせて転倒する。

 次の瞬間には、重い体がのしかかっていた。


「やめろ、やめ……ぐわあああっ!」


 肩に牙が食い込む。

 骨を砕くような圧力とともに、肉が引き裂かれ、血が噴き出した。

 転げるようにして逃れ、床を這いずる。

 息は乱れ、視界は赤く滲んでいた。


「おい、助けてくれ! 誰か、誰か……!」


 檻に縋って、助けを求める。

 額にはダラダラと汗をかき、狼狽した顔は一気に老けたかのようにしわくちゃだった。

 グレゴールのその姿に、歓声はさらに深まる。


「いいぞー!」

「こんなもんじゃないだろう!」

「もっと悲鳴を聞かせて頂戴!」

 笑い声。拍手。興奮に満ちた叫び。

 会場はいつものように、いや、いつも以上の熱気に包まれる。


(な……なんだこいつら。頭がおかしいんじゃないのか!?)

(人が——俺が、殺されかけているのだぞ!?)


 グレゴールは憤慨する。

 だが、誰も応えない。

 観客は笑い、手を叩き、口笛を吹いた。

 喝采が彼を包む。


「——おい、警備兵! 誰かいないのか! 早くここから出せ! こいつを引っ込めろ!」


 痺れを切らして、叫ぶ。

 だが、兵はそんな叫びも聞こえないかのように、大きな扉の前にスンと立つ。


「おい、そこの! ◯◯男爵、貴様には先の件で便宜を図ってやっただろう!?」


 縁の深い男爵も伯爵も、神官も商人も——

 誰一人彼のために動こうとしない。

 あるのはただ、愉悦に歪んだ顔、顔、顔。

 その表情を見て、恐怖が、遅れて全身を侵食する。


「グルワァアアッ!!」

「うわああああッ!」


 振り下ろされる腕。

 衝撃に弾き飛ばされ、背中から檻に叩きつけられる。鉄が軋む音が響いた。

 肺から空気が吐き出され、掠れた呼吸が漏れる。


「……ち、ちがう……違う……!」


 這いずりながら、必死に首を振る。


「これは、こんなのは、間違いだ……! 私は……私は、“餌”じゃない……!」


 声は震え、もはや形を保っていなかった。

 魔物は止まらない。

 ゆっくりと、確実に距離を詰める。

 逃げ場など、どこにもないと知っているかのように。


「ぐわああああっ!」


 再び牙が振るわれる。

 そのたびに、歓声が大きくなる。

 拍手が、鳴り止まない。


 ——見ている。

 ——見られている。


 その視線が、ふと歪む。

 悦楽に歪む顔が、どこかで見たものへと変わっていく。


 恐怖に引きつった顔。

 涙に濡れた瞳。

 そうそれは——かつて自分が、この大きな檻に閉じ込め、

 その中で逃げ惑い、喰われていった“役者”たち。


「……ぁ、」


 理解が、追いつく。

 追いついてしまう。


 自分が、何をしてきたのかを。

 自分が、今、どこにいるのかを。


 眼前の魔物が、三つの口を大きく開いた。

 六つの目が、同時にこちらを見据える。


 逃げる力は、もう残っていない。

 ただ、目を見開いたまま。


 グレゴールは、その命を終えた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ