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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第四章 魔女の犬は檻に踊る

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7.グレゴール・フォン・クラウス

 ——なつかしいにおいに、めがさめた。

 もう、つめたくも、いたくもない。

 そのかんかくがふしぎで、わたしはゆっくりと目をあける。


 まっくろな“へや”に、わたしはいた。

 まるで、よるの“うみ”みたい。

 まっくろで、まっくらなそのなかで。

 ふわふわ、ゆらゆら、うかんでいる。


「——それであなたはここに閉じ込められたのね。

 冷たい檻の中で、力尽きるまで」


 やさしいこえが、ふってきた。 

 かおを上げる。


 よるのまんなか。

 そこに、おんなの人が立っている。

 あかい、あかい目で、わたしを見おろす。

 それは、それは——


「……——、」

「……ええ、わかっているわ。ずっと、ずっと見ていたもの。

 誰かを守ろうとしたその想いも。守りきれなかった、その悔しさも」

「……」


 “まじょ”は、そう言って、わたしと目と目をあわせた。

 やさしい手があたまをなでる。

 きゅううん、と、のどがなった。


「……私のかわいい『踊り手』よ。

 喰われても喰われても、尽きない想いがあるのなら力をあげる。

 ——あなたがその血を、捧げるのならば」


 まっかな、目が、わたしを見つめる。

 まっかな、かんじょうが、わたしのなかでばくはつする。


 セシルのえがお。

 セシルのこえ。

 “ぐれごーる”の、わらいごえ。


 ——ああ。

 わたしのこころのまんなかにいるのは、もう、『ママ』じゃない。


「さあ、幕を上げましょう——」


 さしだされたしろい手に、かんがえるまもなく手をのせる。

 夜の“まく”がひらいた。




***




「——この凛々しい牙、力強い目。実に、実に素晴らしい」


 薄暗い地下の一角。鉄格子に囲われた檻の前で、グレゴールは恍惚として呟いた。

 見上げるほど大きいその檻の中にいるのは、異形の魔物。

 三つ首の黒い獣がグルグルと獰猛に喉を鳴らし、彼を睨みつけていた。

 グレゴールは高らかに嗤う。


「ああ、最高だ。お前は、最高の“役者”だよ!」


 グレゴール・フォン・クラウスは、このサンクティア王国の貴族である。

 表向きは格式ある家柄の当主として振る舞いながら、その裏ではこの地下闘技場のオーナーとして君臨する男であった。


 もともと彼は、珍しい魔物の蒐集家であった。各地から買い集め、捕らえ、時には違法な手段さえ厭わず、その手中に収めてきた。

 始まりは、蒐集した魔物を親しい知人たちに披露したことだった。

 信頼できる数人だけを呼んだ宴の余興として、檻の中で暴れる魔物に“餌”を投げ込み、その末路を見せたのだ。

 結果は、予想以上の熱狂であった。

 歓声。笑い声。興奮に歪んだ顔。

 それらすべてが、グレゴールの胸を満たした。


(これだけでは足りぬ。もっとだ、もっと——多くの者を、愉しませねば)


 ——そうして彼は、この地下に密やかな劇場を築いた。

 選ばれし者のみが招かれる“ショー”。

 貴族や大商人、時には神殿の者まで。

 国の中枢に関わる者たちが、ここでしか味わえぬ刺激に酔いしれ、彼の名は裏の社交界で静かに広がっていった。


「……それにしても。この前の“ショー”は、“魔女の犬“に台無しにされたな」


 ふと、グレゴールは眉をひそめて言った。


「あれはあれで面白くはあったが……断罪劇としては上出来だった。しかし、次はあれを超えねばならん」


 忌々しげに吐き捨てるが、その口元にはどこか歪んだ笑みが浮かんでいた。

 観客は常に新たな刺激を求める。より残酷で、より鮮烈な光景を。

 腕を組み、しばし思案する。

 檻の中では、魔物がなおも激しく暴れている。その音が、思考の底に重く響いた。

 そして、ふと。


「……そうだ、こんなのはどうだろう。今日の“ショー”は、ここにいる全員を戦わせようではないか」


 思いついた考えに、彼は頬を歪めた。

 愉悦の滲んだ声。

 まるで名案とでも言うように、グレゴールは一人で頷く。


「一匹の屈強な魔物に喰らいつく多数の弱者——これならば、観客もさらに楽しめるだろう。そうだ、いつも一方的な蹂躙ばかりではつまらない」


 高らかに笑い、グレゴールは“出演者”たちを捕らえている部屋へと移動した。

 そして、従者に命じることもなく、自ら檻の錠へと手をかける。


「そうだ、間違いない……今日も大盛況だ」


 言いながら、一つ、また一つと、鍵を外していく。

 重く軋む音とともに、鉄の扉が開く。

 暗がりの中から、気配が溢れ出した。

 ぞろぞろと、檻の奥に潜んでいた姿が現れる。


「——さあ、今日の“主役”はお前たち全員だ!」


 まるで舞台の上で語りかけるように、グレゴールは両手を広げる。

 この“ショー”によって、彼は多くの貴族に顔を売った。名は知られ、誘いは増え、金もまた流れ込む。すべてが順調だった。

 いっそ恍惚とした表情で、彼は笑った。


 今宵もまた、舞台の幕が開かれる。






「——レディースアンドジェントルメン! 今宵もお集まりいただき、ありがとうございます!」


 今宵も“ショー”の幕が開く。

 喝采。

 客席に居並ぶ貴族たちを眺め、グレゴールは背筋をぞくりと震わせた。

 背中には獰猛な魔物の呼吸音。

 興奮した観客の紅潮した頬。

 数えきれぬほどの視線の中心で、グレゴールは朗々と声を響かせた。


「では、今夜の主役をご紹介致しましょう。今宵、踊り明かすのは——」


 わずかに声を落とし、間を作る。

 勢いよく振り返り、檻の方へと手を差し向けた。


「——こいつだ!」


 指先が示す先。

 特別に設えた大きな檻の舞台には、怯えた“役者”たちが居並ぶ——


 はずだった。


「……え?」


 思わず、間抜けな声が漏れる。

 舞台の上、檻の中。

 そこには、彼の言う“役者”の影ひとつなかったのだから。


(——いや、違う)


 中に、誰もいないのではない。

 自分が、中にいるのだ。

 気づけばグレゴールは——檻の内側に立っていた。


「な、なんだ……!?」


 グレゴールは、驚き狼狽えた。

 ぐるり、視線を回しても、自分を囲うのは燭台の眩い灯りではない。

 一面の、鉄の棒、棒、棒。

 いつもは自分が他者を捕らえていたその檻に、今は自分が閉じ込められている。


「お、おい! これはどういうことだ!」


 広げていた両手を引っ込め、叫ぶ。

 表情を取り繕うことすらできず、両手で檻を掴んだ。

 そんなグレゴールを見て、観客はわああっと歓声を上げた。


(何を笑っているんだ、こいつらは。トラブルが起きているんだぞ!?)


 そう思い、また声を上げようとした、

 その時。


 ——ずしん。

 音がして、振り返る。

 眼前。

 すぐそこに、三つ首の黒い魔物が立っていた。


 喉を鳴らし、ゆっくりと唸り声をあげている。

 その眼が、確かにこちらを捉えていた。


「は……?」


 声が引き攣る。

 理解が追いつかない。

 状況が、現実として受け止められない。


 その一瞬の隙を、魔物は見逃さなかった。


「グルワアアアアア!!」


 咆哮とともに、巨大な影が跳びかかる。


「ぎゃああああ!」


 悲鳴を上げ、必死に身を翻す。

 しかし鋭い爪が腕を掠め、皮膚を裂いた。熱を帯びた痛みが一瞬遅れて襲いかかる。

 よろめき、足をもつれさせて転倒する。

 次の瞬間には、重い体がのしかかっていた。


「やめろ、やめ……ぐわあああっ!」


 肩に牙が食い込む。

 骨を砕くような圧力とともに、肉が引き裂かれ、血が噴き出した。

 転げるようにして逃れ、床を這いずる。

 息は乱れ、視界は赤く滲んでいた。


「おい、助けてくれ! 誰か、誰か……!」


 檻に縋って、助けを求める。

 額にはダラダラと汗をかき、狼狽した顔は一気に老けたかのようにしわくちゃだった。

 グレゴールのその姿に、歓声はさらに深まる。


「いいぞー!」

「こんなもんじゃないだろう!」

「もっと悲鳴を聞かせて頂戴!」

 笑い声。拍手。興奮に満ちた叫び。

 会場はいつものように、いや、いつも以上の熱気に包まれる。


(な……なんだこいつら。頭がおかしいんじゃないのか!?)

(人が——俺が、殺されかけているのだぞ!?)


 グレゴールは憤慨する。

 だが、誰も応えない。

 観客は笑い、手を叩き、口笛を吹いた。

 喝采が彼を包む。


「——おい、警備兵! 誰かいないのか! 早くここから出せ! こいつを引っ込めろ!」


 痺れを切らして、叫ぶ。

 だが、兵はそんな叫びも聞こえないかのように、大きな扉の前にスンと立つ。


「おい、そこの! ◯◯男爵、貴様には先の件で便宜を図ってやっただろう!?」


 縁の深い男爵も伯爵も、神官も商人も——

 誰一人彼のために動こうとしない。

 あるのはただ、愉悦に歪んだ顔、顔、顔。

 その表情を見て、恐怖が、遅れて全身を侵食する。


「グルワァアアッ!!」

「うわああああッ!」


 振り下ろされる腕。

 衝撃に弾き飛ばされ、背中から檻に叩きつけられる。鉄が軋む音が響いた。

 肺から空気が吐き出され、掠れた呼吸が漏れる。


「……ち、ちがう……違う……!」


 這いずりながら、必死に首を振る。


「これは、こんなのは、間違いだ……! 私は……私は、“餌”じゃない……!」


 声は震え、もはや形を保っていなかった。

 魔物は止まらない。

 ゆっくりと、確実に距離を詰める。

 逃げ場など、どこにもないと知っているかのように。


「ぐわああああっ!」


 再び牙が振るわれる。

 そのたびに、歓声が大きくなる。

 拍手が、鳴り止まない。


 ——見ている。

 ——見られている。


 その視線が、ふと歪む。

 悦楽に歪む顔が、どこかで見たものへと変わっていく。


 恐怖に引きつった顔。

 涙に濡れた瞳。

 そうそれは——かつて自分が、この大きな檻に閉じ込め、

 その中で逃げ惑い、喰われていった“役者”たち。


「……ぁ、」


 理解が、追いつく。

 追いついてしまう。


 自分が、何をしてきたのかを。

 自分が、今、どこにいるのかを。


 眼前の魔物が、三つの口を大きく開いた。

 六つの目が、同時にこちらを見据える。


 逃げる力は、もう残っていない。

 ただ、目を見開いたまま。


 グレゴールは、その命を終えた。

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