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寝静まった夜の街に月明かりが差す。
光を遮る塀の向こう、風ひとつないその場所で、影が蠢きぐるぐると渦を巻いた。
闇が大きくうねり、その中から黒髪の女がごぽりと飛び出てくる。
魚のように翻り、ふわりと地面に着地する。
次いで、黒猫が彼女の肩にちょこんと降り立った。
ルナは指先で猫の顎をくすぐると、ふと月を見上げ呟いた。
「ふふ……また面白い物語が始まりそうね」
月が次に導いたのは、昏く閉ざされた地下の世界だった。
鎖されたその中で、踊り散る小さな影。
「なんだか風変わりな『踊り手』のようだけれど——いいわ。血を捧げるのなら、私は誰の手も取りましょう」
ルナの足元で、また影がぐるぐると蠢き出した。
色濃い影が石畳を走り、月明かりの街を闇に染め上げていく。どこからか遠吠えが聞こえた気がした。
「——さあ、踊ってらっしゃい」
最後にその言葉を残すと、ルナは黒猫と共に、また影の中へ沈んで行った。
***
「おい、いたぞ!」
「こっちだこっち! “魔女の犬“だ!」
「石当てろ、石!」
——ああもう、みつかった!
うしろからばたばたと足音がおいかけてきて、わたしはあわてて走り出した。
かたい石のみちを、つまずきそうになりながら、いっしょうけんめいに。
「きゃうっ!」
「お、当たった! もう一回!」
「動くなよ、当てにくいだろ!」
がつんっ!
せなかに石があたった。
いたい。
なのに子どもたちはむしろたのしそうに、もっとたくさんの石をなげつけてくる。
なんで、どうして。
どうしてこんなことをするんだろう。
わたしはかなしくて、かなしくて、なきそうになる。
だけど立ちどまったらきっと、もっといたいことをされるから。
だからわたしは、ひたすら走った。
走って、にげて、みつからないところまで——
だけど、みつからないところって、どこだろう。
こんなとき、どうしようもなく『ママ』に会いたくなる。
ママ、ママ。
ママがいなくなってから、わたしはずっと、
こんなふうに、生きている。
わたしが『ママ』と出会ったのは、ここからずっととおい場所、しらない村のなかだった。
ひとりで森をさんぽしていたわたしは、そこで『まもの』に出くわした。
おおきくて、まっくろいそいつは、おっきなきばでわたしのことを食べようとした。
わたしは、こわくて。こわくて、こわくて、走ってにげた。
からだをひっかかれて、うごけなくなって、それでもどうにかにげて、にげて——
それを見つけてくれたのが『ママ』だった。
血だらけで、どろだらけで、みんな「汚い」って言ってるのに、ママだけがわたしを抱きしめて、「大丈夫よ」って、言ってくれた。
わたしはその日から、ママのむすめになった。
ママは、『しんでん』っていう、おおきくて、まっしろいところではたらいていて、わたしもいっしょに、そこでくらすようになった。
あたたかい場所だった。
ごはんもあって、ねるところもあって、ママもいて。
『こじいん』ってところの子どもたちと、ともだちになってかけっこをしたりもした。
だけど、ある日とつぜん、ママはいなくなってしまった。
どうしてかは、よくわからない。
ただ、『しんでん』の人たちがだんだんあわただしくなって。
今までいっぱいあそんでくれた人も、どんどん冷たくなっていって。
ママはもう、帰ってこないって言われて——
そしてわたしは、『しんでん』からおいだされた。
「もう二度と戻ってくるな」って。
「殺さないだけ感謝しろ」って。
どうしてか、わからなかった。
わからないけど、もうここはわたしのおうちじゃないんだってことだけはわかった。
ママもいなくなって、かえるおうちもなくなって。
どうしていいかわからなくて、ひたすらまちのなかをあるいた。
むかし、ママといっしょにあるいた道。ママのうしろをおいかけた場所。
だけど、人にみつかるたび——
「どっか行け!」
「近づくな、汚らしい!」
「呪われた、“魔女の犬”め!」
——そんなふうに言われて、石をなげられた。
だからわたしは、かくれることにした。
だれにもみつからないように、まちのすみっこで。ちいさくなって。
だれかがすてたものをかじって。道のすみにたまった水をのんで。
そうやってひっそりと、ひとりで生きてきた。
今日もそうやって、たてもののうしろにかくれていたのに。
「おい、あそこになんかいるぞ」
「うわ、きったねえ!」
そう声がして、わたしはびくっとふるえた。
近所の子どもたちだ。
どうして。こんなくらくてせまいとこ、いつもならだれもこないのに。
からだをかたくしていると、おとこの子のひとりがわたしをじっと見て、こう言った。
「……あれ? こいつ、“魔女の犬”じゃないか?」
そのことばに、ぎくっとする。
わたしのことをそうよぶ人は、みんな、みんな、わたしに石をぶつけてくるから。
「え、ほんとか?」
「あの、いつも魔女のうしろを着いてってたやつ?」
「そういえば、最近ここらへんに魔女が出たって、母ちゃんが言ってた」
『まじょ』。
それはきっと、ママのことだ。
ママは『まじょ』なんかじゃない。そう言いたいけど、言ったらきっと、いたいことをされる。
「もしかしてそれ、こいつのせいなんじゃね?」
「なんか、気味悪いな」
「魔女の手下だ、追い出そうぜ!」
おとこの子はそう言って、足元の石をひろってわたしになげつけてきた。
『いたいっ!』
わたしはたちあがって、走り出した。
「待てよ!」
「逃がすな!」
にげるわたしを、子どもたちはそう言っておいかけてきた。
おいつかれないように、走る。にげる。
そのせなかに、おおきな石ががつんっ!とあたった。
「きゃうっ!」
「お、当たった! もう一回!」
「動くなよ、当てにくいだろ!」
ころんでしまったわたしに、また石がふってくる。
さっきよりちかくからなげられた石が、つよくぶつかる。
『やだ、やめて! いたい、いたい!』
「うるせえなあ!」
「ほら、動くなって言っただろ!」
ないても、さけんでも、やめてくれない。
むしろわらって、こんどはおもいきりおなかをけってきた。
いたい。
「魔女の仲間が、王都をうろつくな!」
「くらえ! 正義の断罪だ!」
「あうっ! ア゛ウッ!」
声がどんどんおおきくなる。
立ちあがろうとするそばから、かおをけられて、にげられない。
こわい。
どうしよう。
だれか、たすけて!
——そのときだった。
きゅうにいたいのがなくなって、うるさかった子どもたちの声がしずかになった。
「……何をしている」
子どもたちのとはちがう、ひくい声がきこえて、わたしはちいさく目をあけてみた。
まっしろいおとこの人が、そこに立っていた。
そらいろのマントに、おおきな剣。
まっしろい手ぶくろをした手が、石をなげようとしていた子どもの手をつかんでいた。
手をつかまれたまま、おとこのこがつぶやいた。
「ゆ、勇者さま……」
『ゆうしゃ』。
そのなまえに、わたしはおもいだした。
わたしは、この人を、しっている。
『しんでん』で、なんども会ったことがある。
ママといっしょにいたとき、いつもわたしにちょっかいをかけてきた人。
そして——
「神の御元で、暴力は許されない」
『ゆうしゃ』はわたしに気づいていないのか、おとこの子の手をつかんだままそう言った。
子どもたちは、びくっとして、あわてて口をひらく。
「ち、ちがうんです! そいつ、魔女の手下なんです! だから、やっつけようと……!」
「魔女の?」
言われて、『ゆうしゃ』はゆっくりとわたしを見おろした。
目があう。
わたしは、はじかれたようににげだした。
「あっ、こら待て——!」
おとこの子がさけぶのがきこえる。
だけどわたしは、たちどまるわけにはいかなかった。
にげなきゃ。
それだけかんがえて、ひたすら、ひたすら、はしる。
『ゆうしゃ』は、だめだ。
あの人は、子どもたちより、見まわりの人たちより、ずっと、ずっとこわい。
『しんでん』の人たちが、言っていたんだ。
ママがかえってこなくなったのは、『ゆうしゃ』のせいなんだって。
『ゆうしゃ』が、ママを、——ころしたんだって。
ほんとうは、かみついてやりたい。
ママをかえせって、言ってやりたい。
だけど——
わたしはにげた。
うしろなんて見ないで、ただまっすぐに。
人のあいだをぬけて、せまい道に入りこんで。それでもまだ走る。
すれちがうおとなが、いやそうな声をあげた。
「ねえ、あれ……」わたしを指さして、だれかをよぶようなしぐさをした。
それをみて、もっと、もっとはやく走る。
走って、走って、にげたさきに、つきあたりにぶつかった。
いきどまりだ。
どうしよう。みぎをみても、ひだりをみても、道がない。
「……おい、どこへ行った?」
「……っ!?」
うしろから、声がきこえた。
『ゆうしゃ』だ。
『ゆうしゃ』が、おいかけてきてる。
どうしよう、つかまっちゃう。
もし、あの人につかまったら、きっと——
あせって、あたりを見まわす。
かべの下に、ちいさな穴があるのをみつけた。
そっとからだをかがめてみる。
うしろから、また声がちかづいてきた。
——だめ、つかまる。
もうかんがえるひまなんてなかった。
その穴に、おもいきりからだをすべりこませる。
「待て——!」
『ゆうしゃ』の声をききながら、わたしは、くらいその中へもぐりこんだ。
その先がどんなところかなんて、なんにも知らないまま。




