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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第三章 代行少女は血を捧ぐ

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エピローグ

 サンクティア王国、王都、夜。

 人並みの途絶えた石畳の通りを、衛兵二人が歩いていた。


「……めんどくさいなあ、こんな時間に」

「仕方ないだろ。『魔女』と関わりがあるかもしれないものは全部調べろって、神殿からのお達しなんだから」


 二人の衛兵は、商業地区の隅、コルヴィ商会に向かっているところだった。

 その店主であるダリオは、魔女と関わりのある少女を長年雇っていたらしく、詳しく話を聞いてこいと指示が下ったのだ。


「だからって、夜に来させるかね普通。明日でいいだろうに」

「最近、きな臭い噂もあるからな。魔女が国中に呪いを振りまいてるとか、なんとか」

「魔女ねえ……」


 半ば呆れたように呟きながら、二人は店の前で足を止めた。

 店に灯りはなく、ひっそりと沈んでいる。

 もう寝入ってしまったのだろうか。そんなことを考えながら、片方の衛兵が扉を叩いた。


「おい、いるか」


 返事はない。

 「衛兵だ、話がある」もう一度、強めに叩く。それでも中は静まり返ったままだ。


「……留守か?」


 衛兵は眉をひそめ、そっと扉に手をかけた。

 きし、と軽い音を立てて、扉はあっさりと開く。鍵はかかっていなかった。


「おい、勝手に入るぞ——」


 声をかけながら、中へ踏み込んだ。

 その瞬間だった。


「ひ……っ!?」


 短い悲鳴が、店内に響いた。

 薄暗い店の中央。床一面を染め上げる黒い血溜まりの中——


 ダリオが、仰向けに倒れ、息絶えていた。


「な、なんだ、これは……」

 衛兵たちは息を呑みあたりを見回した。

 剥げた壁、空っぽの棚まで、誰かがわざとぶち撒けたかのように血で汚れている。

 一人の死で、ここまで大量の血を流せるものだろうか。

 衛兵たちは恐怖に慄いた。


「お、おい見ろよ、これ……」

 さらに、片割れが指さす先を見て、ついに言葉を失う。


「……傷が、ない……?」


 静かにこと切れているダリオの体には、傷ひとつつついていなかったのだ。

 それならば、この血は、いったい——


「……魔女の、呪い——」


 一人の衛兵が、喉を鳴らした。

 その言葉がやけに重く、血みどろの店内に沈んだ。





 ————クスクス。

 ——クスクスクス。


 夜の石畳の街に、転がすような笑い声が響く。

 ちょうどコルヴィ商会の通りを挟んだ向かい側、古びた家の屋根の上で、女の影が笑みを漏らす。

 瓦に腰掛けた魔女はその腕に黒猫を抱き、隣に寄り添うように幼い少女の影が佇んでいる。


 扉の奥で慌ただしく動く衛兵たちも、屋根の下で眠る町人たちも、誰も彼女に気づかない。

 そんな彼らを見下ろし、魔女は満足気に頷いた。


「——自分の願いすら他人に託すその怠惰も、だけど自分が求められた時には何ひとつ差し出さないその自己矛盾も……すべて、すべて愛おしいわ」


 言いながら、黒猫の背を指先でゆっくりと撫でる。

 そして、まるで赤子を抱く母のように、恋人に愛を囁く女のように、心底愛おしそうに宣う。


「ああ、人間とはなんて、素晴らしい生き物なのかしら……!」


 その言葉は、賛美でありながらどこか歪んだ響きを帯びていた。

 魔女は、甘く澄んだ声を上げてころころと笑う。


「ねえ、あなたもそう思わない? ——ノラ」


 そしてゆるやかに首を傾け、そばに佇む少女に水を向けた。

 ノラはその声に言葉を返さなかった。

 視線を向けることすらせず、瞬きもほとんどしないまま、あの店を見つめ続けている。

 その表情は、ひたすらに虚無を抱いていた。


「……やっと、自分だけの願いを叶えたのに、嬉しくないの?」


 魔女が、少しだけ声の調子を変えて尋ねた。

 沈黙のあと、ノラの唇がかすかに動いた。


「……わからない、んです……」


 それは、あまりにも平坦な声だった。


「この感情が……嬉しい、なのか……悲しいなのか……それすら、わからない……」


 視線は、まだ下を向いたまま。ぽつり、ぽつりと言葉が落ちていく。


「そもそも、何も、感じない……。どう、感じればいいのかも……わからない……」

「……」

「どうして……あなたが私を、助けてくれたのかも……」


 自分の胸の内をたしかめるように、ノラは静かに声を落とした。

 魔女は黙ってそれを受け取る。


 ノラの願いは、たしかに叶ったのだろう。

 初めて自分のために使った願いは、あの男への愛憎は、たしかに果たせた。

 けれど。


 その先に何を抱けばいいのかを、彼女は知らないのだ。ずっと、ただ一人のためにしか生きてこなかったから。

 その一人が消えた世界には、何も残っていなかった。どんな感情すらも、そこには用意されていないのだ。


「……あなたは、誰かを愛することはできても、自分を愛することは苦手なのね」


 そんなノラに、魔女はどこか悲しげな声で漏らした。

 思わず顔を上げると、魔女は、どこまでも穏やかな瞳でノラを見つめていた。


「だけどそれも人ならではなのでしょう。そんなところすら、私には愛しいわ」

「人……?」

「ええ。脆く、醜く、愚かしい。それら全てひっくるめてこそ、人でしょう?

 だから私は、あなたをも拒まない」


 静かな夜の中で、魔女はやわらかく微笑んだ。


「『わからない』という感情も、人であればこそだわ。

 ……大丈夫。私は、そんなあなたも愛しているから」


 その声音はひたすらに優しく、ノラの耳に響いた。

 愛。

 それはノラの短い人生の中で、誰からも向けられたことのない感情。

 それを、この人は与えてくれるというのか。

 ぽっかりと空いた胸に、色を失った瞳に、何か新しいものが生まれかける。

 ノラの唇が、わずかに動いた。


「……魔女、さま——」


 かすれた呼びかけに、夜風が吹き抜ける。

 瓦の上で、黒猫の尾がゆらりと揺れた。


 その瞬間だった。


 黒猫がぴくりと耳を立てる。

 同時に、ルナの瞳が細められた。


「——危ないっ!」


 言葉が形になるよりも早く、閃光が走った。

 一直線に放たれたそれは、夜を裂き、迷いなくノラの身体を貫く。


 ノラはわずかに顔を上げ、ほんの一瞬魔女を見つめると、そのまま輪郭が崩れ夜の闇に溶けていった。

 音もなく、存在そのものが消えていく。


 魔女は反射的に屋根を蹴り、黒猫と共に後方へと跳んだ。

 直後、閃光が彼女のいた場所を穿ち、瓦を砕いた。衝撃が遅れて響く。

 そのまま踊るように屋根を伝い跳ねる。


 ひとつ屋根を挟んで、やっと魔女は顔を上げた。

 視線の先には絶望を切り裂く閃光、その主が佇んでいる。


 太陽の白髪と蒼天の瞳。

 神殿の紋が輝く騎士服と、夜風にはためく青色のマント。

 神に選ばれし聖剣を持つその男は——勇者ディーン。

 ディーン・マリウス・ヴァレンティス、その人だった。


「——久しぶりね、勇者様。いえ、神殿の番犬、とでも呼ぼうかしら?」


 魔女は楽しげだった笑みをしまい込み、冷たい声で言い放った。

 勇者は動じない。

 ただ無言で一歩踏み出し、聖剣を構える。

 その刃が、わずかに光を増した。


「——魔女ルナ。神殿の命により、貴様を討つ」


 夜の静寂が張り詰める。

 直後、聖剣が振り下ろされた。

 白い軌跡が漆黒を裂き、まっすぐにルナへと迫る。


 ルナは影を伝ってそれを避け、踊るように街を駆け回った。

 夜はどこまでも魔女の味方だ。光がどこまでも勇者の味方であるように。


「ふふ……」


 どこからともなく、笑い声が落ちる。

 聖剣を振るう。

 しかし閃光はただ空を切り裂くだけだった。


「ごめんなさいね。今は、あなたの相手をしている暇はないの。また会いましょう——ディーン」


 名を呼ぶ声音は親しげでありながら、底の見えない冷たさを孕んでいた。

 クスクス。クスクス。

 石畳に笑い声が広がる。

 屋根の上、路地の奥、建物の陰——あらゆる場所から響いてくるかのように。


 だがそれは次第に遠ざかり、やがて完全に途絶えた。

 しばらく聖剣を構えていた勇者も、しばらくのち、気配を追うことを諦めたのか静かに剣を降ろした。


 ——クスクス。クスクス。

 まだどこかで、彼女が笑う声を感じながら。







 ——街の中央にそびえる、古びた時計台。

 その頂、夜の風が強く吹き抜けるその場所に、ルナは腰掛けていた。

 腕に猫をかわいがりながら、足元に広がる街並みを愉しむ。彼女が愛してやまない、人間たちが数多く暮らす場所。


「……ついに、神殿も動き出したのね。こんなに早く勇者を差し向けるなんて」


 ルナは黒猫に話しかけるようにそう言うと、くすりと小さく喉を鳴らす。


「あの、正義の人形(マリオネット)を」


 それは嘲るでもなく、ただ事実をなぞるような声音だった。

 時計台の頂きから、遠く大神殿へと視線を向ける。

 黒猫が小さく喉を鳴らした。


「それでも私は、人を愛すのをやめないわ」


 ルナは目を細める。

 いっそ恍惚とも言える表情で自分を抱きしめ、耐えられずその言葉を放つ。


「ああ、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる、愛してる——」


 甘やかな声が風に乗る。

 この街を、国をまるごと包むような気持ちで、ルナはただただその言葉を囁いた。

 

 その愛に嘘偽りなどない。

 この世界に生きる全ての人間を。その人間の持つ喜びも憎悪も悲哀も全て全て。

 だからこそルナは夜に踊るのだ。

 彼女の愛を振り撒くために。

 愛する人間たちの、願いを叶えるために。


 ——ああ、愛してる。愛してる。愛してる。

 ルナは今日も踊る。今日も愛を語る。唄うように、囁くように。

 そして、すっと温度の抜けた声で、言葉を落とした。


「——だけど、ディーン。あなただけは、愛してあげない」


 その言葉だけが夜に残され、気づけば街にルナの姿は消えていた。

 時計台の上には、ただ風だけが吹き抜けていた。

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