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その日もノラは、聖女の儀式のため神殿に赴いていた。
何度も血を捧げているせいだろうか、頭はいつにも増してぼんやりと、体は一歩ごとにフラフラと揺れた。
(……今日は、何を願うんだっけ……?)
じんわり重くなる頭の奥で、懸命にダリオの言葉を思い出す。
(そうだ、たしか……今度は、お貴族様とお知り合いになりたいって……)
沈みそうになる意識の中、どうにか辿ったその言葉を祈りに乗せる。
——どうか、貴族様がコルヴィ商会に来てくれますように。
ぐわん。
*
儀式が終わり、店に戻ったノラを待っていたのは、相変わらず混雑した店内と大量の仕事だった。
ふらつく足を奮い立たせ、倉庫と店先を何度も往復する。
そんなときだった。
仕立ての良い外套を身につけた一人の紳士が、コルヴィ商会へと入店してきた。
上質な革靴、大きな宝石の施された指輪。背後には従者も連れていた。
一目で上流階級だとわかる出立に、ノラは先ほど行ったばかりの儀式をふと思い出した。
(……さっき聖女さまにお願いしたし、本当に貴族様だったりして)
なんてね、と、心の中で舌を出す。
この頃にはコルヴィ商会はもう噂の的で、王都の庶民だけでなく、裕福な商人が視察に訪れることもあった。おそらくこの紳士もそうなのだろう。そこまで考え、ノラは仕事に戻った。
ダリオも同じことを考えたのだろう、身なりのいいその男にも媚びることなく、いつもの尊大な態度のままカウンターに居座った。
(派手な指輪しよって……どうせどこかの成金商人やろ)
ちらりと目を細めそう判断したダリオは、わざとゆったりと椅子に腰を沈めた。
そんな彼を気にもせず、その紳士は店内をゆったりと見て回る。
と、とある一角でおもむろに立ち止まり、ダリオに声をかけた。
「こちらは異国の品を多く取り扱っていると聞きましたが、こちらの商品ですかな?」
そう言って紳士は、並べられた品の一角、ガラス器の棚を指差した。
話しかけられたダリオは、椅子から重い腰を上げ、口元に商売用の笑みを浮かべて答えた。
「ようお目が利きますな。ええ、我が故郷——西方の名工が手がけた品でして」
「ほう、西方の品ですか」
紳士は感心したようにつぶやくと、その中の一つを手に取った。
ガラスが淡く光を反射する。それが気に入ったのか、紳士は興味深げにその器をじっくりと見つめた。
(——ふん、やっぱり、所詮成金商人やな)
その様子を見て、ダリオは内心でそう吐き捨てる。
だけども表情には笑顔を取り繕いながら、ダリオは続けた。
「王都ではなかなか出回らん代物でしてな。ここでしか手に入らん一品ですわ」
その言葉を聞いた瞬間、ノラの手が止まった。
(えっ? それは……)
見覚えがあった。
つい先日仕入れた、王都の安い工房の品だ。
「ダリオさん、それは——」
思わず口を開きかけたノラに、ダリオはキッと強く睨んだ。
鋭い視線に慌てて口を閉ざし、深く俯いた。
ダリオはそんなノラにも構わず、紳士に対し異国品の素晴らしさを語った。
——そのやり取りを、背後に控えていた従者がじっと見ていたことにも気づかず。
「ふむ、一品ものと言われると途端興味が湧くな。主人、こちらの商品を——」
紳士がそう言いかけた時だった。
「失礼」
ずっと後ろに控えていた従者が、そう短く告げ紳士の手から器を受け取った。何気ない動作で器をくるりと裏返す。
「……閣下、裏をご覧ください」
“閣下”。その呼び名にダリオがぴくりと反応する。ノラは小さく首を傾げた。
従者に示された箇所に、紳士は視線を落とした。
底の部分——そこには、小さく刻まれた印があった。
間違いなく、王都の工房の紋が。
紳士はゆっくりと顔を上げた。
その視線は先ほどまでの柔らかさを失い、冷ややかにダリオを射抜いていた。
「……西方の名工、と言ったな。——これは、王都の工房印だと思うのだが?」
「……!」
ダリオの表情が固まる。
「い、いや、これは、その……!」
ダリオは必死に頭を巡らせ、どうにか取り繕おうと言葉を探す。
しかしそんな彼を許さぬとでも言うように、従者の声が鋭く割って入った。
「貴様、王都の品を異国品と偽り、我が主人に売りつけようとしたな」
「そ、そないなつもりは……!」
「無礼である、こちらは○○子爵閣下であらせられるぞ!」
「——!?」
その一言に、空気が凍りついた。
ざわめいていた店内が静まり返り、客たちの視線が一斉にこちらへと集まる。
(き、貴族……!? なんでこないな店に、お貴族様が……!?)
ダリオの顔から血の気が引いた。
どうせ見る目のない成金商人だと思っていた相手が、まさか貴族だったとは——
「も、申し訳ございません! これは、その……私の勘違いで……!」
ダリオは、地に頭がつかんばかりに深く頭を下げた。
商人が、貴族の不興を買ってやっていけるわけがない。
平身低頭するダリオに、それでも従者は許さず追い討ちをかける。
「勘違いだと? 品を偽って売りつけるをことを、貴様は勘違いと呼ぶのか」
「そ、そういうわけでは……!」
「商人風情が貴族を謀ろうとするとは——身の程を弁えよ!」
「は、まことに、まことにその通りでございまして……!」
ヒートアップしていく従者に、ダリオは頭を下げるしかできない。
ノラはおろおろとその様子を見つめた。
店内に広がったざわめきは、先ほどまでのものとは違っていた。
混沌としていく空気を、短い一言が遮った。
「——もうよい」
子爵だった。
「所詮、平民の商人だ。客を欺くような者など——私が手を下すまでもなく、いずれ落ちぶれる」
冷え切った声音だった。
それ以上は何も言わず、彼は踵を返す。
従者が一礼し、その後に続いた。
扉が開き、閉じる音がやけに大きく響く。
あとに残ったのは重苦しい沈黙と、凍りついたように動けないダリオの姿だけだった。




