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儀式の日を境に、コルヴィ商会の客足はまるで別の店のように変わった。
朝店を開ければすぐ客が入り、昼には棚の前に人だかりができる。夕方になっても客の声は途切れなかった。
「これ、どこの国のものなんだ?」「見たことない細工だな」「奥にもまだ商品あるのかい?」
次から次へと手に取られ、棚に並べたものはほとんどその日のうちに売れてしまう。ノラは朝から晩まで働き通しだった。
忙しさに追われるノラの待遇が、特別よくなったわけではない。相変わらず食事は固いパンとスープだけだし、寝床も店の倉庫のままだ。
それでも——
「今日はえらい売れたなぁ!」
店の奥で帳簿をめくりながら、ダリオは上機嫌に笑った。
「ほれ見てみぃ、この金貨。昨日より増えとるやろ」
卓の上に積まれた硬貨を指で弾き、満足そうにうなずく。
最近のダリオは、毎日こんな調子だった。
毎日のように機嫌よく、ダリオが笑うから——それでも、ノラは満足だった。
恩あるダリオが喜ぶのなら、自分がどれだけ忙しくとも、それに見合う対価が得られなくても、ノラの心は満たされた。
(このまま、二人でお店をやっていけたら……)
そんなことをぼんやり考えることさえあるほどに。
しかし、そんなノラとは裏腹に、店が繁盛すればするほど、ダリオは満足するどころかますます欲深くなっていった。
「今のままやったら勿体ないわ。何置いても売れるんや、もっと店、でかくできるやろ」
「もっと品揃えも増やしたいな。この国にないもんや、ちょっとぐらい粗悪品でも、珍しけりゃ売れるやろ」
「そのうち支店も出すで。この街だけやない、国中にコルヴィ商会の名前を轟かすんや!」
「従業員も増やさなあかんな。そのうち貴族も客にするつもりや、相手ができる奴も雇わんと」
夢を語るダリオの声は、どんどん熱を帯びていく。
それは、学のないノラにはほとんど理解のできない内容だったけれど。
話をきくたび首を傾げるノラに、ダリオは呆れながらこう言った。
「お前は何も考えんでええ。これ持って、また聖女んとこ行ってきい」
渡されたのは、金貨の入った袋だった。
「え、これ……?」
「この前の儀式、また神殿に“お願い”しとるから。そんな端金で店が繁盛するなら、むしろ儲けもんや」
それからノラは、何度も神殿へ足を運ぶことになった。
いつものように裏口から通され、大聖堂へ連れていかれる。
冷たい刃を腕に当て、血を瓶へ落とす。
やがて聖句が響き始め、世界が揺れる。
ダリオも、神官も、相変わらず何も指示しない。何を祈れとも、どう動けとも。
だからノラは儀式のたびに必死で頭を捻り、ダリオの言葉を思い出し、膝を折ってひたすら祈った。
(ええと……何を願えばいいんだっけ)
(そうだ、もっと品揃えをよくしたいって言ってた)
聖女が瓶を飲み干す。
——どうか、珍しい品物がたくさん手に入りますように。
ぐわんっ!
後日、コルヴィ商会には「品物を卸したい」と名乗る異国商人が現れた。
——それから、もっといっぱいお店を増やしたいって。
ぐわんっ!
知り合いの商人が、格安で店を譲るという話を持ちかけてきた。
——ええと……働いてくれる人を増やしたい、だっけ。
ぐわんっ!
店の前には、仕事を求める人が何人も並ぶようになった。
——あとは、もっとお金持ちのお客さんに来てほしい、って……。
ぐわんっ!
気がつけば、仕立ての良い服を着た客が店を訪れるようになっていた。
何度も何度も、言われるままに神殿へ通った。
金貨を持っては神官に渡し、腕を切って血を捧げる。
そして祈った——ダリオの願いが叶いますように、と。
願えば願うほど、コルヴィ商会は大きくなっていった。ノラは昼も夜もなく働き、店が閉まれば売上金を持って神殿に足を運んだ。
腕の傷は、完全に塞がる前にまた切られるようになっていた。繁盛する店の中で、金貨が増え、商品が増え、人が増えていく。
その一方で、ノラは自分の体がどんどん弱っていることに気づいた。
頻繁に血を捧げているせいか、体の力がなかなか戻らない。
朝起きても体が重く、ふらりと視界が揺れることも増えた。
店がどれほど繁盛しても、ノラの食事も寝床も相変わらずだった。
一日に二度施される固いパンでは、失った血は簡単には回復しない。ノラの体は日に日にやせ細っていった。
限界に達したノラは、ある日とうとうダリオに申し出た。
「もう、限界です……。せめて、パンを……もう少し分けて、くれませんか……?」
あからさまに弱り切ったノラの言葉に、だけどもダリオは冷たく当たった。
「何ぬかしとんねん!」
「きゃあっ!」
バシンッ!
頬に衝撃が走った。
ノラの体は軽々と横へ吹き飛び、床に倒れ込んだところへ腹に蹴りが入った。
「店のためやろうが! 拾ってやった恩、忘れたんか!」
「うっ、ぐうっ!」
さらにもう一度、蹴りが落ちた。
床に伏したまま、ノラは何も言えない。
ダリオは机の上にあった小袋を掴み上げると、転がったままのノラに向かって投げつけた。
「痛っ……!」
「お前はなぁ、黙ってワシのために祈っとけばええねん!」
背にぶつけられた小袋が、床に落ちてじゃらりと音を立てた。
「ほら、これ持って行け。今日も神殿や」
冷たい声だった。
ノラはしばらく動けなかった。
震える手で袋を掴む。立ち上がろうとして、体がぐらりと揺れた。
それでも、ノラは店を出た。
——儀式から帰ると、倉庫の隅に置かれた木箱の上に今日の食事があった。
硬いパンと、水。それだけだった。
……昔は、これだけでも天国のような食事だと思えたのに。
ノラはゆっくりと座り込み、パンを手に取った。
ぽたり。
パンの上に涙が落ちて、ノラは慌てて目を拭う。
泣いている場合じゃない。
少しでも食べて、血を回復させなければ。
震える手でパンを口に運んだ。
最近は、わけもなく手が震えることが増えた。
立っているだけで視界が揺れる。
腹は空いているのに、何か食べると吐き気がこみ上げることもあった。
硬い皮を必死に噛みちぎる。
喉が詰まりそうになっても、水で流し込む。
吐き気がこみ上げても、無理やり飲み込む。
——食べなければ。少しでも、力をつけなければ。
聖女さまに、血を捧げるために。




