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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第三章 代行少女は血を捧ぐ

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5

 儀式の日を境に、コルヴィ商会の客足はまるで別の店のように変わった。


 朝店を開ければすぐ客が入り、昼には棚の前に人だかりができる。夕方になっても客の声は途切れなかった。

「これ、どこの国のものなんだ?」「見たことない細工だな」「奥にもまだ商品あるのかい?」

 次から次へと手に取られ、棚に並べたものはほとんどその日のうちに売れてしまう。ノラは朝から晩まで働き通しだった。

 忙しさに追われるノラの待遇が、特別よくなったわけではない。相変わらず食事は固いパンとスープだけだし、寝床も店の倉庫のままだ。

 それでも——


「今日はえらい売れたなぁ!」


 店の奥で帳簿をめくりながら、ダリオは上機嫌に笑った。


「ほれ見てみぃ、この金貨。昨日より増えとるやろ」


 卓の上に積まれた硬貨を指で弾き、満足そうにうなずく。

 最近のダリオは、毎日こんな調子だった。

 毎日のように機嫌よく、ダリオが笑うから——それでも、ノラは満足だった。

 恩あるダリオが喜ぶのなら、自分がどれだけ忙しくとも、それに見合う対価が得られなくても、ノラの心は満たされた。

(このまま、二人でお店をやっていけたら……)

 そんなことをぼんやり考えることさえあるほどに。


 しかし、そんなノラとは裏腹に、店が繁盛すればするほど、ダリオは満足するどころかますます欲深くなっていった。


「今のままやったら勿体ないわ。何置いても売れるんや、もっと店、でかくできるやろ」

「もっと品揃えも増やしたいな。この国にないもんや、ちょっとぐらい粗悪品でも、珍しけりゃ売れるやろ」

「そのうち支店も出すで。この街だけやない、国中にコルヴィ商会の名前を轟かすんや!」

「従業員も増やさなあかんな。そのうち貴族も客にするつもりや、相手ができる奴も雇わんと」


 夢を語るダリオの声は、どんどん熱を帯びていく。

 それは、学のないノラにはほとんど理解のできない内容だったけれど。

 話をきくたび首を傾げるノラに、ダリオは呆れながらこう言った。


「お前は何も考えんでええ。これ持って、また聖女んとこ行ってきい」


 渡されたのは、金貨の入った袋だった。


「え、これ……?」

「この前の儀式、また神殿に“お願い”しとるから。そんな端金で店が繁盛するなら、むしろ儲けもんや」


 それからノラは、何度も神殿へ足を運ぶことになった。

 いつものように裏口から通され、大聖堂へ連れていかれる。

 冷たい刃を腕に当て、血を瓶へ落とす。

 やがて聖句が響き始め、世界が揺れる。


 ダリオも、神官も、相変わらず何も指示しない。何を祈れとも、どう動けとも。

 だからノラは儀式のたびに必死で頭を捻り、ダリオの言葉を思い出し、膝を折ってひたすら祈った。

(ええと……何を願えばいいんだっけ)

(そうだ、もっと品揃えをよくしたいって言ってた)

 聖女が瓶を飲み干す。


 ——どうか、珍しい品物がたくさん手に入りますように。

 ぐわんっ!

 後日、コルヴィ商会には「品物を卸したい」と名乗る異国商人が現れた。


 ——それから、もっといっぱいお店を増やしたいって。

 ぐわんっ!

 知り合いの商人が、格安で店を譲るという話を持ちかけてきた。


 ——ええと……働いてくれる人を増やしたい、だっけ。

 ぐわんっ!

 店の前には、仕事を求める人が何人も並ぶようになった。


 ——あとは、もっとお金持ちのお客さんに来てほしい、って……。

 ぐわんっ!

 気がつけば、仕立ての良い服を着た客が店を訪れるようになっていた。


 何度も何度も、言われるままに神殿へ通った。

 金貨を持っては神官に渡し、腕を切って血を捧げる。

 そして祈った——ダリオの願いが叶いますように、と。


 願えば願うほど、コルヴィ商会は大きくなっていった。ノラは昼も夜もなく働き、店が閉まれば売上金を持って神殿に足を運んだ。

 腕の傷は、完全に塞がる前にまた切られるようになっていた。繁盛する店の中で、金貨が増え、商品が増え、人が増えていく。


 その一方で、ノラは自分の体がどんどん弱っていることに気づいた。

 頻繁に血を捧げているせいか、体の力がなかなか戻らない。

 朝起きても体が重く、ふらりと視界が揺れることも増えた。


 店がどれほど繁盛しても、ノラの食事も寝床も相変わらずだった。

 一日に二度施される固いパンでは、失った血は簡単には回復しない。ノラの体は日に日にやせ細っていった。

 限界に達したノラは、ある日とうとうダリオに申し出た。


「もう、限界です……。せめて、パンを……もう少し分けて、くれませんか……?」


 あからさまに弱り切ったノラの言葉に、だけどもダリオは冷たく当たった。


「何ぬかしとんねん!」

「きゃあっ!」


 バシンッ!

 頬に衝撃が走った。

 ノラの体は軽々と横へ吹き飛び、床に倒れ込んだところへ腹に蹴りが入った。


「店のためやろうが! 拾ってやった恩、忘れたんか!」

「うっ、ぐうっ!」

 

 さらにもう一度、蹴りが落ちた。

 床に伏したまま、ノラは何も言えない。

 ダリオは机の上にあった小袋を掴み上げると、転がったままのノラに向かって投げつけた。


「痛っ……!」

「お前はなぁ、黙ってワシのために祈っとけばええねん!」


 背にぶつけられた小袋が、床に落ちてじゃらりと音を立てた。


「ほら、これ持って行け。今日も神殿や」


 冷たい声だった。

 ノラはしばらく動けなかった。

 震える手で袋を掴む。立ち上がろうとして、体がぐらりと揺れた。

 それでも、ノラは店を出た。


 ——儀式から帰ると、倉庫の隅に置かれた木箱の上に今日の食事があった。

 硬いパンと、水。それだけだった。

 ……昔は、これだけでも天国のような食事だと思えたのに。


 ノラはゆっくりと座り込み、パンを手に取った。

 ぽたり。

 パンの上に涙が落ちて、ノラは慌てて目を拭う。


 泣いている場合じゃない。

 少しでも食べて、血を回復させなければ。

 震える手でパンを口に運んだ。


 最近は、わけもなく手が震えることが増えた。

 立っているだけで視界が揺れる。

 腹は空いているのに、何か食べると吐き気がこみ上げることもあった。


 硬い皮を必死に噛みちぎる。

 喉が詰まりそうになっても、水で流し込む。

 吐き気がこみ上げても、無理やり飲み込む。


 ——食べなければ。少しでも、力をつけなければ。


 聖女さまに、血を捧げるために。

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