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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第三章 代行少女は血を捧ぐ

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 ほどなくしてダリオは、本当に神殿と渡りをつけてみせた。

 「血の儀式を受けられるようになった」と告げられ、ノラは目を丸くする。

 どんな魔法を使ったのかと首をかしげているうちに、儀式の日がやってきた。


 その日、ノラは両手で小さな袋を握りしめながら、神殿へと向かっていた。

 袋の中には、ダリオから渡された金貨が入っている。これを、自分を案内してくれる神官に渡せと言付かっていた。大事に胸に抱え込む。


 王都の中央にそびえる神殿は、遠くからでもよく見えるほど巨大だった。

 白い石で築かれた大聖堂は朝の光を受けて輝き、空へ向かって伸びる尖塔の先には神殿の紋章が掲げられている。


 孤児院にいた頃、祭事の手伝いで何度か足を運んだことはあるが、こうして祈りの儀式に関わるのは初めてだった。

 まして、自分のために——正確に言うとダリオのためだが——聖女さまが祈ってくれるだなんて。

 そう思うと自然と背が伸び、足取りが軽くなる。

 そのまま正門に向かおうとしたノラを、脇から現れた神官が静かに呼び止めた。


「……コルヴィ商会の者か」


 低い声だった。

 振り向くと、白衣の神官が一人立っている。


「え、あの……」

「こちらへ」


 戸惑うノラに神官はそれ以上何も説明せず、ただ静かに歩き出した。ノラは慌ててその後を追う。

 案内されたのは、正門ではなかった。

 神殿の側面にある、ほとんど人目につかない小さな扉だった。


(……裏口?)


 少し不思議に思ったが、神殿の人が案内するのだから間違いないのだろう。ノラは深く考えず、言われるまま中へ入った。

 石造りの廊下は、外よりもずっと静かだった。裏門の扉を閉め、神官がノラを振り返る。


「持ってきたものを」


 ノラは慌てて袋を差し出す。神官はそれを受け取ると、中を確かめるように軽く重さを測り、無言で懐にしまった。

 ノラはそれを見て、小さく首を傾げる。

 だけどもすぐに、「……ついてきなさい」と歩き出すものだから、疑問はすぐにかき消され、ノラは黙って彼を追った。


 二人揃って、長い長い廊下を歩く。足音がやけに大きく響いた。

 そうして案内された先は、神殿の最奥、大聖堂だった。


(……わあっ!)


 ノラは思わず息を呑んだ。

 高い天井、並ぶ石柱、色ガラスの窓から差し込む光が床に淡い色を落としている。

 見たこともない美しい景色が、そこに広がっていた。


 何人もの神官が、巫女が、白衣を纏い並ぶ。

 ノラは案内されるがままにその間を歩き、中央までやってきた。


 ふと視線を上げると、その奥——祭壇の前に、一人の影が立っていた。

 ひときわ豪奢な白い布を纏った、細い人影。

 影はただ静かに佇んでいるだけなのに、不思議と目を逸らせなかった。

 胸が震えた。


 ——聖女さまだ。


 距離があるせいか、顔までは見えない。それなのにはっきりとノラにはわかった。

 あれは、聖女だ。

 言葉では説明できない何かが、そうだとノラに告げていた。


 窓明りに照らされ、長衣に施された金の刺繍が光る。整えられた長い髪がゆらりと揺れた。

 ただそこにいるだけなのに、圧倒的な存在感に気圧される。

 これが、神の加護を一身に受けた存在か。


 呆然と見つめていると、案内役の神官が小さな瓶とナイフをノラに差し出した。神殿の紋章が刻まれているそれを、ノラはハッとして受け取った。

 「ここに」短く言われ、理解する。このナイフで腕を切り、血を流せということか。

 もう儀式は始まっているのだ——そう考え、焦ったノラは急いで瓶を台座に固定する。

 そしてその上で、受け取ったナイフを細い腕に当てた。


 刃は、思ったよりも冷たかった。

 指先が震える。

 ——怖い。

 素直にそう思った。

 それでもノラは、歯を食いしばる。


(……ダリオさんの、役に立ちたい)


 ノラの心に一番に浮かぶのは、それだけだった。

 あの冷たい雨の中、唯一声をかけてくれた人。学も力もない自分に、パンと寝床を与えてくれた人。

 ノラはぎゅっと唇を噛み、ナイフを持つ手を固定した。

 意を決して、刃を腕に当てる。


「——ッ!」


 ざくり。鋭い痛みが走る。

 ぼとぼとぼとっ。次いで赤い血が、瓶の中に吸い込まれるように落ちていった。


 静かな大聖堂に、血の落ちる音だけがやけに響く。

 恐ろしい緊張感の中、その音すら何かの儀式のように思えた。

「もうよい」

 やがて神官が瓶を受け取り、祭壇へと向かう。

 聖女が瓶を受け取るのを合図に、祈祷が始まった。


 祭壇の前に立つひとりの神官が、大杖を掲げながら聖句を詠み上げる。

 それに続くように、他の神官たちも復唱し始めた。

 低く厳かなその声は、石の壁に反響し大聖堂いっぱいに広がっていく。


(——え? なにこれ、私、どうしたらいいんだろう)


 聖句が鳴り響く中、ノラは大いに戸惑った。

 ここに連れて来られ、血を捧げたはいいが、それ以上何をしろとも告げられていない。

 聖なる儀式など、一体何をすればいいのか。慌てて膝をつき、ノラは両の手をぎゅっと握り合わせた。


(お客さんが来るようにって、祈ればいいんだよね……?)


 困惑しながらも、ノラはそっと目を閉じた。

 腕の傷口はじんと痛み、まだうっすらと血を流し続けている。

 それでも、両手を鼻先に寄せ、ノラは静かに願った。


 どうか、あの店にお客さんが来ますように。

 たくさん、たくさん来ますように。

 そして、ダリオさんが喜んでくれますように——


 必死に願いながら、ちらりと目線だけを聖女に向けた。

 祭壇の前で、聖女の影もまた跪いていた。両手を合わせ、祈るように。

 そして、ノラが差し出した瓶を手に取る。

 聖女の影は瓶を持ち上げると——口元に運び、一気にそれを飲み干した。

 その瞬間だった。


 ぐわんっ!


 世界が大きく揺れた。

 天地がひっくり返ったような感覚がするのに、ノラの体はピクリとも動かなかった。

 聖女の姿が光に溶けては現れる。祈祷の声が耳元で響いたかと思えば、次の瞬間には遠くに離れていく。

 耳鳴りのような感覚。

 視界が揺れる。足元がふらつく。

 ぐるん、ぐるん、ぐるんっ。

 頭の奥で光の粒が渦を巻き、その奔流に押し流されてしまいそうだった。


(な、に、これ……!?)


 何が起きているのか、わからない。

 ただ、何か大きなものに触れてしまったような感覚だけがあった。

 言葉にならない何かに呑み込まれる。

 頭に響くのは何度も聞いた祈りの言葉。

 明滅を繰り返す視界の中、祭壇で祈る聖女の姿が、強く焼きついた。






 ——どれだけの時間が経っただろう。


 気づけば、大聖堂はしんと静まり返っていた。

 祈祷の声も、足音もない。祭壇に聖女の影もなくなっていた。

 ノラはぼんやりと顔を上げる。案内役の神官が、いつの間にか目の前に立っていた。


「……儀式は終わりました」


 静かな声だった。

 ノラは、しばらく何も言えなかった。立ち上がることすら、できなかった。

 ただ、祈っていただけなのに。

 聖女に捧げた血液ごと、体の力をどこかへごっそり持って行かれたような感覚がしていた。







 儀式が終わり、神殿を出てもなお、ノラの足取りはまだどこかふらふらしていた。

 頭の奥がぼんやりと重い。

 まるで長い夢から覚めきらないような感覚のまま、ノラは帰路に着いた。


(……終わった、んだよね)


 儀式の光景が、時折ふっと頭に浮かぶ。

 揺れる視界。響く祈祷。聖女の姿。

 けれどそれが本当に起きたことなのか、まだどこか現実味がなかった。


(あれで、大丈夫だったんだろうか)


 儀式において、自分の行いが正しかったのか、ノラは未だにわかっていない。

 ただ血を捧げ、必死に願っただけだった。そして、光の濁流に呑み込まれそうになっただけ。


 あんなことで、本当に願いは叶うのだろうか。

 店が繁盛するようにという、ダリオの願いが。


 ノラは不安に思いながらも、石畳の街をゆっくりと歩いた。

 やがて、見慣れた通りに差しかかる。

 ダリオの店がある路地へ曲がった、その時だった。


 ざわざわと、人が話す声が聞こえた。

 思わず足を止める。

 声は、間違いなく店の方から聞こえていた。

 恐る恐る扉を開けると、


「おっ、ノラ! 帰ってきよったか!」


 奥からダリオの声が飛んできた。


「ちょい、来てみぃ!」


 腕を引かれるまま、ノラは店の中へ引き込まれる。

 そして——目を丸くした。


 店の中には、見たこともないほど人がいた。


 棚に並んだ異国の道具を手に取りながら話し込む客。

 珍しげに品物を眺める客。

 店の奥では誰かがダリオに値段を尋ねている。


「いやあ、ずっと気にはなってたんですよ、この店」

「見たことないものばっかりで、ちょっと入りづらくてなあ…」

「でも、今日はなんだか、思い切って入ってみようって気持ちになって」


 客たちが口々にそう言う。

 呆然と立ち尽くすノラの肩を、ダリオがばしんと叩いた。

 振り向くと、ダリオが満面の笑みを浮かべていた。


「偶然か奇跡か知らんけど——お前、すごいやないか!」


 その笑顔は、いつもの皮肉っぽいものではなかった。

 心の底から嬉しそうな、まっすぐな笑顔だった。


 それを見た瞬間、さっきまで体を覆っていた重たい疲れが、ふっと消えた気がした。

 胸の奥がじんわりと温かくなる。


 ——よかった。

 ノラは思わず、小さく笑った。

 ——私、ちゃんと役に立てたんだ。

 その事実が、ノラの小さな胸を満たしていた。

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