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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第三章 代行少女は血を捧ぐ

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3

「ノラ! いつまで同じ棚磨いとんねん!」


 王都の商人地区、その片隅に大きな怒鳴り声が響いた。

 石畳の街に佇むその店は、コルヴィ商会。

 ノラを拾った商人・ダリオが店主を務める店であった。


「ひとつの仕事にいったい何分かかるねん。ほんまとろいなあ!」

「す、すみません……! すぐ終わります……!」

「もうええわ、さっさと裏の箱運ばんかい!」

「は、はい……!」


 カウンターの奥で帳簿をつけていたダリオが、苛立たしげに舌打ちする。

 その声にノラの小さな肩がびくりと跳ねた。これ以上怒らせてはいけないと、慌てて店の奥へと駆けていく。

 その背に吐き捨てるように、ダリオのため息が落ちた。


「はあ……使えんガキ、拾ってもうたわ」


 ——あの雨の日。

 街中で行き倒れていたノラは、この男に拾われ、それ以来この店で働いている。仕事は掃除に荷運び、店番、雑用……いわゆる小間使いだ。

 給金はない。一日二度の食事と、倉庫の隅に敷いた藁の寝床だけがノラに与えられた。


 ダリオは遠い西方の国から流れてきた旅商人で、この王都で縁を得たことをきっかけに、この場所に店を構えることになった。

 彼がノラを拾ったのは、ちょうどその店を開店する予定の日だったらしい。

 開店当日に店の前で子供が死ぬなど、あまりにも外聞が悪い。そう考えたダリオは、ノラを従業員として雇うことに決めた。

 衛兵に突き出すか迷ったが、異国人のダリオはこの国の事情に疎く、風習も客の好みもよく分かっていない。そんなダリオにとって、ほとんどタダ働きさせられるスラムの孤児は、これ以上ないほど都合のいい手駒だったのだ。


 だけどもノラはダリオに感謝こそすれ、恨むことなど一度もなかった。

 あのまま通りで死んでいてもおかしくなかった彼女にとっては、飯と寝床が与えられるだけそこは天国だったし、あの冷たい雨から救い出してくれただけ、ダリオは神様のような存在だった。恩に報いようと、むしろ必死で働いた。


 だがその天国は、あまり繁盛しているとは言い難かった。

 コルヴィ商会は異国の雑貨を扱う雑貨商であり、店内の棚に並ぶのはこの王国では見慣れない品物ばかり。

 細工の細かな銀の飾り、奇妙な模様の織物、見たこともない形の香炉や小瓶……どれも遠い国から運ばれてきた品らしいが、この国の人間にはあまり馴染みがないそれを、わざわざ金を出して買う者は少ない。ダリオが店を開いてから、この場所が客で溢れた日は一度もなかった。


「……今日も来ぃへんな、客」


 ぽつりとダリオが呟いた。

 店を構えたばかりの商人にとって、客が来ないというのは何より堪えるのだろう。苛立ちと焦りが滲む声だった。

 ノラは店奥から顔だけ出して、カウンターの中で落ち込むダリオを見つめた。

 苛立つダリオに当たられ、怒鳴られ、叩かれたことは何度もある。それでも眉間に皺を寄せた横顔に、ノラが思うことは一つだった。


 ——私が、もっと役に立てたらいいのに。


 だけども商売などわからないノラには、現状をなんとかする力などない。せめて仕事の続きをしようと、店奥を振り返った。


 そのときだった。


 店前の通りの向こうから、にわかにざわめきが広がった。

 店主も客も、ゾロゾロと通りに出てはその奥へと視線を送った。


「……なんや?」


 ダリオが顔を上げる。

 ざわめきにつられるようにして、彼もまた店先へと顔を出した。

 人々が通りの端へと寄り、道を空けていく。喧騒の中に、誰かが叫ぶ声がした。


「聖女様の御一行だ!」


 その言葉に、通りの空気が一変した。

 高く掲げられた白い旗が、遠くではためいた。神殿の紋章が風にはためく。そのうしろに続くように、白衣の神官たちがゆっくりと進んでくる。

 そしてその背後——彼らに守られるように、しかし高く君臨するように、一台の輿が現れた。

 白布に覆われたそれが人々の視線に晒され、民衆はわっと湧いた。


「聖女様、聖女様のお通りだぞ!」

「場所を開けろ! 神に選ばれし御方だ!」

「お祈りを! 血の奇跡の方だ!」

「聖女さまに加護あれ! サンクティア王国に栄光あれ!」


 神官が、輿が、石畳を進む。それだけで人は敬虔に祈り、興奮して叫んだ。

 どうやら地方巡礼を終えた聖女一行が、王都へ戻ってきたらしい。

 布に覆われ顔は見えないが、輿の中にいるであろう聖女に向かって、人々は口々に祈りの言葉を唱え頭を垂れていた。


 ダリオは腕を組み、店先からその光景を眺める。

「聖女、なあ……」

 ぽつりとこぼした声には、訝しむような色が乗っていた。


「えっ、聖女さまですか!?」

「うおっ!?」


 ざわめきに掻き消えるはずだったその呟きに、ノラが反応し慌てて店内から飛び出してきた。

 もうすっかり通りすぎてしまった行列に対し、ノラは膝を折って祈り始める。

 この国で聖女とは、信仰の対象だ。神殿付きの孤児院で育ったノラにはなおさらだった。

 熱狂する民衆の中、自分を冷たく見下ろすダリオの視線の中、構うことなく静かに祈りを捧げる。


 普段オドオドしてばかりのノラが自分を押し除け地に膝をつけるのを、ダリオは気味悪そうな目で見下ろした。

 『どんな願いも祈りで叶える、奇跡の力を持った聖女』——そんな存在を、どこか信じられない気持ちでいるのだ。

 表立って批判するつもりはないが、自分よりも聖女を優先するようなノラの行動はいささか癪に触る。ダリオはノラにだけ聞こえるような声で、小さく鼻で笑って言った。


「はん、何が聖女サマや。奇跡の力なんちゅーもんがあるんなら、この店に客でも呼んで欲しいわ」

「そ、そんな言い方……!」


 ノラは思わず顔を上げ、ダリオを制した。

 焦ったようなノラの様子に胸がすき、片眉を上げて笑う。


「なんや、怒ったんか?」

「お、怒ってるわけじゃ、ないですけど……」


 祈りをやめ、しどろもどろするノラにダリオはニヤニヤと笑う。

 彼は何も、本当に聖女を侮辱したいわけではない。ノラをからかいたくて言っただけの言葉だった。

 だけども真面目なノラには伝わらず、彼女はぎゅっと手を握りしめて返した。


「せ、聖女さまのお力は、本当にすごいんですよ……! わ、私自身は、お話したこともないけど……」


 食い下がるノラに、ダリオは面白くなさそうに口の端を歪める。

 ノラはそれにも気づかず、必死に言葉を続けた。


「孤児院にいた頃……他の子が、び、病気を治してもらったことがあるんです。その子、ずっと、熱が下がらなくて……も、もう、助からないかもって言われてたのに、聖女さまがお祈りしてくださったら、次の日には元気になって……!」

「へえ」

「わ、私たちみたいな、孤児にまで奇跡の力をお使いになって……。聖女さまは、とってもお優しくて……すごいお方なんです……!」


 ノラの声は、いつの間にか熱を帯びていた。

 まるで子供の空想話を聞くように、ダリオはどこかしらけた目で黙って聞く。

 やがて肩をすくめて言った。


「でもなあ……気色悪いやろ。血ぃ飲んで、願い叶えるなんて」

「え」


 ノラの言葉が止まった。

 どこか彼女を試すような言い方で、ダリオは続ける。


「いくら力が凄くても、ワシは自分の血ぃなんて他人に飲まれたないわ」

「そ、それは……!」


 ノラは少しむっとする。

 言い返そうとして、言葉に詰まった。


 彼女は、願いを持つ者の血を飲み下すことで、その願いを代行する力を持つ。

 そしてその「血を飲む」という行為を、忌避する人間はこの国にも存在した。


『血を飲むなんて穢らわしい』

『それは本当に聖女の力なのか?』

『まるで魔女の呪いのようだ』

 ——そう陰で囁く者も、この国にはいた。

 彼女の敬虔な信徒であるノラは、そんな噂を耳にするたび心が痛んだ。


 ダリオはそんなノラの顔を見て、くつくつと喉を鳴らす。そして、ふと思いついたように言った。


「ほんなら、お前がワシの代わりに血ぃ捧げてくれるか?」


 ノラは目を瞬いた。


「……え?」

「力の強い聖女サマなんやろ? なら、ワシの代わりにお前が血を捧げて、祈って貰えばええやん。この店、繁盛させてくれや」


 冗談半分の調子だった。

 だがノラはむしろ、困ったように視線を落とす。


「で、でも……聖女さまは、お忙しくて……そ、そんな簡単に、会えるとは……」

「なんや、そんなもん。聖女言うても神殿関係者やろ。渡りくらいいくらでもつけようはある」

「……」


 もちろん、半分は適当だ。だがノラの反応を見るのが面白くて、つい言葉を重ねてしまう。

 黙り込んでしまったノラがおかしくて、いつネタバラシしてやろうかとにまにま考える。

 そのときだった。

 ノラはぱっと明るくした顔を上げ、こう言った。


「……私が、役に、立てる……!?」

「は?」


 ダリオは目を丸くした。

 面食らった様子の彼に気を留めることなく、ノラはぐっと拳を握りしめる。


「わ、わかりました……。私、やります……!」


 その声は思いのほか力強く、いつも怯えたような瞳には意志が詰まっていた。

 ダリオは一瞬ぽかんとして、だがすぐに顎をさすりながら考え込む。

 血を捧げるだけで願いが叶う。そんな話、まともに信じているわけではない。

 ——だが、もし本当に叶うなら?

 ノラの血ひとつでこの店が繁盛するなら、安いくらいだ。


 思い至ったダリオは、ぼそりと呟いた。


「……まあ。やってみる価値くらいは、あるか」


 そう言いながら、どう神殿に話を通すか頭の中で考え始めた。

 その横で、ノラは胸の奥が熱くなるのを感じていた。


 ——役に、立てる。やっと、恩に報いることができる。


 ただそれだけで、ノラは嬉しかった。ノラの瞳は、期待に輝いた。

 遠くで、聖女の輿の鈴がかすかに鳴った。

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