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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第二章 荒れ地の母は地に堕ちる

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 ……愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛してる愛

    してる愛してる 愛してる愛してる   愛してる    愛してる愛し

   てる  愛してる愛してる愛してる  愛してる  愛してる愛して

        る愛してる愛してる  愛してる 愛してる愛してる

       愛してる 愛してる愛してる   愛してる愛してる 愛して

     る愛してる    愛してる  愛してる愛してる   愛してる

         愛してる    愛してる愛してる   愛し 

       てる愛してる  愛してる   愛してる愛してる

            愛してる  愛してる愛して

           る愛して……

      




「——……ぶ、はぁッ!?」


 降り注ぐ土砂はいつしか地よりも重い愛の言葉へと変わった。

 呼吸をするたび喉に張り付いた砂の味はもうしない。

 視界を塞いでいた土の壁も、森を昏く照らす松明のあかりももうない。

 ただ、身を埋める激情に呑み込まれ、だけど腕の中のマルクだけは離さないよう、マリスは必死で息を吸い込む。

 脳裏に直接刻み込まれる言葉たちの中、視界に飛び込んできた光景に、マリスは目を見開いた。


 一面の闇と、散りばめられた光の粒。

 そこは、四方を夜だけに囲まれたような闇夜の空間だった。


「——今夜の『踊り手』はあなたなのね。

 こんばんは、愛しき迷い子たち」

「え……?」


 瞠目するマリスに、夜のように優しい声が降り注いだ。

 振り返ると、夢と現の狭間、その真ん中に、一人の女が佇んでいた。


「……なるほど。それであなたはここに埋められたのね。

 かつては己が耕した荒地の下に」


 マリスの言葉も待たず、女は続けた。

 ただ静かに笑みを浮かべる黒髪の女が、自分と同じように、その腕に小さな黒猫を抱いて立っている。

 気づけば想いの濁流はなりをひそめ、マリスもまた夜の空間でマルクを抱いたまま立っていた。

 血のように紅い目が、真っ直ぐにマリスを射抜く。


「——あなたは誰?」


 初めて見る顔なのにどこか懐かしい心地がして、マリスはそう尋ねた。

 女は顔に乗せていた笑みを更に深め、答える。


「私は魔女。強く願う者の声にだけ、応える存在よ」


 ——魔女。

 その言葉が、マリスの心にずしりと響いた。

 おぞましい存在。恐怖の対象。かつての仲間から、主人と仰いだ男から、そう誹られて埋められたその名前。


「奇跡を求める愛しき私の踊り手よ。

 あなたの望む『奇跡』はなあに?」


 そのはずなのに、マリスの心に湧き上がったのは怯えよりもむしろ激情だった。

 生き埋めにされたはずの心が、地の底から静かに這い上がる。


——魔女。魔女ですって?

 私が魔女だというのなら、あの男は……


 脳裏に、いつも紳士然として振る舞う男の姿がよぎった。

 苦しむ開拓者たちを素知らぬふりをし、あまつさえマルクを汚いもののように扱った、あの。

 ——ローデリック。

 ローデリック・ハルツ。

 ……あの男のせいで、マルクは。私は——!


「心に沈めたその想い、叶えたいのなら手を貸しましょう。

 ——あなたがその血を、捧げるのならば」


 月のように白い手が差し出される。

 それはまるで乾いた大地に落ちる一滴の水のようだった。

 瞬間、荒れた心に黒い芽がひとつ芽吹く。


 胸の奥に埋められていたそれは、重く冷たい大地を押し上げ花開く。

 何も実らぬはずだった心に芽吹いたのは、深く根を張る憎悪だった。


「あなたの怒りを叶えるため。

 さあ、幕を上げましょう——」


 声を合図に、マリスはマルクをぎゅうと強く抱きしめる。

 そしてもう片方の手を、女の手へと伸ばした。


 夢は、そこで崩れ落ちた。

 



***




 月が薄雲に隠れ、足元すら覚束ない夜。荒地に広がる農地をローデリックはひとり歩いていた。

 誰に見られるでもない夜更けだというのに、外套を深く被り、周囲を窺うようにしながら歩く。長い裾が実りの乏しい麦にかさりと擦れ、その音だけが乾いた畑を渡っていった。

 聖女の加護があった頃には黄金色に波打っていた土地も、いまは痩せ細りところどころ地肌を晒している。黒い海のように静まった畑を見下ろして、ローデリックは小さく吐き捨てた。


「……忌々しい。欲深き神官どもめ、協力してやった結果がこれか」


 ローデリックの脳裏には、神殿に言われるがまま貢いだ金や作物が思い浮かんでいた。

 先代聖女が死んでから、この農地は不作続きだ。収穫は年々減り、蓄えも目減りしている。あれほどの金を神殿へ運び、祈りを乞うたというのに。

 加護があった時はよかった。金を出せば出すほど聖女は祈り、農地は潤ったからだ。

 だが、聖女が代替わりしてからはどうだ。地は荒れ、雨は降らず、最近は税分の収穫すら危ういと農夫たちもうるさい。

 元が作物の育たぬ不毛の土地だ、聖女の祈りがなければこうなるのはわかっていたが——まさか、神殿の用意した新しい聖女が名ばかりの器だったとは。これまでにした多額の献金を思い出し、ローデリックは怒りに震えた。


「——まあ、いい」


 やがてたどり着いた穀物倉庫の前で、ローデリックは深く息をする。

 暗闇を振り返り誰の気配もないことを確認すると、分厚い扉を開け倉庫の中へと入っていった。

 鼻をつく穀物の匂いをくぐり抜け、積み上げられた袋の奥、さらに壁際の板を外すと、隠し部屋へと続く小さな扉が現れる。

 音を立てないよう細心の注意を払い、そろりそろりと隠し部屋へと入る。


 そこには、ぎっしりと詰め込まれた穀物袋と、箱に収められた金貨や宝飾品が眠っていた。


「……これだけは、守り通さねばな」


 燭台の火に照らされたそれを見て、ローデリックは口元を緩ませる。

 それは、誰にも見せぬ彼の蓄えだった。

 神殿との裏取引で得た金貨、不作を見越して別倉へ移した穀物。

 そうして集めた蓄えがある限り自分は揺らがない。たとえ不作が続こうと、民が飢えようと。


「……くく、フハハ、ははははははは」


 ローデリックは金貨をひとつ手に取ると、おかしさを耐えきれないというように声をあげて笑った。


「全く、開拓者どもも、愚か者ばかりだ。少しばかり気のいい顔をしてやれば、すぐに信じ込む。毎日毎日飢えに苦しまずとも、麦なら、金ならここにあるというのに」


 手の中で金貨を転がして、ローデリックは笑う。

 その姿は、人々から『聖人』と呼ばれ親しまれている姿とはかけ離れていた。


「マリスのこともそうだ。眉の一つでも下げて事故で亡くなったと言えば、あっさりと信じてしまった。ああ、人とはなんと、愚かで浅慮な生き物か!」


 財宝をうっとりと眺めながら、ローデリックは笑みを深める。明日も早くから労働するであろう自分の民を思って。

 そうだ、ここらで減税でもしてやろうか。蟻を働かせるにもたまには飴が必要だろう。

 そして飴が行き渡った頃、また骨の髄まで搾り取ってやればいい。——どうせここにいるのは、行く宛のない者ばかりなのだから。


 隠し部屋の奥で、ローデリックはそうひとり笑った。

 宝箱の蓋を開き、宝石を掌に転がす。穀物袋の口を確かめ、ニヤリと頬を歪める。

 その時だった。


 どん、と腹の底を殴られるような衝撃が走った。


 「な……っ!?」足元がガクリと落ち、ローデリックは思わず声を上げた。

 燭台が揺れ、炎が大きくぶれる。床が鳴り、梁が唸る。

 次の瞬間、倉庫全体が軋んだ。


「うわああっ!」


 大地がひっくり返るように揺れ始め、ローデリックは咄嗟に柱にしがみついた。

 ——地震だ。それも、かなり大きな。

 そう気づいた時にはもう立っていられる状況ではなく、ローデリックは壁伝いにしゃがみこんだ。

 それでも揺れは治らず、二度、三度と叩きつけるように彼を襲った。

 低く、地の底から響く唸り声。

 それから逃れようと、ローデリックは地に這いつくばったまま必死で隠し扉へと向かう。

 そんな彼を阻むように、棚から袋が崩れ落ち、麦が床に散った。


「な、なんなのだこれは!? 神の怒りか……ま、まさか、魔女の呪いか!?」


 揺れる、揺れる、揺れる。

 床板が跳ね、樽が転がった。

 財宝箱が棚から滑り落ち、金貨がバラバラと散らばる。


「ああっ、私の金が!」


 支柱にしがみつきながら、転がる金貨に手を伸ばす。

 そんな彼を嘲笑うように、次から次へと宝は棚から落ちては散らばった。

 傾いた床を伝い、倉庫の奥へと転がっていく。

 柱を支えにしながらそちらに視線を向け、——ローデリックは、目を疑った。


 床板の中央に、黒い亀裂が走っていた。

 それは一瞬で蜘蛛の巣のように広がり、大きく口を開く。

 底の見えない大穴が、小さな隠し部屋を飲み込むようにそこに現れた。


「な、な、な……!」


 喉がひきつる。背筋が粟立つ。

 後ろは壁だというのに、揺れる地面を蹴って後退りしようと励んだ。


 混乱して言葉もない。

 そんな彼の横で、また金貨が滑り落ち傾いた床を転がっていった。

 しゃらり、乾いた音を立てながら、裂け目へ吸い込まれていく。


「っ……!?」


 それに引きずられるように、宝石箱が、穀物袋が、穴に引き摺り込まれていった。

 まるで見えぬ手が下から引いているかのように、麦が滝のように流れ落ち、金貨が闇へと吸い込まれる。

 床はさらに崩れ、裂け目は口を広げる。

 倉庫の中心に、奈落が生まれようとしていた。


「待て! それは私の——!」


 裂け目へ滑り落ちていく金貨に、ローデリックは思わず身を投げ出した。

 どれだけ苦労して集めた宝だと思っているのだ。この部屋にある財宝だけは、絶対に失う訳にはいかない。その一心で、ローデリックは穴の中へ手を伸ばす。

 指先が宝石に触れ、しかとそれを掴む。

 安堵の笑みを浮かべた、その瞬間。


 ひやりとした感触が、伸ばした腕を掴んだ。

 視線を落とす。

 ローデリックは声にならない声をあげた。


「ひっ——!?」


 裂け目の闇の中、土に半ば埋もれながら、ひとりの女がこちらを見上げていた。

 マリスだ。

 土に汚れた頬。もう片腕には幼子を抱いたまま、ローデリックをじっと見つめている。

 何を叫ぶでもなく、怒るでもなく、その瞳だけが異様なほど澄んでいる。


「な、なんでお前が——!?」


 ローデリックは叫んだ。

 当然だ。彼女は数日前、自らの手で葬った女なのだから。


「や、やめろ! 離せ——!」


 振り払おうと踠くが、腕を掴む指はさらに強くなり、骨に食い込むように絡みついてくる。

 痩せこけた腕からは想像もできない強い力。ローデリックは背筋が冷えるのを感じた。

 だけどもマリスは何も言わず、ただ、ただ静かにローデリックを見つめている。

 言葉などない。ただ、静かな意志だけがそこにあった。


 逃がさない、と。


「————ぁ、あ、あ……!」


 腕を振る。両足をバタつかせ、穴から抜け出そうと必死に身を捩る。

 ローデリックの脳裏に、マリスを埋めた日のことが過ぎった。

 冷たい夜、自分に助けを求めてきたマリス。腕にすでに腐敗した子供を抱き、絶望した顔でこちらを見上げたその顔。土に埋められ、少しずつくぐもっていく声。

 ……ああ、まさか、まさか、まさか。


 今度は、自分の番だというのか?


「っやめろ! 金はくれてやる! だから……っ!」


 死に物狂いで、ローデリックは叫んだ。

 マリスはそんな彼にふと微笑み、子を抱いたまま、ゆっくりと後ろへ沈んでいった。

 ——引きずられる。


「あああああああああっ!」


 叫び声と共に、地が自分を飲み込んでいく。

 声が震える。汗がダラダラと肌を伝い、体は強張り背が凍えた。

 土が胸まで迫る。息が詰まる。

 宝石がじゃらじゃらと音を立て、ローデリックのそばを転がり穴へと落ちていく。

 もう、それを追いかけることもできなかった。


「た、助け——」


 最後の言葉は、崩れる土に飲み込まれた。

 指先が闇に消える。

 金貨のきらめきも、床を滑る麦の音も、すべてが吸い込まれ——


 やがて、奈落は静かに閉じた。





 翌朝。

 ローデリックの屋敷では、主人を探す声があちこちから聞こえていた。

 昨夜、寝室で休んでいたはずのローデリックが、ぽっかりと消えてしまったからだ。


「旦那様ー? どこに行かれたのですかー?」

「おかしいわね。寝室にも、書斎にもいらっしゃらない」

「村に向かわれたのでは?」

「こんな時間から? ——」


 使用人たちがざわめく中、玄関扉が激しく開かれた。

「た、大変だ!」

 土埃まみれで息を切らし、そう言ったのはローデリックの私兵の一人だった。


「倉庫……穀物倉庫で……!」


 尋常ならざる様子に、使用人たちは穀物倉庫へと向かう。

 近年建て替えられたばかりの倉庫は、いつも通り堂々と彼の敷地に鎮座している。

 そこで彼らが見たものは、


 ——倉庫の中央で、目を見開いたまま死んでいるローデリックだった。


 仰向けに横たわり、両手は胸の上で固く閉じられている。

 その手には、金貨と宝石を指が白くなるほど握り締めたまま。

 口元には乾いた土がわずかにこびりつき、喉に何かが詰まったかのように苦悶の形で固まっている。


「……だ、旦那様! 旦那様ー!!」


 メイド長が目を剥き、金切り声で叫んだ。

 その声を皮切りに、屋敷は、開拓地は、一時騒然となる。

 しかし主人を失ったその土地は、その後さらに荒れ果て、


 いつしかそこは、二度と人の住めぬ土地となった。

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