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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第二章 荒れ地の母は地に堕ちる

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16/42

7

「——なんだ、マリスじゃないか。こんな夜更けにどうしたというんだ」


 突然屋敷を訪ねたマリスに、ローデリックは驚いた口調でそう言った。

 松明に照らされた石造りの屋敷、上質な長衣を羽織る彼は、泥まみれのマリスとは別世界の人間のようだ。

 いつもと同じ穏やかな声色。なのに燭台が照らす彼の表情にどこか違和感を覚える。

 胸に引っ掛かりを感じつつも、頼る宛など他にないマリスは、縋るように彼に助けを求めた。


「たすけ、助けてください……! 村のみんなに、追われてるんです……!」

「追われている? 一体どうして——」


 マリスの剣呑な様子に、ローデリックは眉を顰めた。

 こんな夜半に追われるなど、あまりに物騒な話だ。

 訝しんで彼女の腕の中に視線を落とすと、


「——ひっ!?」


 悲鳴をあげて、上半身を大きくのけぞらせた。

 当たり前だ、彼女が腕に抱えていたのは、死後数日は経っているであろう子供の死体だったのだから。


「な、な、な……!? なんだねそれは!」

「マルクが、マルクが死んでしまって……! 村の皆が、この子を埋めろと言うんです!」

「は、はあ!?」


 ローデリックは、表情を取り繕うこともできず、狼狽した声をあげた。


「な、何を言っているんだ。もう息はないのだろう? それなら、早く弔ってやらねば……」


 口調は柔らかなまま、だけどあからさまに取り乱した表情で、ローデリックは言った。


「墓なら用意してやる。だから、その子をこちらへ寄越しなさい!」


 目が泳ぎ、口元は引き攣っている。

 差し出そうとした腕も、ためらうように震えていた。


 その言葉に、態度に、マリスはショックを受けた。

 ローデリックならなんとかしてくれると思ったのに。親身になって、マルクと自分を助けてくれると思っていたのに。

 彼もまた、開拓者の皆と同じように、マルクを自分から引き離そうとする。この愛しい子供を、まるで忌避すべきもののような目で見る。


「そんな……」


 唯一の頼みの綱すら幻だったと気づき、マリスはその場で力尽き、座り込んだ。

 豪奢な絨毯に膝をつき動かない彼女に、ローデリックは頭を抱える。


「マリス、とにかく今日は帰りなさい。明日朝一番で弔いをしてやろう」

「……」

「そんな格好で、そんなところに座り込むものじゃない」

「……」

「村の者たちには無理強いはやめろと言っておくから」

「……」


 ローデリックが何度呼びかけても、彼女は動かない。

 マリスを呼ぶ声が、だんだん温度を増していく。

 それでも何も反応しないマリスに、やがて彼は小さく舌打ちし、聞こえるか聞こえぬかの声でこぼした。


「まったく……聖女がいなくなった今、疫病にでもなったらどうするんだ」


 それは本当に、小さな小さな声だった。

 だけどその言葉はわずかな希望となって、しっかりとマリスの耳に届いた。


「——聖女?」


 マリスがそう呟くと、ローデリックはハッとして自分の口元を押さえた。その表情には明らかに失言のニ文字が浮かんでいる。

 そんな彼にも気づかず、マリスは顔を上げ、ローデリックに言い募った。


「そうだ、聖女様よ……! 新しい聖女様が立ったのでしょう? あの方の奇跡ならきっと、きっとこの子を助けてくれる。お願いです、会わせてください。聖女様と、会わせてください!」


 腕の中の亡骸を抱き直し、縋るように一歩踏み出す。

 ローデリックは一瞬たじろぎながらも、「そんなの無理だ!」と拒絶した。


「無理? どうして? もうすぐ聖女様が来てくれるって、あなたが言ったんじゃないですか!」


 迫る勢いのまま、マリスは両腕を差し出す。ぐったりとした小さな体が、ローデリックの眼前に突きつけられた。

 「うわっ!」ローデリックが後退りする。

 「ねえ、どうして!」できた距離を詰めるように、マリスも彼に躙り寄る。

「やめろ、無理だと言ったら無理なんだ」

「だから、それがなぜかと聞いているのです!」

 そんな攻防を繰り返すうち、ついに痺れを切らしたように、ローデリックが叫んだ。


「——そんなの、神殿との関係がもう切れているからに決まっているだろう!」

 

 吐き出すような声が、石造の屋敷に響いた。


「……どういう、ことですか?」


 震える声で、マリスは問い返す。


「税を下げられないのは、神殿への献金があるからだって……だからいつか、聖女さまも来てくれるって……」

「〜〜〜〜ああ、もう!」


 素朴な疑問を漏らすマリスに、ローデリックは苦々しい顔で自身の髪をかき混ぜた。

 そして、荒い息のまま吐き捨てる。


「神殿への寄進など、先代聖女が死んだ時にとっくにやめている! 今の神殿に金など渡して、私に一体なんの得があるというのだ!」


 投げつけられた言葉が、マリスには理解できなかった。

 そんな彼女をさらに追い詰めるように、ローデリックは拳を握りしめ声を荒げる。


「あれはこの土地に加護をもらうためにやっていたことだ。こんな呪われた土地、聖女の祈りがなければ作物など育つわけがないからな。だが今の聖女に、そんな力はない。そんな小娘に積む金など、一銭も持ち合わせとらん!」


 怒鳴るような声に、語られるその内容に、マリスは衝撃を受けた。

 聖女の加護がなければ、作物は育たない?

 今の聖女は力を持たないから神殿に献金はしていない?

 それなら、それなら——


「……それなら、私たちはなんのために、あんな大きな税を背負わされているんですか。道具を、設備を修繕できないのだって、税はすべて神殿に寄付してるからだって——」


 そこでマリスは、ハッと気づいた。

 ローデリックの屋敷は、昔からこんなに綺麗だっただろうか。

 高そうな絨毯。磨き上げられた床。火の絶えない暖炉。数年前から私兵も雇っていると聞いた。

 そのお金は、どこから出ているんだ?

 税から? ——私たちの作った、小麦から?


 マルクが脚を失ったのは、老朽化した設備の崩落に巻き込まれたからだ。

 夫が死んだのは、坑道の崩落事故が原因だった。

 あの鉱山のオーナーは、ローデリックだ。修理費すらないと古びた設備を放置していたのも。

 全部、全部、ローデリックだ。目の前で、あたたかそうなガウンに身を包むこの男。

 まさか、まさか、まさか——


「——まさか、本当は、税を下げる余裕もあったのですか? 作業道具も、畑の設備も。直すお金は、あったのですか…?」


 声が震える。

 目の前のローデリックはいつもの紳士然とした態度を殴り捨て、どこか決まりが悪いような、開き直ったような表情をしている。


「そうだとしたら、あなたのせいで。あなたのせいで、マルクは——!」

「——黙れ!」


 苛立ちに任せ、ローデリックはマリスを突き飛ばした。

「あうっ!」

 細い体は容易くよろめき、腕の中の亡骸が滑り落ちる。重い音を立てて豪奢な絨毯に転がった。


 「マルク!」叫ぶマリスを見下ろし、ローデリックは吐き捨てる。「っ私の絨毯に穢れがついたではないか!」

 ローデリックは腹立たしげにそう言うと、屋敷の奥に向かって叫んだ。


「くそっ、この家にまで穢れを持ち込むなど——誰か! 誰か来い、この穢れを始末しろ!」


 その声に応えるように、彼の私兵が集まってくる。「マルク——!」その足音から庇うように、マリスは彼の体の上に覆い被さった。


「どけ、この屋敷に穢れを転がすな! 警備兵、この女を捕えろ!」

「いやあ、お願い、この子は……! この子だけは……!」


 瞬く間に集まった兵たちは、ローデリックを庇い、床にうずくまったままのマリスを囲む。

 マルクを奪おうとする兵たちに、マリスは必死に抵抗した。

 腐乱した死体に縋り付き、痩せこけた腕からは考えられないような強い力で、彼らを突き放す。

 誰にも息子を奪わせやしないと、目に怒りを宿らせ、必死に息子を抱きしめる。


 兵たちは思わずたじろぐ。

 子供の死体から離れようとしない母の姿はあまりにも異様で、あまりにも恐ろしく見えたからだ。

 兵すらも近づけないその姿にローデリックは大きく舌打ちをし、業を煮やしたように叫んだ。


「まだ穢れを庇うというのか——この魔女め! 皆のもの、この女は魔女だ! この屋敷に、村に、穢れを広めようとする魔女だ! 穢れごと、この女を、埋めてしまえ——!」





「——落とせ、落とせ。魔女は落とせ」

「——埋めろ、埋めろ。穢れは埋めろ」


 寒々しい夜の荒地に、物々しい声がこだまする。

 ローデリックの私兵たちは、松明を片手に森の奥へ、奥へと列をなして入って行った。


「やめて、離して……! お願い、マルクだけでも……!」


 両腕を押さえつけられたマリスは、必死に身を捩る。

 声は夜風に攫われ、兵たちは顔色一つ変えずに歩みを止めない。


 やがて森がひらけ、ぽっかりと口を開けた黒い穴の前で列は止まった。

 それはかつて、疫病のために掘られた大きな墓穴だった。土は新しく、底は闇に沈んで見えない。


 松明の火が一斉に揺れる。

 ローデリックが静かに顎を引いた。

 それが合図だった。


「きゃあああああああっ!」


 次の瞬間、支えを失ったマリスの体が傾き、闇への中へと落ちていった。

 いや、落とされたのだ。もう使われていない空の墓穴に。

 次いで何かがべしゃりと頭上に落ちてくる。「——マルク!」自分とは別に捕えられていたマルクだと気づき、抱きしめる。

 そんな穴の底の二人のやり取りが見えているのか、いないのか。ローデリックは冷たく言い放った。


「——埋めろ」


 その声と同時に、重い塊が穴に落ちてきた。

 土だ。

 湿った土が肩を打ち、マリスの細い腕を、抱き締めた小さな体を覆っていく。


「な、何を——うむ゛っ!」


 驚いて上げた顔に、呼吸のために開いた口に、容赦なくそれは降り注いだ。

 ザクっ、どさり、どさ、どさっ、

 泥を含んだそれは重く、みるみるうちにマリスの体を埋めていく。

 マリスは必死に足場を探し、崩れる壁に爪を立てる。だが掴んだ土は脆く崩れ、体はずるりと沈む。

 穴の底にへたり込むマリスに、それでも土砂は降り止まない。

 むしろ追い討ちをかけるように、どさりどさりと重い塊が落とされていく。


「や、やめて……! どうして……っ!」


 絶え間なく落ちてくる土砂の隙間から、どうにか顔を出してマリスは叫ぶ。


「どうしてあなたのような優しい人が、こんなことをするのですか……!? 行く宛のない私たちを救ってくださったのは、他でもないあなただったのに……!」


 夜の森に、悲痛な叫びがこだまする。

 松明に照らされたローデリックの顔は、それでもなお表情ひとつ変えなかった。

 しばしの沈黙ののち、冷え切った声が降りてくる。


「——居場所を失った者は、与えられた場所に縋るしかないだろう?」


 そう言ってローデリックは、マリスから視線を外し、そのまま屋敷へと戻って行った。

 その一言に、マリスは今度こそ打ちのめされる。


 ローデリックは、全てわかっていたのだ。

 呪われたこの土地に作物は実らないことも。

 それでも帰る宛のない自分たちは、この荒地に縋るしかないことも。

 ああ、それじゃあ。

 それじゃああの時、この人の手を取ってしまった時点で——


「——落とせ、落とせ。魔女は落とせ」

「——埋めろ、埋めろ。穢れは埋めろ」


 雨のように降り注ぐ土が、声が、マリスの胸を重く打つ。

 腕に抱いたマルクはもうすっかり埋もれてしまっていた。

 息を吸うたび土の匂いが喉に絡む。

 天に向かって伸ばした手が砂を掴んだ。

 冷たい塊が頬を打ち、落ち葉が髪に絡みつく。

 せめて抱えた小さな体だけは離すまいと、腕に、肩に、力を込める。

 顎まで埋める土がむしろ、二人の距離をぎゅうと縮めた。

 土を掻く。滑る。埋まる。それでも踠く。崩れる。どんどん埋まる。

 砂埃が目に沁みて、滲んだ視界ごと闇に埋もれていく。


——私はいったい何を間違ったのだろう。

——どこからやり直せば幸せになれるのだろう。


 舌に泥の苦味を感じながら、ぐるぐると詮無い思考を巡らせる。


——私はただ、マルクと穏やかに暮らしたかっただけなのに。


 贅沢などいらない。静かな暮らしでいい。

 それだけを思って、この地へやってきたのに。


「——落とせ、落とせ。魔女は落とせ」

「——埋めろ、埋めろ。穢れは埋めろ」


 いかめしい声はもはやくぐもって聞こえない。

 伸ばした指の先まで冷たい重みで固定された。

 呼吸はとうに浅く、光はすでにない。

 もはや思考すらも遠く霞んだ。


「————」

「————」


 もう見えない土の上で、それでも繰り返される声を聞いた。


——ああ、私が本当に魔女だというのなら。


 誰にも見えない土の下、マリスは確かに、そう願った。

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