11.ディーン・マリウス・ヴァレンティス⑩
「命令です、勇者ディーン。聖女ルナを、魔女として捕縛なさい」
「——了解」
一番最初の命令は、それだった。
答える声は驚くほど滑らかだった。
当然だ。
魔女は捕らえる。
それが『正義』なのだから。
「ディーン……!? 何言ってるの、私は魔女なんかじゃ、っ——!」
魔女は愚かにもそう懇願した。
だが耳を貸す必要はない。
そのまま拘束し、魔女審問へ突き出した。
魔女は裁く。
それが『正義』なのだから。
「明日の魔女の処刑、君が執行人を務めなさい」
オーギュストの言葉に、躊躇いもなく頷く。
魔女は殺す。
それが『正義』なのだから。
聖剣が鈍く光った。
オーギュストが、満足げに微笑んだ。
魔物を狩る。
街の巡回をする。
魔女の牢を見張る。
それら全てを、ただ、ただ、こなす。
自分に与えられた任務。責務。
『正義』と名のつくそれらを。
処刑場には、広場を埋め尽くすほどの民衆が集まっていた。
誰も彼も、魔女の処刑を待ち侘び声を上げている。
「——殺せ。殺せ!」
「血濡れの魔女を殺せ!」
王都を震わせる怒号を、ディーンは凪いだ気持ちで聞いた。
魔女が断頭台へと立たされる。
彼女もまた、凪いだ瞳をしていた。
白い首が晒される。
その段になって、女は何かを叫び出した。
「オーギュストおおおおおおおお!」
怒りに燃えるその姿の理由は知らない。知る必要もない。
聖剣を振り抜く。
黒髪が、陽光の下で大きく舞った。
それを、ディーンは何の感慨もなく見つめた。
これでいい。
これが正しい。
その言葉が、まるで自分に言い聞かせるように強く頭で反響した。
——そうだ、これでいい。
これでまた一つ、正義が執行された。
だから、
『——————▪️してる』
処刑場に響いた甘やかな声が、なんと言っているのかわからなくても。
『————▪️してる。▪️してる』
自分が刎ねた首、その中の漆黒の瞳が、見慣れない紅に染まっていたとしても。
『——▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる。▪️してる』
構わない。その必要もない。
民がざわめく。騎士団が、神官が、神妙に眉を寄せる。王都が、闇に染まる。
それら全て薙ぎ払うように、白昼の夜を聖剣で斬り裂いた。
闇は開け、輝かしい太陽が再び王国を照らす。
当然だ。
それが俺の——使命なのだから。
『あら。『白髪』の勇者様ともあろうお方が、この程度で驚いてしまうの?』
胸の奥で、誰かの声が聞こえた気がした。
『——私たちに▪️はいらないのよ!』
けれど、それが誰なのか——
考える前に、靄が塗り潰した。
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「ディーン。北方に魔物が出ました、討伐なさい」
「了解」
「神殿内で異端者が出ました、捕縛なさい」
「了解」
「この者は神に仇なす者です、斬りなさい」
「了解」
「あの村は魔女を匿っています、すべて捕らえなさい」
「了解」
——しばらくの時が流れた。
あれからオーギュストは、次々とディーンに命を下した。
命じられれば疑問より先に身体が動く。
命令の内容も真偽も知らない。知る必要もない。
オーギュストからの命令に、ディーンの応えはいつも一つだった。
「これは『正義』の行いです。抵抗する者は斬っても構いません」
「——了解」
ディーンはオーギュストの采配の元、『勇者』として多くの功績を上げた。
魔物を斬る。
罪人を捕らえる。
異端者を追う。
時には泣き叫びながら無実を訴える人間もいた。
だがディーンの心には、そんな声も届かなかった。
オーギュストが「悪」と言った。ならば悪なのだ。勇者が悪を討つことは正しい。
白銀の刃を振るうたび、そんな理屈が何度も胸に繰り返された。
そもそも、なぜそれが正しいのか。
そんな問いを抱くことすら、もうできなかった。
戦い以外の日常も同様。
命じられれば祈祷に立ち、命じられれば式典へ出た。
食事をし、眠り、また剣を取る。
何をしても、世界には薄い黒靄がかかっているように感じた。
美味いとも、不味いとも思わない。
嬉しいとも、腹立たしいとも思わない。
今日は森の赤熊の討伐任務だった。
討伐後、同行していた騎士たちは赤熊を解体し、その肉を火にかけた。
「ディーン様もご一緒に」
差し出されたそれに手を伸ばしかけ——手が止まる。
『これ、すごく美味しいわね!』
誰かの声が聞こえた気がした。
一瞬、隣で笑う女の姿が脳裏に浮かぶ。
(……何だ?)
視線をやっても誰もいない。
代わりに、ざあっと黒い靄が思考を覆った。
……その時にはもう、ディーンの脳内には、女の声も姿も残っていなかった。
差し出されたベア肉を受け取り、静かに答える。
「……ああ、ありがとう」
そんなことは、何度かあった。
野の花を見て、誰かと訪れた丘を思い出しかける。
街を駆ける子犬を見て、どこか懐かしさを感じる。
——なぜ?
だけどそう問うた瞬間、靄がその向こうを遮断する。
ディーンはまた瞳を昏く閉ざし、聖剣を手に取った。
やがて王国各地で『魔女』にまつわる事件が起こり始め、オーギュストから魔女討伐の命が下った。
「魔女に与する死霊が現れました。討ちなさい」
「——了解」
それもディーンにとっては、いつもの任務と変わりない。
『悪』を討ち『正義』を執行するため、ただ聖剣を振るった。
小さな少女の霊が光となって消えるのも、やはりディーンは凪いだ心で眺める。
『魔女』と対峙しても尚、心が揺り動かされることはない。魔女を討ち逃した悔しさすら、心になかった。
彼らが何者だったのか。なぜ魔女の力を借りたのか。
知る必要はない。
死霊は悪。悪を斬るのが、『勇者』の正義だった。
何人もそうして消していった。
消えゆくその瞬間、彼らは皆何かを訴えるようにこちらを見た気がした。
だけどそれも構わない。さらに聖剣を振るった。
その日も死霊を斬った。
王都西区の地下闘技場だった。
以前、一匹の黒犬を助けた場所の近くだったことなど、この時のディーンは思いもしなかった。
『大量の動物が屋敷から逃げ出している』そう報せを受け出動した先では、すでに死霊が一人の男を殺した後だった。
構わない。自分の使命は死霊を討つことだ。
小さな獣の死霊だった。
自分に気づいてすらいないその黒犬を、背後から貫いた。
獣は驚いたように振り返り、そのまま光の粒となっていく。
いつものことだ。また一つ、任務を終えただけ
剣を下ろし、その消滅を無感情に見つめる。
だというのに——
獣は、最後にディーンを見上げて言った。
『——そういえば、つたえてなかったね』
かすれるように、言葉を紡ぐ。
『あのとき、たすけてくれて、ありがとう』
昏く澱んだ蒼の瞳が——初めて、わずかに見開かれた。




