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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
終章 器の勇者は夜明けを告げる

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8.ディーン・マリウス・ヴァレンティス⑦

 その後もディーンとルナは、『勇者』と『聖女』としてそれぞれの聖務に追われ、ほとんど顔を合わせない日々を送った。

 そんな中、サンクティア王国各地で不作が囁かれ始める。

 ルナには豊穣を祈るための地方巡礼が命じられ、長く大神殿を空けることとなった。


 遠目にその姿を見かけることすらなくなると思えば、胸の奥が僅かに疼く。

 それでもルナが、しばらくオーギュストの目の届かない場所へ行くことにはどこか安堵していた。

 あの男が何を企んでいるにせよ、大神殿に残ったまま、王国各地を巡るルナへ手を伸ばすことはできないだろう。そう思っていた。


 ——だというのに。

 長い巡礼から帰還したルナは、まるで魂が抜け落ちたかのように憔悴していた。



「……」


 ——大神殿、礼拝堂。

 初代聖女像が静かに見下ろすその片隅に、ルナは一人腰掛けていた。

 ぼんやりと聖像を見つめるルナを、ディーンは扉の向こうから窺うように眺める。


(……何か、あったんだろうな)


 ルナの横顔は普段のような明るさはなく、感情だけが抜け落ちたかのように虚ろだった。

 表情だけではない。今までなら、たとえ休めと言われても忙しなく歩き回り、自分で仕事を見つけてはすぐに駆け出すような女だった。それが今は、祈りもせず、ただ一人で座り込んでいる。


(少なくとも、今回ばかりはオーギュストの仕業じゃない……のか?)


 沈んだ横顔に胸が痛む。

 以前なら、ここで意地を張って背を向けていたかもしれない。だけど今は、そんなことをする気にはなれなかった。


 ディーンは小さく息を吐くと、礼拝堂の扉を静かに開く。

 カタリと小さく立った音にも、ルナは一つも反応しない。

 人形のようなその姿にゆっくりと近づき、すぐそばで足を止めた。


「——ルナ」


 声を掛ければ、漆黒の瞳がゆっくりとこちらに向いた。


「……ディーン」


 虚ろな瞳。掠れた声で名前を呼ばれ、ディーンはわずかに眉を寄せた。


「……どう、したの。こんなところに、あなたが来るなんて……」

「……俺が、祈りを捧げに来るのは、おかしいか?」

「そういうわけでは……ないけど……」

「……」


 ボソボソとした声で、言葉を交わす。

 今更になって、何を言おうか迷う。

 だがきっと、遠回しに言ったってこいつには伝わらない。


「……帰ってからのお前、なんだか様子がおかしかったから」

「——…!」


 ぼそりと落とした言葉に、ルナは目を見開く。

 一瞬だけ、漆黒の瞳に光が戻った気がして、ディーンの胸にわずかな熱が広がった。

 が、


「……っ」

「……、ルナ?」


 ルナの表情がくしゃりと歪み、伸びていた背筋が力なく崩れた。

 慌てて手を伸ばす。だけど触れていいのかわからず、その手はルナ肩に届く直前で、所在なげに宙を彷徨った。


『何かあったんだろう、話なら聞くぞ』

 昔の自分なら、何も考えずそう言えたのだろう。

 泣きたいんなら泣けばいいと、ただ背中を貸したかもしれない。

 けれど今は、どこまで踏み込んでいいのかすらわからなかった。


 ただ、こんなに思い詰めた顔をしているのに、何も言ってくれないことが歯痒かった。

 今、ルナの力になれない自分が悔しかった。


 そんなディーンにも気づかず、ルナはごくりと喉を鳴らすと、深く息を吐き出した。

 努めて冷静に振る舞おうとするその仕草を、ディーンはただ黙して待つ。

 そして顔を上げたルナは、——相変わらず、下手くそな笑みを浮かべて言った。

 

「……大丈夫よ。——ありがとう」


 情けなく下がった眉。震えたままの唇。それでも声だけは明るく聞こえるように。

 必死で絞り出したであろうその言葉に、胸が突き刺された。


——ああ、やはり理由は言ってくれないのか。

——それでもまだ、お前は一人で背負い込むことを選ぶのか。


 その事実に、胸が苦く軋む。それでも……


「……そうか」


 ディーンは小さくそう呟くと、浮いていた手をそのままその場でぎゅっと握り込んだ。

『それがルナが選んだ道なら、俺は見守ろう』

 いつか誓った思いが反芻される。

 それはまだ、自分の胸の中にある。


 言えないなら、それでいい。

 言えるようになるまで、待てばいい。

 そう思えるくらいには、少しだけ大人になったつもりだった。


 礼拝堂に、また重い沈黙が落ちる。

 二人の気まずげな呼吸音だけが響いた。


「——聖女様」


 そこに、恐る恐るとした声が投げかけられた。

 神殿の、門番をしている男だった。


「……っ、な、なあに?」

「お取り込み中申し訳ございません。聖女様に、一目お会いしたいという者が尋ねてきておりまして」

「私に?」


 突然の声かけに、ルナが焦って答える。

 どうやら、以前ルナに救われたという町民が礼を言いに来たらしい。こうした訪問自体は、珍しいことではなかった。最も、普段は忙しく応対することはほとんどないが……


「それは、嬉しいわね。今日はちょうどお休みをいただいているし……ここまで、通してくださる?」

「了解しました」

「よろしくね。……ディーンも、そういうわけだから」

「……ああ」


 しかしルナは、どうやら面会を了承するつもりらしい。

 門番が通した以上、持ち物の確認くらいは済んでいるはずだ。礼拝堂の周囲には騎士の巡回もある。問題など起こらないだろう。

 そう考えたディーンは、ルナの言葉に軽く頷き、静かにその場を去った。


 礼拝堂を辞す寸前、その扉の隙間からルナの表情を窺う。

 先ほどよりわずかに光を取り戻した目線に、小さく安堵の息を吐いた。


(それでもしばらくは、気にかけておこう)


 礼拝堂から続く廊下を歩きながら、ディーンは思う。

 あの様子では、今後の聖務でもまた無理しかねない。自分がこれ以上踏み込めないのなら、彼女の侍女や、他の巫女でもいい。ルナの様子を気にかけるよう言うくらいは許されるだろう。


(それか、巡礼に同行した騎士に話を聞いてみるか——…)


 そんなことを思った、その時だった。


「ディーン、ちょうどよかった。ルナを見ませんでしたか?」


 廊下の向こう側から、オーギュストがゆったりとした仕草で歩いてきた。

 思わず片眉が上がる。が、平静を装って答えた。


「……今、会ってきた」

「そうですか。何か変わった様子は?」

「なんでそんなことを聞く?」

「今回の巡礼は、彼女には随分と堪えたようですから。帰還してから、随分と塞ぎ込んでいると聞いています」


 その言葉を聞いて、ディーンは思わず聞き返した。


「巡礼先で、何かあったのか?」

「さて。私も詳しくは聞いていません。彼女自身が話したがらないものですから」

「……」


 だが望む答えは返ってこない。

 黙り込むディーンに、オーギュストは心配げな表情を作って続けた。


「念のため、しばらく聖務から外しているのですが……ほら、あの子は休みもまともに休まないような子でしょう? また無理をしていてはたまらないと、様子を見に来たんですよ」


 そう言って、困ったように笑う。その笑みはまるで、手のかかる娘を案じる父親のようだった。

 血の繋がりなどないルナを、本当に大切に思っているかのような。


(……本当に、俺の考えすぎなのか?)


 だが、一度宿った疑念は消えない。

 今だって、ルナに「何か」するために探していたんじゃないのか? そう疑ってしまう。

 ……莫迦らしい。

 ここは大神殿の中だ。これだけ多くの神官や騎士の目がある中で、あからさまにルナへ危害を加えられるはずもないというのに。


「でも、安心しました。君もあの子を気にかけてくれているのですね」

「どういう意味だ?」

「そのままの意味ですよ。人は弱っている時ほど、信頼する者の存在を必要とするもの。最近は距離を置いているようですが、彼女にとって君が特別な存在であることは変わらないでしょう」

「……知ったようなこと言うな」


 にこやかにそう言うオーギュストに、なぜか神経が逆撫でされる。

 苛立ちを隠さず言えば、オーギュストはクスリと喉を鳴らした。


「これは失礼。ですが、本心ですよ。君がルナの近くにいてくれれば安心だ。——言ったでしょう? 私は彼女の味方だ、と」


 穏やかな笑み。

 以前なら、何の疑いもなく聞き流していた言葉だった。


「……オーギュスト、お前——」


 その時だった。


「——きゃああああああああっ!」


 聞き慣れた悲鳴が、回廊の奥から響いた。


「——ルナ!?」


 瞬間、弾かれたように駆け出す。

 オーギュストの存在など、この時にはもう頭になかった。


 礼拝堂の扉を乱暴に開け放つ。

 その先にいたのは——


 壁際にへたり込むルナ。

 そして——そこへナイフを突きつける、一人の女だった。

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