3.ディーン・マリウス・ヴァレンティス②
「お前か? 『呪われた黒髪の聖女』って奴は」
勇者と聖女が揃って行う結界巡礼。
その道中初めて顔を合わせた女へ向かって、ディーンは開口一番そう言い放った。
「……」
黒髪の女——ルナは、一瞬だけ呆気に取られたように目を瞬かせた。
無理もない。初対面の相手、それもこれから共に聖務へ赴こうという相手から、挨拶より先にそんな言葉を投げつけられたのだ。
だけどすぐに気を取り直したように表情を整え、取り繕ったような笑顔を向けて言った。
「初めまして。私はルナ・ルクス。先日、『聖女』の称号を戴いた者よ」
——それがディーンと、『聖女』ルナ・ルクスとの出会いであった。
*
『呪われた黒髪の聖女』——ルナ・ルクス。
ディーンが『勇者』となってからしばらく後、長らく空位となっていた『聖女』の座へ就いた女だ。
本来なら聖力など持つはずがないとされる黒の髪。それを持つ者が『聖女』に選ばれたという報せは、当時、王都を大いに騒がせた。
「ふん。『黒髪』の聖女なんて、たかが知れてる。あの寵姫サマの推薦なんて、どうせ王族にでも気に入られたんだろ」
だがそんなこと、ディーンにとってははどうでもいいことだった。国王の寵姫の強い推薦があったらしいと、すでに聞いていたからだ。
きっと王室に何かしらの伝手でもあったのだろうと、この時のディーンは思っていた。そうでもなければ、『黒髪』が聖女として立つなどあり得ないと。
それに、たとえそうではなかったとしても、誰が聖女になろうとディーンにはどうでもよかった。たとえ誰であろうと、自分に向ける目線は同じなのだから。
だからディーンが、初対面からそんな態度を取ったのは、半分はわざとだった。しかし、
「……なるほど。あなたと言う人がどんな人なのか、ようくわかったわ。まさか、『聖女』をそんなふうに決めつける人だったなんてね」
ルナはそれまで浮かべていた愛想笑いをすっと引っ込め、不愉快そうに眉を寄せた。
そして、『白髪の勇者』であるディーンに対し、威勢よく言い放つ。
「見ていなさい。そこまで言うのなら、あなたが認めるしかないくらいの『奇跡』を見せてあげるわ」
「は————」
呆気に取られ目を瞬かせる羽目になるのは、今度はディーンの方だった。
自分に対し大見得を切られたことじゃない。その発言が見栄などではなく——実際に見せた彼女の『聖力』が、驚くほど強大なものだったからだ。
「これ、は……」
結界を丸ごと包むような巨大な光。そしてみるみるうちに修復されていく綻びに、ディーンは思わず息を呑んだ。
本来なら幾人もの神官や巫女の助けを借り、幾日もかけて行うはずの結界の修復作業。それを一人であっさりとこなしてしまう。それはまさに、『奇跡』としか言いようのないものだった。
「まさか」「これほどとは……」
自分の背後に控える騎士たちも、驚き口々にそう言った。
だがきっと、その場で誰よりも驚いていたのは自分だったと言える。
(これを、『黒髪』が……!?)
『白髪』というだけで生まれながらに崇められてきたディーンにとって、自分と対極にありながら圧倒的な聖力を持つルナの存在は、何よりも信じられないものだったのだ。
血を呑むことで他者の願いを叶えるという、異質の聖女。
その存在に、ディーンはただ呆然と立ち尽くしていた。
「——あら」
そんなディーンに、儀式を終えたルナが振り返る。
勝ち誇るように僅かに眉を上げ、悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「『白髪』の勇者様ともあろうお方が、この程度で驚いてしまうの?」
黒髪を風に揺らしながら、挑発するようにそう宣う。
ディーンを相手に得意げな顔をするその態度に、周囲の神官たちはどこか気まずそうに彼の様子を窺った。だけどルナは、そんなことに気づきもしないままふふんと鼻を鳴らしてみせる。
自分に対し、初めて向けられた態度。目の前であっさりと覆された常識。
それがなんだか妙に愉快で、自然、口元が持ち上がった。
「……へえ。なかなかやるじゃん」
久しく覚えていなかった高揚が、胸の奥で小さく跳ねる。
他人に対して心が躍るのは、ずいぶんと久しぶりのことだった。
*
それからルナとディーンは、険悪だった初対面とは裏腹に、瞬く間に仲を深めていった。
とにかくルナ・ルクスという人間は、これまでディーンの周りにはいなかった存在だった。
無遠慮なほど自分に気安い態度を取る相手。黒髪の聖女という、理の外にいる存在。
だけどディーンにはそんな彼女が面白く、時間が許す限りルナと共に過ごした。
暇があれば遠慮なくルナの自室へと顔を出し、誰にも内緒にしていた綺麗な野花の咲く丘の場所も教えた。
ルナもルナで、鍛錬に向かおうとするディーンを容赦なく捕まえては、飼い犬と戯れさせたり、薬草茶の試飲に付き合わせたりする。そんなことをディーンにさせるのなんてルナくらいのものだった。
どころか、苦い薬草茶の味に呻くディーンに、「あら、勇者様ともあろう方がこんなものが苦手なの?」と煽ってまでくる。腹が立って二杯目を要求し、彼女の侍女を困らせたこともあった。
他にも彼女が世話をしている孤児院を手伝わされたりと、ルナといると何かと余計な仕事が増えた。本来なら煩わしいはずなのに、不思議と嫌ではなかった。ルナはそんな、自分の知らない『日常』を連れてくる相手だった。
それだけでなく、ルナは誰相手であっても全身全霊を尽くすような女だった。
聖女としての聖務の他に、自分で仕事を見つけ出してはその全てに全力で取り組んだ。
暇があれば神殿付きの治療院や孤児院へと顔を出し、侍女にでもやらせればいいような雑事まで背負いこむ。民衆相手にまでその血の儀式を始めたと聞いた時には、流石のディーンも「よくやるよ」と眉を寄せた。
「でも……誰かのためになると思ったら、止められないのよ。どうしても」
そんなディーンに、ルナは言う。
ディーンはその横顔を眺めながら、理解できないとばかりに首を傾げた。
どうしてそこまで他人のために生きられるのか、全く理解ができなかった。
それほどの力があるのなら、この神殿でも、ここではないどこかでも、もっと好き勝手に振る舞えるだろうに。
「父さんと母さんにずっと教えられてきたことなのよ。『人を愛しなさい』って。そうすればその愛は、必ず返ってくるって」
「お花畑みたいな考えだな」
「そう? 現にディーンとだって、こうして友達になれたじゃない」
「んなっ!」
だけどあまりにも屈託なく返されてしまうから——結局ディーンの方が黙り込んでしまうのだった。
ディーンにとってルナは、かつて憧れた『共に戦える仲間』だったのだと思う。
戦闘能力が皆無な彼女とは、背中を任せて戦えるわけではない。だが、
「あなたが戦い、私が守る。それが『勇者』と『聖女』なのでしょう?」
そうこともなげに言われ、その言葉がすとんと胸に落ちる。
ディーンにとってルナは、初めて肩を並べることのできた友だった。
聖務帰りに共に街を歩き、軽口を叩けば遠慮なく言い返される。
無茶をすれば叱り、逆に叱られることもある。
なんでもないようなことで笑い合う——そんな時間が、いつしか当たり前のものになっていた。
いつからか、遠征に出ている間にも、ふと物足りなさを覚えることが増えた。
野営の夜に月を見上げた時。初めて訪れた街を歩いた時。魔物を討ち、人々から称賛を浴びた時。
そんな何気ない瞬間に、決まって一人の顔が脳裏をよぎる。
(こんな時、ルナがいたらなんて言うだろう)
珍しいものを見れば、ルナにも見せてやりたいと思った。面白いことがあれば、帰ったら話してやろうと思った。そんな日が、次第に増えていった。
そんな、とある遠征の帰り。ディーンは何気なく呟いた。
「やっと王都に帰れるな」
誰に言うでもなく囁かれたその言葉に、近くに控えていた年若い聖騎士の一人が反応する。
「珍しいですね。ディーン様が帰還を喜ばれるなんて」
「そうか?」
「以前なら、遠征が終わるたびに『もう一匹くらい魔物を探してから帰ろう』と仰っていたでしょう」
「そ、それは……」
クスクスと笑いながらそう言われ、気恥ずかしい気持ちにディーンは軽く頰を掻いた。
言われてみれば、以前は堅苦しい神殿に帰るのが嫌だと愚痴を溢してばかりいた。
「そんなお姿も、俺には頼りになる勇者様に見えましたが……なんだか意外です。さては、王都に帰る楽しみでもできましたか?」
その言葉に、ディーンは目を瞬く。
「何のことだ?」
「だって、以前のディーン様なら遠征が終わるたびに残念そうにしていたでしょう。あなた様にとって魔物を狩るより楽しいことが、やっとできたのかと思ったのですよ」
「——…」
——それは、おそらくただの軽口だった。深い意味などなく、世間話程度に落とされた言葉。
なのに——
浮かんだのは、長い黒髪だった。
憎まれ口を叩く声。こちらを見上げて笑う瞳。帰ればきっと、また苦い薬草茶でも飲まされるのだろう。
それなのに、
(……あいつがここにいたら、なんて)
不意に胸をよぎる想いの先に、いつだってルナがいた。
その顔を思い浮かべた途端——早く帰りたいという気持ちが、少しだけ強くなった。




