2.ディーン・マリウス・ヴァレンティス①
ディーン・マリウス・ヴァレンティスの人生は、彼にとってひどくつまらないものだった。
高位貴族ヴァレンティス家の四男として生まれた彼は、爵位を継ぐこともない立場でありながら、幼い頃から破格の扱いを受けて育った。
兄弟の誰よりも多くの世話役をつけられ、どこへ行くにも護衛の目が向けられる。王宮や大神殿へ連れて行かれることも多く、国王や教皇といった国の頂点に立つ者たちにさえ、幼い頃から目通りを許されていた。いくら高位貴族の子息とはいえ、それが普通の扱いではないことくらい、幼いディーンにもすぐに分かった。
理由はただ一つ。
彼が生まれついて、見事な白髪を持っていたからだ。
『聖力』——人智を超えた奇跡を起こすその力は、人々から『神より授けられし力』と信じられてきた。
そしてその強さは、髪の色に表れるとされている。金や銀など、髪色が明るければ明るいほど、より強大な『聖力』を持つと考えられていた。
その中でも、眩い光のような白の髪は別格だった。
他の追随を許さないほど、圧倒的な『聖力』を持つ証明。
その髪色を持って生まれたディーンは、生まれながらにして凡人とは明らかに一線を画す気配を纏っていた。
歴代の『勇者』や『聖女』にさえ、数えるほどしか存在しない白髪の持ち主。そんな子供が生まれたという報せは、瞬く間に国の中枢を担う者たちの間へ広がっていった。
将来は王族へ迎え入れるべきではないか?——
他国との政略に利用するべきだ——
いや、『勇者』として奉じるべきだ——
四男であろうとヴァレンティス家を継がせるべきではないか——
まだ生まれて間もないディーンの行く末について、至るところで好き勝手な言葉が交わされた。
本人がまだ物心すらつかぬうちから、本人のいない場所でさえも。
過剰な期待を寄せる者、その力を畏れる者、現人神でも見るかのように傅く者……ディーンへ向けられる態度はさまざまだ。
だが、そんな彼らに対してディーンが抱く感情は、いつだって一つしかなかった。
——ああ、なんて……
(つまらない)
生まれつきすべてを与えられていたディーンは、生まれつきそのほとんどに興味を示さなかった。彼の目の前には、いつだって本人が何を望むより先に、彼に『ふさわしい』ものが用意された。
仕立ての良い衣服、見目麗しい婚約者候補、一級品の料理。
そのどれもが、ディーンにはひどくつまらなかった。
窮屈な正装より、野山を駆け回りやすいシャツを着たかった。将来の伴侶より、共に剣を交わせる友が欲しかった。食卓に並ぶ豪華な料理より、英雄譚に登場する粗末な野営料理に憧れた。
だけどそのどれも、『あなた様にふさわしくありません』その一言で退けられる。
自分を取り囲む者たちは、自分を大切にしているようでいて、その実自分の『心』になど興味がないのだと、そう気づくのに時間はかからなかった。
ディーンは次第に、誰かに何かを望むことそのものをやめていった。
そんな彼にも、唯一心を躍らせるものがあった。
戦いだ。
魔物の棲む森へ赴いての狩りや、騎士団に混じって行う模擬戦。剣と剣を交わし、時には命のやり取りをする。
それは、ディーンの満たされた日常には、一切存在しないものだった。
中でも、魔物との戦いは格別だった。
当然ながら魔物は、ディーンが白髪だからと特別扱いなどしない。己の命を奪おうとする相手への、剥き出しの敵意だけがそこにはあった。それがディーンには心地よかった。
騎士団の大人たちに混じり、訓練へ参加することも好きだった。
いかに白髪の持ち主とはいえ、この頃のディーンはまだ子供。歴戦の騎士を相手にすれば、あっさり地へ転がされることも珍しくなかった。同年代であっても、騎士の家系に生まれ、幼い頃から日々鍛錬を積んできた者には敵わないこともある。
それが良かった。
勝てば嬉しく、負ければ悔しい。そして次はもっと強くなろうと思える。
そこには初めから決められた答えなどない、自分の力一つで結果が変わる。だからディーンは、戦う時だけは『生きている』心地がした。
*
そんなある日のことだった。
王立騎士団が年に一度開催する、御前剣技試合が催された。
有力貴族の子弟や若手騎士の参加が許されるその試合は、将来有望な若者たちの実力を王侯貴族へ披露するための場だ。
幼い頃から注目を集めていたディーンもまた、当然のようにそこへと招かれた。
同世代の者たちと剣を交わせる場……だというのに、ディーンは初めからさほど乗り気ではなかった。相手となる者たちの多くが、剣を合わせる前から勝つことを諦めていたからだ。
白髪を持つヴァレンティス家の四男——それは元より有名で、だからこそ問題だった。
ディーンが本気で剣を交えたくても、
「どうせ敵うはずがない」
「怪我をさせれば我が家の立場が危うい」
……と、最初から諦めていたり、萎縮している相手がほとんどだったのだ。
勝っても達成感などあるわけもない。初めから用意されていたような勝利を重ねるうち、ディーンは興味はみるみる失われていった。
——しかし、たった一人だけ、自分に食らいついてきた者がいた。
年頃はほとんど自分と変わらない。下位貴族の子息だったとは後から知った。
だが、身分も家柄もどうだってよかった。ただ、強かった。こちらが一太刀入れれば、すぐさま打ち返してくる。一歩踏み込めば、真正面から受け止める。
ほとんど互角の攻防に、ディーンは久々に心が湧き踊った。
(……こいつ、いいな)
ディーンは、剣を振るいながら、口元を自然と緩ませた。
こんなにも気分が高揚する試合は初めてかもしれなかった。
(普段はどこで鍛錬してるんだろう。将来はどこかの騎士団に入るのか? こいつがいるなら、俺も——)
そう思った、時だった。
相手が振るった剣先が、ディーンの頬を掠めた。刃を潰した剣とはいえ、鍛えた剣士が振るえば十分に人を傷つける。頬に細い傷が走り、そこから一筋の血が流れた。
途端。
「——何をしている! 試合を止めろ!」
どこからともなく怒声が飛んだ。
誰の声だったのか、今となってはもう覚えていない。ディーンの親族だったか、彼を心酔する誰かだったのか。
ただ気づけば、周囲が騒然としていた。試合の中止を求める者、対戦相手を罵る者、青ざめた顔で立ち尽くす者までいる。
「こんなのかすり傷だろう、何の問題もない!」
ディーンは思わず叫んだ。こんな程度で、戦いを邪魔されたことに腹が立った。
だけどざわめきは収まらない。
「……っなあ、お前もそう思うだろう!?」
痺れを切らしたように、ディーンは相手を振り返った。
剣を交えた瞬間に感じたあの高揚。きっと相手だって、同じものを感じていたはずだ。こんなところで終わらされるなど、納得できるはずがない。
そう思っての問いだった。なのに。
「も、申し訳ございません、ディーン様……!」
相手の少年は、青ざめた顔でそう謝罪すると、手にしていた剣を取り落とした。
その言葉に、姿に。ディーンはただ、呆然とする。
(……なんで、謝るんだ?)
胸に浮かんだのは、そんな素朴な疑問だけだった。
剣を交わす試合なのだ、これくらい怪我のうちにも入らない。もっと深い傷を負い、救護室へ運ばれた者だっていた。
それなのにどうして、自分だけは許されないのか。
どうしてようやく見つけたこの高揚を、他人の都合で奪われなければならないのか——
理解できず立ち尽くすディーンへ、やがて騎士団側から正式な試合中止が告げられた。
たかがこれくらいでとなおも食い下がるディーンへ、騎士団の男は静かに告げる。
「御身に万一のことがあってはならないのです」
——それを聞いた瞬間、ディーンは思った。
(ああ——もう、いいか)
それは絶望でも、失望でもなかった。それよりももっと凪いだ想い。諦観と名のつくものだった。
その考えは、不思議なほどすとんと胸へ落ちた。いっそ清々しいほどの気分だった。
(せっかく、少しは面白いと思ったのに)
けれど結局、それら全て彼らにはどうでもいいことなのだと——
やっと、諦めがついたのだ。
——程なくして、ディーンは以前から声をかけられていた『勇者』の選定を受け、神殿へ入ることを決める。
勇者となれば、聖務を理由に好きなだけ魔物と戦える。もともと、その道を選ぶことも考えていた。一族から『勇者』が輩出されるとなれば、父や親族も反対はしないだろう。
神殿に入れば新たな制約が増える、そのことだけは気がかりだったが……それでも、今いる場所に閉じ込められ続けるよりはずっとましだった。
ディーンが勇者となるという報せは、瞬く間に王国中へと広がった。
「数代ぶりに、白髪の勇者が誕生した」
「王国に栄光あれ」
人々は口々に喜び、その誕生を祝福した。
だがそんな声も、ディーンにはどうでもよかった。心にあったのは、ただ一つ。『勇者としてなら、強者と戦う機会はいくらでもある』ただそれだけのことだった。
(貴族として生きていくより、そちらの方がまだ面白そうだ)
実際、勇者としての生活はそれなりに楽しいものだった。
日々戦いに明け暮れる。
貴族の子息として生きていたなら決して許されなかったであろう遠征も、凶悪な魔物の巣窟も、すべてがディーンの心を湧き立たせた。行動を共にすることの多い聖騎士たちからは一目置かれることはあっても、ひとたび戦場へ出れば遠慮などない。堅苦しく守られ続けていた頃より、よほど心地よかった。今までになく『生きている』実感があった。
——それなのに、なぜだろう。
満たされない想いが、それでも心のどこかにあった。
誰もが自分を称賛した。誰もが感謝し時にはその膝を折った。
「勇者様」と騎士たちに頼られるのも、「あなた様のおかげです」と民衆に礼を言われるのも、嬉しくないわけではない。
だが、やはりどこか、胸を掠める諦観があった。
(こいつらだって結局、俺を『白髪の勇者』としてしか見ていない)
——そんなことを思ったところで、仕方がないのに。
その想いだけがずっと、胸の奥底に残り続けていた。
そんな折のことだった。
「あら。『白髪』の勇者様ともあろうお方が、この程度で驚いてしまうの?」
……黒髪のその女は、ただ立ち尽くすディーンへ向かって、わざとらしい笑みを浮かべながらそう言い放った。
敬意もなければ、畏れもない。どこか挑発するような、これまで一度として向けられたことのない眼差し。
ルナ・ルクスとの出会いだった。




