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血濡れの魔女は夜と踊る  作者: ウミノリリオ
第七章 虚飾の聖女は虚に溺る

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14.オーギュスト・ドミニク・ブラッドフォード④

 その夜、オーギュストは、神具である大鏡が置かれた祭祀室へと足を踏み入れた。

 他に人影はない。オーギュストはただ一人で、鏡の前へと立つ。

 

 片手にはいつもの大杖を抱え、もう片方の手に持った燭台で、ゆっくりと鏡面を照らす。

 そこに映った自分は——やはり、全身を血に濡らしていた。


 足元にはいくつもの亡骸が折り重なり、縋りつくように脚へまとわりついている。

 そして鏡の中で亡骸たちが触れた箇所には、黒い亀裂のような痣がじわじわと走っていった。


 おどろおどろしい光景だった。

 常人であれば、それだけで悲鳴を上げて逃げ出してしまうほどの。


 けれどオーギュストは一切構わず、持っていた燭台を脇へと置くと、鏡へ向かって呼びかけた。


「……いつまで隠れているつもりです、カトリナ」


 落ち着き払った声が、暗い広間へ響く。

 だが、鏡の中には何の変化もない。ただ亡骸たちが、なおも脚を這い上がってくるだけだった。

 オーギュストはわずかに目を細め、もう一度言葉を重ねた。


「出てらっしゃい。私は、逃げも隠れもしません」


 その言葉に応えるように、やがて鏡の奥に一人の女が姿を現した。

 豪奢な金髪、大きな紫の瞳。艶やかな扇子で口元を隠した、その女——カトリナ・ヴィオレッタ・ブランシェが、鏡の向こうからオーギュストを睨みつけていた。


『————返して』


 しばしの後、どこからともなく声が聞こえてきた。

 カトリナは扇子で顔の半分を隠したまま、ただ真っ直ぐにオーギュストを見据えている。紫の瞳が、妖しく光る。それに呼応するように、脳へ直接注ぎ込まれるようなその声は、次第に大きさを増していった。


『返して。返して。返して。返して……!』

「……ええ」


 その声に、瞳に、どんどんオーギュストへの恨みが滲んでいく。

 オーギュストは静かに笑った。


「返してあげようではありませんか。——あなたが私に勝てるのなら、ね」


 その言葉に、鏡の中のカトリナがカッと目を見開く。

 瞳に激しい怒りが宿った。瞬間、


「————返しなさい!」


 今度ははっきりと、現実の空間に声が響いた。

 鏡面が波打つ。

 そして鏡の中のカトリナは——その奥から、こちら側へとその腕を伸ばした。


「————ッ!?」


 豪奢な扇子の先端が、鏡面からぬるりと姿を現す。

 と同時、オーギュストは声にならない声を上げた。それまで鏡の中にしか存在しなかった幻が、一斉に現実へと溢れ出したのだ。


 足元に黒い渦が巻き、その中からいくつもの亡骸が這い出してくる。

 白骨交じりの腕が脚へ縋りつき、触れられた箇所からは黒い亀裂のような痣が肌を這った。どこから流れ出したのかも分からない血が法衣へ滲み、たちまち全身を赤黒く汚していく。

 カトリナは、その細い腕だけを鏡の外に出し、手に持った扇子で指揮を執るかのように亡骸たちを操っているようだった。

 手首が翻り、扇子の先が上下左右へ振られるたび、亡骸たちはオーギュストの身体をさらに強く締め上げ、さらに高く這い上がった。

『返せ。返せ——』

 地を這うような声で、そう呻きながら。


「……っ目障りですね」


 脚に縋りつく亡骸たちは、どれもオーギュストに見覚えのある顔だった。

 己の邪魔になると判断し、これまで排除してきた者たち。

 そんな彼らがカトリナによって力を得、積年の恨みを晴らそうとでもしているようにも見えた。

 ——だが今更そんなもので、オーギュストの心が乱れることはない。


「——『退きなさい』」


 オーギュストは、手にしていた大杖を強く床に打ち付けると、先端の宝玉へ力を込め、そう命じた。

 彼の力が宿ったその言葉に、亡骸たちがぴたりと動きを止める。その隙をつき、自分にまとわりつく亡骸たちを杖で大きく薙ぎ払った。


「死者まで私に逆らわせるとは。随分と趣味の悪い力ですね」


 亡骸たちが次々と床へ転がる。それを見下ろしながら、オーギュストは余裕を見せるように笑った。

 鏡の中のカトリナが、僅かに目を瞠る。

 だが、怯んだのはほんの一瞬。すぐさま扇子を大きく振るう。


『——返して』


 その声と同時に、黒い痣が杖を握る腕へ一気に駆け上がった。


(っ!? これは——)


 反射的に身を引く。

 だが逃れられるものではない。纏う法衣にはたちまち血が滲み、胸元を飾る枢機卿の装飾が黒く濁った。鏡の中を見れば、これまで聖なる光に見えていた己の力が、今は無数の黒い糸となって身体から伸びていた。

 ——まるで、オーギュストがこれまで積み上げてきた虚飾を、一つ一つ暴き立てるかのように。


 それだけではない。


(呪力が、削られている……!?)


 痣が走った場所から、血に濡れた箇所から。己の力が、少しずつ失われていくのがオーギュストには分かった。大杖の先端に嵌め込まれた宝玉の光も、気づけばこれまでにないほど弱まっている。


(カトリナの力のせいか。厄介な……!)


 オーギュストの表情に、初めて明確な焦りが滲んだ。

 それを見透かしたかのように、カトリナはさらに言葉を重ねる。


『——返して』

「ぐっ……!」


 声と同時に、黒痣が熱を持った。


『返して。返して。返して——』

「ぐ、ぁ……あ゛っ……!」


 言葉が重なるたび、その熱は激しい痛みへと変わっていく。首筋に、指先に、黒い亀裂が次々と走る。

 耐えきれず膝を折る。

 床に崩れそうになる身体を大杖でどうにか支え、それでもオーギュストは視線だけで大鏡を睨み上げた。


『返して——』

「……何を、です?」


 ぜいぜいと、荒い呼吸を繰り返す。痛みに言葉を途切れさせながら、オーギュストはカトリナへ問うた。


「先ほどから『返せ、返せ』と……同じ言葉ばかり。いったい何を、そんなに返してほしいのです……? 命ですか? それとも——『聖女』の座?」

『……』

「痛゛っ——!」


 それはどこか、嘲りの滲んだ声だった。

 カトリナは何も答えない。

 返答の代わりに、ただ紫の瞳を妖しく光らせ扇子を振るう。首筋の黒い痣が、さらに濃く染まった。


『返して』

「……何を、勘違いしているのやら。私は、何一つ……あなたから、奪ってなどいないでしょう」

『返して』

「ルナを陥れたのは、あなた自身の望み。あの侍女を殺したのも……私ではない。『聖女』の座だって、あなたは自ら望んで手に入れた」


 顔色は見るからに青ざめ、額には脂汗が滲んでいる。床へ突き立てた大杖へ縋らなければ、上体を起こしていることすら難しいほどだった。

 それでもオーギュストは、言葉を止めない。


「それが死んだ途端、被害者面ですか……? すべてを私のせいにするのは、筋違いというものでしょう……」

『……返して』

「まだ、言いますか。どれほど強大な力を得ようと、所詮は亡者……ということですかね」


 荒れた呼吸の合間に、オーギュストは嘲るように笑う。

 大杖を支えにゆっくりと身体を起こしながら、鏡の奥へ挑発するように言い放った。


「死してなお誰かを恨むほど、失いたくないものがあったのなら……もう少し頭を使うべきでしたね。貴女を利用した私を、さらに利用できるほどに」


 その言葉に、紫の瞳が鋭く細められる。オーギュストの唇に、薄い笑みが浮かんだ。


「ですが、もう遅い。死者に返せるものなど——何一つありませんよ」


 瞬間。カトリナの瞳が、カッと見開かれた。

 扇子が大きく振り抜かれる。

 黒い亀裂が首筋から頬へと一気に広がり、あの声が再び強く室内へ響き渡った。


『返して。返して。返して——!』

「っ……それほど取り戻したいのなら、そんな、鏡の中から手を伸ばしていないで……自分で、奪い返しに来たらどうです……?」


 オーギュストは苦しげに息を吐きながら、それでも口元には歪んだ笑みを作ってみせた。

 

「私を、恨んでいるのでしょう? ならば——出てきなさい、カトリナ!」

『————!』


 オーギュストは真正面から紫の瞳を見据えた。

 声が途絶える。

 床へ薙ぎ払われていた亡骸たちが、ざわりと蠢いた。


 鏡面が大きく揺らぐ。亡骸たちが、再び身体を持ち上げる。

 今まで腕だけを現していたカトリナが、ゆっくりとその片足を現実へと踏み出し——


 その姿をすべて、鏡の外へと現した。

 

「————返せ!」


 甲高い絶叫とともに、足元の亡骸たちが一斉にオーギュストへ縋りつく。全身を這う黒い痣が脈打ち、まるで身体の奥深くまで侵食するかのように広がっていった。

「ぐっ——!」

 怯んだその拍子に、カトリナがオーギュストへと飛びかかった。

 細い両手が、オーギュストの首を強く掴む。逃れようにも、幾重もの亡骸に全身を絡め取られ、身動き一つできない。豪奢な金髪が現実の空気に揺れる。鋭い爪が、肌へ食い込んだ。


(……ッ、息が……!)


 呼吸が奪われる。視界が暗く霞んだ。がくりと腕から力が抜け、大杖が指先を滑り落ちた。硬い床へ杖が転がり、遠ざかっていく。

 白かった肌はみるみる土気色に染まり、唇からも血の気が失われていく。オーギュストはとうとう、両膝をついた。


「——返して」


 至近距離から、自分を恨みがましく睨みつけるカトリナ。その紫の瞳を、オーギュストは霞む視界の中で見下ろした。

 そして——

 首を締め上げられながら。もう声を出すことさえ苦しいはずの口元を、ゆっくりと歪めた。


「——チェックメイトです、カトリナ」




「ぇ——————?」


 呆けたような、声が溢れた。その時にはもう、カトリナの胴体は両断されていた。

 支えを失った身体がぐしゃりと床へ落ちる。そこでやっと気づいた。


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 上半身だけとなったその身体をどうにか捩り、カトリナは必死に背後へ視線を向ける。そこには—— 


「ディーン…………さ、ま……?」


 ——勇者ディーンが、聖剣を構えて立っていた。


「ど、こに……「よくやりましたね、ディーン。これで魔女の一人は討たれました」……っ!」


 震えるカトリナの声へ被せるように、オーギュストが言った。

 カトリナは顔だけでそちらへ振り返る。そんな彼女を見下ろしながら、オーギュストはわざとらしいほど穏やかな笑みを浮かべた。


「貴女のその『呪い』には、ほとほと悩まされましたよ、カトリナ。君は鏡の中からいくらでも力を振るえるのに、こちらからは一切手を出すことができない」


 そう語るオーギュストの顔には、だけども悩みなど一つも滲んでいなかった。ゆっくりと息を整えながら、それでも先ほどまで首を締め上げられていたとは思えないほど、声には余裕が戻っている。


「けれど、聖力であれ呪力であれ——どんな力にも、必ず制約がある。どれほど強大な力であろうと、それだけは変わりません」


 そしてカトリナの『呪い』にもまた、明確な制約があった。

 鏡に映る現実へ干渉できる代わりに、鏡の中にいるカトリナ自身も、そこに映らないものまでは知覚できない。

 それに気づいてさえ仕舞えば、あとは簡単だった。


「単純なことです。鏡に映らない位置——その大鏡の死角へ、初めからディーンを立たせておいただけ。貴女には、見えない場所にね」


 オーギュストはくすりと喉を鳴らす。そして、わざとゆっくりと言い添えた。


「貴女が鏡の中へ引き籠もったままなら、私に勝ち目はなかったでしょう——貴女が直情的な性格で、本当に助かりましたよ」

「————っ、オーギュストおおおおおッ!」

 

 笑みを深めるオーギュストに、叫びをあげるのは今度はカトリナの方だった。

 怒りを吐き出すその唇から、不意に光の粒が漏れる。

 聖剣に断たれた腹の断面から、カトリナの身体は闇に溶け始めていた。

 

 髪の先から、指先から、彼女の纏う聖女服からさえ。

 身体が光の粒となり、少しずつ崩れ落ちていく。


「愚かですね、カトリナ」


 そんな彼女を見下ろしながら、オーギュストはゆっくりと立ち上がる。

 その瞳は——明らかに、愉悦で満ちた色をしていた。


「どうして私が、何の対処もしないと思ったのですか?」

「——っ…!」

「貴女は結局、最後まで私には勝てなかった」


 勝ち誇るオーギュストの笑みを前に、カトリナの身体はなおも光へと変わっていく。

 それでも彼女は、残された腕だけで床を掻いた。

 少しでも、一歩でも、オーギュストへ近づこうとするように。


 だけどそんなオーギュストの前に、聖剣を構えたままのディーンが庇うように身を乗り出す。その瞳は、相変わらず昏く影を落とした蒼色をしていた。

 その色にわずかな絶望を抱き——


 カトリナの身体は、とうとうその場へ崩れ落ちた。




第七章 『虚飾の聖女は虚に溺る』 終

お読みいただきありがとうございます。

本日夜より最終章の投稿を開始いたします。

本作品は次章で完結となります。

もうしばしお付き合いいただけると嬉しいです。

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