ある日の日常②
ある日のこと、起床の鐘の音でディナは目を覚ます。すぐ目の前ではジールがまだ寝息を立てている。
体を起こして周りを見渡すと、すでに他の姉達は朝の支度を始めているようだった。
「おー、ディナおきたか」
ラヴがディナのいる反対端から、寝床にしている高床の上を箒で掃きながら声をかけてくる。
「あ、お、……おはよう、ディナ」
それを聞いたリヴが、高床の上、寝具にしている藁を纏めながら挨拶をする。
「うん、おはよう」
ディナは挨拶を返すと毛布から出て、大きく伸びをする。
ラヴが高速で掃きながらこちらに寄ってくる。
いつもであればディナはこのあと仲良くジールと日課である水汲みに行くのだが、あることが目につく。
「おっきい毛玉みーっけ」
ラヴが丸まって眠っているジールの足元に立つ。
「ラ、ラヴ……だ――」
リヴの制止より速く、箒が閃く――!
ディナはするりとラヴの横を通り抜け、裸足のまま寝床から飛び降りると、ちらりと後ろを振り向く。
「わああぁぁぁ――!」
残響を残し、寝床の端までジールが掃かれていく。
あっさり向き直ると、ディナは地面に伏せる体勢で作業をしているトーナの下へと向かう。……薄情なやつめ。
「ディナがやる!」
いつものようにそう言いだしたディナ。
「これは危ないからダメだ」
しかし、トーナにすげなく断られる。
それもそうだ。トーナが今やっている作業は、朝食を作る為の火の準備だ。
幼いディナでは息を吹いて火力を上げる肺活量も無ければ、焚き木を動かして調節する器用さもない。
「そうよー、ディナには水汲みのお仕事があるでしょー?」
梯子の上からイェラが梁の上の収納にある食材を持って降りつつ、そう声をかけてくる。
ディナはそれに首を振って拒否。
(きっとそのうちやることになるから水汲み行こうぜ?)
「やだ、やる」
ダメだ、ムキになってやがる。
「こらー!おねーさんのいうことききなさい!」
いつの間にか転がる毛玉から人の形を取り戻していたジールが、ディナの右手を引っ張って玄関に向かおうとする。しかし、それにもディナは座り込んで抵抗する。
「どうしたのですか?」
洗った野菜の入った桶を手にアリスが帰ってくる。
「ああ、アリス……ディナがこれをやりたいってきかないんだ」
トーナが火かき棒を軽く持ち上げて示す。
「ディナ、これは今度いっしょにやりましょう、ね?」
そうアリスが諭すが、
「こんどやだ、いまがいい」
やはり拒否。
「これは困りましたね」
アリスもお手上げだ。イェラも梯子から降りてきて、みんなでディナを囲んで頭を悩ます。
「うーん……おっ、じゃあさ、ごはん作ってみないか?」
トーナが名案とばかりに笑顔でそう提案する。
「つくる!」
その提案に勢いよく返事をするディナ、きっと目はきらきらと輝いていることだろう。うまく誘導されたようでよかった。
「じゃあ決まりだ、アリスはディナを見てくれ、ジールは一人で大変だけど水汲みたのんだぞ」
とトーナが話をまとめる。
「ディナだけずるい!」
しかし、それに異を唱えるジール。
「えぇ?」
まとまりかけたところに思わぬ方向からの抗議に目を丸くするトーナ。
「ジールもごはんつくりたい!」
「うーん、そうだよなぁ……でもだれに水汲みに行ってもらうか……」
ジールの言葉に悩むトーナ。
「では、イェラ姉さんに――」
アリスがそう提案しかけたところ、
「なぁ、ジール、イェラ姉といっしょにやりたくないか?」
「やりたい!」
トーナはなにやら悪巧みするような、にやりとした笑顔でそう提案すると、ジールは食い気味に賛同の意を示す。
「えぇっ!?」
微笑ましそうに成り行きを見守っていたイェラが、何故か目を丸くして驚く。
「ジール、私といっしょにやりましょう」
アリスがすかさず割って入る。
「イー姉とがいい!」
しかし、すげなく拒否される。
「まあまあ!たまにはいいじゃないか!なっ、姉さん」
「トーナ姉さん……」
笑いながらそう言うトーナにアリスは非難の目を向ける。
「はぁ……いいわ、でも知らないわよ?」
ため息を一つ、了承するイェラ。
余程自信がないのか、微妙な反応だ。
アリスの反応といい、あまり良い予感はしないのだが、いいのだろうか……。
「やったー!」
ジールは飛び跳ねて喜びを表現する。
ディナの掴まれたままだった右手がジールが跳ねる度にぶんぶんと振られ、がくがくと視界が揺れる。されるがままのディナも満更ではなさそうだ。……まあ、いいか。
「よっし!じゃあ今度こそ決まりだ!姉さんは二人を、アリスは水汲み頼む!」
言いつつ、トーナは心配そうな顔でイェラを見るアリスの肩を押して玄関まで追いやる。
「えーと……じゃあ、始めましょうか、お姉さんが呼ぶまでは見てるのよ?」
「「はーい!」」
イェラの開始の合図に、元気よく返事をするディナとジール。
イェラは炉の近くの箱から、大きめの木椀と深めの木匙を取り出す。
そして先程梁の上の収納から下ろしていた麻袋に腕ごと木椀を入れると、中の穀物の粉を椀一杯取り出す。
それを炉近くの床に置くと、ぼこぼこと沸き立つ鍋に木匙を入れ、湯を掬う。
数回、木椀の中に湯を入れると椀を正座の姿勢で膝に乗せ、そのまま湯を掬っていた木匙で混ぜ合わせていく。
しかし、粉が多すぎたのか、混ぜにくそうだ。イェラもそう思ったか、追加でばしゃばしゃと湯を追加する。
ぐるぐると、椀から時々粉を溢しながら手早く水と粉を馴染ませ、生地にしていく。
今のところ意外にも豪快な動きで、丁寧さはないが、目立った問題は見当たらないように思える。
「あっ、お塩……」
イェラは呟くと梁からぶら下がっている小袋の一つを取り、中身を腕に振り入れる。
生地の上で山盛りとなる塩。
ちょっと待て、あれは多すぎる。獣人の味覚はわからないが、ここは俺の常識を信じて止めなければならない。
(ディナ!混ぜるのを止めてくれ!)
ディナは短く頷くと、小袋を吊るし直し終え、今まさに生地を混ぜるべく椀に向き直ったイェラの木匙を持つ腕を掴む。
「あら、どうしたの?」
驚き、動きを止めてディナを見るイェラ。
「……おしお、おおいかも?」
「えっ……あっ、ほんとね、ありがとうディナ」
お礼を言うと、塩の山をイェラは握って除去する。
……大半が消えたが、多いよりはいいだろう。
小袋に握った塩を戻し入れると、更に生地を混ぜていく。今度は少し緩いか?
また同じことを思ったのか、イェラは先程の麻袋を椀を膝に乗せたまま手繰り寄せると、腕を突き入れる。
袋から取り出された掌一杯の粉。
まさかあれをそのまま入れるつもりだろうか。
……ここは牽制が必要だ。
「ちょっとずつ入れると、いいかも?」
俺の意を汲んだディナがそう声をかける。
「……!そうよね、ちょっとずつ、見ながらの方がいいわよね」
イェラは袋に掌の山盛りの粉を戻すと、握り拳一杯の粉を取り出し、椀の上でばっと拳を開き、一気に入れる。
……何も言うまい。
木匙である程度生地が纏まるまで捏ねると、木匙は鍋に入れ、ディナとジールによく見ててね、と椀を示して両手で生地を捏ねていく。
「それじゃあ、ジール。あとはお願いできる?」
「う、うん……」
先程までのイェラとディナのやり取りを黙って見ていたジールは、困惑しつつ頷く。
「ディナはあっちを手伝ってくれる?」
「うん」
イェラは視線で鍋を示すと、炉の近くにある箱からちっぽけなナイフを取り出す。
続いてアリスが置いていった野菜の入った桶を足元に引き寄せ、鍋の前に立つ。
ディナはイェラの背後からひょっこりと背伸びをしつつ鍋を覗き込む。
「ディナ、鍋は触らないでね」
「わかった」
返事を聞くと、イェラは桶から紫色の根菜を一つ手に取ると、沸き立つ鍋の上でナイフを根菜の真ん中あたりに当てる。……火が通らなそうな大きさだ。
イェラは力を込めようとし、ぴたりと止まると、ナイフを根菜の下から三分の一あたりにずらす。……まだ大きい気がする。
「ディナ、このくらいかしら?」
イェラは根菜とナイフを示して横で見ているディナに尋ねる。
「まだ大きいかも?」
ディナの返答にさらにナイフを下にずらす。……よさそうだ。
「このくらい?」
「いいかも?」
それを聞くと、根菜を回しながらナイフで削るようにして、鍋に投入していく。――不器用ではないんだよなあ……
全てを切り終えるとイェラは梁から吊るされている食材に手を伸ばす。
「ディナこれは――」
「イー姉……?」
ジールの呆然とした声。
イェラと二人して振り向くと、そこには困惑が極まり、もはや絶望を顔に貼り付けたジールがいた。
「ぷっ……くくっ、あっはは!」
火の様子を見ながらもこちらをニヤニヤ見ていたトーナが耐えきれないとばかりに笑い声を上げる。
「トーナ!……もう!いじわるだわ」
「くっくっ……はー、ごめんごめん」
腰に手を当て怒るイェラに、トーナは目に浮かんだ涙を指で拭きつつ、笑いを引っ込めていく。
「……イー姉ごはんつくれないの?」
尊敬する姉の意外な一面に、ジールが迷子のような表情で呟く。――これは結構深刻だ。
「ちがうちがう!なんていうか、わけがあってさ」
そのただならぬ様子にトーナは慌てたように言い繕う。
「まえにいた姉さんたちが――」
と続けると、部屋の奥から、かたりと音が聞こえ、
「リヴいくよー」
「う、うん」
ラヴがリヴの手を引いて通り抜けて行く。
リヴは申し訳なさそうにこちらに顔を向け、目を伏せると、ラヴに引っ張られるように玄関から出ていく。
「ラヴ……」
イェラが沈痛な面持ちで呟く。
「あー、はは……」
トーナは頭を掻いて苦笑い。どうやら別の地雷が踏まれたようだ。
一瞬の沈黙に気まずい空気が流れる。
すると、玄関扉が開いて、水桶を持ったアリスが顔を出す。
「ラヴ姉さんたちが出ていきましたが、なにかあり――ましたね」
トーナが驚くほどの俊敏さでアリスに近づくと、頭上の耳に顔を近づけて、ごにょごにょと耳打ちする。
「……トーナ姉さん」
「ごめん!」
アリスの呆れたような低い声に、トーナは降参とばかりに両手を小さく上げて謝る。
アリスは小さくため息をひとつつくと、水桶をその場に置いて、今にも不安で泣きそうなジールの傍に行く。
「ジール」
「アー姉……」
アリスはジールを抱きしめて、落ち着かせるように頭を撫でる。
「びっくりしましたね」
ジールはこくりと頷く。
「イェラ姉さんは小さいときから、ジールとディナにしているみたいに私たちのおせわをしてまして」
アリスは腕の中のジールに優しく語り始める。
「……うん」
「それで、水汲みも、火おこしも、おそうじも、ぜんぶ一人でやってたんですよ?それはもうすごかったんですから」
「ぜんぶ……?すごい!」
ジールは顔を輝かせて反応する。
「そうそう!まえにいた姉さんたちは何もやらなかったし、ラヴ姉もいまよりもはちゃめちゃでさ!」
「トーナ」
イェラに咎められ、トーナは首をすくめる。
「……とにかくですね、やることが多かったのでなんでもいそぎすぎちゃって、いまでもたまにいそいでまちがってしまうんです」
それに、作るのは久しぶりでしたからね、と付け足す。
「そーなの?イー姉」
「そうねー……ゆっくりやらないといけないのに、次はどうしようーって急いじゃって、ね」
目を泳がせつつ答えるイェラ。
確かに、動作を始めたそばから視線は手元ではなく、次のものに移ってはいた。が、それだけではないことが表情から容易に窺い知れる。
「なので、イェラ姉さんがいそぎすぎないように、今はみんなでおしごとをわけてやってるんです」
「そそ!そんな姉さんのがんばりで今があるってこと!いやー、姉さんすごい!」
「もう!トーナ!またそんなこと言って!」
「ジールもいっぱいイー姉のおてつだいがんばる!」
「ありがとう、お姉さんもゆっくりするのを頑張ってみるわ……ジール、ディナ、また今度一緒に作ってくれるかしら?」
「「うん!」」
二人は元気よく返事をする。一件落着だ。
「では、わたしはラヴ姉さんをさがしてきますね」
「あたしも!」
アリスとトーナの二人は連れ立って玄関から出ていく。
「さて……」
呟くイェラの前には、未完成の朝食たち。
ディナのお腹からぐう、と音が鳴る。
「ゆっくりしてたら鐘が鳴るわ!急ぐわよ!」
途中、帰ってきたラヴ達も合流し、鐘が鳴るまでになんとか朝食を終えることができた。
しかし、出来の方は……言うまでもない。
次回 11話『万物流転』
4/21 20時更新




