2話 リボ払いで買った犬
おそらく寮かなんかなのだろう。廊下の端でたむろしているローブのようなものを着た10代後半ほどの子供たちから注目を浴びつつその建物から飛び出た。
意外とこの体は鍛えられているようでサラブレッドの如く筋肉を収縮させて石畳を駆けていく。マオちゃんが存在している世界はこうも明るいのかと感動を覚えた。窓から見た城まではあと直線500メートルくらいだろう。末脚をガンガン伸ばし風と一体になっていく。――そして急ブレーキをかける。足首が軋み膝が痛む。あぁ、なんて僕は愚かなのだろう。超能力がないってのにどうやって城を占拠するつもりなんだ。
どこまでも心臓が落ちていく感覚。
マオちゃんがリボ払いで犬を買ってきた時以来の絶望だ。ペット不可の1LDK を圧迫する成犬のゴールデンレトリーバー。赤みがかった体毛に、長いベロ。
静寂を切り裂いたのは「18万だって、私と同じ髪の毛だから……つい、ごめん」
マオちゃんが謝った衝撃を差し引いても余りある絶望感に今、再び苛まれている。
心を落ち着けるために大通りから路地裏へと駆け込んだ。
路地裏は湿度が高く生ごみの臭いがした。壁にもたれかかる痩せ細った人たち、何かの吸い殻、吐瀉物。新宿の朝のようだった。普段ならしかめっ面をしながら通り過ぎるところだが今回に限り落ち着く。僕も少し進んだところで、先人に倣うように壁にもたれかかる。
あれから何時間過ぎただろうか。いや、数分なのかもしれない。目の前の苔を眺めていると突然声を掛けられる。この路地の春家屋から来たらしい男は派手な白いロングのファーコートを身にまとい、サングラスを少しずらしてこちらを睨みつける。
ヤクザのような出で立ちの男に怯えていると、彼は続けた。
「ここには隠蔽魔法がかけられてたはずなんだけど、おたくどこから入ったん?それともベックがサボったんかな?……あっ、師団の人間ちゃうやろな?」
派手な男はツカツカとこちらに寄ってくる。
「い、いえ、僕は何も」
魔法、師団という単語に引っかかりつつも低姿勢を貫く。
魔法ってなんだ?超能力とは違うのか?文化が違うから呼び名も違う……みたいなことか?
「まぁ、なんであれ、ごめんなぁ、見つかった以上キミを殺さないかんねん」
男はどこからともなく取り出したナイフで僕の太ももを十時に切り裂く。あまりにシームレスで反応できなかった。
喉が裂けんばかりの痛みを感じるが【魔王】のおかげで血が出ない。
急いでそこから飛び退き距離を取る。走って逃げようにも追い付かれて殺される。超能力は無い。ならばどうする、考えろ脳みそ、回れ舌。
「あ、あのっ!この世界欲しくないですか?僕なら与えられます!その方法!その証拠にほら!僕の腿から血が流れないでしょう?ほら!」
僕は適当なことを口走る。自分でも「大きく出たな」と思った。第一、血が流れないことが何の証拠になるというのか。
「うーん、あぁ?確かに魔法は持ってるみたいやね?そんでなんや?言うてみろや。世界を手に入れる方法。」
何とか首の皮一枚つながったらしい。魔法もとい超能力はこの世界でも貴重なのだろうか。いや、彼の言い方から考えるに超能力者というのはこの世界ではもう少し一般的なのかもしれない。例えるなら英検一級と言ったところだろうか。
そんなくだらないことが頭をよぎりながらも口からどんどん出鱈目が溢れさせる。
「えぇ、そうです。その方法とは……この先はこれほどいただければお話します。」
そういうと指を一本立てる。
この世界の貨幣など知らない。だが指一本はキリのいい数字であることに間違いないだろう。日本なら一万円、十万円、あるいはそれ以上かもしれない。ならばそれを準備するには数秒かかるだろうと踏んでのことだ。思惑通り、派手男は「ふん、葬式代にでもしろや」と財布を漁り始めた。
その隙にすり足で一歩、また一歩と大通りの方へと進む。
目標まであと30メートルといったところで派手男が五百円玉ほどの金貨を投げてくる。日本円にするとどれくらいかわからないそれを受け取ると。舌を再び回す。あと30メートルを稼ぐ言い訳を今考えなければならない。――そして思いつく。
「……すみません。世界を手に入れる方法はありません。嘘です。ごめんなさい。ところでそのナイフをこの金貨で買わせていただけないですか?どうせ殺されるくらいならその美しいナイフで自害したいのです。できれば新品で。」
派手男は困惑の表情を浮かべながら空中からナイフを引き抜く。
それを見ながらすり足で三歩。
「ありがとうございます!……あっ!」
投げ渡されたナイフをキャッチミスしたフリで二歩。
「へへっ、すみません、これが支払いです!」
ナイフの横に落ちてた石を手に取り、高く放り投げる。それに派手男の視線が向いたのを確認すると僕は大通りへと駆け出した。
完璧に成功した。大通りまではあと二秒。ナイフを投げられても逃げ切れる。そう確信し、目線を派手男から大通りへと移すと――目の前には銀。
急ブレーキをかけて尻もちをつく。だがソレは僕の眉間を捉え続けた。僕は剣の切っ先を向けられていた。剣の持ち主はパーマのかかった金髪に白衣。ニタリとした表情。いかにも優男といった感じだ。上がりきった心拍数の勢いのまま僕は石畳を殴りつけた。失敗だ。
「キミは異世界人ですか?」
柔らかな声が耳に届いた。




