1話 メビウスの輪
2040年 3月25日
「おまえ、なんで魔王ってよばれんの?」
砂場で穴を掘り続ける少女に話しかける。
オレがここに引っ越してきてから1週間、いつも砂場にいるこの少女は魔王と呼ばれ、サッカーにもドロケイにも混ざらず、ずっと砂場で遊んでいる不思議な女。
「んー?怖いんだって。この髪」
少女はトマトなんかよりも赤い髪を振り上げてみせた。
「ふーん、ん?魔王ってトラクエの?」
「んー、しらない。あとは私がマオって名前だからじゃない?響きが魔王に似てるし……もうすぐ5年生なのにバカみたい……」
興味をなくしたようで少女はまた穴掘りに戻ってしまう。
「ふぅん……なぁ!ドロケイやろうぜ!」
「やらない」
少女は顔を上げない。
「ならサッカーは?少ししたらユウシンとか来るし……」
「しない」
少女は顔を上げない。
「なら――その魔王ってのくれよ」
「え?」
少女はキョトンとした顔でこちらを見る。
少女の気を引けるのならなんでもよかった。会話を終わらせるのが嫌で、この少女ともう少しだけ話してみたくてテキトーに口を出た言葉だった。魔王なんて称号は欲しくないし、もう少ししても降谷ユウシンは来ない。
「あぁ、いやだから、魔王ってかっけぇからオレにくれよ」
「ふ……ふふっ!バカみたい!」
初めて見た少女の笑顔に胸が高鳴るのを感じた。
「ば、バカって言った方がバカなんだぞ!」
「うん、ふふっ!そうね!ねぇ、魔王ってどんな感じだと思う?」
「え、あー、全部自分のモノにしちゃう……悪いヤツ?」
少女の問いかけなんて半分も耳に入ってこなかった。初めての胸を揺らす感情から目が離せなかったからだ。
「ふふっ、そうかなー?私はね、魔王は仲間がいっっぱいいて……」
少女が楽しそうに口を開くと鈴の音のように美しい声が響く。この時がいつまでも続けばと……
――ドウ!
――――ンドウ!
「アンドウ!!」
細く苛烈な、線香花火のような声に起こされる。
「うおあっ!何?!治したの?!」
何度目かの死にもかかわらず、【復元】には慣れないものがある。また、僕の首を這う少女の細い指が震えていた。
「何じゃないヨ!なんでいきなり死ぬノ!?」
涙を浮かべ耳まで真っ赤にした白髪の少女が喚く。
中国で捨てられているのを拾ったときから一緒にいるがここまで取り乱す彼女は初めて見た。
「あぁ、ごめんなリーシャン。説明してなかった。異世界にマオちゃん見つけたから行ってくる。死体は残しておいて。すぐ、帰ってくるから」
彼女はしばらくポカンとしたあと、細い指を僕の首筋から離す。
「また新しい能力なノ?」
静かな部屋に固く、細い、針金のような声が響く。
「あぁ、【天啓】って能力。さっき授かった。……これが面白くってさ!知りたいって思ったことなんでも知れるんだけ、ど……はぁ。」
精一杯明るく話してみるも彼女は大粒の涙を流す。
出会って数年の男がそんなに大事なのだろうか。僕なんかのためにここまで泣かれてしまうと罪悪感が湧いてしまう。
全世界同時放送から3年間、マオちゃんを探して世界中を回っている時に気まぐれで助けた少女。僕と同じで超能力を持つ少女。ここまで懐くとは思わなかった。他にも3人ほど拾ったがここまで懐いてくれたのはこの子だけだ。探偵、ギャンブラー、軍人は2日前にカジノに行ったっきり見かけていない。薄情な奴らだ。
「ねぇ、瞬間移動じゃ駄目なノ?」
細い希望の糸を手繰り寄せるように震えた声で尋ねてくる。だがその糸を間髪入れずに断ち切ってしまう。
「無理だ。できなかった。【天啓】は僕が異世界に行くためには自殺しか無いって言ってる。」
「……じゃ、じゃア!!」
少女は顔を歪ませながら両の膝をついてしまう。
「大丈夫だって!マオちゃん見つけたらすーぐ戻ってくるから!行けるんだから帰って来られるに決まってるだろ?本当にリーシャンはアホだなぁ!」
……嘘は言っていない。ただ、僕は異世界に”転生”するのだ。僕の姿形は変わっているだろう。だが”帰ってくる”その一点に嘘はない。
「ほら、これを持っててくれ。これで安心だろ?」
髪の毛を一本引きちぎって渡す。
オカルト的なものではない。リーシャンの能力を考えればこれは強力な保険になる。
「うン。わかったヨ。」
少女は涙を拭って立ち上がる。
「ありがとうな、リーシャン。じゃあゲッツとバカ2人に説明よろしく!またな!」
子猫を虐待しているような気分だった。
僕は逃げるように【切断】を使い、核兵器にすら耐えうる自らの肉体から首を切り飛ばした。血飛沫で打ち放しのコンクリート壁が濡れるところを途切れゆく意識の中で見た。
「――【天啓】」
「【代償】【重力操作】【原子崩壊】【速度操作】【因果変動】――――」
天啓による指示で完全に死亡するまでのコンマ数秒の間に適切な能力を使用する。これらの操作により実現するのが【転生】……らしい。
ぽっと出の新能力に命を預けるのは不安ではあるがマオちゃんのいない世界で自堕落に暮らしていくのはもう限界だった。日を追うごとに軋んでいく箱庭に僕はもう耐えられなかった。
「あぁ、やっと会える」
――
――――
数週間眠っていたような体のだるさに抗いつつも目を開こうとすると針山の上にいるような鋭い痛みが全身に走る。
「……?痛い……?おかしい、僕は胎児に転生するはずなのに」
ゆっくりと瞼を開けると天井の木目が眼前に広がる。
痛みに耐えながら目だけを動かして周りを見ると、ぐるりとカビ臭い木製の壁に囲まれた3畳ほどの狭い部屋だった。
「……知らない天井だ。」
一応言ってみた。だがそんな場合じゃないことに瞬間的に気が付く。……能力が使えない?
僕は傷を負わないし、万が一負ったとしてもたちどころに治る能力を常時発動していたのだが、どういうわけかその能力が消えている。そして直感的にわかるのだ。生前、何度も使った【瞬間移動】も【時間遡行】も【ポチ】もすべて使えない。使えないというより持っていないといった感じだ。
「あぁ、くそっ、なんだよこれ!」
軽い焦燥感に苛まれながらもゆっくりと起き上がる。現状を確認するのだ。ズキズキと痛む上体を起こして眼前に飛び込んできたものは僕をさらなる絶望へと突き落とす。
「誰だよ、お前」
目の前には大きな姿見が置いてあるがそこに反射する人物に心当たりがない。よろよろと鏡に近寄る。
そこには身長、年齢、体格ともに生前とほとんど変わらないものの栗色の直毛、その奥の青い目が燦然とこちらを見つめ返してくる。……これが、僕?
そこで思考が中断される。全身に無数の浅い切り傷のせいだ。今もなお壊れた蛇口のようにボタボタと血を流す傷のせいで上手く頭が回らない。それどころかベッドに戻ることもできずに埃っぽい床に突っ伏してしまう。
どうやら死にかけの人間に転生してしまったらしい。いや、これだと転生というよりは憑依だろうか。この冴えない男を僕は乗っ取った……のかもしれない。いや、というかなんで?どこでミスった?こいつはどうなった?
思考が散ってまとまらない。視界がぼやけ全身が熱くなる。
「まじかぁ、不運と踊っちまったか。」
言いたいセリフランキング上位を埋めにかかるがだんだんと視界が暗くフェードアウトしていってしまう。血を……止め、ないと。
あぁ、クソ、僕はいつもそうだ。運が悪い。そのせいで僕の人生は11歳のあの時に終わってしまった。あんな女と出会ったことで自分自身の人生というものがあった気がしない。なんて不運だ。やり直したいくらいだ。……まぁ、でももう一度記憶を保った状態であの場面に戻れたとしても僕は、性懲りもなく彼女からまた”魔王”を奪ってしまうんだろうな。
はぁ、全くこんな称号、奪ってやるんじゃなかった。
『ストレス値が臨界点に到達。スキル【魔王】獲得により正常範囲へと是正します。』
生前何度も頭に響いたのと同じ声が聞こえた。
その無機質な音声とともに流血が止まり、意識が徐々にハッキリとする。血が止まったらしい、だが依然として傷は塞がらず、ジクジクと痛いままだ。
「……なんの能力だ?」今までの能力は【探知】だの【瞬間移動】だの効果を名前としたシンプルなものが多かった。ちょっと小洒落てても【千里眼】【天啓】などわかりやすいものがほとんどだ。その中で【魔王】なんて効果が想像できない抽象的な能力は聞いたこともない。現状、出血を止めるだけの能力だ。
たいそうな名前の割に生前保有していたものの中でもかなりしょっぱい性能に僕は肩を落とし、痛む傷口を抑えながら窓の方へと歩いた。
「うおっ、まじか。」
窓を開けた瞬間、冷たい風が頬を撫でた。遠くで教会の鐘が鳴っている。鼻をくすぐるのは、焼きたてのパンと馬糞の入り混じった、人の暮らしの匂いだ。
石畳の道を馬車が軋んで進み、フードをかぶった老人が露店の前で何かを吟味している。見渡せば、屋根の尖った煉瓦造りの建物がいくつも並び、薄曇りの空の下で煤けた煙突が細く煙を上げていた。
マオちゃんが昔「行ってみたい」と言っていた、あの国の風景にそっくりだった。
「とりあえず、あそこかな」
窓の端に見える大きな洋風の城へと目標を定める。瞬間移動……は使えないので徒歩で向かう。
血に濡れたシーツをベッドから引きはがして部屋の端に寄せ、この青年の持ち物であろうリュックサックをなんとなく背負い、逸る気持ちに任せて木製の扉を押して飛び出す。もう罪悪感なんて無くなっていた。
「なんで転生が失敗した?」とか「この身体は誰だ?」とかそんな疑問は今はどうだっていい。なぜならマオちゃんはこの世界にいる。能力ではないがそんな無根拠な確信があった。




