35話 にげろ
「……助かったのか?なんで?」
虚空へ投げかけた質問についぞ返答はなかった。
ただ一つわかるのは英雄も勇者も親友も今の僕を見ていないことだった。みんな【魔王】を求めている。
ナイーブな気持ちになりつつも、降谷の状況が気になる。
なぜか膝をついて泣きじゃくるニチュカを横目にキッチンへと向かい、裏口に手をかける。
「よぉ、大将。勝ったのかい?」
降谷は包帯を巻かれながら、正しいのか怪しい江戸っ子口調とともに手をあげてみせた。
「降谷こそ大丈夫そうでよかったよ」
「大丈夫なことあるかい、大将に殴られたとこがまだ痛ぇよう。まさかあの場面で殴られるとは予想できなかったぜ。さすが、親友」
おどける降谷を見ているとナイーブな気持ちはどこかへ去っていった。
コイツはちゃんと僕を見ていた。
風が草原を吹き攫っていって草の匂いがふわっと舞う。気が抜けて背中から倒れ込むと眼前には雲一つない青空。暖かな日差しが目に染みる。 心地よい疲れが全身を巡って眠りへと堕ちる――
「――で!勇者たちはどうなったってんだい?!」
エセ江戸っ子口調が眠気を吹き飛ばした。
だが起きるほどの気力も無く、眩しさに目を灼かれながら事の顛末を語ってやった。
その間、ウティカにはニチュカを見に行ってもらった。
――
――――
「はぁん、なるほど!そいつぁ急展開超えて超展開だ」
「降谷でも予想できなかったか?」
「いや、第三者の登場までは予測してたけんども、ソイツがまさか伝説?の【英雄】だとはな。こうなると情報元が悪いとしか……ねぇ?大将?」
「……ね!ニチュカには後でキツく言ってやろうぜ!!」
全ての責任をあの小娘へ押し付けた。
でも仕方ないじゃないか。僕は記憶が消えてるのだ。「【英雄】は世間的には大戦で死んだとされてる」とかニチュカから聞いたことをそのまま降谷に話したのだ。今更間違ってましたなんて言われても誰も、少なくとも僕は悪くないはずだ。
「ん?待てよ……なぁ、結局、英雄と勇者と糸目女は皆して港の方へ向かったんだよな?」
「あぁ、多分。今から行けば追いつけるんじゃない?……追いかけるの?」
僕は露骨に嫌そうな顔をした。できればもう関わりたくない。
「違う、逃げろ」
「何言ってんだ、こうして撃退も成功したし、何から逃げんだよ?それに困難から逃げんなって発破かけたの降谷だろ?」
「確かにそうだ。けどな、プライドより優先すべきモンもあるってもんでよ。大将は今のままが一番良い。だから逃げてくれ」
「いや、だから何から逃げろって――」
「――や、マニャ……の中の人」
先ほど帰っていったはずの【英雄】がそこにいた。
左脇にはヘロヘロの銀髪の少年、右脇には力無く項垂れる糸目女。
「ちくしょう、間に合わなかった… 」
降谷はナイフを口で拾い上げ、【英雄】へと向き直る。
僕はというと突然のことで頭が回らず「わぁ、器用」だとか「あんなポケモンいたよな」とか「腕治せばいいのに」なんて緊張感の無い感想しか出てこない。……ん?治す?どうやって?
記憶の蓋が開きそうだが開かない。爪を切ったせいでフィルムが剝がせない時のようなもどかしさがある。何か、何か忘れている。
思い出せないもどかしさは状況も相まって焦燥感に姿を変える。――草の匂いに鉄の匂いが混じる。陽光は僕をカンカンと照らし、脂汗がジワリと額に湧いた。
そんな僕に目配せした後、降谷が声を張り上げた。
「やぁ!やぁ!アンタが【英雄】殿?はじめまして、そんで勇者君はどこ行ったってんだい?」
この男はどうあっても僕を逃がすつもりらしい。だがもう逃げない。あんな惨めな気持ちになるのはもう、嫌だ。
「んー?キミに用はないんだ。というかそれ、どうやって話してるんだい?まぁ、どうでもいいけどさ」
【英雄】は糸目女をこちらに向かって高く放り投げた。
完全に意表を突かれ、思考が止まり宙に舞う女と目が合う。――「うわあああああ!」
避けられるわけもなく、僕はぶつかった。




