8話
「今日もお疲れ、デント!」
デントの目の前に、いつかの懐かしい景色が広がる。デントは深緑色のジャージに袖を通していて、すぐ近くにいる人間も同じ服を着ていた。紛れもなく、ヒーロー訓練生の制服である。どうして今これを、とデントの中にふわふわとした疑問が浮かぶ。
「ん? どうしたんだ?」
特徴的な声が降りかかる。顔を上げると、そこには茶髪の青年が首を傾げてデントと目を合わせていた。
デントは思わず声を失う。彼は、喜捨場アルマその人だったから。
「あ、いや……」
「今日の訓練もキツかったよなー! なんかすっげえ振動するカプセルに入れられてさぁ」
アルマはデントの隣に腰掛ける。片手に持ったペットボトルの蓋を回し、一気に水を流し込んだ。
デントは彼の瞳に目を奪われていた。なんせ、今のアルマの瞳孔は正義の光を灯していない。ただの、まっすぐなよくある色の目である。
それを見ているとデントの胸に何かが込み上げてきて、一瞬だけ口元が下に歪んだ。しかし、すぐに鼻から下を手で覆い、それから何にも動じていないように眼鏡を上げる。
「ああ、すげえ顔してたよな、お前」
「もう歯が鳴るの止められなくてさぁ! あはは!」
快活な声がデントを包む。デントの口からは言葉が勝手にすらすらと出てきて、どうして先ほどこの景色を「懐かしい」と感じたのだろうか、といつもの日常に戻っていく。
「でも、これぐらい耐えないとヒーローにはなれないよな。奥歯をガチガチ鳴らしてるヒーローなんて格好がつかないし!」
「格好って、俺たちに必要なのは魔獣を倒す力だけだろ」
デントの言葉にアルマはうーん、と呻る。
「そうだけどさ、オレの考えとしてね? ヒーローって魔獣をやっつけるってだけじゃなくて、街の人たちを安心させるってことも仕事なんじゃないかなって」
「そこらへんは本部が勝手にやってくれるだろ。俺たちが活動してる間にマーケティングしてもらって、「ヒーロー」って存在をPRしていけば自ずと信頼は得れる」
幼い頃に見ていたヒーローが現実に出てきたとなれば、市場はすぐに飛びつくはずだ。「僕たちと握手」とまではいかなくとも、多少のファンサービスも期待されるだろうな、とデントは考えている。そうやって社会に定着させていけば「安心」させられるのではないか、と。
しかし、アルマの考えはデントとは違うようだ。
「そういうのはよく分かんないけど……えっと、もう今東京はめちゃくちゃなわけじゃん。いつ魔獣が襲ってくるかも分からなくて。でも、オレたちがそこで「大丈夫」って胸を張って言ったらさ、みんなも少し前を向いて生きられるようになるんじゃないかな、って……」
やっぱりデントと違ってうまく言葉にできないや、とアルマは頭を掻きながら笑った。
デントは「ヒーロー」に希望を持って日々訓練生として励んでいるわけではない。だからこそ、アルマの笑みがどこか遠いものに感じられた。
しかし、もし、デントがヒーローを全国民から選抜することができる立場にいたなら。その時はきっと、迷わず彼を1番に指名するだろう。デントは、アルマの行く道に希望を感じていたのだ。
「なれるんじゃないの、お前なら」
はっきりと言葉にしなくとも、デントはアルマにそう言って彼の背中を叩いた。
「いや、オレがなるんじゃ駄目なんだよ」
「は? 今そういう話だったろ」
「そうじゃなくて、みんなでなるってこと!」
みんなで、とデントの口が動く。それから少し離れた場所で話しているネネノとマツジを見た。キツい訓練に泣くネネノをマツジが慰めている。
「どうなるかな」
「はは、オレは信じてるよ!」
デントはアルマに視線を戻す。変わらず、彼の目は落ち着いていて、かつ情熱を深く宿していた。
「なあ、デント。俺たちなら——」
————————
アラームの音が頭を殴る。デントはゆっくり、重い瞼をこじ開けて天井の色を捉えた。
それから1秒、2秒、3秒経った頃。デントはようやく、今まで見ていた景色が夢だと自覚した。
限りなく最悪な目覚めに、デントは布団の中に包まって低く喉を鳴らした。光源のない暗い室内で、何度も瞬きを繰り返す。
5分ほど経過して、デントはベッドから降りた。服をすぐに着替え、眼鏡をかける。しばらく何も無い壁を見つめた後、扉のロックを外して自動でスライドするのを待った。
既に仲間たちは活動を始めていて、話し声や物音が聞こえてくる。時計は既に7時半を指していた。デントがこんなに遅く起きるのは久しぶりのことである。
「あ、デントさん、おはようございます!」
「よく寝てたねぇ、デントくん」
朝食を食べているネネノとマツジはデントに気がつき声をかけ、フアンはただ箸を動かしている。デントの席にも食事が用意されていた。
そして、後ろを向いて座っている一人の人間。彼は二人の声を聞いて、デントの方へと顔を向ける。
「——おはよう、デント!」
アルマの目は、あの色に光り輝いていた。
「……おはよう」
少しの期待はすぐに打ち砕かれ、デントの心臓は落ち着きを取り戻す。大人しく席につき、ネネノが作った朝食を口に運んだ。
「どうしたんだ、寝坊なんかして」
「疲れてたんだよ」
デントは嘘をついていない。「疲れているのはいつものことだ」ということは心にしまっておいた。
アルマは茶碗に盛られた白米を食べている。その箸の動きが妙に目について、怪しまれないために無理やり視線を逸らした。しかしすぐにネネノが挙動不審にアルマの動きをチラチラと見ていたことに気がついたので、デントは咳払いをしてそれをやめさせた。
「……はあ」
「どうしたのアルマくん。ため息なんて珍しいじゃん」
「いや、どうやったら強くなれるかなって」
その言葉に緊張感が走る。アルマは何も知らず、箸を動かす手を止めた。
「秘密結社を倒せば魔獣も来なくなるのに……エンディアさえ倒せれば」
エテルナエルガはまだエンディアを倒すことができない。そういう設定である。だからこそ、アルマにそのようなやるせない気持ちが生まれてしまうのだ。
「仕方ないよ。向こうと違って、僕たちは変身キットの力を引き出すためには時間をかけないといけないんだ。いくら努力しても、時間が経つのを待たなきゃ始まらない」
レッドの「強くなりたい」という気持ちを抑えるために、「変身キットの力を引き出すためには時間をかけて体を順応させないといけない」という話を何度も繰り返し聞かせている。どんなトレーニングも意味がないと思わせることが重要なのだ。
「それはそうだけど、でも、悪をのさばらせるわけにはいかないのに」
デントは、アルマの極端な正義感に舌打ちをしそうになった。「正義」だの「悪」だの、そんな言葉がアルマから出てくる度に静かにしろと言いたくなる。
会話が止まった時、フアンが席から立ち上がって皿を片付け、居住区から出るための扉を開けた。
「ん? フアンどこ行くんだ?」
「本部に呼ばれてるの。あなたたちも早く食事を済ませなさい」
それだけ言って、フアンは姿を消す。彼女はいつも自分のペースで行動をする。それが悪いと言うわけではないが、デントはたまに協調性がないと感じる時もある。
残されたメンバーは言われた通りに残り少ない朝食を食べ終わり、机の上を片付けた。
「じゃあ、俺たちも行くか」
「は、はい!」
出かける準備をするデントとネネノを見て、アルマが驚いた顔をする。
「え、みんな外行くのか?」
「ちょっと用事がな」
「オレも外出許可証取ってこようかな」
居住区から出ようとしたアルマの前にマツジが入り、「ストップ」と手のひらを軽く突き出す。
「みんな空けてる間に魔獣が出たらどうするの? 僕たちは残ってようよ。ね?」
「……まあ、確かにみんないないと困るか」
じゃあやめる、と言ってアルマはソファに座った。今日は魔獣が出現する予定はもちろん無いが、アルマには魔獣の出るタイミングなんて分からない。マツジの言葉を信じ込み、そのマツジから今日は何をするかという話題を持ちかけられていた。
「じゃあな、アルマ」
「夕方くらいには帰ってきますので……!」
「おう、いってらっしゃい!」
アルマとマツジに見送られ、デントとネネノは居住区から出る。ネネノは扉が閉じてすぐにため息をついた。
「ネネノ、頻繁にため息をつくのはやめろって言っただろ」
「あ、す、すみませんつい」
ネネノは昔から危なっかしい。彼女が原因でアルマに芝居がバレそうになった時は何度もある。だからこそ、なぜ彼女がアルマの食事に「アレ」を混ぜる役割を任されたのかデントは疑問に思っていた。
「ちゃんと気をつけてくれ」
「はい、なるべく控えます……」
デントはスマホを取り出し、連絡を確認する。短い言葉で返信して、すぐにそれをポケットにしまった。
「じゃあ行くぞ。秘密結社に」




