7話
地球、日本、東京都。
初めて「魔獣」が降り立ったのは四月の麗らかな昼下がりだった。
空が暗くなったのかと空を見上げると、そこには脚が何本も歪に飛び出した、UFOのような形の何かが日光を遮っていたのだ。天板が溶け出していて、腐った臭いの何かが雨のようにぼたぼた落ちてくる。それを頭から被って半狂乱になった人間もいた。
がさがさ足を不規則に動かす姿はあまりにもショッキングで、静かな昼時は消え去ったのだ。
それは、作り物ではない本物の恐怖だった。助けを呼ぶ相手もおらず、ひたすら仲間からはぐれたアリのように灰色の地面を逃げ回った。自衛隊が駆けつけた頃には、その区画は酷い腐卵臭で埋め尽くされていた。
それからも、不定期に東京に魔獣が降り立った。ある時は腕に目玉がたくさんついた猿、ある時はほとんどがクチバシで構成された鶏。異常事態に当てられて、日本の情勢は完全にカオスと化していた。
そして、誰かが言った。
「この事件には黒幕がいるに違いない」と。
超常現象ではなく、誰かの陰謀だと。東京は、世界は何者かの手に墜ちようとしているのだと。
その話を鼻で笑う人間がほとんどだったが、一部の人々は頭のどこかで想像していたのだ。
もし、黒幕がいるなら。世界征服を目論む悪の組織があるのなら。それは、どんな姿をしているのだろうと。
異形の怪物、上位存在、はたまた時空そのもの。きっとそのどれかが東京を壊滅させようとしているのだ。
この世界の誰かは、そう信じていた。
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レッドを前に逃げ出した魔獣の対応が終わり、本部も静まりを取り戻した頃。城島はチーフに呼び出され、入り組んだ廊下の先の部屋に案内された。
内装はいたってシンプルで、黒いソファ二つと、その間に少し小さめの長机が一つ置かれているだけの空間だった。そして、その机の上には黒い仮面が置かれていて、片方のソファには縮こまって座る人間がいる。
上半身をすっぽり覆うくらいの長い白髪に、ホビーアニメに出てくる敵が着ているような奇抜なスーツ。紫と緑が混じったような色の虹彩はコスプレイヤーのカラーコンタクトを連想させた。
先程通信室で見させられた映像に登場していた人物と全く同じ見た目をしていたものだから、城島は思わず眉間に力を入れた。
入室してすぐ、チーフが男に対して頭を下げる。男はなぜかびくりと体を震わせていた。
「急な対応ありがとうございました、エンディアさん」
「……あ、うす……」
男——エンディアはぼそぼそと小さな声で返事をして、中途半端に頭を下げた。それだけで、城島は思わず「は」と声をあげそうになった。
数分前の彼はよく通る声でハキハキと喋り、大袈裟な高笑いまでしていた。一つ一つの仕草が芝居がかっていて胸焼けがするくらいだったのに、今では教室の隅にいた大人しい同級生を思い起こさせるような態度をしている。
チーフに促され、城島はソファに座る。整った顔立ちの男だが、彼は妙におどおどしていた。
「城島さん、彼は……」
「ここまで来たらわかりますよ。彼——秘密結社もグルなんですよね」
「グル、グルっていうか……いや、まあそうですけど……」
チーフは城島の言葉に頷いた。
エンディアは髪先を人差し指でいじっている。相手に聞き取りやすいように配慮する、という考えは今のエンディアにはなさそうである。
「えっと、さっきの人はスタントの方か何かですか?」
「いや、全然ボクです……。なんか、悪の組織のボスがこんなんだと流石に拍子抜けかなって……いやボクもやりたくて悪モンのボスやってるわけじゃないですけど」
聞いてもいない言い訳がつらつらと述べられる。城島は、あの尊大な態度の人間と接するよりはこっちの方がマシかもしれない、と肩の力を抜いた。
「彼は魔獣を製造している組織の代表です。ここでは便宜上、「秘密結社」と形容させていただきます」
「魔獣を製造ですって?」
城島は自分の声を大きくしないよう、意識して喉を低く鳴らした。
「彼ら秘密結社が別次元から来た組織、というのは事実です。彼らは地球とは違う宇宙で活動を続けていました」
「でも、なんで魔獣なんか作って……」
「ま、まあ、そこんところは地球の方々には関係ない話なんで……いや、企んでるとかじゃなくて、本当に」
知らなくていいことは詮索しなくていい。そんな考えを持つ城島は魔獣製造についての質問を投げるのをやめた。別次元やらなんやらの話も同様だ。
「彼らの技術を用いて、我々は被害を軽微に抑えつつエテルナレッドへの隠蔽作戦を行っています」
なるほど、と城島は思う。
秘密結社の技術力は不明だが、魔獣を思うがままにコントロールできる方法を所持しているのだろう。それなら今日魔獣の行動で職員たちが慌てふためいていたのも理解できる、と彼は一度納得した。
しかし、まだ結論に至れていない問題もある。城島は膝に肘を置いて、指を絡めた。
「……いや、なら一つ、俺から聞きたいことがあるんですけど」
もし良ければ聞かせてください、と城島は自身の疑問を口にする。
「なぜ、わざわざ東京に被害をもたらす形をとったんですか? エテルナレッドを騙すためとはいえ、初期の頃は芝居どころでは済まないレベルでしたよ」
城島は魔獣が初めて東京に降り立った時の話を始めた。あの事件で亡くなった人が大勢いたのを知っている。それに加え、城島個人としても自身の常識を覆す大事件だったのだ。
その損失を「世界のため」と思っているのならヒーロー本部の倫理観は狂っていると言って間違い無いだろう。
しかし、返ってきた答えは城島の予想とは違った。
「あ、いや、あれは冗談抜きで事故だったんですよ」
「事故?」
チーフではなく、説明を始めたのはエンディアだった。彼は吃りながら言葉を紡ぐ。目線は頻繁に逸らされた。
「えと、専門用語抜きで簡単に話すと、えっと、ボクたちは魔獣の研究をしてて、それで失敗した魔獣は次元の穴……いや、まあ、ワープホール?みたいなところに捨ててたんですよ」
城島は「捨てていた」という言葉を聞いて、それから事のあらましをなんとなく察した。
「で、その穴がなんか、実は地球の東京って街に繋がってたみたいで……それで、まあ、結構グロめの魔獣が出ちゃった、って感じで……」
語末はごにょごにょとしていて、はっきりと聞こえない。しかし、城島が理解するには十分な説明だった。
「ということは、魔獣が襲ってくるっていうのは、最初は芝居でもなんでもなかったんですか?」
「はい、そういうことになります」
チーフが右耳に髪をかける。城島は呆気に取られる段階はもう過ぎたのか、真剣な表情で顛末を整理していた。
「それで、もうボクら必死で謝りに行ったんですけど、そこでなんか、偉い人に変なお願いをされて……」
「どんなお願いですか?」
「『事件の責任を追及しない代わりに、これからはヒーローの敵を作り続けて欲しい』……そう要求しました」
城島の頭の中でパズルのピースが埋まっていく。つまり、こういうことだ。
まず、事故で秘密結社の魔獣が地球に降り立った。それに対抗するために国はヒーロー本部を作り、アルマたちを変身させる。ここでエテルナレッドの異常性が発覚した。
その後に魔獣の正体と黒幕が明らかになったが、エテルナレッドを野放しにするわけにもいかないヒーロー本部は秘密結社と手を組んで「ヒーローごっこ」を始めることにした——これがヒーローという制度が瓦解した経緯である。
城島の中での秘密結社の評価はガタ落ちした。最初から期待が高かったわけではないが、エンディアという代表である人間がここまで責任感がないと、その下に位置する構成員もまともじゃないだろうな、と目の前の男を軽蔑の目で見た。同時に、ヒーロー本部の倫理観も。
「はあ……とにかく、エテルナレッドがどれだけ異常な存在か、というのは分かりました」
「うっ」
城島が「エテルナレッド」と口にした時、エンディアが苦しげな声をあげた。それから、彼は長い髪にくるまって怯えた目で震え始める。
「あ、あれなんなんですか。あの生命体っぽいナニカ、本当に地球人なんですか? いや、ほんと、ありえないってあんなの」
「お、落ち着いて」
「本音を言うなら拒否したいんですよあれの前に立つの。心の底から嫌なんですよ本当は。うちの次元にもいないってあんなデタラメ人間……」
エンディアはついに顔をうずめて小さくなってしまった。あれだけ超常的な存在をぽんぽん作れる組織だというのに、エテルナレッドという地球で生まれた存在を異常に怖がっていることが、城島には末恐ろしく感じられた。
「そして、城島さん」
「え、はい」
チーフはエンディアを無視して城島に顔を向ける。無機質な声に、彼は思わず背筋を伸ばした。
「あなたには、してもらうことがあります」
「してもらうこと……?」
チーフは一つの封筒を取り出し、それを城島に差し出した。
「これから、秘密結社の元で働いて下さい」
「……は?」
城島は声を抑え切ることができなかった。




