21話
「おはよー……」
眠そうにうなじを掻きながら、アルマはソファに寝転がった。昨日フウマが来て騒いだことで精神的な疲れが溜まっているのかもしれない。実際には疲労なんてこれっぽっちも無いのは言うまでもないが。
「おはようございます、アルマさん。朝ごはんできてますよ」
「ありがとー」
アルマはテーブルにつき、まず味噌汁をすすった。その黒い茶碗が空になると、ネネノは息をついて自分の作業を再開した。
「はーあ」
「どしたのアルマくん。ため息なんかついて」
「だって、フウマが忙しいって言うから……」
エテルナブラックはまだ調整が完全に終わっていないため、フウマとして頻繁にアルマの前に姿を現すわけにはいかないのだ。それを「ヒーロー本部での仕事が溜まっているから」という理由をつけて隠蔽している。
家族が現れて舞い上がっていたからこそ、今朝とのテンションの落差が大きいようだ。
「だ、大丈夫ですよ! これから時間なんてたくさん……」
そう言いかけて、ネネノはなぜか口を閉じた。いきなり彼女の声が止まったことを不審に思ったのか、アルマは首を傾げる。
「そうそう。時間はまだまだあるからね。スケジュールが合う日は必ず来るよ」
「……まあ、そうだよな!」
微笑むアルマを尻目に、既に起きてスマホをいじっていたデントはネネノに視線を向けて眼鏡を上げた。ネネノもそれに気がついて、控えめに頭を下げる。
「そうだ、オレと双子ってことは誕生日一緒じゃん! なんかサプライズとかしたいなー!」
「確かに、もうすぐだね」
アルマの誕生日は4月1日。あと一週間後である。双子という設定をつけたから、フウマの誕生日も同じだ。
エテルナエルガはそれぞれの誕生日を大々的に、とまではいかないが、きっちりと祝う。ケーキを用意して、チキンを買ってきて、ささやかなプレゼントも送る。そうするのはもちろん仲間同士の絆があるからだが、4月1日を祝うのはそれだけが理由ではない。「アルマが誕生した日」よりも大きな意味を持つ日付だからだ。
そんなことを知らないアルマは、気だるげな様子はどこへ行ったのか、片割れの誕生日をどのようにして祝うかを楽しげに構想している。
「あ、フアンさんもおはようございます!」
皆の視線が同じ場所に集まる。フアンの髪先はひとつも乱れておらず、どこもよれていない白いブラウスを着ていた。寝起きの印象をまるで感じさせない姿にネネノは見とれる。彼女がラフな姿を見せることが全く無いのは既に把握しているが、それでもネネノは感心した。
「おはよう、フアン!」
アルマも、彼女と目を合わせて朝の挨拶をした。その視線が交差した時、彼女の瞳がくるりと回ったような気がした。しかし、アルマはすぐに見間違いだろうとテレビに興味を移す。
「おはよう。調子はどうだ?」
「普通よ」
デントは昨日の夜のことを少し気にしていたが、フアンはいつもと変わらない様子でそっけなく返事をする。デントはその姿に安心した。いつも通り、落ち着いた、冷静な春前フアンである。
「フアンさんのご飯もすぐに盛りますね」
「ありがとう」
フアンは椅子に座り、既に用意されていた食器を見た。箸と、それとミニカステラを食べる用の小さなフォーク。フアンはそれらをじっと眺め、銀に反射する自分と目を合わせた。
そして、彼女はフォークを取った。そしてカステラにそれを刺す——のではなく、そのまま立ち上がり、ある方向へと静かに歩いていく。
一体どうしたのか、となんとなくその姿を眺めていたデントは、次の瞬間——目を見開くことになる。
「は」
フアンは、手に持ったそれを、何の迷いもなく振り上げた。光る先が向けられたのは——アルマのつむじだ。
デントはスマホを床にほっぽり出して机の間を抜けた。そして、それが下される前に彼女の硬い腕を掴み、咄嗟に口を塞いだ。
皿を落としたネネノも、立ち上がろうとして中途半端な姿勢になったマツジも声を上げなかった。アルマはまだテレビを見ている。今のフアンを彼に見せるわけにはいかないから、喉をきゅっと絞って音を出さないようにしたのだ。
「——え?」
そう声を上げたのは、フアンだった。今まさにアルマの頭を刺そうとしたのに、信じられない、という顔で自身が握るフォークを凝視している。
デントは無理やりフアンからフォークを奪い取り、それを後ろに放り投げた。それが机の上に落ちた瞬間、アルマが振り返ってフアンとデントを見た。
「……何してんの?」
「あ、いや、フアンが転びそうになったからな」
「え、めずらし。フアン、怪我してないか?」
アルマは背後で何が起こったのか把握していない。ただフアンの顔を心配そうに覗き込んでいるだけだ。
デントは彼女の片腕を掴んだまま、彼女が次に何を言うか待っている。フアンはデントを見て、アルマを見て、それから自身の手のひらを見た。
「……ワタシ、何したの?」
「え、それ、どういう——」
「フ、フアンさん!」
アルマが言い切る前に、デントとフアンの背後にいっとう背の高い女性——ネネノが立っていた。デントの拘束を外し、フアンの両手をしっかり握っている。
「きょ、今日のご飯自信作で! だか、だから、はやく食べて欲しいな、なんて……」
そう言って、ネネノは愛想笑いをした。それは頭を押さえたくなるくらい下手なものだったが、それでも、この場をどうにかするには必要だった。
しかし、フアンはネネノを見ていない。目をぐるぐると回して、机の中心に落ちたフォークを見ている。ネネノの手がおそるおそる離されて、フアンはよろけながら後退りした。ネネノから逃げているのではなく、もっと、別の何かから離れようとしているようだった。
「フ、フアン、さん?」
「……どうして?」
アルマも異常を察したようで、フアンに近づこうとする。しかし、彼が一歩進んだ瞬間、デントがアルマの肩を控えめに押さえた。
フアンはふらふらした足取りでアルマたちから距離を取っていく。頭を押さえ、肩を上下させ、髪をくしゃくしゃにして。
「ほん、本部に、連絡を」
「あっ、フアン!」
フアンはいきなり走り出し、玄関の扉を乱暴に開けた。アルマの声も聞かず、どこかへ向かって長い足を不格好に曲げて去っていってしまった。
「ちょ、いきなりどうして——」
「アルマはここにいろ。俺が追いかけてくる」
デントは混乱していた。しかし、あの状態のフアンをそのままにしておくわけにはいかない。アルマへの説明はネネノやマツジに任せ、フアンの後を追って居住区から走り去った。
「フアン、なんか様子が変だったよな?」
「……そう、ですね。少しだけ……」
ネネノは呆然と二人が去っていった先を見ていた。アルマとネネノが不安を露わにしている中、マツジは一人、柔らかいクッションに身を預けていた。




