13話
「君にはヒーローになる適性がある」。枯葉ひとつ残っていない冬に、そんな封筒がデントに届いた。
デントは社会人2年目の、なんでもない平凡な情報システム部のサラリーマンだ。高校では吹奏楽部で、今までの人生でまともに運動に取り組んだことなんてない。ましてや、日本を救いたいだなんて気持ちもこれっぽっちもない、平均的に、利己的な、世間知らずの、社会の歯車である。
あまりにおかしな話に、デントはその目が痛くなるような色の封筒をゴミ箱に捨てようとも思った。しかし、そんなことができるほど、彼は世間知らずではなかったのだ。
デントは「魔獣」を見たことがある。日曜朝のテレビ番組から出てきたような、非現実的な存在を。あの時、シャツが妙に体に張り付いていたのを覚えている。都内に限定して姿を現すことから、政府の陰謀だのなんだのと解釈した集団が駅で騒いでいたことも彼の記憶に新しい。あれが東京を破壊し始めてからチープなオカルト本がブームにもなった。
それをどうにかするため、政府は何か行動しているようだった。まだ公になっておらず、メディアも現政権への疑念を唱えているだけの段階だが、デントは自分宛の書類を見てそう悟った。まさか、メタモルフォーゼして魔獣とバトルしろ、なんて要求をしてくるとは思わなかったが。
その手紙に記載された日時通り、家の前に車が止まった。ご丁寧に、職場に休みの連絡も事前に入れてくれて。「社会」の匂いがする車内で、特に説明があるわけでもなく、ただ高いビルの隙間を移動した。
到着したのは、特筆すべきものは何もない平凡な建物。そこで、ヒーローの説明が始まった。そう、驚くべき程に高い給料と、しつこいほどの福利厚生。デントはまるで、騙す気のさらさらないマルチ商法に勧誘されているような居心地の悪さに陥った。
デントは億万長者にも、救国の英雄にも興味はない。選ばれた者の責務だなんてもってのほかだ。「お断りさせていただきます」と、そう言おうと決めた。しかし、その言葉が実際に口に出ることはなかった。
なんでも、国は「変身キット」に対応できる人間を何の断りもなく探していたらしい。日本の緊急事態なのだから仕方がないかもしれないが、自身の信頼する病院が患者のデータを勝手に渡していたことに、デントは多少のショックを受ける。
その結果、この国に変身キットへの適性を持つ人間はデントを含めて10人しかいないらしい。そこから高齢者や身体の都合でヒーロー活動が難しいと判断された人間を除くとたったの4人。対魔獣での最低限の戦力なんだとか。
「お前に選択する権利はない」。暗に、そう言われた。
それから、彼は会社を辞めた。辞めざるを得なかった、が正しいかもしれない。苦労して選択した職をこんな形で手放すとは、全く予想していない出来事である。魔獣が消えた後も就職を全面的にサポートしてくれるという我が国を信じるしかない。デントは己の人生の道に暗雲が立ち込めるのを感じていた。
そしてすぐ、これからヒーローが暮らすと言う仮施設に案内された。そう、それが、初めての顔合わせ。
コンクリートの壁の部屋に入室して、すぐに二人の人間が目に入った。
一人はデントよりもいくつか年上に見えるタレ目の男、もう一人は黄色いメッシュが髪に入った、いかにも今時の若者といった容姿の異様に背の高い女。目を合わせて、すぐに男の方が近づいてきた。
「初めまして。君もヒーローに選ばれた子だよね」
「はい。茅切デントと言います」
柔らかい口調の男は手を差し出したので、デントはそれに応えた。
「僕は新界マツジ。元々は翻訳家してたけど、なんか選ばれちゃった」
「あ、あたしもです」
境遇は全員同じ。そこに例外はなかった。マツジの横から顔を出した彼女は目を屈めて、デントと視線を合わせようとした。
「えと、あたしは八ツ星ネネノって言います。パティシエの専門学校行ってて、あ、今はお休みしてるんですけど。ヒーローのことは詳しくないです」
「俺も、あまり知識はないですね」
簡単な自己紹介を終えて、デントは部屋を見回した。どこにも隠れている人間はいない。
「あの、四人だと聞いていたんですが」
「ああ、確かに。僕もそう聞いてたな」
「来られない、とかじゃないですよね……」
四人が最低限、と聞いていたのに、そこにいるのは三人だけだった。早速不安に駆られ、デントは何度も時計を確認していた。5分、10分。それでも来ない。横ではネネノが気まずそうに会話を続けようとしていた。
「一応、本部の人間に確認を——」
その時、扉が開いた。面接であれば落とされそうなくらいの勢いで、何のためらいもなく、ガチャリとドアノブが鳴る。
「遅れました! すみませーん!」
快活な声がむき出しの壁に響いた。よく通る、声優のような音の鳴り方だった。
デントはすぐに振り返って、その姿を見た。
赤み掛かった髪に、大きな口。後頭部を抑える少し未熟な仕草はここにいる誰よりも若々しかった。
「あ、オレ、喜捨場アルマっていいます! これからよろしく!」
その青年が、喜捨場アルマ。
この時の彼の目は、まだ歪に光り輝いていなかった。
————————
「デントくん、大丈夫?」
会議室のすぐそばにある休憩室。
マツジがデントにコーヒーが入った紙コップを差し出す。デントは妙に重たい眼球を動かして、彼の顔を見た。すっかり見慣れた、褐色肌のタレ目である。
「大丈夫です、すみません」
紙コップを受け取り、一口飲む。喉は乾いていなかったので、デントはすぐにそれを机に置いた。スマートウォッチが指す時刻は午前1時である。既にアルマが寝ている時間だ。
「ごめんね、本当はホットミルクとか、白湯とかの方がいいんだろうけど」
「いえ。これから寝るわけにはいきませんし」
「エテルナレッド」がいる都合で、会議はいつも日を跨いでから行われる。今更、それに文句を言う気力はデントには無い。
「……こないだのことは、すみませんでした」
あの時、デントがすぐにエテルナレッドを止めていたら彼が奇行に走ることもなかった。今回は特に何事もなく魔獣を倒すことができたが、彼に好き勝手に行動させることの危険性をデントはよく知っている。
「あの時は、どうかしてた」
「そんなに気にしなくていいって。僕もほら、何も言えなかったし。むしろデントくんにいつも頼ってばかりだからさ」
マツジのフォローはデントの頭には入らない。それでも彼は「ありがとうございます」とマツジに頭を下げた。
その時、休憩室にノックの音が響いた。そこからネネノが扉をくぐって顔を出す。
「あの、向こうの準備ができたみたいです」
「あ、ありがとね」
デントはコーヒーを一気飲みして、紙コップを備え付けのゴミ箱に捨てた。瞼は幾分か軽くなった気がしたが、どうにも目の血管が詰まっているような気がしてならなかった。
フアンは先に向かっているそうなので、三人で部屋を移動した。あの、ポータルがある部屋である。デントとネネノはよく使用するものだが、マツジはあまり使わないのでどこか新鮮な顔で黒い渦を眺めていた。
ポータルを通過し、秘密結社に入場する。二人が魔獣のテストをしに行く時より、研究員の数はずっと少なかった。いつもの道を通り、いつもの机の元へ辿り着く。そこにいたのはDr.ルニエ——だけではなく、エンディアとウルティ、そしてチーフもいた。フアンは静かにチーフの隣に立っている。
「みなさん、揃いましたね」
「みんな、久しぶりー」
ウルティはエテルナエルガのメンバーに手を振る。それを返したのはマツジだけだった。
「あ、あの」
「どうしましたか、八ツ星ネネノさん」
「ほ、本当に完成したんですか……?」
ネネノの質問を、Dr.ルニエが代わりに答える。
「できたよ。あー、まあでも、悪くも悪くもみんなの期待通りっていうか……」
「ルニエちゃん、ここでもネガティブ出さなくていいから」
秘密結社の幹部二人が話している中、エンディアは俯いて落ち着かない様子で忙しなく目線を動かしていた。あちこちを見ている、というよりも、エテルナエルガに目線を合わせないようにしているようだ。
「では、ルニエさん。早速見せていただけますか」
「りょ」
Dr.ルニエは廊下を進む。いつもデントとネネノが通らない道だった。異次元の言語がたくさん並んでいて、どれがどの部屋なのか判別できない。そのうち、彼女は足を止めて居住区のものと少し似た扉を開けた。
どうやらそこは会議室のようで、高校のクラス二つが十分に座れる程の空間が広がっていた。部屋は円形になっていて、中央にお立ち台のようなものがある。
各自、適当な席に座る。Dr.ルニエは広い袖の中から何かのリモコンを取り出し、それをお立ち台に向けた。
「じゃ、出します」
ピッという音がして、お立ち台に穴が開く。そこから、黒い何かが下から上がってきた。それは魔獣ではなく、人の形をしている。——そして、何よりも。
「は……」
その人がたは、デントが夢に見た彼と全く同じ顔と、目を持っていた。




