12話
エテルナレッドがハエ型の魔獣を引き裂いた後、エンディアは秘密結社にある自室へと帰還していた。
「エンディアさん、まだ撤退の指示を出していません」
無線ではまだヒーロー本部のチーフの声が聞こえるが、エンディアはそれを無視して無線機を床に投げ捨てた。彼の頬には赤い筋ができている。
エンディアは肩で息をする。シルクハットを乱暴に脱ぎ捨て、上質なソファに転がり小さくうずくまった。
「無理無理無理無理無理無理、無理」
衣装が乱れてリボンが解けたのも気にせず、エンディアはひたすらのたうち回った。身に染みついた恐怖を誤魔化すにはがむしゃらに体を動かすしかない。
「何あれマジ無理ほんと無理。いってぇ……」
頬の傷はなかなかに深い。瓦礫の形が少し違ったら頬ごと抉れていたかもしれないぐらいだ。転げ回っているので当然血が流れるが、黒いソファなので跡は目立たない。
「もうほんとやだ。今日は寝よ……」
そう呟いてエンディアがベッドに寝転がろうとソファから起き上がった時——大きな瞳と目が合った。
小さな椅子に行儀悪く座り、机の上に置かれているエンディア用の菓子を手に取ってそれをいっぱいに頬張っている。黒髪を腰まで伸ばしていて、口の端に食べかすをつけながら赤い目をぱちくりとさせた。
「……何やってんだよ、ウルティ」
ウルティ、と呼ばれた魔女らしい格好をしている女性は一度止めていた咀嚼を再開した。口の中からボリボリと音がする。
「地球のお菓子、美味しいよね」
「食べながら話すな、汚いだろ」
ウルティは再び菓子袋の中に手を伸ばした。パッケージにはとうもころしのキャラクターが描かれている。
エンディアは、彼女にのたうち回る痴態を見られたことは特に気にしてはいない様子だ。ただ、彼女の手から菓子を奪い返す。
「ああー」
「ったく、ボクはちゃんと仕事してるってのに……」
「でも、なんか言われてるよ」
ウルティは床に転がった無線機を指す。微弱な声だが、何度もエンディアの名前を呼びかけているのが聞こえる。
「……自分のことを棚に上げるなよ」
「ごめんて」
彼女に反省の色は見られないが、そもそも、エンディアもそこまで腹を立てているわけではない。ウルティが勝手に部屋に入ってくるのはいつものことだ。
「で、今日はどうだったの? その様子じゃ大変だったみたいだけど」
「……ちょっと待って」
エンディアは無線を拾い、簡潔な謝罪をぼそぼそした小さい声で済ませて通信を切った。——そして、息を吸い込む。
「ふっざけんなよ!!」
半泣きの、悲痛な叫びがこだました。ウルティは咄嗟に耳を塞ぐ。
「なんでボクが矢面に立たなきゃいけないの!? 他の研究員とかにやらせればいいじゃん! あでもよく考えたら魔獣の制御がちゃんとできるのってボクとウルティとルニエくらいか……いやそれでも操作役ほとんどボクに回ってきてるよね? せめてウルティとルニエとボクで平等に回そうよ代表とはいえボクだけ不公平じゃん! 怖いんだよエテルナレッドと対面すんの! いつか絶対殺されるって! 宇宙の前にボクが死んじゃうって!」
エンディアは一人で大騒ぎし始めた。極度の緊張しいなのでヒーロー本部の人間とは碌に話すことができないが、「エンディア」を演じている時と身内がいる時は別である。
「仕方ないでしょー。変な次元の穴持ってきたせいで地球人さんたくさん死んじゃったんだから」
「そもそもあの次元の穴引っ張ってきたやつ誰なんだよ! 結局名乗り出なかったし、あれさえなければボクらこんなことしなくて済んだのに……」
別次元に繋がる「次元の穴」。どんな大きさのものでも簡単に捨てられるので秘密結社は魔獣廃棄用のゴミ箱として頻繁に使っているのだが、まさか文明が築かれている惑星の都市へと直通するものが混じっているとは思わなかったのだ。
「代表はお芝居に巻き込まれて、あのルニエちゃんの心もポッキリ折れちゃって、私は悪の女幹部役……。こんなことやってるって昔の私に言ったらどんな顔するかな」
「オマケに、どの魔獣でも倒せないっていうスーパー生命体の登場だよ」
ウルティは大手スーパーのロゴが描かれたティッシュで手を拭きながら「あーね」と相槌を打つ。
「アルマっちって本当何なんだろうね。ルニエちゃんが解析してもわかんないって相当だよ」
「頑張ってる方ではあるけどね」
アルマはその特性から「体の一部を使って検査する」という方法を取ることができない。研究者にとってデータが不十分すぎるのだ。
その時、ノックも無しに部屋の扉が開かれた。姿を現したのは丈のあっていない白衣を着た、小柄な女性——Dr.ルニエである。
「お、噂をすればルニエちゃんじゃん」
「なに、あーしの悪口言ってた?」
「そんなわけないでしょ」
Dr.ルニエはたくさんの書類を獣の腕で抱きかかえている。大いにズレた眼鏡を直すつもりはなさそうだ。
「で、どうしたのルニエ」
「あー、あのプロジェクトがそろそろ終わりそうだから二人にも見てもらおうと思って。いや、全然あーしごときの研究だから見なくてもいいけど……」
卑屈になっちゃって、とウルティはDr.ルニエの頬をつつく。彼女の肌はすっかりガサガサになっていた。
「じゃあ見に行くよ」
「ほらほら、早く見せてー」
「りょーかい」
Dr.ルニエは書類をエンディアの机に置いた後、二人をある場所へと案内した。そこは薄暗い部屋で、いくつものカプセルが鎮座していた。中は液体で満たされていて、たまに気泡が浮かぶのが見える。
エンディアより少し小さいくらいのそれらが並んだ先。部屋の最奥には、一際大きなカプセルがあった。同じように緑の液体でいっぱいになっているが、中に黒い影が見える。
「おお、ずいぶん形になってる」
「最初はこーんな小さかったのにね。ルニエちゃんすごいじゃん」
「いや、こんなん全然だって……」
カプセルの周りには数人の研究員がいて、モニターを観察してメモを繰り返している。Dr.ルニエが合図をすると彼らは別の研究へと向かっていった。
「作れるだけ作ってみたけど、まあエテルナレッドを殺せる可能性は無いね。ひっとつも」
「そ、そうだよな……」
エンディアは落胆した様子で肩を落とす。Dr.ルニエは彼がこのプロジェクトに希望を抱いていたことを鼻で笑った。
「そういえばさ、名前決めてるの?」
「名前?」
「うん。これもナンバーだけ?」
他の魔獣はナンバーをつけられるだけで、名前は滅多につけられない。時たま、大成功したり、大失敗したりした魔獣に職員から愛称がつけられるくらいだ。
「魔獣って言えるかどうかわかんない存在だし、これからたくさん運用する……つもり?なんでしょ。なら、つけた方が便利じゃん」
「あー、まあ、確かにね……」
Dr.ルニエは面倒臭そうに頷く。三人は同時に呻ってカプセルで眠る影の名前を考えた。
「これ、見た目は変えられないわけ?」
「ムズイね」
「なら絶対モチーフバレちゃうよ。いや、別に隠す必要ないか」
なら、とエンディアは指を立てる。
「これでいいんじゃない? ほら、地球の番組でもある展開って聞いたよ」
「……あー、いいんじゃない?」
「じゃあこれで」
エンディアの提案をさらっと承諾し、Dr.ルニエはデータに固有の名前を追加する。昔は名付けやモチーフに拘るタイプの人間だったが、今の彼女はそれすらやる気が起きないようである。
「え、本当にいいの? ボク、適当に言っちゃっただけだけど」
「あれじゃない? 後々ヒーロー本部さんとも話し合って最終決定になるでしょ」
「あーしはなんでもいいよ、もう」
エンディアたちはカプセルを見上げる。黒い影はゆっくりと上下し、小さな呼吸を繰り返していた。
Dr.ルニエが「決定」を押し、名前が確定される。そこに書かれていた文字は——
——「エテルナブラック」だった。




