第3話 防壁陣とサーバービルド
午前4時15分。
提出期限を盛大に過ぎ、吉岡部長が怒鳴り込んでくるのを待つばかりのオフィス。
その冷え切った空気の中、キーボードのタイプ音に混じって、不吉なヒールの足音が近づいてきた。
……ギィ、とオフィスの入り口の重いドアが不気味に軋んで開く。
振り返ると、そこには『法令遵守』と書かれた漆黒の腕章を左腕に巻いた総務部 主任──渡辺 皇沙(32・女)が立っていた。
社内のすべてのインフラと、物理的ルールを牛耳る総務部の絶対権力者が、一切の感情を排したような目でこちらを一瞥し、些事を切り捨てるように口を開く。
「佐藤さん。その作業、あと15分で一度締めて下さい。ビル全体の『定期法定停電』の準備に入ります。サーバー室の主電源も落としますので」
「……へ!? 停電って、来週じゃなかったんですか!?」
「スケジュールが前倒しになったの、知ってますよね? 3日前の午前2時に事前通知のメール、全社送信してます」
「とにかく、あと15分ですので。それまでに全システムを安全にシャットダウンして下さい。それでは、失礼します」
こちらの進捗やデスマーチの苦しみなど一切無視した、無慈悲な宣告。
未保存のコードも、構築中の環境も、すべてを一瞬で「物理的な無」へと還す、抗うすべのない──主電源喪失。
俺の意識は再び魔の森に打ち立てた理想の国家『レーベン・ヴァイス』へとダイブしていく……。
──森を開拓した俺のもとには、新たな種族の難民たちが集まり始めていた。
「ワシは族長のミウラージと申す者です。旧帝国の過酷な強制労働に耐えかね、一族を連れて逃げてまいりました」
「風の便りで、魔の森に如何なる種族であろうと、その技術を尊んでくれる国ができたと聞き、お伺いした次第です」
そう言って、立派な髭を蓄えた小柄で頑強な男が、自慢の巨大なハンマーを地面に置いて平伏した。
「よく来ました、ミウラージ。あなたたちの優れた技術を、我が国のインフラ構築に貸してください。もちろん、完全週休2日と充実の福利厚生を約束します」
「おお……感謝いたします! 『剣聖』にして『賢者』と噂される主君が、ドワーフの技術をそのように尊んでいただけるとは!」
──だがその時、レーベン・ヴァイスの平和な空気が一瞬で凍りついた。
蒼天が不気味な漆黒の闇に覆われ、大気が軋むかのような音を上げる。
そこに悠然と降臨したのは、慈悲の欠片もない眼差しで世界を睥睨する、魔王ナベッサの姿だった。
魔王ナベッサは冷たい魔導書をパチリと閉じ、こちらを一瞥すると指先を城へ向けた。
「蟻どもめ、許可なく我が庭に目障りな城を築きおって。この世界のルールはワタシだ。ワタシの承認なき存在など、消し炭にしてくれるわ」
──【暗黒獄炎魔法】エクス・パージ!
僅かに動かした指先から漆黒の炎が放たれ、ミウラージたちが作った防壁が紙切れのように腐食していく。
「くっ……! なんという闇の力……!」
世界を滅するかのような、禍々しい威烈を前にサトリアーナは息を呑んで立ち尽くす。
(──……っ、マズい! これでは防壁どころか国ごと消されてしまう! 魔王の浸食が広域すぎて、俺のスキルだけでは対応しきれない……!)
冷や汗が背中を伝うのを感じながら、俺は焼き切れそうな頭をフル回転させ、この絶望的な戦況をひっくり返す一手を必死に探し続ける。
(皆が矜持をかけて築き上げてきたこの国を、このまま失うわけにはいかないっ……!)
──キィィィン……!
その絶望の瞬間、世界そのものが凝固するかのような、鋭く冷たい高音が鳴り響く。
圧倒的な冷気をまとった堅牢な氷壁がレーベン・ヴァイスを瞬時に包み込み、あの禍々しい漆黒の炎を完全に阻んでいた。
──【凍土の結界】──
世界を焼き尽くす太陽の熱すら冷やすという神話の盾。
その古代魔法は【聖域】と呼ばれる、魔の森の最深部より発動されていた。
聖域と国を繋ぐ森の道筋から、どこか場違いなのんびりとした足音が近づいてくる。
「あんたたち、この猛攻のなかでよく無事でいられたねぇ」
失われし古代の強固なる防壁陣を自在に操る、穏やかな笑顔を浮かべた白髪の老婦人。
魔王の目を盗み、この魔の森の奥深く、永きにわたる歳月を外界から隔離し、静かに秘匿してきた【不可侵の聖域】の守人。
──伝説の大賢者トメーラだった。
その傍らでは、大狼のフェンリルが、まるで子犬のように「くぅん」と大きな頭をすり寄せ、尻尾を振ってじゃれついている。
「……魔王の圧倒的な力を前にして、これほど気高く、本気で抗おうとする者をワシは百年ぶりに見たよ」
「誰もが怯えて使い潰されていくこの絶望の森で、まさかこんなに綺麗な国を建てるなんてねぇ……」
トメーラは優しく目を細め、サトリアーナを見つめて静かに言葉を続けた。
「この輝かしい高潔な魂の結晶、その灯火を、こんなところで消させるもんかね」
ニッコリと微笑み、ぽんっと俺の手元に薬瓶を置いた。
無機質で微かに清澄な香りを放つ無色の液体──それは、周囲の光をまるで鏡のように不思議に反射していた。
「ほら、これをお使い。魔王の炎に侵食された空間を、その因果ごと『再構築』してくれる【解呪の聖水】さね」
「……それにねぇ、あんたがウチのフェンリルちゃんを、あれほど狂おしいほどの愛で『もふもふ』と可愛がってくれたのは知っているよ」
「突然の召喚でウチの子を引っ張り出された時は驚いたけれど……この子がここまで懐くなんてねぇ」
トメーラに白銀の毛並みを撫でられながら、フェンリルが嬉しそうに喉を鳴らして目を細めている。
「どれほどの絶望に打ちのめされても、最後まで抗うことを辞めなかった不屈の精神、その意志……そして、ウチの子を大切にしてくれる優しさを持った若者になら──」
「ワシが百年の永きにわたり、ずっと隠し持ってきたこの力を託す価値がある……!」
彼女の手には、あらゆる術式を一本に束ねて自動駆動させる伝説のアーティファクト【万象を紡ぐ黄金の糸】、
そして、世界の根源へ繋がった扉を開く【森羅を解く黄金の鍵】が握られていた。
「これを持っておいき……、この聖域を巡る魔力回路と、すべてを書き換える支配権、あんたにあげるよ」
「この国の平和を守る為には3つの輝く因子が必要だからね……。さぁ、あんたのその気高き意志で魔王の暴挙を覆しておしまい!」
「トメーラ様……っ! 感謝いたします!」
最強の盾を得た俺の傍ら、地面にぞんざいに突き刺さったまま、斜めに傾いた魔剣グラムが、低く重厚な呪詛のような声を響かせる。
『我が主よ。此度の建国、この深淵の刃をもって、まずはこの地を脅かす有象無象を血の海へと──』
「うるさい。業務時間内の私語は禁止」
『……っ!?』
(……全ては揃った! 【解呪の霊薬】、【万象を紡ぐ黄金の糸】、【森羅を解く黄金の鍵】──そして)
(この俺の意志がッ! 非情な魔王のルールを必ず打ち破ってみせる!!)
──我が【錬金術】の神理を紡ぐ!──
【現実への強制インターセプト】
「はーっはっはっは! 讃えよ! ひれ伏せ! これより我が国家の『定時退社法』を執行する!」
「──全自動サーバービルド開始! 【錬金術】ギット・フォースプッシュ!!」
バァァァン!! と、深夜のオフィスに爆音が響き渡った。
俺が【錬金術】の発動ポーズとして、全力でエンターキーを叩きつけた音だ。
「ワッ!?」
隣の席の三浦先輩が小さく飛び上がった。
「あはは、佐藤くんの錬金術はダイナミックだね。で、なんで黒い画面にエラーの赤い文字がブワーッて弾幕みたいに出てるの?」
「あ、す、すみませんミウラージ……じゃなかった、三浦先輩! 今、我が国の防壁を本番環境にフォースプッシュしたところでして!」
「……うんうん、佐藤くんが必死に何かを守ろうとしてるのはよく分かったよ。」
「……でもその防壁、エラーログで大火事になってるみたいだよ?」
俺は真っ赤なエラーログが流れる画面を、ぼんやりと虚ろな目で見つめた。
「わぁ……本当だぁ……、画面が真っ赤でめちゃくちゃ綺麗ですねぇ……」
「……ででで、でも大丈夫です、燃え盛る炉の火だと思えば、なんか防壁を鍛え上げられそうな気がしてきました……」
「おい佐藤ォォオオ!!」
パーテーションの向こうから、オークが地響きを立てて突進してきた。丸いお腹がたぷたぷと弾んでいる。
「またお前はわけのわからない大声を上げて! 」
「根津から聞いたぞ! お前、他部署から回ってきた『全社売上システムの同期』と『アクセスログ30ギガの解析処理』の仕事を全部止めてるらしいな!?」
吉岡部長の後ろから、根津課長がニヤニヤしながら現れた。
「佐藤君……きみね、パース処理も正規化も、たとえ言われたことしかできない『兵隊』にだって、寝る間を惜しまずやれば終わらせられたんじゃないのぉ?」
佐藤の脳内の「悪役令嬢スイッチ」が完全にONになった。
限界を超えた脳細胞が、眠っていたすべての記憶と技術を、火事場の馬鹿力によって臨界突破させる。
(ふん、旧帝国が無能な王太子ヨシオラートに、宰相ネズリアンめ。兵隊……いや、『剣聖』にして『賢者』たる、わたくしの真髄を見抜けぬとは)
──佐藤はデスクに並んだ4本の空き瓶を、テントの杭を打つように床の四隅へと整然と設置し始めた。
それは自らの席の区画を大きくはみ出し、両隣のパーソナルスペースにまで完全に侵入している。
「さ、佐藤君、きみは何をしてるんです……?」
根津課長が完全に引いている。
「聖域です」
俺は目を合わせることもなく、それだけ返事をすると、今度は引き出しから『半透明の青い養生テープ』を取り出し、ベリベリと引きちぎった。
設置した空き瓶の内側に、綺麗な四角形の境界線を描いて貼り始める。
「……佐藤先輩、大丈夫ですか?」
高橋さんが何だか悲しそうにしている。
「これはね、【凍土の結界】だよ。安心していいよッ!」
俺はにこやかに高橋さんに答えた。
「さ、佐藤! ななな、何をしてるんだお前は!」
吉岡部長が狼狽している。
俺は無視した。
「えー、これより伝説のアーティファクトで超高速並列分散処理を開始します。この【不可侵の聖域】の中に許可なく立ち入った者は、全属性魔法の錆となります」
「……部長、マジで近づかない方がいいッス。オレ、ああいうの海外の猟奇事件ドキュメンタリーで見たことあるッス」
鈴木が吉岡の背中に隠れ、こそこそとスマホを構える。
──狂人の動向を注視するような、周囲のざわめきの中。俺は目を閉じて、頭の中でデプロイの設計図を急速に構築、完成させていた。
凍土の結界(養生テープ)の中に引きこもっていた俺は、ゆっくりと目を開き、ペン立てから魔剣グラム(紙筒)を引き抜いて頭上に掲げ、オフィスの天井に向かって叫んだ……!
「刮目せよ! 伝説のアーティファクト【万象を紡ぐ黄金の糸】──クバネティス・パイプライン!!」
……ダンッ!! ──カタカタカタカタカタカタカタ!!!
勢いよく紙筒をデスクに置いた佐藤の指が、キーボードを激しく乱打し始める。
おかしくなった脳が紡ぎ出すコードが、黒い画面の上を凄まじいスピードで流れていく。
何百、何千という処理が、まるで生き物のように自動で次々と立ち上がり、リソースを綺麗に分配していった。
「佐藤先輩、うるさいです。……さっきあげたやつ、まだ食べてないんですか。これ食べて静かにしてください」
高橋さんが、捨て犬に餌を与えるように俺の口にブロック型の栄養食品(チョコ味)をぐいぐい押し当ててくる。
「もぐ、むぐ……ありがとう、タカーシャ……じゃなかった、高橋さん!」
「……どこの誰と間違えてるのか知りませんけど、今度間違えたらその空き瓶叩き割りますよ?」
聖域を片手で粉砕しそうな後輩に、俺は涙目でメインシステムへの反映コマンドを入力し、エンターキーを押した。
『ピコーン』
……と、小気味よいビープ音がオフィスに響く。
「……え?」
根津課長が、自分の手元のノートPCを見て凍りついた。
「な、何これ……? 終わってる……? 一週間はかかるはずのログ解析とデータベースへの取り込みが、全部『Success』になってる……?!」
「ほ、本当かっ!?」
吉岡部長が根津課長の画面を覗き込む。そこには、すべてのシステムが美しい緑色のランプを灯している管理画面があった。
さらに次の瞬間、全社員のパソコンの画面に、佐藤の手によって仕込まれていた自動通知が一斉にポップアップされる。
『本日のシステム同期、および全サーバーの自動構築はすべて正常に終了しました。10秒後に全端末に強制終了シグナルを送信します』
鈴木くんが目を丸くする。
「ウッソ、マジッスか!? 本当に画面消えた!」
三浦先輩がパチパチと手を叩いた。
「すごいね佐藤くん! 完全に自動化の魔法だ!」
俺は、口の周りに固形栄養食の粉をつけたまま、不敵に笑って魔剣(紙筒)をペン立てに収めた。
ペン立ての中で
『……我が暗黒の輝きを……、主は何のために引き抜いたのだ……』
──と、キーボードの乱打をただ特等席で見つめるだけだった魔剣が、厳かに沈滅した気がした。
「この国では、理不尽な手作業は法によって禁じられています。コードですべてを支配するのです。さあ、定時(を超えた4日目の朝)ですのでお先に失礼します」
「佐藤さん。帰る前にその床の養生テープ、綺麗に剥がして下さい」
「それと、会社の備品を私物化するのは就業規則的にも法的にも完全にアウトですので。気を付けて下さい」
オフィスの入り口で腕組みをした渡辺主任が、鋭い眼光で言い放った。
「す、すみません、すぐ剥します!」
──ガラガラガラ……。
オフィスの奥から夜間清掃の百瀬 留(年齢不詳・女)──もとい、トメさんが、ニコニコしながらワゴンを押して近づいて来る。
「はいはい、お疲れ様ねぇ。『すばりん』なら、私が剥がしとくからねぇ」
トメさんのそんな優しい言葉の最中、俺の脳内では領民たちが「サトリアーナ様万歳!と歓声を上げていた。
──が、その歓声の絶頂で、世界は前触れもなく完全に途切れた。
画面を落とされたサーバー群と同じように、4日間に及ぶデスマーチを戦い抜いた俺の脳の主電源もまた、一瞬でシャットダウンされたのだった。




