第2話 魔獣と掃除機
時刻は既に午前3時30分。
締切期限を迎えた俺の視界では、ディスプレイの黒い画面が、いつの間にか不気味な紫色の霧が立ち込める危険地帯「魔の森」へと完全にすり替わっていた。
(よしっ……と、それじゃさっそく、転生特典で貰った【無限ガチャ】、とりあえず神話級が出るまで回してみるか)
……。
『ピコーン! SSSランク確定演出! 【終末の咆哮】意思ある魔剣グラム、および【聖域の番犬】神獣フェンリル(ゲスト参戦★期間限定★)が当選しました!』
光の粒子が渦を巻き、地響きと共に現れたのは、白銀の毛並みを湛えた大狼だった。
そして俺の手の中には、禍々しいオーラを放つ黒銀の剣が握られている。
『……我が名はグラム。永き眠りより覚め、主よ、我が渇きを──』
「わあ! もふもふ! 超もふもふじゃん!!」
俺は魔剣を放り投げ、フェンリルのフサフサな胸元にダイブした。
『……っ!?ッ△✕@□!!』
後方で遺憾に満ちた叫びが聞こえた気がしたが、今はそれどころではない。
冷たいデスクと硬い椅子に囚われた俺にとって、この圧倒的なもふもふの暴力以上の癒やしはない。
「──っ……! そこを動くな! 化け物めッ!!」
突如、鋭い叫び声と共に、俺の背後から一人の女性が猛然と飛び出してきた。
黄金の陽光を湛えた髪を振り乱し、尖った耳をピンと立てた美女だった。
彼女はフェンリルの圧倒的な威圧感を前に身体を震わせ、顔を青ざめさせている。
だが、その恐怖をねじ伏せるように、鋭い目をして弓を番えた。
「そこの人間! 私が注意を引きます! 隙を見て逃げなさいッ……!」
完全に、俺が巨大な魔獣に襲われ捕食されかけていると勘違いしている。
自分の命が危ないというのに、迷わず俺を庇おうとする横顔は凛としていた。
「──エ、エルフ? あ、いや、じゃなくて、これは俺のペットで……」
「……え?」
命がけの叫びとは裏腹に、世界はひたすら平和だった。
大狼のフサフサな胸元に顔を寄せたまま、俺が片手をひらひらと揺らすと、彼女はパチクリと目を丸くした。
フェンリルも「くぅん」と情けない声を上げて、猫のように喉を鳴らしている。
完全に害がないと分かった瞬間、彼女の張り詰めていた肩の力が、一気に抜けた。
「……あ、なんだ。襲われてるんじゃ、なくて……」
へなへなと膝を落とした彼女の細いお腹から「ぐぅぅぅ〜〜〜っ」と大きな音が、静まりかえった森に鳴り響いた。
ついさっきまで真っ青だった彼女の顔が、一瞬で耳の先まで真っ赤に染まる。
「っ、ち、違います! これは弓の弦が擦れた音で──!」
必死にプライドを保とうとする彼女に、俺は無限ガチャのハズレ枠で大量に出ていたアイテム、【最高級・携帯糧食(濃厚チョコレート味)】をそっと取り出してみせた。
「よかったら、これを食べて。俺はこれから、 誰もが安心して暮らせる国を創るつもりなんだ」
「──誰もが、飢えに喘ぐことも、不条理に涙を流すこともない、そんな国を……」
サトリアーナは本気で思っていた。
何言ってんだろう俺、と。
心の中で自問自答を始めたサトリアーナの真剣な顔と、差し出された食料を交互に見つめる彼女は、少し戸惑いながら、やがて諦めたようにそれを受け取ると、小さな口で齧った。
見慣れない食料に訝しげだった彼女の瞳が、驚愕に見開かれる。
「な……何これ?! 張り詰めていた緊張の糸が、一瞬で溶けていくような、この濃厚な甘味は……!」
彼女はしばし時を忘れたように、恍惚とした表情を浮かべる。
だが、笑顔で眺める俺の視線に気が付くと、ハッ、と我に返ったように姿勢を正し、向き直った。
「……感謝いたします。私はタカーシャ。あなたは、その……」
タカーシャは改めて俺の頭から爪先までを、まじまじと見つめた。
「その……、どこからどう見ても高貴な出自の御令嬢かと存じますが……先ほどからの平民男性のようなお言葉遣いは、一体……?」
「俺はサトリアーナ。追放された、ただの悪役令嬢さ」
目を閉じて「ふふん」と意味不明な余裕と自信をみせるサトリアーナを尻目に、
タカーシャは一瞬ピクッと眉を寄せたが、手元に残った空の包みに視線を落とすと、小さく首を振った。
「追放……ですか。いえ、どのような身の上であれ、素晴らしい施しを頂いたのは事実。恩には報いるべきでしょう。」
タカーシャはゴソゴソと懐から白い小瓶を取り出し、俺の手へ握らせた。
「これはお礼です。内なる淀みを払い、鈍った五感を瞬時に研ぎ澄ましてくれます」
「……この森の奥深くに自生する魔草の雫を凝縮させた結晶──翡水の秘薬です」
──ズズゥゥン……!!
静まり返った森を激しい地響きが揺るがした。
おぞましい複眼をギラつかせ、暗闇から姿を現したのは、巨大な蜘蛛の魔獣「デス・スパイダー」だった。
巨体から放たれる瘴気に、周囲の木々が瞬く間に腐食していく。
「嘘、SSSランクの魔獣……!? 逃げて、サトリアーナ様! あれは複数のギルドが協力して討伐にあたるレベルの──」
デススパイダーがその巨躯に似つかわしくなく俊敏に跳躍する。
『キシャァァア!!』
金切り音のような奇声をあげ、フェンリルへ目掛けて、その巨躯の後端から白い糸を吐き出してきた。
「なっ……!? 俺のもふもふに触るなっ!」
──【全属性魔法】ヴァル・パージ!
幾重にも交差した七色の魔力が鮮やかに輝く渦となり、迫りくる糸を呑み込み、凄まじい光の残衝と共に相殺した。
「俺の特休を搾取する奴は全員一発解雇だぁぁあ!!」
追い詰められすぎた人間が手にした、一国を滅ぼす程の無思慮な力が暴走する。
後ろで何やら不貞腐れていた魔剣を引き抜き、その勢いのままに一閃。
直後、ただの物理的な斬撃ではない、大気を歪めるほどの真空の刃が迸り、魔獣の強固な外殻が紙切れのように切り裂かれ舞い上がる。
さらに間髪入れずに左手を掲げ、持てる【全属性魔法】を瞬時に掛け合わせて、バグを消し去るイメージを構築。
──【複合創造魔法】虚無の深淵……!
漆黒の斬撃と、光を通さぬ亜空間が、魔獣に悲鳴を上げる隙さえ与えず、一瞬にして無へと還した。
『ピコーン! 魔法の複合・術式の創造を検知。職業【錬金術師】が解放されました』
圧倒的な破壊の光景を後ろから見ていたタカーシャが呟く。
「た、唯の一振りで空間を裂く至高の剣技……!」
「それだけじゃない……あの膨大な魔力のコントロール! それも、神話でしか聞かないようなレベルの魔法を……無詠唱で?!」
信じられない光景を目の当たりにし、ガタガタと腰を抜かしたまま、ただ呆然とサトリアーナを仰ぎ見る。
「あり得ない……あんな芸当『剣聖』、それに『賢者』しか……! 二つの天頂を同時に冠する御方が、この世に存在するだなんて……」
その姿を前に、彼女はサトリアーナが先刻こぼした言葉を思い返していた。
──飢えに喘ぐことも、不条理に涙を流すこともない、そんな国を──
多くの者が己の利益や保身ばかりに奔走する中、この世の総てをその手に収められる程の絶大な力を持って尚、崇高な理想を掲げる、底の知れぬ器……。
タカーシャは右膝を折り、左手を地につくと、サトリアーナを真剣な眼差しで見上げた。
「サトリアーナ様……あなたほどの御方に私の力添えなど無用であることは分かっています」
「ですが、どうかその気高き国づくりのお傍に、私を置いてはいただけないでしょうか」
「──! ああ、もちろんだ。歓迎するよ、タカーシャ!」
サトリアーナがタカーシャの手を取ると、彼女は真剣な眼差しから一転、耳の先をほんのり赤く染めて視線を泳がせる。
「……ち、ちなみにですが、あの黒い濃厚な甘味の糧食はその……、これから創る国では、また食べられるのでしょうか……?」
子供のような可愛らしい本音に、俺は思わず吹き出した。
そんなゆるい空気の中、近くの木の上から、パチパチと拍手の音がした。
「いやぁ、剣聖にして賢者! とんでもないバケモノが、こんな魔の森を徘徊してたなんて、激熱ッス! 」
ひらりと降り立ってきたのは、狼の耳をピコピコと揺らし、リュートを片手に持った獣人の少年だった。
「そして今、お二人が話してた新しい国を創るってヤツ、ぜひオレも混ぜて欲しいッス!」
「世界を震撼させる最高の英雄譚がいくらでも作れそうッスから!」
満面の笑みで親指を立てる少年を前に、なんとも言えない無言の時間が流れた。
横目でタカーシャを見ると、目を細め矢尻に手をかけている。
一瞬ハッとして、こちらを向き、俺の微妙に引きつった顔に気づくと、タカーシャは静かに手を下ろし、どこか遠くへ視線をやった。
「……えっと、構わないけど、俺はすべてを失って追放された身なんだ」
「回してやれるまともな報酬なんて、何一つ持っていないぞ……?」
「金ならいらねッス、そんなものより刺激的なものが見れそうッスからね!」
「……オレ、吟遊詩人やってるもんで、良い詩ができれば、それで食っていけるッスから! ……あ、オレの名前はスズキルっていうッス!」
少年は人懐っこい笑みを浮かべ、愛用のリュートをシャラーンと心地よく掻き鳴らす──。
その音色に眠りを誘われたのか、フェンリルがゴロゴロと喉を鳴らして、俺の足元へすり寄ってきた。
柔らかく暖かそうな毛並みが、目の前に広がる。
(ああ、もう限界だ…… 剣聖だの賢者だの英雄譚だのどうでもいい。今はただ、この極上の安らぎに埋もれていたい)
俺は魔剣を放り投げ、ふらふらと、吸い込まれるようにフェンリルにしがみつく。
「……うぉぉぉ! もふもふー!!」
度重なるイベントによって、お預けをくらっていた至極の癒しを、無我夢中で貪る。
そのすぐ傍で奏でられているリュートの美しい旋律が、徐々に無機質な響きを帯び、『……ウィィィィン』という音と共に、視界の魔の森がぐるぐると回転しだした──。
「うおおおおお! フェンリルー! もふもふー! もふもっ……固ッぁ!!」
ハッと気がついた時、俺は深夜のオフィスの床で寝そべったまま、徘徊していたであろう円盤型掃除機に激しく頬ずりをしていた。
がっちりとホールドする両腕の中で、『ウィィィィン……』と円盤が健気に車輪を空転させている。
「わぁ……この先輩のバグり方は初めて見るッス。あ、そのまま動かないで下さいッス」
隣の席から、スマホを構えて鈴木くんが近づいてきた。
「おわぁあ、スズキル……じゃなかった、鈴木くん……え? 何してるの?」
「写真撮るッス。壁紙にして明日を生きる糧とするッス。……何スか? スズキルって?」
二人の不毛なやり取りを余所に、頭上のすぐ後ろから、同情とも呆れともつかない女性の声が降ってきた。
「……ちょっと、佐藤先輩。何やってるんですか、マジで」
システム開発部、唯一の女性職員──高橋 翠香(24・女)だ。
その目は純粋に、不審者に向ける眼差しそのものだった。
「あ、タカーシャ……じゃなかった、高橋さん! 俺、今フェンリルを……!」
「……誰ですかタカーシャって。勝手に変な名前で呼ばないで欲しいんですけど」
「それとその掃除機、早く放して下さい。レンタル品だから、壊したら弁償ですよ」
俺はフェンリル(掃除機)を丁重に解放し、起き上がろうとした。
……が、膝がガクガクと笑っている。
何とか立ち上がろうと藻掻くが、そのまま床にスライディングするような形で、右手に持っていた「魔剣グラム(特製・紙の筒)」を落とした。
高橋さんが引いた声で質問してくる。
「……なんですか、そのゴミは」
「ご、ゴミじゃない! これは魔剣グラム……じゃなくて、肩叩き棒です!」
高橋さんはため息をつき、俺のデスクに「ブロック型の栄養食品(チョコ味)」の黄色い箱をドンと置いた。
「吉岡部長が給湯室で怒ってましたよ。これ食べて早く仕事終わらせてください」
その箱を見た俺は一瞬、既視感に襲われる。それはタカーシャに渡した携帯糧食だった。
時計を見る。午前3時45分。
ディスプレイには、真っ赤なエラーログが滝のように流れ続けている。
俺は魔剣グラム(特製・紙の筒)をデスクのペン立てに突き刺し、涙目でキーボードに指を置いた。




