第70話 朝陽に感傷は要らない
翌日の朝。
ローナセラ中央広場と北西通りの境目辺りに位置する、セラン・ウェーラー行き廻輿の乗り場。
商店街全体を覆う朝市の喧騒の中、俺達はローナセラを発つフューフィルとラヴァリッサの見送りに来ていた。
時期的な理由だろうか、北西方面へ向かおうとする廻輿待ちの列は、ここへ来る途中に見えた南西方面行きのものより明らかに小さかった。
列を成す人々も、比較的に軽装の者がほとんど。本格的な旅を目的とする人は多くないようだった。
その中に、異様な大荷物の二人組の姿。
それも、旅行に赴くというよりは、大量の買い物帰りのような様相。有り体に言えば周囲から少し浮いていた。
まばらな待機列に混ざらないよう、少しだけ離れた場所に立つ俺達に掛けられる、上機嫌な――ような、そうでもないような、敢えて抑揚を抑えた風なフューフィルの声。
「ここまでありがとう聖ィーノちゃん、助かったわ」
彼女にしては随分と率直なその謝辞は、この二日程の観光案内……ではなく、今朝この場所まで荷物を運んだ事に対してのものだと思われる。そしてシグネーさんから伝染した珍妙な呼称は改める気が無いようだ。
なおその頭部には、無闇にもふもふした珍妙な帽子。何かの獣を模した長い耳のようなものが縦に長くそびえており、無闇に注目を集めている。昨日買っていた物のようだが、気に入ったのだろうか。
「森での食事と街の案内、それに、その……お金について。改めて、感謝を伝えさせて頂きますわ」
こちらは正しくこれまでの色々について礼を述べてくれたらしい、ラヴァリッサの言葉。
素っ気ないフューフィルとは対照的な様子で、深々と頭を下げながらそう言うラヴァリッサに、俺は慌てて言葉を返す。
「い、いえ気にしないでください本当に。繰り返しになっちゃいますけど、お金に関しては実質ただ預かっていたものを返しただけですし、ローナセラへもこちらが半ば強引に連れてきたようなものですから」
「……そう言って頂けると、もはや感謝の言葉もありませんわ」
少し困ったような笑顔で顔を上げるラヴァリッサ。なんてできた人だ。酒さえ入らなければ。
それに対し、何故かどこか勝ち誇ったような顔で言うフューフィル。
「聖ィーノちゃんならそう言ってくれると、私は知っていたわ。だからこその簡素な礼。これはもうむしろ信頼の証ね逆に」
なんて人だ。酒も入ってない割に。
まぁ正面から突っ込んでもろくな展開にならないであろう事はこれまでの経験からも明らかだった。適当に笑って流しておくことにする。
そこに、ガラガラと車輪が街路を踏み鳴らす音。
セラン・ウェーラー行きの廻輿が、ようやく到着したようだった。
発着場として区切られた通りの一角に、巨大な客車を牽く聖畜衆がゆっくりと迫り、そして止まる。
筋肉の要塞のようなその体を朝日に輝かせながら、聖畜衆の男性は待機列に向かって声を張り上げた。
「セラン・ウェーラー行き定期運航便っす。ご利用の方は、乗口で券の提示をお願いするっす」
その言葉と同時、車体側面の中程にある乗車口の扉が開いた。内側から、控えの聖畜衆が開けたようだった。そのまま開いた扉の脇で、小さな印鑑のようなものを構えて立っている。乗車の際には彼に利用券を示す必要があるらしい。
通常の廻輿に乗る際の手順を、昨日まで俺は一切知らなかった。よくよく考えてみれば、正式に公共の交通機関を使ったのは、北部で翼輿に乗った際の一回のみ。それも貰い物の券で。
ここに乗り場があることだけは辛うじて知っていたが、実際どのようにして利用するものなのか。昨夜慌てて調べたところ、極端に混雑する時期でなければ利用当日に乗り場近くの発券場や聖立共壇で乗車券が購入できるらしかった。
事前予約などが必須な制度でなくて本当に良かった。あの二人をこれ以上こちらへ留めておくのは、少し、こう……重い。待っているであろうトープドール達のためにも、極力速やかに帰路についてもらうべきだろうと思った。いや連れてきたのは俺だけど。
ゆるりと進みだした列。荷物を聖畜衆に預けながらひとりひとり車内へと乗り込んでいく。
その流れに沿いながら俺達も、抱えた買い物袋と共に前進する。
列の中にいるラヴァリッサの手には車輪付きカバン。工業区と違い街路は平坦なので車輪が本来の役目を果たしてはいるが、中身をかなり詰め込んだらしく、引くたびに少し軋む音が聞こえていた。帰るまで保てばいいが。
次第に列は進み、ラヴァリッサ達二人が乗り込む番。
二人と俺達の差し出した乗車券と荷物に付いた札を確認すると、聖畜衆は車体後方にある貨物室へ受け取った荷物を運んでいった。かなりの重量がありそうだった車輪付きカバンも軽々と。流石だ。
そして二人が車内へ入るよう促される。
フューフィルが、纏わりつく長いスカートを少し鬱陶しそうにしながら昇降口の足場に片足のつま先を掛ける。
扉の縁に取り付けられた手すりを掴み、あとはもう片足を持ち上げ車内へ入るだけ、という段階になって、――フューフィルが動きを止めた。
片脚だけを高く上げているためスカートの裾が少し気になる姿勢のまま、何か黙考するよう、ほんの数秒静止し――、
「……楽しかったわ。ありがとう聖王」
こちらを振り向かずそう言った。
その言葉が俺の頭に伝わるまで更に数秒。虚を突かれ返事が出ない俺を置き去りにするよう、急ぎ気味に廻輿へ乗り込むと、フューフィルは車上から俺を見下ろし手を振った。
「次は必ず仕留めに来るから。でもその前に料理はご馳走してね」
そしてそう言い捨て車内奥へ姿を消した。
行き場をなくした返答が喉元に絡まったままの俺に、立て続けに掛けられる声。
「申し訳ありませんわ、あの子が変な事を言って。……安心してくださいませ。貴女の命そのものは、魔王軍の目的ではありませんので」
何に安心しろと言うのか、結局どこか物騒な含みのある言葉を別辞代わりとするよう小声で言い残し、ラヴァリッサも車内への足場を登る。
そして先程のフューフィル同様、登りきったところでこちらを振り向き、控えめな笑顔で手を振って言った。
「それでは聖王、皆様、お元気で」
そのままやはり俺の返事は待たず車内へと姿を消した。
取り残され、廻輿の脇で所在無げに立ち尽くす俺。
続いて乗り込もうとする列の邪魔になりそうなことにようやく気付き、慌てて昇降口の前を離れる。
「……聖王様、今の方々は……?」
聖畜衆の一人が声を掛けてきた。今の会話が聞こえていたのだろう。その怪訝そうな表情にも頷ける。
「命がどうこうと聞こえたっすが、一体……」
眉をひそめながら、睨むような半目で廻輿の扉を見上げる。
俺は慌てて言い繕おうとする。
「あぁいえ、気にしないでください。彼女達は――」
「いつまでそこにいんのフィーノ。早く行くよ」
そこに割り込んでくる、ミュイユの声。振り返ると、その後方にはアステルとゼオの姿。どうやら発車を見送る気はまるで無いらしい。
もう少しだけ待って、と身振りで伝え、俺は聖畜衆に中断された言葉の続きを伝えようとして、……ふと詰まる。
彼女達は、何だと言おうとしたのだろう。俺は。
言い淀む俺に、首を傾げる聖畜衆。
俺は強引に言葉をひねり出す。
「とっ……とにかく、彼女達を安全に、セラン・ウェーラーまで送り届けてください、よろしくお願いします。できれば急いであげた方が助かると思います」
口早にそう伝え、頭を下げると、俺は聖畜衆と廻輿の傍から離れる。
「承知したっす。……定期運行便で急ぐのは無理っすけど」
背後から聞こえる、まだどこか不可解そうな聖畜衆の返事に内心で再度礼を伝え、仲間達と合流する。
『戦祇の左手』。その島に赴くための、準備や下調べ。
引き続き休みを取った今日の間に、可能な限りその辺りの用事を進めておく予定があった。
俺は仲間達を引き連れる形で、廻輿乗り場を離れた。
もうじきの発車を伝える、小さな鐘の音が辺りに響いた。
特に振り返る気は起きなかった。
どうせまたそのうち、ろくでもない再会をする。そんな予感だけが胸の隅に転がっていた。




